第16話 千夏の理由
「動かないでください」
「……っ!」
界人はまさしく、人生の岐路に立たされていた。
二度と訪れることなんかないと思っていた、界人の人生における春。
もう後少しで、その春は訪れようとしている。
「ああ、だけど……このまま素直に済ませちゃうんだと、中村さんへのお仕置きにならないですよね」
「……へ?」
もう後数センチ、という距離まで千夏の顔が迫り、腹をくくるか、となった段階で千夏が止まる。
命拾いした様な、がっかりした様な微妙な感覚を界人は覚えた。
「中村さん、私直接は中村さんに決定的なことをしません。だけど、近いことはします。別にいいですよね?」
「え?いや……それもさすがにどうかと思うけど……」
「我慢できる自信がないですか?別に我慢できなかったら、中村さんから手を出しても構いませんよ」
「…………」
――何この子、Sなの?サディストだったの?何年も待つっぽい感じに見えたからマゾなのかと思ってたけど……。
具体的に何をする、という様なことは言わないものの、それが逆に界人の中の不安を掻き立てる。
界人は勤勉ではあるが我慢強い方ではないからだ。
「手を出すのは構いませんけど、抵抗するのはダメです。抵抗したら……わかりますよね?」
「ま、マジで言ってるのか?」
「マジです。私をあそこまで傷つけたんですから、当然の報いじゃないですか?」
「…………」
――どうしよう、本当、どうしよう!お、親御さんに挨拶とか行かないといけなくなるのか?めんどくさい!ああいうの、本当もう嫌なんだけど!でも、ちゃんと挨拶しに行けば、もしかしたら警察沙汰だけは免れるかもしれないし……。
そんなことを考えていた界人だったが、ふと耳元に気配を感じてはっとする。
そしてはっとした瞬間、千夏から耳に息を吹きかけられて界人は飛び上がった。
「な……何するんだよ……」
「何この程度でオタオタしてるんですか。生娘みたいな声出して」
「…………」
――何言ってんだこの子……生娘って、君だって生娘だろ……。いや、本当にそうなのか知らないけど……。
「それより、動かないでください。まだ続きますから」
「も、もう勘弁してもらえないか……」
「ダメです。お仕置きはこれからなんですから」
千夏の言葉に、泣き笑いの表情で界人は応える。
そんな界人の表情が、千夏を更に掻き立てたのかもしれない。
「さ、横になってください」
「…………」
何を言っても無駄だろう、と界人は諦めて言われるままベッドに横になった。
――寝汗ひどかったし、せめてシャワーくらい浴びておきたかった……。
千夏の顔が再び界人に近づく。
とうとう、その瞬間が、と思ったら千夏は顔を少し沈めていきなり界人の首筋をペロリと舐めた。
「あひゃっ!?」
「ふふ、女の子みたいな声出すんですね」
「……!!」
「汗の味がする……」
「そ、そうだね、さっき寝汗ひどかったから。汚いし、やめよう?な、そうしよう」
「中村さんの汗なら、私リットル単位で飲めます」
――塩分過多で成人病にでもなりたいのか、この子……。というか発想がちょっと怖い。
「千夏、それはちょっとマニアック過ぎて引くわ」
「ただの例えだもん。ってあれ、中村さん顔が赤くなってませんか?」
「そりゃなるだろ……」
そうですか、と言いながら千夏はどんどん界人の体をまさぐっていく。
もちろん、肝心な部分を避けながら。
「な、なぁ……もうやめないか、本当……僕が悪かったから……」
「ダメです。中村さん、心から言ってませんもん」
「こ、この通りだから……」
くすぐったさともどかしさで頭がおかしくなる寸前の界人に、異変が現れる。
千夏が赤いと言った顔はますます赤くなって、汗が止まらなくなっていた。
「ねぇ千夏……中村さんちょっと変じゃない?」
「あれ……ゆ、湯気!?な、中村さん!?……大変!熱がある!!」
知恵熱を出して、界人はそのまま寝込むことになった。
頭から湯気を出して、界人はそのまま気を失う。
赤くなっている界人の顔とは対照的に、千夏の顔は青くなっていた。
「ど、どうしよう彩……やりすぎちゃったかな……」
「まぁ仕方ないとは思うけど……これはあれだね、看病イベント発生だね」
キラーン、と擬音が入りそうな顔で彩は言う。
――とにかくすごい汗だし、拭かないと……体少し冷やさないとなんだっけ、ああ、どうしよう……!
