いっぱい

にしおかゆずる

いっぱい

「レイモンド様!」

 テラスを拭いていたメイドが、弾かれたように頭を下げる。この御時世、家事ロボットでも入れた方が遥かに安くつくだろうが、そこが金持ちの見栄って奴だ。

「お帰りなさいませ、レイモンド様」

 脳にインプットされたデータの中から、女の顔を探り出す。メアリー、そう、メアリーだ。

「大丈夫ですか?」

 立ち止まった俺の顔を、女が不安げに覗き込む。窮屈そうな紺色の衣装の下で、胸だけがアンバランスな色気を放っていた。

「ああ、まだちょっと頭が痛んでね」

「三箇月も入院なさってたんですもの。お大事になさってくださいね」

「ありがとう、メアリー」

 制服の中のデータ収集を諦め、俺は屋敷の中へと進んだ。お楽しみは全てを手に入れてからでも遅くはない。

 大理石の階段を上がり、廊下を左へと折れる。交通事故から蘇った御曹司のご帰還にしちゃ、嫌に地味な出迎えだ。もっとも、当の本人は三箇月前に野良犬のエサになってるが。

 事の始まりは二十年前に溯る。もちろん俺の記憶なんぞ残っちゃいない。育ての親のジイさんから聞いた話だ。

 ジイさんはその日、病院から生まれたばかりの赤ん坊を一匹失敬した。親はこの街で一番の大富豪。誘拐はまんまと成功し、後は身代金をせしめるだけのはずだった。ところが。

 祝杯を上げようと入った酒場で、ジイさんは入れ歯が飛び出すほど驚いた。バートン家の息子、レイモンドが無事誕生したとのニュースが、新聞に載っていたからだ。偶然にもジイさんが誘拐したのは、双子の片割れだったらしい。それをいいことに、バートン家は赤ん坊ごと事件を黙殺したのだ。

 しかし転んでもタダじゃ起きないのが、真の悪党だ。赤ん坊がすくすくと一人前の悪ガキに育った頃、ジイさんは突如教育方針を変更した。

 別に悔い改めた訳じゃない。もっと大きな犯罪ヤマを考えついただけだ。

 形成手術でピアスの穴やナイフの傷を消し、礼儀作法から帝王学まで、バートン家の後継者に必要な知識を叩き込む。さらにバーチャルリアリティの館で、レイモンドの生活を忠実に再現させる。涙ぐましい努力の集大成が、つまり俺って訳だ。この屋敷のことなら、庭に咲くバラの種類まで知っている。

 準備に比べれば、実行は実に簡単だった。双子の兄の名を使ってレイモンドをおびき出す。そして――

 臙脂色の絨毯を遮って、銀色の扉が立ち塞がる。しかし掌を押し当てると、扉はあっけなく開いた。システムが、俺をレイモンドと認識したのだ。

 まさか双子だからと言って、指紋までが同じ訳がない。拒絶反応が起こらないのをいいことに、ジイさんはレイモンドの部品を俺に嵌め込んだのだ。全く、医学の進歩って奴は恐ろしい。

 何もそこまで、という奴もいるだろう。別に自分の境遇を嘆く訳でも、オフクロのオッパイが恋しい訳でもない。だが札束に恋い焦がれない奴がどこにいる?

『オ帰リナサイマセ、れいもんど様』

 次の関門に、注意深く息を吐き出す。声帯を取り替えただけではコンピューターは騙せない。リズム、発音、抑揚。識別用のプログラムをポイントごとに解析し、その全てをクリア出来るよう発声練習を繰り返す。何度も、何度も、何度も――

「ただいま」

 扉は開いた。

 館とは別の映像が、一瞬脳裏に浮かんで消える。繰り返し繰り返し、大富豪のサインの練習を続ける若い男。ジイさんの良く見ていた、前世紀の映画のワンシーン─最後には失敗する話のどこがいいのかと、俺は笑ったものだ。そう、俺は奴のようなヘマはしない。

 虹彩と網膜パターンのチェックを終え、第三の扉が開く。ジイさんの情報網も確認出来なかった未知の領域だ。まあ、大体予想はついちゃいるが。

「帰ってきたよ、ママ」

 舌足らずな声をことさらに演出して、俺は足を踏み入れた。

 暖炉の前でレース編みに精を出している太った中年女。レイモンドがどうしようもないマザコンだってことは、とっくの昔に調査済みだ。

「どこへ行ってたの?」

 揺り椅子の動きを止め、女は不機嫌に口を開いた。

「言うことを聞かない子は嫌いだって、ママ言ったでしょう?」

 これが俺の実の母親かと思うと、有り難くてヘドが出る。嫌悪感を捻じ伏せ、俺は媚びるような笑みを作った。もう少しの辛抱だ。こんなババア一人、どうにでも始末出来る。

「ごめんね、ママ。でも……」

「そう、まあいいわ。代わりは用意してあるから」

 代わり? ババアが手を叩き、奥の扉が開く。銃を構えた人影に、俺はレイモンド譲りの瞳を見開いた。

 レイモンドだ。

 戸惑いを隠せないまま、まじまじと自分の掌を見つめる。馬鹿な、奴は俺が確かにこの手で――

 直後、俺は全ての答えを悟った。自嘲を含んだ笑いが、喉から溢れ出す。

 偶然ではなかったのだ。

 二人目のレイモンドが、続けて姿を現す。三人、四人。見事に歩調を揃えた足並みは、統制された軍隊を思わせた。全く、医学の進歩って奴は……自分の置かれた状況も忘れ、俺は笑い続けた。

「片付けてちょうだい、レイモンド」

 ブラスターの光が、一斉に俺を貫いた。

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いっぱい にしおかゆずる @y_nishioka

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