第4話 別れたはずの妻がここまでしてくれるなんて

「ごめんください」


市役所の職員である大坪から案内された場所へ到着し、建物の中に入ると、中は薄暗く市役所よりも静かな印象だった。

良く言えば人が少なく、悪く言えば閑散としている。

それでも職員はきちんといるし、呼べばすぐに対応はしてくれる辺りは公的機関の一つなのか、と界人は思った。


「中村さんと、元奥様の杉崎様ですね。お待ちしてました、どうぞこちらへ」


中年の女性の職員が出てきて、二人は別室へ案内された。

中の雰囲気から陰気な人が多いのかと勝手に思っていた界人は、案外明るい対応をされたことに驚く。


「私はここの職員で……見てわかるとは思いますが。大山と言います。よろしくお願いいたします」

「中村界人です。よろしくお願いします」


二人が椅子に座るのを見届けて大山も席に着く。

大山が用意してきた書類を、界人は眺める。

今度はゆかりは追い出されなかった。


「まぁ、元とは言っても奥様でしたし、今回の手続きに当たってはそこまで厳重にならなくてもよろしいかと」

「そうですか」


割といい加減なんだな、と界人は思ったが、別にゆかりが同室にいようといるまいと、やることは変わらない。

書類の記入をして、借入の希望金額を記入する段階まで来たところで、大山は界人の手を止めた。


「金額ですが……事情は伺っています。ただ、一個人の方にそこまで沢山のお金を貸し付けるということは現状できません。そこはご理解いただけますか?」

「そうですよね。僕としても、そこまで大金を貸していただいたとしても、お返しする目途が立ちませんから」

「そう言った部分も考慮して、今回お貸しできるのは最低限必要な金額、ということになります。ただし、今回必要な金額というのはライフラインの復旧の為に必要でもあると伺っていますが」


そう言われて、いくらだっけ、と考える。

ガス、電気、水道。

携帯、もし可能であればインターネットの回線も復旧はさせたい。


しかし最低限ということならインターネットは後回しにするべきだろうと界人は考え、ざっと計算をしてみる。


「五万あれば、問題なく全部復旧はできると思います。ざっとの計算なのでもう少し減るかもしれませんが」

「そうですか……本来ですともう少し少なければ、と思いますが最低でも各二か月分ずつ、水道はおそらく四か月以上……となると金額としては妥当かもしれません」


やや苦い顔をして、大山が書類を見つめている。


「あの、もし詳細な金額がわかった方が、ということでしたら今からでも確認しに帰りますが」

「いえ、それは……貸しつける場合、中村さんにはもう一か所行ってもらわないといけない場所もありますので」

「…………」


相手がそれでいいと言うのであれば、別に無理して確認しに行く必要はないか、と界人は思い直す。


「それから中村さん、食料の備蓄はありますか?」

「いえ……昨日の時点ではもう、何も食べていない状態になっていました。厳密に何日食べていなかったかまでは覚えていませんが」

「昨日私がたまたま通りかかって様子を見に行ったら、部屋の中で行き倒れていたんです」


ゆかりも口を開く。


「そうでしたか……では、ある程度の期間食べられる分だけの食料もお渡しします。これは民間の方の寄付なんかで構成された在庫ですが、こういう時の為にあるものですからお持ちください」

「いや、さすがにそう言われると持っていきにくいんですが……」

「余計なことを申してしまいましたね。しかし、食べ物は消費していただかなければ、いずれ無駄になってしまいます。お持ちいただいて、是非召し上がってください」


ということはここの職員で美味しくいただきました、ということは原則ないということなのか。

少し迷ってゆかりを見ると、ゆかりは軽く頷いて書類に目を戻していた。


「わかりました、そういうことでしたら……ありがたく」


二週間分はある、と言われた巨大な袋に入れられていたのはカップ麺やパックのご飯等、非常食に近いものがほとんどだったが、界人としては食べられるだけマシかと思ってそれをもらって帰ることにした。