千夏がパニックになっている間に、彩が素早く動いて近所のスーパーのビニールに氷を詰めていく。
「……何してるの?」
「熱下げないと。ほらこれ、わきの下と足の付け根に挟んで」
「あ、う、うんわかった!」
言われるままに氷の入った袋を受け取り、千夏は自分の脇の下と両足の付け根に袋を挟んでいく。
「……何してるの」
「え?だ、だって挟めって」
「アホか。中村さんの熱下げないと、って言ってるのに何で千夏の脇の下に挟むの……」
「あ、そ、そうか」
青くなっていた顔が恥ずかしさで赤くなり、千夏は界人の体に氷を挟んだ。
そして彩は何やらごそごそと部屋の中を漁っている様だ。
「何か探してるの?エロ本とかは多分この部屋にないと思うんだけど」
「あのねぇ……救急箱だよ。冷えピタ的なものがあるかもしれないでしょ」
「あ、ああ、なるほど、うん、わかってた」
「…………」
氷を挟んで少しすると、熱が早くも下がり始めているのか界人の呼吸は少し落ち着きを見せ始めた。
「それにしても、何か場慣れっていうの?彩があんなにテキパキ動いてるの、初めて見たんだけど」
「千夏は私のことを何だと思ってるの?私だって得意分野くらいあるよ。……看護学校目指してるしね」
「ええ!?」
「何その顔、ムカつくなぁ……」
――だって、仕方ないでしょ……普段のあの調子じゃ、看護学校入って人でも殺しに行くのか、って思われても文句言えないと思うし……。だけどコミュ力は高めだから患者さんとかにウケが良かったりするかもしれないのか……。
「そ、それはともかくありがとう、私一人だったらテンパってたと思うから」
「思う、って言うか思い切りテンパってたけどね。あれくらいは普段から出来る様にしておいた方がいいよ?中村さん、体あんま強くなさそうだし」
「う、うん……」
界人は確かに体が強くはない。
体力もないし、よく風邪をひく。
それでも体調不良を理由に仕事を休んだことは一度もなく、周りによく心配をかけていた。
「どうするの?今日はもう多分まどか来ないと思うけど」
「うん……というか中村さんまだお昼食べてないと思うんだよね。朝起きたの遅かったし。なのに私が襲い掛かったりしたから……」
「餌与えないといけないのに、あんたが餌もらいに行ってどうするの……」
「え、餌って……中村さんはペットじゃないから!」
「シッ!起きちゃうでしょうが。千夏、中村さんのことに必死過ぎない?」
「…………」
千夏が必死なのは、単純に好意を持っているから、というのもあるがもう一つ理由がある。
それは、千夏の両親だった。
「中村さんが好きで、どうしても一緒にいたいってことなら仕方ないけど……でも、あんた来年は受験もあるのよ?だから、ちゃんと期限決めなさい」
千夏の母から、家でこんなことを言われた。
早い話がさっさと界人を篭絡して勉強に集中しなさい、ということだ。
「そうじゃなかったらお父さんと私とで中村さんの家に乗り込むからね」
とても冗談に見えない目をしながら、冗談めかして千夏の母は千夏をたきつけた。
――さすがにお父さんとお母さん二人ともがここに来るなんてこと、認められない……!だから私がちゃっちゃとケリつけて結果出さないと……!
「そんな事情あるなら、中村さんに協力してもらうとかじゃダメなの?」
「それじゃダメだよ……大体中村さん嘘つくの嫌いそうだし、得意でもなさそうだから……」
「まぁ、そうだよねぇ。いつまでに決めろって言われてるの?」
「……今月いっぱい」
「は?もう半月ちょっとしかないじゃん、大丈夫なの?」
「だから焦ってるんだよ……」
これと言って良策も浮かばない毎日。
だけど継続は力なり、という言葉を信じてひたすら界人の世話を焼く。
自分が女として見られていないんじゃないか、なんて不安になったりもした。
そんな折、彩から学校での素行をバラされたりと、どう考えてもプラスにはならない要素ばかりが襲い掛かってきて千夏は半分絶望していた。
身から出た錆と言えばそれまでだが、それでも障害は出来る限り排除しておきたいし、できるなら円満に解決をしたかった。
「う……」
「あ、目が覚めたかもね」
「中村さん?ごめんなさい、私……」
「…………」
――途中から大体話聞こえてたんだよなぁ……どうしよう、これ。
「中村さん、その顔……聞こえてたでしょ」
「あ、あー……うん、ごめん。聞こえてた」
「えっ……」
「千夏ちゃん、事情はわかったけど……何か動機が不純じゃないか?純粋に僕を思って、ってことじゃなかったの?」
「ち、違います!……私、欲張りだから……中村さんもほしいし親の納得できる状況もほしいんです。聞かれちゃったから仕方ないけど……でも、気持ちそのものは本物なんですよ!?」
「ふむ……」
――何か裏があるかも、なんて疑ったことがなかったわけじゃないけど……これ、どう考えても黙ってていい内容じゃないよなぁ。ていうか、親御さんここに来てること知ってたのかよ……。
しかし界人はショックよりも、何とかしてやりたいという同情の様な気持ちが湧いてきてしまっていた。
普段あれだけお世話してくれてるわけだし、もしかしたら他にやりたいこととかあったかもしれないのに、という思いもある。
そう考えると自分で何とかできることなら何とかしてやりたい、と界人は考えた。
「ああ、そういえば氷ありがと、助かったよ」
「それ、私だよ?千夏はわきの下に挟めって言ったら自分の脇に挟んでたんだから」
「ちょ、ちょっともう、ほんとやめて……」
「そうだったのか。彩ちゃんすごいね、よくこんなの知ってたね」
「まぁね、看護師志望ですから。中村さんが嫌じゃなかったら、ナース服プレイなんてのも……」
「こら。……全く、おじさんをからかうもんじゃないよ、本当……」
「…………」
――まぁ、いつかしてもらうからいっか。そうせざるを得ない状況にもってけばいいんだから。
そう考えながら彩は携帯を取り出す。
「ねね、お礼っていうか……これやってみたいんだけどいい?」
「ん?」
彩が取り出した携帯に映し出されていたのは、動画のサイトだった。
その動画の内容は――。
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