4. 夕陽の行方 (4)

 校舎を出ると、春の昼下がりの生暖かい風が頬をなでた。

 空を見上げればその視界の4割ほどは雲に覆われているが、雨の降りそうな気配は全くない。

 俺はまず一息ついて、行動を起こすことができる今日の天気に感謝し、また、断片的でも次につながるような情報をくれた中西に感謝しながら、校門に向かって歩みを進めた。


 ヨネコウが位置する米島市は、俺の住むH市から見ると南東方向にある。その間にはあるのはT市だ。この町のほぼ中央部には、ライトアップされる光の色で天気予報をすることで有名な『T市立ウィンドタワー』があり、シンボル的な存在である。

 春原 夕陽は、昨日の夜遅くにH市の南山神社にいて、ここしばらくの間あの青いパーカーの男を追跡し続けているような話しぶりであった。そういうことならば、少なくともH市・T市辺りに彼女の「拠点」が存在するのではないかと踏んでいた。だから、彼女を探すとすれば高校からH市に至る経路のどこかだと思っていた。

 彼女が自宅に戻ってしまっているならばさすがに諦めざるを得ないが、探す場所は自分にとっても帰り道の途中だし、あまり負担にはならない。それに……帰る時間が遅くなることに対して、あまり抵抗感も覚えていない。少しだけ、何か非日常的なことが始まっていくような、子供っぽい期待感も抱いていることを、自分でも認識できた。


「なんだかんだ言っても、今の状況を楽しむくらいの余裕はあるんだな……俺は」


 校門にたどり着く途中右手の方を見れば、少し離れたところ、400mのトラックを引ける公立高校にしては大きめのグラウンドがある。その中央で、慣れ親しんだサッカー部のメンバー達がウォーミングアップを始めようとしている所だった。4月から新しく入部したらしい新入生達も、もうすっかり馴染んでいるみたいだ。

 部活を辞めた直後は、この時間、この校舎から校門までの100mもない道を通ることさえ辛く感じていたが、もう慣れた。いろいろな事情があったにせよ、退部すると決めたのは自分の意思だった。時間が気持ちを落ち着かせたこともあり、次第にその未練を胸の中で消化し、沈めていくことができた。だからもう、100mの帰路はすまし顔だ。

 

 準備運動を始めようとする部員と少し離れたところに佇んでいた一人の女子生徒が不意に顔をこちらに向けた。

 意図せず、目が合った。

 彼女は何かを言おうと口を開きかけた。しかしその動作は途中で停止し、しばらくこちらを見つめるだけに留まった。

 俺の心臓は少しだけ早鐘を打ち始めたが、それもだんだん落ち着いてきた。彼女はまだこちらを見ているようだったが、結局は俺が彼女の姿から目を背けた。

 再び校門に向かって歩き始めた。


「―――いつまで!……いつまで、そうしているつもりなの!」


 サッカー部のマネージャー。幼馴染でもある秋山あきやま 香織かおりの高く、しかしどこか憂いのある声が、背後から覆いかぶさってきた。

 俺は特に答えることも、顔を向けることもなく、坂道に面した校門から校外へと出て行った。



 香織の声を振り切るかのように、俺は校門を出た直後から左へ90度向きを変え、坂を一気に走り下って行った。途中、2つ隣のクラスと思われる数人の下校集団が少しく驚いた様子で振り返ったが、構わずに全員を抜き去って、大通りへと出たところで初めてその速度を落とした。

 この程度の負荷であれば、今でも息は全く切れることはない。ただやはり、もっと奥の微妙な変化……知らず知らずのうちに蓄積していく疲労の回復力のようなものは、サッカー部に所属していた時より確実に衰えてしまっている。あんなに頑張って力を蓄えたのにもったいないな、とは少し思ったりする。

 俺はそこから数十メートル歩き、大通りに面したチェーンの牛丼屋とアパートの間にあるスペースで立ち止まり、デイパックからシャーペンを取り出した。そしてポケットから、中西のメモ。


 『人混みよりは静かなところ』、『音楽』、『ハンバーガー』。


 メモを裏返し、各項目に対応しそうな場所や施設を考えていく。


 まず、『人混みよりは静かなところ』。この辺りの地域は都心からやや離れたベッドタウンで、人混みがそもそもあまりできない。春原 夕陽もその辺の満足度は高いのではないだろうか?

 強いてあげるとすれば、やはり図書館だろうか。米島市、H市、T市、それぞれいくつもの図書館を備えているが、H市へ続く道の途中であれば2つくらい。まずはその名前を書いておいてピックアップする。

 

 次に、『音楽』。T市のウィンドタワー近く、駅ビルの中に「たわたわレコード」のテナントが入っていたはずだ。タワーの近くのたわたわ、と地元では覚えやすく、そこそこ有名なお店である。ときどき楽団がやってきてコンサートをしてくれる場所は米島公民館だが、ちょっと音楽とは関係が薄いか。この項目では「たわたわレコード」だけをマークする。


 最後に、『ハンバーガー』。これはもうハンバーガーショップしかない。

 近辺のハンバーガーショップを可能な限り思い浮かべてみる。スマホで調べてしまえばすぐなのであるが、なんとなく、地元民の矜持として使わずに探してみようと思った。

 この大通りを北西に進んでいき、T市に入った直後の交差点を左。そこから100mほど進んで右。T市商店街の入り口に一つあった。ここからだと、今まで候補として想像してきた場所の中でも、一番近い。

 正直なところ、ハンバーガーショップにはあまり期待していなかった。昨日の夜、春原 夕陽が掲げた幻想的な光の剣と、危うい雰囲気の青いパーカーの男。その2つと、今、インスタ映えのするファンシーな雰囲気の新興ハンバーガーショップとして若者に人気らしい「ポムポムバーガー T市商店街店」とが、なかなか結び付かない。

 ただ、H市への帰り道には違いないし、ヨネコウからもアクセスしやすい場所である。とりあえずまずはそちらに向かって歩いていこうと決め、大通りをテクテクと進むのであった―――


 ―――店のガラス越し、ハンバーガーとポテトのポムポムMセットの前に真剣な表情をして鎮座する、その姿を見たのは、それから15分も経たないうちのことだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

エネルヒア・デル・ソル ヤツハシ @abusanaa

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