第9話 精霊が語る言葉

 フェイが黒い箱を手にして宝飾店の店の奥から出てきた。箱は大きな本くらいの大きさ。

「お待たせ。これを買いに来たんだ」

 そう言ってソファに座りなおしたフェイが黒い箱を開く。

 

 白い布が貼られた箱の中には、大きなサファイアがいくつもあしらわれた金の豪華な首飾りが入っていた。美しい青と金の組み合わせはダヴィットを思い出す。


「この首飾りは、とある有閑夫人のご自慢の品だった。売りに出されたってことは、相当お困りのようだね」

 フェイの言葉も表情も明るく軽い物なのに、何故か怒っているように思えてならない。不安になって膝の上の手を握りしめる。


「……すまない。貴女は人の感情に敏感なようだね。そう。僕はこの首飾りの元の持ち主に対して怒りの感情を持っている。決して貴女に怒りを向けている訳ではないから、安心して」

 握りしめた私の手をフェイの手が優しく包み込む。温かい手と優しい笑顔に安堵の息を吐く。


「やっぱり、君に何か贈りたいな。何か欲しい物はある?」

 フェイの問いに自問してみても、欲しいと願う物はダヴィットの心だけと答えが出た。

「欲しい物は何もありません」

 私は微笑みながら嘘を吐いた。



 宝飾店から出ると乗ってきた馬車が待っていた。シーロフはメレフと私を馬車に乗せ、フェイと何か立ち話をしている。フェイが笑顔で話していても、シーロフは背中を向けているので、どんな表情をしているのかわからない。


「エミーリヤ、あの宝箱には秘密があるんだ」

 メレフはすっかり宝箱のとりこのようで微笑ましい。しばらくは冒険物語を読んで欲しいとねだられるだろう。もっと遊びたいと言うかと思っていたのに、あっさりと宝箱から離れたことに驚いている。


「どんな秘密かしら?」

「……白い月が丸くなる度に、宝箱の中身が魔法で変身するんだって。秘密だよ」


 目を輝かせながら声を潜めるメレフの可愛らしい様子を見て、あの宝箱は子供の玩具というだけでなく販売促進の為なのだと気が付いた。子供が宝箱を目的に、親を宝飾店へといざなう。上手い手だと思う。


「また行きたい?」

「うん!」

 小さな耳飾りや飾りピンなら、私でも気軽に手が届く。毎月は無理だけれど、時々なら連れていけるだろう。メレフと再訪を約束した所で、シーロフが馬車に乗り込んできた。


「お待たせして申し訳ありません」

「いいえ。久しぶりに会うご友人なのでしょう? もうよろしいのですか?」

 食事中の会話の内容では、シーロフが護衛としてこの屋敷に来てからは会う事もなかったらしい。


「……今度、飲む約束をさせられました」

 メレフを膝に乗せたシーロフが溜息にも似た息を吐く。今日はシーロフの表情が豊富で楽しい。メレフも同じように感じているようで、私と顔を見合わせて笑う。


 笑顔で手を振るフェイに見送られて、私たちは帰路へと着いた。



 屋敷での毎日は変わらないように見えても、メレフがどんどん成長していくのがわかる。細かった手足が徐々に丈夫になり、読める字が増えていく。


 元々いた教育係は、老齢を理由にして屋敷から去って行った。以前からずっと辞めたいと言っていたらしい。私への引継ぎが完全に終わった途端に他の人々に挨拶もせず、逃げるように去った。


 不思議なのは退職していく人間のことを他の使用人たちがうらやましいと口にすることだ。王女の侍女たちはどう思っているのかわからないけれど、下男や下女たちは替わりが来たら辞めて故郷に帰りたいと言っている。平民が貴族の屋敷に雇われているのだから、普通は誇らしいと思うのではないかと考えていたのに、そうではないらしい。理由を聞くと一様に口を閉ざしてしまう。


 思いついてメレフの成長記録を帳面に付けたものをダヴィットに見せようとして断られた。だから見せるのはシーロフしかいない。

「そろそろ、簡単な絵本なら独りで読めるようになるのではないですか?」

「ええ。でも、今ある絵本は、全部覚えてしまっています」


 昼食の後のメレフの昼寝の時間は、シーロフと私のお茶の時間になっていた。数年前に流行して、今では定番になった紅茶をポットで淹れる。

「どうぞ」

「ありがとうございます」


 シーロフの好みは濃い目に淹れた紅茶に砂糖を一匙、温めたミルクをたっぷり。一方の私は、砂糖を五匙と温めたミルクを少し。紅茶が流行した頃は、砂糖を十~二十匙入れて、溶け切らない砂糖と一緒に飲むのが普通だった。


