第8話 本は知識の泉

 朝食後、本を買う為にメレフとシーロフと一緒に町へと出かけることになった。裏口で馬車を待つ間、どんな本を買うか話が弾む。 


 寒くなってきたので薄手のコートを着用すると、偶然にも三人とも茶色の毛織物で、揃いの生地で仕立てたように見える。


 まるで家族のようだと思った途端、シーロフの顔を見てしまう。父と思えと言われたけれど、若すぎて父とは思えない。兄は嫌だと言っていたから、ならば夫かと考えた所で自分の思考が恥ずかしくなった。


「どうしましたか?」

「いえ。あの……コートが似ていると思っただけで……」

「ああ。家族のようですね」

 淡く微笑むシーロフに、考えが伝わってしまったのだろうかと私はさらに恥じ入る。


「僕も家族に入れて!」

 私の手を握っていたメレフがシーロフの手も握る。三人で手を繋いで並ぶ姿は一体どう見えるのかと想像して顔が赤くなる。


「あったかいね!」

 握った手を振ってはしゃぐメレフに、私は微笑まずにはいられなかった。



 町に向かって走る馬車の中、上機嫌のメレフはシーロフの膝の上ではしゃいでいる。

「メレフ、そんなに窓から顔を出すと危ないわ。外に落ちてしまうわよ」

「大丈夫だよ!」

 シーロフが腰を掴んでいるから大丈夫だとは思いつつも、胸の動悸は止まらない。メレフは馬車に乗るのは初めてだと言って、見る物すべてを新鮮に感じている。


 メレフはあの屋敷で生まれ、外に出たことがなかった。先日、馬でシーロフに連れ出されたのが初めてと聞いて憐れんでしまう。こうして私たちが連れ出さなければ、初めて屋敷から出るのは他の公爵家に養子に行く時だったかもしれない。


 こんなに可愛いメレフを手放さなければならないダヴィットが可哀想で仕方ない。きっと父親として接したいと思う気持ちを我慢して、メレフが迷うことなく養子になれるようにと気遣っている。……その不器用さも愛しい。



 村を過ぎ、しばらく走ると道が石畳へと変わり、街道に入る。この国では町や村を石で舗装された街道で繋いでいる。今になって、村へ続く道が舗装されていなかったことに気が付いた。

 あの屋敷の周囲は、村も含めて隔離されているような、人が近づかないようにされているような気がしてならない。


 町は青い屋根に灰色の石で造られた建物が並んでいる。この町は景観を守る為、勝手に建物を建てることができない。必ず町長の許可が必要になるとシーロフがメレフに説明している。


 屋敷に行く際に通り過ぎただけの町だけれど、人通りも少なく活気がない。私が育った小さな町は多くの人々が行き交い、町に活気が満ちていた。建物はさまざまな意匠で建てられ、色が溢れていた。街並みが美しく整い過ぎているということも寂しく見える原因かもしれない。


 書店へと向かう中、黒い石で造られた不思議な建物が見えた。

「エフィム! あれ何?」

 私の疑問を代弁するようにメレフが問う。

「劇場です。この町ができる前からあるそうです」


 荘厳とでもいえばいいのだろうか。二階建てのどっしりとした豪華な建物は、黒い石のせいか明るい日の光を吸収してしまうようで周囲の空気が重い。装飾が施された鉄柵も黒く塗られていて、町の暗さをさらに強めている。


「昔はここで演劇や音楽会が開かれていたそうですが、今は閉鎖されています」

 門には太い鎖が巻かれ大きな錠前が掛かっていても、柵の中に広がる庭園は管理されているのか、草や木が刈り込まれて整っている。秋に咲く花もあちこちに見えるから、この鎖が無ければ閉鎖されているとは気が付かないだろう。


「残念ー。行ってみたかったなー」

 メレフは窓枠に貼り付いて熱心に劇場を見ていた。


 町の書店は規模が大きなものだった。私がいた町の書店も相当大きいと思っていたのに倍以上の規模。ちらほらと本を選ぶ身なりの良い男性客とすれ違う。

 今にも走り出しそうなメレフを両側から手を繋いで歩く。広い店内でも走り回るのは危険。重い本が棚から落ちてきたら怪我をしかねない。


 時折、シーロフが繋いだ手を持ち上げてメレフを軽く浮かばせたりと、変化をつけることで手を繋ぐ行為に飽きることがない。小さな子供の腕を引っ張ることは危ないと思っても、シーロフはちゃんと理解して加減している。


 店員に案内されて、子供向けの本が置かれた一角へと入ると、色とりどりの本が棚に並べられていた。私が持ち込んだ本はすべて白黒で印刷されていたので説明することが大変だったけれど、これなら見ただけでわかる。


