第11話 青い石の贈物
冬になり、雪が降り始めた。たった一晩で辺りは真っ白な世界へと変貌する。屋敷を囲む壁の外は町よりも雪が深いけれど、庭に雪は積もってはいない。
夜に降り続いた雪は止み、まだ薄暗くても晴れている。今日もエフィムは鳥に餌をやっているのだろうかと迷いつつ、コートを着て外に出た。
いつもの場所に向かうと、黒いコートを着たエフィムの姿が見えてほっとする。
「おはようございます」
挨拶を交わし庭に雪がないことを指摘すると、魔法石を使って雪を溶かしていると教えられた。雪を溶かす仕組みは街道に設置されていることは知っていても、貴族の屋敷は屋根や庭にも使用していると聞いて驚く。
「他国では平民の家にも使われていますよ。屋根にも設置してあって、雪下ろしの必要がないので便利だそうです」
エフィムは外国のことを良く知っている。王城では外国人と接する機会が多かったらしい。ここに来て六年以上が経っているので、古い情報かもしれないと笑う。
「エミーリヤ、寒くありませんか?」
エフィムに問われて、私は苦笑した。町では十分温かな厚みがあるコートも、この寒さでは不十分。
「少し寒いですね。こんなに寒いとは思いませんでした」
後で中に何か着ないと凍えてしまいそう。
素早い動作でエフィムがコートを脱いで私の肩に掛けた。厚みがあるのに、ふわりと軽くて暖かい。
「え?」
「鍛えていますから短時間なら平気ですよ」
焦げ茶色の詰襟の上着と黒いズボンにブーツという姿でエフィムが笑う。
「でも……」
「それでは、手を握って温めて頂けませんか?」
差し出されたエフィムの大きな手に手を乗せる。両手で包み込んでみても全部は覆えない。ダヴィットの冷たい手とは違って、エフィムの手は温かい。
「行きましょうか。鳥が餌を待っているでしょう」
結局エフィムと手を繋いで裏庭へと向かい、パンくずを撒いて白い鳥と黒い鳥を迎えた。
「故郷からお手紙ですね」
黒い鳥の筒には、丸められた手紙が入っていた。広げたエフィムが眉を下げて苦笑する。
「酷い話です。新年の祝いに間に合うように名物の酒を送れとだけ書かれています」
手渡された手紙にはエフィムの健康を気遣う言葉は一切ない。最後には夏までに職を辞して戻ってこいという一文が記されていた。
「故郷に戻られるのですか?」
夏まではまだ遠くても、エフィムがいなくなると思うと心細い。
「いえ。戻るつもりはありません。気がかりなことがありますので」
「気がかりなこと?」
「……メレフ様のことですよ。他の公爵家に行かれるまでは成長を見届けたいと思っています」
「ご存知だったのですね」
「皆、知っています」
知らなかったのは私だけなのかと溜息を吐く。私に知らされていないことは、どれだけあるのだろう。ダヴィットに疑いを持ちかけた自分の意識を、頭を振って追い払う。
私はまた疑いを持って、ダヴィットの心を傷つけようとしている。つい最近、疑ってしまったことを後悔したばかりなのに。
ダヴィットは私の署名を胸に抱いて、大事にしてくれていた。署名を悪用されてもいいと、心の底で疑っていた私は間違っていた。ダヴィットの想いに応えなければと強く思う。
「エミーリヤ、そろそろ戻りましょうか」
エフィムの声で我に返ると、鳥たちは姿を消し、たくさん撒いたパンくずも消えていた。
「ごめんなさい。コートを返します」
私がコートを肩から降ろそうとする手を止めて、エフィムはまた手を握ることを希望した。
「コートより、貴女の手の方が温かいですから」
白い息を吐くエフィムの笑顔は優しくて、大きな手はとても温かかった。
新年が近い町へと向かう馬車の中、メレフは宝箱の話ばかりで微笑ましい。書店で本を購入して店の外に出ると、馬車の前で紺青色の毛織物のコートを着たフェイが手を振っていた。
「待ち合わせていたのですか?」
「そうだよ。この前飲んだ時にね」
フェイの笑顔は明るい。前回と同じ店で昼食を取る間、フェイはメレフと話をし続けた。好きな物や好きな本、好きな服の色まで聞き出している。子供好きなのかもしれない。
「僕はメレフと一緒に宝飾店へ行って来るから、二人でお茶でも飲んできなよ」
料理店を出た所で、フェイが笑ってメレフに手を差し伸べる。宝飾店に行けると聞いてメレフが飛び跳ねて喜んだ。