「美味しいですね」

 シーロフが笑顔になると、私もつられて笑顔になる。甘い紅茶が心も体も温めてくれるような気がして、冬に向かう寒さを忘れさせてくれる。


「そうだ。忘れていました」

 シーロフが上着のポケットから白い紙包みを取り出して開くと、割れたクッキーが入っていた。元々は四角い形だったのが辛うじて見て取れる。


「あ……すいません。朝のうちに渡しておくべきでした」

 昨夜、フェイと飲んだ時にもらったらしい。メレフとの馬の散歩の間に割れてしまったかとシーロフが呟く。包みを閉じようとするシーロフの手を止めて、割れたクッキーを摘まんで口にする。口の中でほろりと崩れ、バターの風味が広がって美味しい。


「ありがとうございます。美味しいです」

 バターを使ったお菓子が広まったのはこの数年。贅沢にたっぷりとバターを使ったお菓子は高級品で、なかなか平民の口には入らない。


「割れていても美味しいですよ」

 私が勧めると、シーロフも割れたクッキーを口に運ぶ。


「以前はお菓子を作ったりもしていたのですが、ここで作るのは難しいでしょうね」

「菓子を作ることができるのですか?」

 簡単な料理も出来ると言えばシーロフが驚く。料理といえば、料理人が作る物と思っていたと笑う。


「平民ですもの。人を雇う余裕はありません。自分で何でもしなければ」

 家で料理をしない人もいる。その場合は、外に食べに出るか買って帰る。


 人を雇えるだけのお金はあっても、誰も家に入れたくなかった。独りの時間が心地よかった。毎日本を読んで、一人分の食事を作って一人分の家事をして。時々、本を見てお菓子を作っていた。


「貴女が作る料理と菓子を食べてみたいです」

 シーロフの笑顔が優しい。いつの間にか淡い笑顔ではなく、はっきりとした笑顔を見るようになった。

「あら。それは沢山作らないといけませんね」

 シーロフの食事量を考えると、これまで作ったこともないような量になる。想像するだけで楽しくて笑いが零れる。


 この屋敷の厨房は厳重に管理されていて許可された者しか入れず、使っていない時間には家令によって鍵が掛けられる。私が厨房を借りるのは至難の業だろう。シーロフに料理を作る機会はありそうにない。シーロフと私は、メレフが起きてくるまで楽しい想像話で笑い続けた。



 シーロフは夕食を終えてから馬で出かけることが増えた。深夜に戻ってくることがあっても、早朝の鳥への餌やりに遅れることはない。


 最近の私は、何となく一緒に餌やりに参加している。シーロフと話していると、ダヴィットと王女のことを忘れていられるから気分が良い。 


「おはようございます。ちゃんと眠っていますか?」

 シーロフは日中、眠そうにすることもない。以前と何ら変わらない。

「短く眠ることもできますよ。心配して下さってありがとうございます」

 体力だけはありますからとシーロフが笑う。


「それより、酒臭くないですか? 昨夜は大量に飲まされました」

 フェイは大酒飲みなので、同じ量を飲むと潰されると苦笑する。

「大丈夫……だと思います」

 隣に立つと、ほのかにお酒の匂いがするけれど、不快という程でもない。


「私が酔い潰れると、顔に落書きをするのです。絶対に外では潰れないようにしなければ」

 シーロフが笛を握りしめて、口を引き結ぶ。

「顔に落書きですか?」

「ええ。炭やインクで猫のひげを描かれたり、額に敗者と書かれたりと散々です」

 文字の時は、器用にも鏡に映ると読めるように鏡文字で書かれるらしい。


「朝起きて、二日酔いの頭を抱えながら鏡を見た時に絶叫しそうになりますよ」

 真面目なシーロフが顔に落書きをされている想像をするだけで可笑しい。


 笛で鳥を呼び、パンくずを撒く。メレフは遊び疲れて良く眠っているので早朝に起きることがない。笛を止めると白い鳥が肩に、黒い鳥が腕に降り立つ。それがこの鳥たちの定位置らしい。

「今日は故郷にお手紙ですか」

 黒い鳥の脚に着けられた金属の筒に、シーロフは小さく丸めた紙を詰めて蓋をしていた。

「ええ。たまには返事をしないと」

 