 メレフをシーロフに任せて一冊の本を手に取ると、すべての頁が彩色されていた。印刷された物に一枚一枚色を塗った物だろう。これだけでも美術品のようで、価格にも驚く。


「……あの……素敵な本ですが、お値段が」

「彩色されていない物もあるはずですよ」

 ついには、はしゃぐメレフを腕に抱き上げたシーロフが笑う。その姿は似ていなくても仲の良い親子のようで微笑ましい。


 様々な季節の海が描かれた絵本と、冒険物語を数冊手に取った。たったこれだけでも、かなりの値段になる。印刷技術が急激に進んで平民でも気軽に買える本も増えたけれど、しっかりとした装丁と内容の本はまだまだ高額。


「私が支払いますので、沢山買ってもいいですよ」

「でも……」

「大丈夫です。あとで家令に請求します」

 シーロフの言葉に安心して、メレフと私は十冊の本を選び、馬車へと運ぶように依頼した。 



「昼食を取って、少し買い物をしませんか?」

 シーロフの提案で向かったのは、見るからに高級な料理店だった。町の食堂とは雰囲気の違う店内に内心怯む。公爵家の教育係になるということで相応しい服や街着を仕立てて着用していても、この服で入っていいのかと大いに迷う。


 広く明るい店内には真っ白な布を掛けられたテーブルがゆったりとした距離で並べられ、椅子も素晴らしい彫刻が施されていた。あちこちには珍しい木の鉢植えが置かれている。


 シーロフが個室を希望して案内されている中、席の一つに座っている男性から声が掛けられた。


「エフィム? エフィムじゃないか」

 明るい声に振り向くと、少し長めの銀髪に青い瞳の青年が笑顔で片手を軽く上げている。紺色の落ち着いた裾の長い上着に白いシャツ。黒いズボンにブーツという出で立ちは優雅で貴族のよう。


 シーロフの知り合いだろうか。同じ歳くらいに見える。シーロフの顔を見るとあきらかに驚いていて、初めて見る表情にメレフと私は顔を見合わせた。


「…………フェイ、何故ここに?」

「ああ。この辺りにお尋ね者が逃げ込んだという情報があってね。……冗談だよ。良い宝石の出物があると聞いたんだ」


 シーロフの友人だと言って笑うフェイと挨拶を交わし、メレフの希望で食事を共にすることになった。貴族や古くから続く家の人間には名字がある。フェイという名前は偽名か愛称なのだろう。


「この店の名物は聖別された魔物の肉なんだけど、ちょっと君には早いかな」

 フェイが笑いながらメレフをからかう。

「魔物の肉?」

「成人するまでは食べられませんよ」

 きらきらと青い目を輝かせるメレフにシーロフが苦笑する。私自身も少し興味はあるけれど、聖別された魔物の肉はとても高価な珍味で、平民が手が出る値段ではない。


 出てきた料理は、魔物の肉ではなく普通の料理だった。よく煮込まれた牛肉のシチュー、美しく盛りつけられた温野菜と酢漬けの野菜、丁寧に下ごしらえされた魚のテリーヌ。白いパンは、これまで食べたこともない柔らかさで美味しい。


 フェイの料理の量も多く、シーロフの量はさらに多い。二人が並んで食べる姿は優雅でありながら豪快。メレフも対抗心を燃やしながら料理を口に運ぶ。


「美味しいね」

 シチューを食べたメレフが初めて料理を美味しいと言葉にした。普段の料理も美味しいけれど何かが足りないと思っていた。何がと考えて、料理を食べる人への優しさなのかもしれないと気が付く。


 メレフのシチューに入っている肉や野菜は、子供の口の大きさに合わせて小さく切られていた。ほんの少しの気遣いが、料理に人の温かさを加えている。


「美味しいわね」

 笑顔で喜ぶメレフに私は微笑み返した。



「時間があるなら宝石を見にいかないか?」

 フェイの提案にメレフが飛びついた。メレフが想像しているのは、冒険物語に出てくる宝箱に入った金銀財宝や、悪い魔法使いに呪われた首飾りといった物だろう。落胆するのではないかと思いつつも、宝飾店へと歩いて向かう。


「馬車を使わないのか?」

「やだね。最近、ずっと乗りっぱなしだったんだ。しばらく乗りたくないよ」

 シーロフの砕けた口調の問いにフェイが軽い言葉で返す。シーロフと同じ二十八歳と聞いても、話す姿はもっと若々しく見える。しばらくこの町に滞在するらしい。


 到着した宝飾店の玄関前には二人の屈強な男たちが立っていた。私たちの姿を見て、重厚な扉を開く。


 扉の内部は床も天井も艶やかで真っ白な石で出来ていて眩しい。中央には真っ赤な毛足の長い絨毯が敷かれていて、そのまま歩くことをためらうのに、フェイもシーロフもメレフも平気で歩いていく。