「それでですね、貸付そのものは問題なく、返済も保護費からいくらかずつでお返し頂く形になるんですが……」


詳細な金額の取り決めをして、保護費の支給日に自動的に引かれるという仕組みで、わざわざここへきて返済する必要がないという説明を受ける。


「そうしましたら、今すぐお金をお渡ししたいところではありますが、それはできないんです。用意するのに一定の日数がかかりますので。なので、その前に一度中村さんのご自宅の近くにお住まいの民生委員さんのところへ行って、この書類をお渡し頂きたいんですね」


三枚つづりのその書類には、界人が貸付を受けるに当たっての事情であるとか、最終的には民生委員の判断によって貸付の可否が決まると言ったことが書いてある。

ライフラインの復旧にはすぐにでも金が必要だが、ここでそれを訴えたところでどうにもならない。


「わかりました。その後は、どうしたら?」

「民生委員さんがまた書類を渡してくると思いますので、それをこちらへお持ちください。お金の用意自体は三日ほどで出来ると思いますので、木曜の午後にこちらへいらしていただけますか?」


書類を受け取って、二人は車内に戻る。

ゆかりは浮かない顔をして、界人を見た。


「まぁ、何となくわかってたけどね……」

「何が?」

「はぁ、呑気なんだから……お金よ。すぐに受け取れるわけじゃないって、言っていたでしょ」

「ああ……」


確かにその点については言われてみれば仕方ないという部分もあるが、残念だという気持ちが界人にもあった。


「わかってたから私も準備してきたんだけどね」

「……?」


ゆかりが自分のバッグを漁り、封筒を取り出す。


「用意してきた通りの金額で安心した。とりあえずこれ使って、ライフライン復旧させなさいよ」


強引に押し付けられて、界人は渋々中を見ると予想通り中身は金だった。

きっちり五万、入っている。


「いや、しかし……」

「木曜に借りられるんでしょ?ならその五万は木曜に返してくれたらいい。昨日の一万はそうね……とりあえず後日支給される分でも構わないから」

「だけど、君の家庭は大丈夫なのか?たとえばいい男がいたりとかは……」

「はぁ?由衣の世話と仕事でそれどころじゃありませんけど?」


何を馬鹿な、と言う顔で界人を見るゆかりを見て、何故だか界人は安堵感を覚えた。


「だけど……」

「まだグダグダ言うつもり?ここまでさせておいて、お金は受け取れませんとか?何くだらないプライドに縋ってるのよ。もう既にあんたは落ちるとこまで落ちてるの。言い方は悪いかもしれないけど、事実なんだから。現に人並みの生活すらできなくなってるのよ?」