「一緒に行きます」
私はフェイに異議を唱えた。教育係が預かっている子供の手を離すことは出来るはずもない。
「大丈夫だよ。ね、メレフ?」
「エミーリヤ! 僕、良い子にしてるよ!」
メレフの頭にはもう宝箱のことしかないのだろう。青い瞳をきらきらと輝かせている。
宝飾店へと歩き出す二人の後ろを着いて行き、一緒に店へ入ろうとした所でエフィムに肩を掴まれた。
「エフィム……どうして私を止めるのですか。私は教育係として責任があります」
「許して下さい、エミーリヤ。フェイの身元とメレフの安全は、私が保証します。家令にも許可は頂いています」
「……フェイは、一体何者なのですか?」
輝く銀色の髪に青い瞳。それはこの国の王族や貴族に多い色彩。平民の髪が草色や青色が多い中、ダヴィットの金髪と青い瞳はとても珍しい。ダヴィットの曾祖父が金髪と青い瞳で、先祖返りだと言われていた。
「それは本人が明かすまでは口にできません」
公爵家の家令が許可を出すなら王族だろうか。王子は三人、王女は三人いる。年齢的に考えれば第三王子のイグナート様が該当するけれど、王子が供も付けずに一人で町中を歩くことは考えられない。ならば他の公爵家の方なのかと考えても、顔も姿も全くわからない。
親族としてメレフに会いに来ているのかと考えた所で、メレフを引き取る公爵かもしれないと思いついた。それならば、メレフの好みを聞いていた理由の説明もつく。
メレフもフェイも店内に入ってしまって、追いかけようにもエフィムに肩を掴まれているから動けない。
抗議の意味を込めてエフィムを睨むと困ったように眉尻を下げられた。
「……仕方ありませんね。同行するのはあきらめます」
相手が王族か上級貴族なら、騎士のエフィムは命令に従うしかないのだろう。謝罪を続けるエフィムを止めて、私は溜息を吐いた。
お茶の前に行きたい場所があると、エフィムが私の手を引いて案内してくれたのは仕立て屋だった。
「コートを作りましょう。この町でも温かい物を」
中年の店主はエフィムと懇意らしく、すぐに店主の夫人が出てきて女性物の見本帳を机に広げた。
「最近はコートより、マントが流行っていますよ。縁に毛皮が縫い付けられているので、冷たい空気を遮断してくれます」
試着見本として着せられたベージュ色のマントにはフードがついており、被ると顔の周りにふわふわとしたウサギの毛皮が当たって耳が温かい。
がたりという音に目をやると、椅子に座っていたエフィムが立ち上がって目を瞬かせている。
「何か?」
「いえ。その…………可愛らしいと思いました」
エフィムの目が落ち着かない。
「お、お世辞は止めて下さい」
店主と夫人の笑顔が視界の端に見えて、羞恥で頬が赤くなる。エフィムの口から可愛いという単語が出てくるとは思わなかった。不意打ちの褒め言葉は衝撃的過ぎて恥ずかしい。
「あの……やはりコートにしたいと思います。エフィムと同じ、軽くて暖かい物で」
私はコートを注文することにした。マントは温かくても淡い色は汚してしまいそうで怖い。小さな子供を相手にしているのだから、汚れが目立たない方が良い。
迷いに迷ってエフィムと同じ黒い色のコートを選んだ。違う色にするか迷ったけれど、手持ちのコートは茶系の色ばかり。紺色は染料の関係で値段が高い。
夫人に促されて、別室で寸法を測ってもらう最中に私は思いついた。
「あの……手袋を注文できますか? 男性用の」
エフィムの手は温かくても、いつも手を握る訳にはいかない。手袋は消耗品だから、幾つあっても迷惑にはならないだろう。
「もちろん。……シーロフ様の手の寸法ならわかりますよ。剣が持てるように、滑りにくい加工もしておきましょうか」
夫人が悪戯を思いついた子供のような表情で微笑む。
「……はい。お願いします」
私は夫人に勧められるままに、柔らかな皮を選びデザインを選ぶ。何を口実にして贈ればいいのか考えたけれど、いつもお世話になっているお礼ということでいいだろう。私は夫人に代金を支払って、採寸部屋を出た。
仕立て屋を出て、宝飾店近くの茶店に向かって歩いていると、突然腕を引かれてエフィムに抱きしめられた。
「!?」
ちょうど私の頭があった所を、ふらついた大男が持つ酒瓶が掠めて行く。酔っ払っているのだろう、強いお酒の匂いがする。
