第6話 旅の始まり



「アラン、これも持っていけ。あと馬以外にも自分の水は持ったか? それとこの紹介状を持っていけばバゼル帝国でも手続きがスムーズになるだろう。それと……」


 僕の父、ボランは立ち尽くしている僕に世話を焼いている。


「父さん、これじゃあ一から始めるってことにならないよ」


 僕はこれまでの人生の中で一番心配そうになっている父さんに呆れている。


「私の息子という時点で一から始めることにはならないだろう? 息子のためにしてやれることはやる。それが父の務めだ」


 まぁ、父さんの言うことももっともだ。

 そこまで信用がないかなぁ。

 ……まぁ、裏切ろうとしている人間のいうことじゃないか。


「確かに僕を育ててくれたのは父さんだよ。だから大丈夫、何とかやるさ」


 僕は父さんから紹介状を受け取ってそのまま握り拳を見せつける。

 ………父さんはこれが僕との今生の別れになるかもしれないと考えているのだろうか。

 そうなってしまうパターンは僕がヨナと再会するか…野垂れ死ぬかのどちらかだ。

 今の父さんの視点では、僕が帰ってこないと言うことは僕の死を告げられることと同じだ。

 だから僕が帰ってくることをこれ以上なく望むだろう。

 申し訳ない気持ちでいっぱいだ。


 でも、僕には大切な人と別れてでも会いたい大事な人がいる。

 必ず見つけるよ。

 ヨナ。

 僕は揺らぎかけた思いを決意に変えて、胸に秘める。


「よし。これでいいだろう。……行って来い!」


「はい。父さん! ……これまでお世話になりました!」


 僕は涙が出そうになる顔を礼をすることで隠した。


「ああ。……何だ。今生の別れみたいに言うな」


 僕は顔を上げ、無理やりにでも笑う。

 そして家の出口に向かう。



 さようなら。

 父さん。



ーーーーーーーーーーー


「別れは済んだかい?」


「うん。行こう。バゼル帝国へ!」


 ヒューゴと僕は馬車を引き連れて、北のほうへ歩を進める。

 これで最後だと思うと、この街の景色も少し変わって見える。

 ついこの前まで空いていた土地には立派な建物が建っていて、呼び込みをしている少女が大声で宣伝している。

 そんな景色を網膜に焼き付けながら少しずつ、少しずつ歩いていく。


 永遠に続くかと思ってしまうくらいの街並みを過ぎて都市の北出口まで来る。

 金属で拵えられた門が設置してあるのが見える。

 ここには僕も長らく訪れたことがなかった。

 僕は東側でずうっと入り口の門を見ていたから。

 初めてこの都市に来たものは例外を除いて東側の門へ行けと誘導される。

 それも東側の門には僕がいたからだ。

 昔はこんな門はなかった。

 野蛮な人間は街にはいなかったし、見張りをつける必要もないくらい平和だった。

 こうなってしまったのは多くの人々が行き交うようになった証でもあるのだろう。


 僕は門番に父の紹介状を見せる。

 門番は隣にいた衛兵にこくりと頷くと門の扉が開けられた。


「行ってらっしゃいませ」


 と門番が言う。


 違うんだ。


「行ってきます」


 と僕は答える。


 違うんだ。



 さようなら……だろう?



ーーーーーーーーーー



「おーい! アラン! 今日はここら辺で休もうや!」


 すでに街道を抜けた。

 開けた道の途中で、ヒューゴが後ろの荷馬車から声をかけて来る。

 まだ日が傾いてきたところだ。

 しかし、旅についてはヒューゴの方が先輩だ。

 従っておくのが正解だろう。


「わかった。じゃあ、そこの林のあたりで野宿しよう」


 季節は秋、少し肌寒くなってきたところだ。

 まずは火を起こすのが先決だ。

 暖をとるため、食事を摂るため、そして野生の動物から身を守るために。


 まずはヒューゴと手分けして木の枝を集める。

 ある程度枝を集めると、ヒューゴがおもむろにマッチを取り出し、テキパキと枝に火をつけた。

 ついでのようにパイプにも火をつけている。


 僕は荷馬車から食べ物と鍋を持って来る。

 そして火のついた薪の上に鍋をおいて、干し肉を水で戻す。

 これに少しのスパイスをかけて簡易的なスープの出来上がりだ。

 昨日の豪勢な食事と比べるとあまりにも貧相な保存食だが、それでも父が持たせてくれた最高級の保存食だ。

 僕は一緒に持ってきたパンと器に盛ったスープををヒューゴに渡す。

 いただきますとも言わずヒューゴは食事を摂り始めた。

 僕も何も言わずにスープを喉に流し込む。


 一息つくと体が少し軽くなったように感じる。

 ただ荷馬車に座って馬を誘導していただけだけど、僕にとって初めての旅の一日目である。

 気づかないうちに疲れが溜まっていたようだ。


「この調子なら明日には帝国に着く。着いたらまずは帝国での商権を買うのかい?」


 ヒューゴは明日の予定について尋ねてくる。


「そうだね。これがあれば簡単に通るだろうし」


 僕は胸ポケットにしまってある父から渡された紹介状を指差しながら言う。


「いいオヤジさんを持って、幸せだな」


 ヒューゴは羨むような、遠くを見るような表情だ。


「うん。自慢の親だよ」


 心の底からそう思う。

 あれほど立派な父、いや人間なんてそうはいないだろう。


 話していると、ヒューゴが僕の魔線より少し高く顔をあげる。


「………何か聞こえないか?」


 ヒューゴは訝しげに尋ねる。


「? いや、僕には何も聞こえないけど…」


 僕も耳をすませてみるが何も聞こえない。

 耳をすませても、時折吹く風が木々の葉を揺らす音しか聞こえない。

 ヒューゴの耳はどれだけ良いのだろう?