「どうしたの?」

 手を繋いだメレフの問いに苦笑するしかない。この三人には平民の感覚を説明しても理解できないだろう。

「綺麗なので驚いただけよ」

 私はメレフに手を引かれて絨毯へと足を進めた。


 店内には宝石は並べられておらず、ただ鏡が多い。白いテーブルに、赤いファブリックの白いソファに案内されて着席する。柔らかなソファは心地よく体が沈み込み、気を抜くと立ち上がることが難しくなる。


「いらっしゃいませ。本日はどのようなお品をご希望でしょうか」

 黒ずくめの服を着た中年の男性は、自分が店長だと挨拶した。


「気軽に着けられる耳飾りがいいかな。ブローチもいいね。そうそう、この子に面白い物を見せてくれないかな」

 フェイの軽い言葉に対し、店長は上品で丁寧な仕草で礼をして、控えていた従僕たちに指示をする。


 従僕二人が子供が一人入ることができそうな程の大きな箱を抱えてきた。まさに物語に出てくる宝箱といった雰囲気。目を輝かせるメレフがソファから立ち上がろうとするのを阻止しても私の力では抑えきれない。仕方なく立ち上がって手を繋ぎ、一緒に宝箱の前に立つ。


「どうぞ。この鍵で開けてみてください」

 店長がメレフに手渡す鍵は古びた金色で、見ている私の心も踊る。メレフの手で、かちりと大きな音を立てて鍵が開いた。


「本物の宝箱だ!」

 箱の蓋を開けてメレフが叫ぶ。中には子供の手のひら程の大きさの様々な色の宝石、金色の短剣や宝石がちりばめられた銀色の手鏡、大きな金貨や銀貨が詰まっていた。


 その輝きに気を取られている間に、メレフは青い宝石を手にしていた。魔法灯の光が宝石を輝かせ、煌めく青い光を周囲にまき散らしている。


 高価な宝石を玩具のように扱うメレフを止めようとした所で、フェイが私の手を掴んで耳元で囁いた。

「大丈夫。子供向けのガラスだよ」


 こういった宝飾店には子供用の玩具が用意されているのだとフェイは言う。子供が玩具で遊んでいる間、大人は時間を気にせずに宝飾品を選ぶらしい。従僕たちは子供の扱いに慣れているようで、一緒に遊んでいる。


「さて。ここからは大人の時間かな」

 フェイに促されてソファに座ると、テーブルの上には小さな耳飾りとブローチが並べられていた。


「何の石が好み?」

 笑顔のフェイに聞かれて、私は動揺するしかない。

「え?」


「お近づきの印に君に贈るよ。ほら、このくらいなら、毎日着けられるだろう?」

 フェイはそう言って手を伸ばし、小さな雫型の耳飾りを私の耳元にあてる。揺れる青い石がサファイアだと聞いて、私は即座に断った。


「いいえ。そのような贈り物は頂く訳には参りません」

「おやおや。それは残念だなぁ。この耳飾り全部でも買ってあげたのに」

 フェイが苦笑して立ち上がった。


「僕は店長と話があるから、少し席を外すよ。待っててくれ、エフィム」

 フェイは笑顔で店長と扉の奥へと入って行った。


「……冗談が過ぎます」

 本当に驚いた。からかわれただけだと思いながらも、鼓動が跳ねて顔が熱い。


「……貴女は何の石が好みですか?」

 隣に座るシーロフの呟きで、さらに鼓動が跳ね上がった。

「まさか貴方まで、からかうおつもり?」

 拗ねるような口調になってしまって、私は恥じ入った。シーロフが苦笑している。

「いえ。参考までにお聞きしたいと思うだけです」

 

 布貼りの箱に並べられた宝石は、小さくても素晴らしい物ばかりだった。フェイが手に取ったサファイアの雫型の耳飾りは一際目を引く。


 赤いルビーの粒も、七色の光を反射するダイヤモンドも美しい。遊色が美しいオパール、優しい緑色の翡翠。中でも私の心を捉えたのは、深い緑色が美しいエメラルドだった。


「どれも素敵な宝石ですね。選ぶことなんてできません」

 宝石をいくつも買えるだけのお金は持っている。けれども自分で買おうとは思えない。……身に着けても見てくれる人がいない。


 私は、手にしていたエメラルドの耳飾りをそっと元に戻して微笑んだ。

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