第18話 胸が疼く
事件から一週間。
僕たちはまだネビルの村にいた。
まだここを離れられない理由があるのだ。
僕は小屋の前でヒューゴと話した後、誘拐犯のものと思われる血痕を追った。
その先には川があり、血痕はそこで途切れていた。
犯人が傷を負って川に流されてしまったのか、それともまんまと逃げられてしまったのかは分からない。
しかし、この村に犯人がまた近づくとは考えにくい。
結果的にではあるが、僕たちはこの村を救ったのだ。
今のところ、新たな誘拐事件も起こっていない。
しかし手放しで喜んではいられない。
こちらにも怪我人が出たからだ。
ヒューゴが負った火傷は思っていたよりも酷かった。
僕たちは村の村長に掛け合い、家屋を一軒貸してもらった。
事件の完全な解決とは行かないまでも、犯人を突き止め、住んでのところまで追い詰めたのだ。
これくらいの報酬はあって然るべきだろう。
そこでヒューゴの傷が癒えるのを僕たちはただ待っていた。
しかし、ヒューゴの火傷は一向に回復しない。
焼かれているのは胸部。
少し身動きを取るだけで痛みが走るのか、呻き声をあげる。
苦しそうにしているヒューゴに僕たちができるのは水で冷やすことぐらいだ。
この村には医者がいない。
だから適切な処置ができているのかも分からない。
僕たちは不安を抱えながら毎日を過ごしていた。
———————————
「やっぱり、探しに行こう」
僕はリゼットさんとケルビンが集まった居間で提案する。
「え?」
「医者だよ。スタンティノスまで戻って医者を探そう」
この周辺の村に医者がいないことは村長に確認済みだ。
医者を手配するならスタンティノスまで戻るしかない。
「でも! そうしたら誰が兄ちゃんの看病をするんだよ!」
ケルビンが吠える。
確かにこの状態のヒューゴを一人にはできない。
僕が悩んでいると、
「私が残ります!」
とリゼットさんが手を挙げた。
それは良い案かもしれない。
と言うかそれしか選択肢はないだろう。
僕が一人で旅立つとしても、旅は危険だ。
一人では夜の見張りの交代もできない。
そうなると残る二人のうち、どちらかが僕についてくることになる。
リゼットさんが僕と共に旅をするにしても、か弱い女性と貧弱な僕の二人では心もとない。
しかし、ケルビンが僕についてくるなら話は少し変わってくる。
多少とは言え、ヒューゴから剣術指南を受けているケルビンは戦力的には僕よりも頼りになる。
少しでも安全な策を取るならば、これが最善だ。
「そうしよう。リゼットさんはヒューゴの看病のためにここに残る。僕とケルビンはスタンティノスに行って、医者の手配をする。いいね?」
僕はケルビンの方を向いて、了解を乞う。
「……それが……兄ちゃんのためなら……」
ケルビンは渋々、頷く。
ケルビンはヒューゴのことを「兄ちゃん」と呼ぶくらい慕っている。
本当は自分が残って看病をしたいところだろう。
しかし、それでは僕たちはスタンティノスに着く前に盗賊などに襲われて、全滅してしまうかもしれない。
ならば、ケルビンは黙って頷くしかない。
——これが合理的判断ってやつだ。
僕はヒューゴがいつか言った言葉を思い出す。
あぁ……正に合理的判断ってやつだ。
————————————
「じゃあ行ってくる。ヒューゴのこと、頼んだよ」
アランさんは見送りに来た私に向かって言います。
「はい! 任せてください!」
私はかけられた期待に応えるように宣言しました。
アランさんとケルビンくんはこれから長い旅に出ます。
スタンティノスからこのネビルの村まで、行きだけで約二週間弱掛かりました。
帰りの道も考えると四週間弱。
急いで馬車を走らせたとしても三週間は掛かるでしょう。
その間、私はネビルの村でヒューゴさんを看病します。
毎日、水を汲んできて、ヒューゴさんの火傷傷を冷やしてあげます。
私の負担はあまり多くはありません。
辛いのはヒューゴさんです。
