第21話 旧友の提案
「何だかゆかりさん、今日艶がいいですね」
「あらそう?」
「…………」
「…………」
石川の収監されている刑務所への道すがら、まどかが放った何気ない一言が、千夏と界人に波紋を広げていた。
もちろん二人の思惑はバラバラだが、どっちにしてもあまり触れてほしい話題でないことに違いはない。
「昨日、美味しい『食事』がとれたからかしらね。おかげでよく眠れたし」
運転をしながら、助手席の界人を見るゆかりは明らかに千夏を意識していた。
そして千夏も、ゆかりの挑発的な視線には当然気づいている。
しかし千夏には現状対抗できる手段がない。
もちろん若さで勝っているとは言えなくもないが、それは経験不足であることを吐露しているのと同じことで、当然ながらゆかりにもそれはわかっている。
だから真っ向からの勝負を挑むのではなく、千夏から仕掛けたくなる様仕向けていると言える。
――何だか中村さんとゆかりさん、それに千夏の様子がおかしい気がする。だけど聞いたら何となくいけない様な……。
まどかも違和感は覚えているものの、突っ込んではいけない、と脳が警鐘を鳴らしていた。
「さ、もうすぐ着くわよ。千夏ちゃんと界人と、まどかちゃんが行くんだっけ?」
「あー、それなんですけど……私やっぱり車で待ってますよ。エアコンだけつけておいてもらえれば留守番くらいはできますから」
「いいの?私と界人と千夏ちゃんで行くってことになるんだけど」
「……僕は別に構わないけど」
「…………」
界人は心境的に複雑ではあるものの、ここで反対などしようものなら後でまたどんな「お仕置き」が展開されるかわからないので、逆らうことはしない。
千夏に関しては、正直二人に任せてしまった方がいいのでは、と思い始めていた。
まどかがこの時ゆかりに譲った理由としては、ゆかりと界人の間に流れるただならぬ空気を敏感に感じ取ってのものだが、それに千夏が気づいているのかどうかがイマイチわからなかったから、というものでもある。
到着して、千夏は考える間もなくゆかりに連れ出される。
界人も先に立って降りるが、その動きは何処かぎこちない。
「界人、杖だけで大丈夫なの?」
「ああ、平気」
「…………」
――千夏、よくわからないけど負けないで!
まどかは心の中で応援する。
千夏にも何となくその応援は伝わってくるが、今日ばかりはゆかりにペースを掴まれてしまっているからか、どうにも勝ち筋が見えない。
「ご予約頂いている、中村界人さんですね。付き添いの方は一緒に面会されるんですか?」
「そうです。ご覧の通り、僕は足を怪我してますし、いてもらった方が何かと楽なので」
「そうでしたか、失礼しました。暫くお待ちください」
中に入って受付を済ませると、他の面会客も何組かいる様だ。
界人一行は、その異様な佇まいから少し目立っていたが、界人は努めて気にしない様にしていた。
「ゆかりさん、昨日の食事って何を召し上がったんですか?」
「……あら、聞きたいの?」
「え……い、いえ……美味しかった、って言ってたので」
「…………」
「まぁ、久々に食べたからかな、美味しく感じたわね」
「そ、そうなんですか」
「なぁゆかり、静かにしてないと……」
「あら、このくらい別にいいじゃない。何か困ることでもあるの?」
「あ、いや……」
「…………」
界人や千夏に比べて、ゆかりは明らかに余裕がある。