「最近は白い鳥にはお手紙を付けないのですね」

 以前は必ず手紙を入れていたのに、今日は空のまま。

「特に何も報告することがありませんから」

 シーロフが苦笑する。確かに王女は部屋の中で籠りきりで、本当にいるのかどうかもわからない。


「朝食まで時間があります。少し散歩をしませんか?」

「はい」

 シーロフと話すのは楽しくて、時には時間を忘れることもある。私はシーロフの隣に並んで歩き始めた。



 朝食後、メレフとシーロフが馬での散歩に出て行くのを見送って、薪小屋の前で待っているとダヴィットが迎えに来てくれた。二日に一度の待ち合わせは心が躍る。


「おはよう、エミーリヤ」

「おはようございます」

 今日も指を絡めるようにして手を引かれながら研究室へと向かう。相変わらずダヴィットの手は冷たくて心配にはなっても、ダヴィットに触れられているというだけで嬉しい。


 研究室の中に入ると、ダヴィットは私の手を持ち上げて観察するようにしながら撫で始めた。

「何? くすぐったいわ」

「……僕と何が違うのかな」

「違う?」

「エミーリヤが薪をあげた後、火の精霊の調子が良い。僕が薪をあげた時よりも魔法の効率が良いんだ」


 魔法の効率と言われても、さっぱりわからなくても手を撫でられる行為が鼓動を跳ね上げる。心臓が口から飛び出そうなくらいに高鳴って顔が熱い。


 部屋の中で小さな鈴の音が鳴った。見上げると壁に鈴が付けられていて、鈴に結ばれた紐が壁に開けられた穴に繋がっている。

「ごめん。王女が僕を呼んでる」

 ダヴィットの手が私の手から離れた。その寂しさが私の胸を締めつける。昔の、子供の頃の様にもっと触れられたい。


「大事なお仕事中なのに、呼ばれるの?」

「ああ。お茶がぬるかったとか、新しいペン先にしたいとか、いろいろだ。どんなに些細なことでも何かあると、この鈴の音で呼ばれる」

 寂しく曇った笑顔を見ていると、心が痛い。私なら、そんな顔はさせないのに。


「この研究室には鍵は掛けていないから、終わったらいつでも戻っていい。……僕はいつ戻ってこれるかわからないから」

 そう言い残してダヴィットは研究室から出て行った。


 王女はダヴィットを従僕のように扱っているのだろうか。王女の気まぐれに振り回されるダヴィットが気の毒で仕方ない。愛し合っているように見えたのに、実は違うのかもしれない。


 私は薪を手に取って、火の精霊の入っている鳥かごのような檻へと近づいた。

『エミーリヤ、お前、魔力光が見えているだろう?』

 精霊の言葉に首を傾げる。魔力光という言葉を初めて聞いた。赤い炎の色の猫が薪を受け取る。


「魔力光? それは何かしら?」

『見ていろ。何かが光るだろう』

 精霊が薪をかみ砕くと、緑色の光の粒が精霊の口の中へと消えていく。この光の粒のことだろうか。


『魔力には使い手特有の光がある。お前には魔力はないようだが、見る力は残っているようだ』

「……薪を食べるなんて見たことがなかったから、こういう物だと思っていたわ」


『俺は食べたくて薪を食べてる訳じゃない。本来、精霊は物を食わない』

 苛立たしい様子を見せながらも、精霊は薪をかみ砕く。

「じゃあ、どうして薪を食べてるの?」

 私の問いに精霊は黙り込んでしまった。


 三本の薪を食べた後、精霊は居ずまいを正して私に正面から向き合った。

『……エミーリヤ、お前は俺の主と同じでお人好しのようだから、教えてやる』

「何?」


『あの男は信用するな』

「あの男って、ダヴィットのこと?」


『ああ。……俺の主はあの男が親友と呼ぶ男だった。あの男は俺の主を騙して研究の成果を取り上げ続けた。学校で毎年首席になるのは俺の主の筈だった』


『俺の主が幼い頃から研究していた卒業論文まで取り上げられた時、俺の主はようやく騙されたことに気が付いて絶望した。そして自死した』


『俺は主を助ける為に魔力の殆どを使い果たしたが、助けられずに倒れた。あの男はその間に主が作ったこの檻に俺を入れて、俺の主の名と血を使って封じ込めた』


「……それが本当なら酷い話ね」

 震えあがる程恐ろしい話だと思っても、これはきっと精霊の作り話。私がこの檻を開けるように誘導しているに違いない。檻の扉の開け方はわからないけれど、気を付けなければ。


『……お前も俺の主と同じか。俺の主も俺の言葉よりもあの男のことを信じた。魅了の魔法も何も使っていないのに、あの男は言葉と態度で人を惑わせる。……あの男の手が冷たい理由を知っているか?』

「いいえ。知らないわ」

 ダヴィットの手は、幼い頃は温かかった。冷たい手に理由があるという言葉に私は興味を持った。


『あの男は、俺が知っているだけで六人を自死に追い込んでる。その恨みが呪いになってあの男の体温を奪っている。お前は魔力光が見えるから気を集中させれば、あの男の肩に呪いの黒い手が見えるかもしれない』


「黒い手なんて見たこともないし、見たくもないわ」

 私は頭を振って、恐ろしい想像を振り払う。

 精霊の言葉というのは怖いと感じた。まるでそれが真実のように聞こえる。こうやって、人を騙すのか。


「ごめんなさい。私、そろそろ戻らなくちゃ」

 恐ろしさに震えた私は研究室から逃げ出すしかなかった。

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