「行きましょう」
囁くエフィムに抱えられるようにして、その場を離れる。
「……まだお昼なのに……」
よくよく見れば、あちこち雪が積もる町の中を歩いているのは圧倒的に男性が多い。私が住んでいた町より圧倒的に少なくても、先日訪れた時よりも外を歩く人がいるように思う。
「……外国人のようですね。言葉は通じないかもしれません。急ぎましょう」
「何があるのでしょうか?」
一度異変に気が付くと、普通に歩いている男性ですら怪しく見えてくる。
「わかりません」
硬いエフィムの声で不安になって見上げると、エフィムが笑顔になった。
「大丈夫です。何があっても貴女を護りますよ」
エフィムの言葉は力強くて、私は安堵の息を吐いた。
待ち合わせの約束をした茶店でお茶を飲んでいると、メレフとフェイが入ってきた。
「エミーリヤ!」
私は椅子から立ち上がって、抱き着いてきたメレフを受け止める。腕も足も随分丈夫になった。メレフの温かい体温が心地いい。
「フェイは勇者だったんだよ!」
メレフの叫びで周囲のお客の視線が一斉に向かってきた。フェイが苦笑しながら、用意された椅子に腰かける。
「メレフ、それは秘密だって言っただろう?」
フェイの言葉を聞いて、メレフが目を見開いて口を手で押さえる。しまったと呟く姿は可愛らしくて微笑ましい。
「エミーリヤには言ってもいいよ」
フェイの許可でメレフが次々と言葉を発する。今回の宝箱には宝石や金貨の他に勇者の剣が入っていたらしい。店員が誰も抜けなかった剣をフェイが抜いたとメレフは興奮しながら話している。
実際には店員たちは剣が抜けない演技をしたのだろう。メレフはフェイが勇者だと信じている。
「エフィムも勇者の剣を抜けるのかな?」
メレフが首を傾げると、フェイが抜けるかもしれないと笑い、エフィムが苦笑する。
「……僕も抜けるようになるかな……」
「メレフが大きくなったら抜けるんじゃないかな」
フェイの言葉に、メレフが闘争心を燃やしている。どうやったら大きくなれるのかと、フェイの膝の上に座って質問責めを始める。
二人のやり取りは、見ていて微笑ましい。フェイならメレフを引き取ってもきっと大事にしてくれる。
「僕はエフィムより大きくなる!」
「そうだね。エフィムより大きくて強くなるといいと思うよ」
メレフの宣言を焚きつけるようにフェイが笑う。どうしてその結論になるのかと、エフィムが溜息を吐く。
三人の微笑ましい姿に、私は笑いを堪えることができなかった。
ある日の早朝、ダヴィットと王女が連れ立って豪華な馬車へと乗り込んで出掛けて行った。温泉地に旅行だと聞いていたのに、何故か夕方に戻ってきた。
屋敷の主人が旅行ということで緩んでいた空気が、慌ただしい雰囲気へと変わった。町に飲みに出ようとしていた従僕や下僕たちが舌打ちし、下女たちは手抜きをした仕事を完璧にする為に走り回る。
空いた時間に下女たちの仕事を手伝って理由を聞いてみても、誰もわからないと言うのみ。ダヴィットと王女が二人で旅行をすることはあまりないらしい。前回の旅行は私が来た時で、使用人たちは主人の長い不在を休暇としてのんびり過ごしていた。今回も期待していたのにと一様に残念がっている。
その翌日、ダヴィットに手を引かれて研究室へと向かう際に、私は問いかけた。
「旅行ではなかったの?」
「……王女の気まぐれだよ。よくあるんだ」
温泉地へと向かう街道の途中で引き返してきたと、ダヴィットは苦笑する。
「エミーリヤ、これ、もらってくれないか」
ダヴィットが明るい笑顔になって、手のひらに小さな青い石の耳飾りが載せられた。初めてもらう贈物に心がときめく。
「これは?」
小さな青い石は美しい光をまき散らしている。
「サファイアだよ。ごめん。王女に隠れて買うのは、これが精一杯だった」
ダヴィットが微笑む。その瞳は魔法灯の光を受け、手の中の青い石と同じ色で煌めいている。初めての贈物がとても嬉しいと思うのに、何故か心がちくりと痛む。
「……ありがとう。大事にするわね」
私は、ガラスのように綺麗な、青い石の耳飾りを握りしめて微笑んだ。
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