胸にできた火傷はひどくて、ほとんど一日中、痛みに喘いでいます。
でも傷を冷やしている時だけは多少痛みが和ぐのか、ほっと安心した顔になります。
ヒューゴさんは頼りになる人です。
今回の事件を振り返ると改めて実感します。
最初は……少し怖い人だと思っていました。
スタンティノスでも突然怒鳴ったりして、その姿に怯えてしまいました。
でも後から、それはケルビンくんのことを思っての行動だと気付いて、本当は優しくて、熱い人なんだって思いました。
そしてケルビンくんを大きな怪我までして助けたのです。
そんなヒューゴさんが今は弱っている。
私はそんな彼を支えてあげたい。
そう思いました。
私はアランさんたちを見送ると、水を汲みに井戸に行きました。
バケツいっぱいの一杯の水を抱えて、村長さんに借りた家まで運びます。
そして、布を水で濡らします。
もう秋も終わりかけていて、指先が凍えるように冷たいですけど、ヒューゴさんの苦しさを考えると大したものじゃありません。
私は濡らした布とバケツを持ってヒューゴさんが寝ている部屋へ向かいます。
ガチャ
扉を開けると、ヒューゴさんは
「おはよう。あいつらは……もう行ったか? 痛っつつ……」
体を起こそうとして、痛みを顔に出します。
「起きないでください! 傷に触りますよ!」
私は彼の肩を持ってゆっくりとベッドに押し戻します。
濡れた布を持っているせいでヒューゴさんの向かって右の肩が濡れてしまいました……。
「冷やしますね」
と言って、私はヒューゴさんが着ている服を脱がします。
怪我をしたのが、上半身で良かったです。
下半身だったら……多分、私は看病できませんでした。
服を脱がすと、そこには火傷の跡がありました。
胸を中心に皮膚が爛れています。
見るだけで自分も痛くなりそうな姿ですが、私はもう見慣れました。
水で濡れた布をそっと患部に当てると
「うっ」
とヒューゴさんは呻きますが、だんだんと表情が柔らかくなっていきます。
その表情を見ると、良かった、と私は思うのです。
少しでも助けになるのなら、なんでもやります。
だから早く元気になってください。
私は心の中でそっと呟きます。
少し時間が経って、私は布を取り替えようとしました。
水が入ったバケツに布を入れると、ヒューゴさんが急に起き上がりました。
「! ダメですってば!」
私はヒューゴさんを諌めます。
すると
「……トイレだよ。シモの世話までお嬢さんにはさせられないからな」
私は顔が熱くなるのを感じました。
「っ……もうっ!」
立ち上がったヒューゴさんに付き添うように、肩を貸してあげます。
「大丈夫だよ…トイレぐらい一人で行かせてくれ」
私は肩を貸したまま、
「ダメです! 今は少しでも楽な方法を選んでください!」
頑なに手伝うことをやめません。
「ふぅ……仕方ねぇな……」
ヒューゴさんは私の意固地さに負けたようです。
ふとヒューゴさんの方を見ると、いつものような余裕を含んだ表情をしていました。
思っていたよりも顔を顔の距離が近くてドキドキしてしまいます。
えっ?
なんでドキドキするんですか!?
ブンブン
私は大きく首を振って正気を取り戻そうとします。
でも、揺らいだ心は簡単には元には戻りませんでした。
「痛っ」
私が首を振った振動でヒューゴさんが呻き声をあげました。
あわわ……咄嗟のこととはいえ、私はなんてことを……。
「ご、ごめんなさい!」
私は、やってしまった、と反省します。
ヒューゴさんによって揺さぶられた心はヒューゴさんによって冷静さを取り戻したのです。
トイレに着くと、
「ここまででいいよ。ありがとな」
と言ってトイレの中に入って行きました。
私は彼が用を済ます間、壁に寄りかかってその場で待っていました。
時折、彼がいる扉を見つめながら……。
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