界人にとってゆかりは今や弱点を握っている存在でもあるからか、界人も強く出ることができないでいた。
――困った。これは多分、千夏ちゃんも薄々勘づいているんじゃないだろうか……。こっちから切り出す方が、傷は浅くて済むかもしれないな……。
――やっぱり美味しい食事って、中村さん本人のことなんだろうなぁ……。何となく入り込めない……。
二人の思惑はちぐはぐだった。
ゆかりだけは、石川に対してどんな罵声を浴びせてやろうか、などと考えている為、二人の考えとはリンクしない。
「お待たせしました、中村さんどうぞ」
そうこうしているうちに界人が呼ばれ、ゆかりと千夏も後に続く。
周りは、界人たちを見てどういう関係なのかと首をひねっていた。
「久しぶりだな。あの時より顔色が良さそうだけど。案外刑務所ってのは居心地がいいのか?」
面会室に入り、石川の対面に座った界人は開口一番に皮肉を言ってしまう。
元々気が進まず、千夏たちが行こうと言わなければ来ることもなかった、という思いもあって気が尖ってしまっているのを界人自身も感じてはいた。
「そっちこそ……女二人も連れて、どうかしたのか?俺のせいで生活が酷いことになったって聞いてたんだが」
「酷いのは相変わらずだよ。女運だけが良かったみたいでね」
「そんなこといいでしょ。それより、今更界人を呼び出して何が言いたいの?界人、こう見えてもけが人なんだけど」
石川はゆかりと千夏を一瞥して、再度笑みを浮かべる。
「あんた、元奥さんだっけ?店に来てたのを見た覚えがあるな」
「だったらどうだって言うの?そんなことよりさっさと用件話しなさいよ、こっちだって暇だから来たってわけじゃないんだから」
「そうだな……まぁ今のお前に話しても、あんまり意味ないのかもしれないが……」
石川は、煮え切らない様子で頭を掻きながら口ごもっている。
「金と女、どっちを取る?」
「どういう意味だ?」
石川は答えず、薄く笑うのみだった。
そんな石川にイラついたのか、今度は千夏が口を開く。
「あなたが中村さんのお友達だったって言うのは聞いてます。何で、お友達を騙そうなんて考えたんですか?」
「お嬢ちゃんはこいつと、どういう関係なんだ?見たとこ彼女ってわけでもなさそうだが」
「何を言ってるの?さっき自分で言ってたじゃない。女を紹介するのは意味がない、みたいなこと」
「ってことは何だ、お嬢ちゃんが彼女なのか?」
ここへきて初めて、石川は驚いた様な顔を見せる。
昔の界人を知っているだけに、千夏の様な少女に手をつけているのが意外だと思ったのだろう。
もっとも実際に手をつけたわけではないし、これからどうなるかだってわからないのだが。
「そうです。一応言っておきますけど、私の他にも後二人、私のクラスメートとも中村さんはお付き合いしてますから」
「お、おい!?」
「……こりゃ驚いた。お前、随分鬼畜になったんだな」
「ち、違う!千夏ちゃん、誤解を生む様なこと言わないでくれよ!!」
「あら?昨夜だって私と沢山致したんだから、今夜は千夏ちゃんたちと盛り上がったらいいじゃない」
「ちょ……ゆ、ゆかりお前……何てことを……」
「落ち着いてください、中村さん。私、気づいてましたから。いつもと匂いが違うと思ってましたし」
「…………」
「どうもよくわからないが……込み入った事情がありそうだな」
――何なんだ……一体。何でこんなとこまできて、こんなことになってんだよ……それにゆかり、黙ってるって言ってなかったか……?