ゆかりの言うことはもっともだ。

騙された件に関しても自分が悪いと言えるし、無闇に人を信用するべきではなかった、と界人は思っている。


「そういえば聞いてなかったけど、あんた何でそんなにお金ないのよ」

「ああ、それは……」


民生委員の家までの道すがら、界人は大坪に話した内容をほとんどそのまま話した。

界人の話を聞いているうち、ゆかりの顔色は見る見る変わって行って、最後には般若の様な表情になっていた。


「あんた……何でそんな平然としてんの?頭おかしいの?バカなの?死にたいの?」

「いや……」

「警察には?もちろん相談したのよね?」

「ああ、それはもちろん」


あの一件があって、界人はすぐに警察に相談しに行った。

石川の名前は偽名ではないが、消息は知れないという。

詐欺事件として捜査はしてくれるそうだが、あまり期待はしないでほしいと言われていた。


「そのお金あったら、昨日みたいなことにはなってなかったのよね……」

「そうだな。まぁ、仕事が見つからなかったらいずれは同じ様なことになっていたかもしれないが」

「そうだとしても、その間に仕事だって見つかったかもしれないでしょうが。どっちにしても許せないわね、その石川って人」

「まぁ……僕も間抜けだったと言えるんだけどね」

「バカ!何犯罪者庇ってんのよ!あんたは立派に被害者なのよ!?本当、呑気過ぎてイライラしてくる」


ゆかりは怒りに任せてアクセルを踏み込み、予定していた時間よりも早く民生委員の家には到着できた。

途中で事故を起こしたり警察に追われたりせずに済んだのは、運が良かったと言えるかもしれない。

近所にコンビニがあったのでゆかりはそこで車を停めて待つと言う。


「ごめんください」


界人はその民生委員の家のチャイムを押して、返事を待つ。

大山はまだこの時間なら民生委員は在宅のはずだと言っていた。

少し待つと、中からこれまた中年の女性が出てきた。


「ようこそ、あなたが中村さん?」

「はい、中村界人です。この度はとんだお手間を……」

「いいのよ、これも仕事なんだから。玄関先で悪いけど、書類を見せてもらってもいいかしら?」


民生委員は水田という名前で、上品な奥様に見えた。

ゆかりとは真逆のタイプの人間に見える。

界人が渡した書類を見て、ふんふん、と頭を振っている。


「この部分に丸をつけて渡したら良いのよね?コピー取っても良いかしら」

「ええ、大丈夫だと思います」


――この部分に、って……どの部分につけるか決めるのも民生委員の仕事なんじゃ……。

そうは思ったが、水田の言っていた部分に丸が付かなければ貸付は受けられず、ゆかりに金も返せない。

なので界人は特にツッコんだりはせずに水田に任せることにした。


家の中に一度引っ込んで、水田が書類に色々サインしたり丸をつけたりしているのがわかる。

五分ほど待って、水田が再び出てきて書類が返却される。


「これで大丈夫なはずよ。中村さん、しっかりね」


そう言って笑顔を見せる水田を見て、こんな現状最底辺にいる自分なんかの為に優しい言葉をかけるのも、仕事なのかな、などということを考えた。

だとしたらそれはそれで大変な仕事なんだな、と。


「じゃ、あんたの家戻るわよ」

「ああ」


車に戻ると、ゆかりはすぐに車を走らせた。

すぐに請求書などを探し出して、再び外へ出る。


「いいよ、君はここで待っててくれ。コンビニ、すぐ近くだし」

「こんなとこで待てって言うの?退屈で死ぬわよ」


そんな数十分で死ぬ様な退屈って、どんなのだろう、なんてことを考えるが彼には答えが出なかった。



「三千円ちょっと、余ったな」

「持ってなさいよ。それからほら、これ」

「え?」


コンビニから界人の家に戻り、携帯はすぐに復旧された。

なので電気とガス、水道の再開通を申し込み、今日中にどれも復旧されることがわかると界人は一息ついた。

そしてゆかりが、コンビニの袋に入ったやや大きめの長方形のものを手渡してくる。


「この銘柄で合ってたわよね?さっき待ってる間に買っておいたから」

「いや、しかし……」


中身はタバコであることが一瞬でわかる。

彼は買い置きをしていたので、このパッケージには見覚えがあった。


「あんたお酒飲まないし、本当ならやめられれば一番なんだろうけど……」

「確かにここ数日は吸っていなかったけどね……本当に、いいのか?」

「手持ちでやりくりしないといけないんだから、先に十日分くらいあれば、それだけ出費も減らせるでしょ?」


本当に、別れた夫の為に何でここまでするのか、と界人は混乱していた。


「ただの好奇心みたいなもんよ。変な勘違いしたらぶっ飛ばすから」

「そうか、まぁそれはないけど」

「ああ!?少しはそうなのかな、くらいに思ってもいいと思うんだけど」

「いや……どっちだよ。どっちにしても僕は怒られるんじゃないか」


ともあれ保護費支給までの目途は何とか立った。

ゆかりが帰るまでの間に電気と水道、ガスも開通して、これでやっと人並みの生活に戻れる。

自堕落な彼の、堕落した生活が始まりを告げるのだった。

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