 それとも今までの経験や感覚からだろうか?


 少しの間、僕はヒューゴの邪魔をしないように身を固くして静寂を貫く。

 やがて緊張した体は動こうとしても動かなくなり、僕は不安な思いを持つようになった。


 まさか野党?

 それとも盗賊?

 そうだとしたらどれくらいの規模のものだろう。

 ヒューゴがいくら腕が立つと言っても多勢に無勢だ。

 僕が戦っても足手まといになるだけ…。

 どうすれば良い!?


 不安に支配された僕の思考は最悪の事態しか考えられない。

 まさか一日目でこんなことになるなんて!と後悔の念に駆られたその時、


パカラッ…パカラッ


 僕の耳にも馬が走る音が聞こえた。

 とうとうやってきたか。

 どうする?

 火を消して隠れるべきか……。

 それともこちらから強襲した方が良いだろうか。


 僕は手に持った食器を無意味に握りしめる。

 緊張の面持ちの僕にヒューゴはこう語りかけた。


「馬は1匹。他に足音は聞こえない……。旅人か?」


 僕は今さっきまで考えていたことが全て霧散するのが分かった。

 僕は少し乾いた口を開いた。


「なんだよ。焦らせるなよ」


「盗賊が来たとでも思ったのか? 良いことだ。警戒はまだ解くなよ」


 ヒューゴは立ち上がり、林の外を見に行った。


 警戒を解くな?

 それってどういう……?

 盗賊が一人で来た可能性があるのだろうか。

 確かにそういう奴らがいてもおかしくはない。

 考えていても仕方がない。

 僕はヒューゴが帰ってくるのを待つ。


 僕が思考を続けていると、馬の鳴き声が聞こえてきた。


ヒヒーン!! どうどう!


 鳴き声と一緒にヒューゴの声が聞こえる。

 馬を宥めているようだ。

 ということはどこからか逃げ出した馬だろうか。

 なーんだ。

 心配して損じゃないか。


「アラン! こっちに来てくれ!」


 安心した直後の僕にヒューゴの迫真に満ちた声色がかかり、僕は驚きビクついてしまう。


「どうした!?」


 僕の体は勝手に動いてくれた。

 林の外に出ると、ヒューゴが人を抱えている。

 女性だ。


「馬にもたれかかっていた。怪我をしている。包帯はあるか?」


 僕は一呼吸だけ考えて


「あ、ああ! 僕の馬車にある!」


 とだけ言って荷馬車へ駆け込む。

 消毒用にワインを一本と包帯を持って火起こしをした野宿地へと走る。


 ヒューゴは火起こしをした近くに布を敷き、女性を寝かせていた。

 僕から受け取ったワインを女性の傷口に吹きかけ、包帯を巻く。


「これで良いだろう。大した怪我じゃあないしな」


 ヒューゴは手際よく処置を終えるとそう呟いた。


「…どこの人だろう?」


「多分、お前と同じような育ちの人間だな。いかにも高そうな馬だったし、この服を見ろよ。」


 確かに綺麗な服だ。

 ということは貴族……もしくは大金持ちってところだろうか。


「俺は先に寝るよ。アランは火の番をしててくれ」


「え!? ああ、わかったよ。おやすみヒューゴ」


 ヒューゴも僕ほどではないが、緊張して疲れてしまったのだろうと思う。

 僕は火に薪を継ぎ足しながら、女性の顔をみる。

 静かな寝顔だが、時折苦しむような表情になり、唸っている。

 何があったのだろう。

 大した怪我ではないようだから、明日には目を覚ますだろうか。

 目を覚ましたら何があったか話を聞こう。

 まずはそれからだ。


 夜はみるみると更けていった。



——————————



 朝の日差しによってパチリと目がさめる


 朝だ。

 初めての野宿。

 体調は万全とは言えないようだ。

 まだ体に疲れが残っている気がするし、首が痛い。


「おはようございます」


 聞いたことのない高い女性の声。


「うわ!」


 突然のことに驚いてしまい、失礼な挨拶をしてしまう。

 昨日助けた身元不明の女性だ。


「あ、その、おはようございます。 ………気分は大丈夫ですか?」


 僕は女性に挨拶をし直す。


「あ、はい。おかげさまで良くなりました。昨晩は大変ご迷惑をおかけしました。……必ずお返しは致します」


 女性の口調は丁寧でいかにも貴族という雰囲気をまとっている。


「それは良かった。 それで、その、…お名前は?」


「これは申し遅れました。私、リゼット・バゼル=ルシールと申します。バゼル帝国の一貴族、ルシール男爵レイモンドの娘にございます」


 ヒューゴの予想はズバリ当たっていたようだ。

 男爵ということはあまり位は高くはない。

 まぁ貴族になったばかりの僕と比べれば高いが。


「僕はアラン。アラン・ニース」


 自己紹介をしていると顔と手を濡らしたヒューゴが木陰から現れた。


「よぉ、アラン。 起きたか」


 夜中に僕と火の番を変わったヒューゴは少し眠たそうだ。

 それを覚ますために川で顔を洗ってきたのだろう。


「じゃあ、こっちの準備は済んだな。聞かせてもらおうか。リゼットさん。何があったのか」


 リゼットさんとヒューゴは既に自己紹介を済ませていたようだ。

 ヒューゴは僕とリゼットさんに向き合うように座る。


 リゼットさんは太陽の下、ぽつぽつと語り始めた。

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