記録係もこの会話を当然記録しているし、後々閲覧されて問題になったりしないか、と界人は震えた。
「そんなことはいいんです。女はこれ以上、中村さんには必要ないでしょうから。それより、お金返してあげてくれませんか。さっき石川さんが言っていた様に、中村さんは確かにひどい生活を強いられています。何年かかってもいいから、中村さんにお金を返してあげてください」
「……まぁ、そのつもりで呼んだんだけどな。今、メモ取れるか?隣の市に、俺の知り合いが住んでるんだが……そいつに預けていた金がいい具合に成熟したらしい。昨日連絡が入ってな。だから、そいつから金を受け取ってくれよ」
「どういうことだ?僕が渡した金は借金に消えたと聞いたんだが」
「それは事実だ。しかし、その以前にデイトレで暮らしてる知り合いがいるんだが……そいつにある程度金を預けてあったんだ。そいつが面会に来てな。だからお前に受け取りに行ってもらえれば、そこでこの問題は終了に出来る」
「…………」
随分と都合のいい話だ、と思う反面石川は確かに用心深い男でもある。
もしもの為とか、或いは気まぐれにあぶく銭を預けたりして、増やしておいてもらうとか、そういう手段を取っていてもおかしくはない、と界人は思った。
「騙しじゃないって保証は?」
「そんなもんねぇよ。信じてもらうしかねぇな、こればっかりは。ただ、お前の名前は伝えてあるからそいつのとこまで行ければ、スムーズに受け取って終了になるはずだ」
「終了っていうのはどういう意味かしら。もう界人には関わらないという意味でいいの?」
「それを中村が望むなら、そうだな。どの道俺から連絡を取る様なことはしねぇよ。受け取ったとか、そういう連絡もいらねぇ」
「じゃあ、その人の住所教えなさい。スマホにメモって行くから」
念には念を入れて、界人も自分のスマホにその相手の名前と住所を入力して行く。
赤崎理恵という名を見て、界人は男だと思っていただけに少し驚いた顔をする。
「まぁ、女に困ってる様ならそいつを紹介しようと思ってたんだがな。必要はねぇだろ」
「わかった。この人は今いるのか?」
「ああ、いると思う。滅多に外に出ねぇし、昨日も外出は十日ぶりくらいだって言ってたからな。話は以上だ。何か質問はあるか?」
「……いや。世話になったな。元気で」
「ああ、お前もな。嬢ちゃんたちを泣かすんじゃねぇぞ」
「…………」
刑務所を出て……と言うと出所したみたいに聞こえるがそうではなく、一行は例の赤崎理恵の家へ向かう。
ゆかりの車で三十分かからないところにある様だが、やや距離はある。
「えっと、じゃあお金が返ってくることになったんですか?」
「まぁ、一応……」
「鵜呑みにするのはどうかと思うけどね。まぁ、返ってくるならラッキー、程度に思っておくことよ」
「そうですね……あの石川さんって人、何か少し不気味でしたし」
「その辺は同意見だけど、昔からあんなやつだったっけ?」
「いや……」
――昔って言ってもそこまで昔じゃないけど……でもあんな風に影のある男ではなかった気がする。それとも元々あんなやつで、僕が見抜けていなかっただけなのかもしれないけど。
「あれは天性の詐欺師って感じではないわね。悪人を装ってる感じに見える。作り物にしては不気味だったけど」
「そんなおっかない人だったんですか?よくお金返してもらえるなんて話になりましたね」
「そうだな……まぁゆかりの言う通り、返ってきたらラッキーくらいに思うことにするよ。世の中想定外のことでいっぱいだからね」
界人はぼんやりと走る車の車外を見つめる。
女を紹介するつもりだった、という発言も多少は気になる。
しかし現状、既に取り返しのつかないレベルで女が周りにいる上に、ゆかりがおかしなことを言うものだから千夏が変な対抗意識を持っていそうなのが、界人には気になった。
――今夜辺り盛り上がったら、って……そもそも彼女たちはいつも夕方には帰ってたと思うし。あり得ない話だよな。
『目的地に到着しました。運転、お疲れ様でした』
カーナビが赤崎理恵の家に到着したことを知らせる。
「……儲かってるみたいね。立派なおうちだわ」
「都心部から離れると、こんな家建てられるんですか……」
「…………」
一同が感心してしまうほどの佇まいの家が、そこにはあった。
表札には赤崎の文字。
どうやらここで間違いない様だ。
「みんなはここで待っててくれ。何があるかわからないし、危険かもしれないから」
「けが人が何言ってるの。それならあんただって……」
「頼むよ。君は由衣の母親なんだ。そのことを忘れないでほしい」
「……わかったわよ。何かあったら、すぐに呼ぶのよ」
界人は首肯のみで応えて、赤崎理恵の家の前まで歩く。
ゆかりの車が動いて、邪魔にならないところまで移動しているのを、界人は鼓動を落ち着けながら見守り、インターホンに手を伸ばした。
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