3. 夕陽の行方 (3)

「っていうか、そんなに顔ボコボコに腫れちゃって、マジ大丈夫っスか、何かあったんスか……?」


 中西なかにしはいつもの砕けた口調で、しかし本気で心配している様子で俺にそう聞いてきた。


「ああ、俺のことは別に心配しないでいいさ。……まだ部活にいた頃はこんなになっていることもしょっちゅうあっただろ?」

「イヤ、さすがにここまでのはなかなかねぇっスわ」


 中西は眉をしかめ、目を細めながら俺の頭部をまじまじと眺めている。まるで自らも痛みを共有しているかのような渋い顔だ。

 その行動に他意はなく、とにかく裏表のない気質を持っている男が、中西だ。


「……で、そう。俺の話はとりあえずいい。お前も早く部活に行かなきゃならないだろ。手短に用件を伝えたい」

「あ、そうそう。暁さんがこっちに上がってくるなんて珍しいっスよね」

 

 中西はふと我に返ったように、すぼめていた目を開いて不思議そうな顔をする。

 

 俺たちの母校、ヨネコウ―――県立米島高校は1学年6クラスで、3階建ての校舎の上から1年、2年、3年と教室が収まっている、お年寄りに優しい構造だ。

 学内の委員会にでも所属していれば他学年の生徒に用事があることもあるだろうが、そうでない多くの在校生においては同じフロアの中で人間関係が閉じていた。部活には無論全ての学年が関わっているが、部員である彼らには部室という溜まり場があるから、話をするためにわざわざ階段を上り下りすることはあまりないだろう。もっとも、中西は例外かもしれない。


 一方で俺は、部室という拠り所を、半永久的に失ってしまった。


「中西、3年C組の春原すのはら 夕陽ゆうひについて、何か知っていることはないか」

「えっ、3年C組?」


 中西は眉を持ち上げ目をさらに見開きつつ、首を傾げた。


「春原さんは、今頭の中にパッと出てきましたよ。学内の一部では話題の、留年している3年生の方っスよね?でも3Cって、暁先輩のとこじゃないっスか。なんでまた俺なんかに聞くんスか?」

「それはお前が、嘘だろって言いたくなるくらい女子生徒の情報に詳しいからだろ。もしかして自覚ないのか?」


 この、ツーブロックの茶髪、ネックレスの十字架や、頭に巻き付けたゴムバンド、言葉遣いなど―――言葉遣いはなぜか、SNSでやり取りしているときは幾分かマシである―――軽そうな男は、見た目の通りの色男であって、クラス内外多くの女子生徒と親しくしている所をよく見かける。俺がサッカー部にいた頃の、誰々が何々にちょっかいをかけたとかなんとかで、部活終わりに中西を輪の中心にして盛り上がっていた場面を思い出す。俺はいつもアイシングしながら、その明るい話声たちをBGMにして、帰りの準備を粛々と進めていた。


「いや、そりゃ自覚あるっスけどね、同じクラスなんだから直接聞いたら……ははぁ、聞けない事情があるってことスか」


 中西はさっきよりもさらに首を傾げ、ほぼ真横に頭を倒している。そして首をもとの位置に戻して「あの暁先輩がなあ……」などと独り言ちている。

 ちょっと何か勘違いをしているかもしれない。


「あの、まぁ別にどう思ってもらってもいいが、春原に彼氏がいるか?とか、そういうことじゃないぞ」

「あ、ハイ。その辺の事情は深く聞かないことにしておきますよ。ウンウン」


 感慨深そうに頷いている。

 中西がどう認識したのかは分からないが、とりあえずはあまり重要ではないと感じるので、置いておく。


「大丈夫っス、分かってますよ。……って、ジジョーはよく分かってないっスけど、あの暁先輩が無意味なことをするはずはないっスから。何か暁先輩にとって大事なことなんでしょう」


 こんな感じで、相手との距離感を適切に測ろうとしてくれるのが、彼のいいところだ。


「ありがとう。部活を辞めてからも先輩面してて悪いな」

「いやいや、それは……言わない約束っスよ」

「そうだったな。じゃあ、知っていたら教えてくれ。うちのクラスの春原 夕陽っていう、留年戦士。あの子が放課後に行きそうな場所、どこか知らないか?さすがに家は知らないだろうから、それ以外で」

「……やっぱり、彼氏いないかっていう質問に似てません?」


 中西は首をぐるっと一回まわして、うーんと唸って思案し始めた。


「留年戦士っていうのもよくわかんないっスが、あの人に話しかけたことはあるっスね」

「本当か」


 情報がこんなにすぐ手に入るとは思わず、無意識のうちに身を乗り出してしまった。


「待ってくださいっス、落ち着いてくださいよ、へへ」

「む、何がおかしいんだ」

「いや、ね、暁先輩が女の人関係で何かを気にしているのが面白いなと思って」


 ここで俺は、中西に近づけすぎた自分の顔に気づく。


「む」

「ああ、すみませんスミマセン。普段からサッカー一本、真面目な様子の暁先輩しか見た記憶がなかったもんで。秋山先輩と一緒にいたときは、ちょっと柔らかい雰囲気になっていたけれど」

「むむっ」


 秋山、の名前で少しだけ心がざわめくが、


「……申し訳ないです。ちょっと今のは口が過ぎました」


 すぐにしゅんとして謝罪する中西の姿を見た。


「すみません、また以前のように、暁先輩も交えてプレー出来たらなんて思っちゃって」

「あぁ、なんてことないさ。むしろ今もまだお前がそんな風に俺のことを思ってくれているのは……ありがたい。秋山……そしてコヤタはどう思っているか分からないが」

「今は分からないけど、きっと通じ合える日も来ると思うんスよ……それで、長々脱線ごめんなさい。春原さんの行きそうな場所っスよね?ううん、なんて言っていたかなあ」


 中西は小さく息を吐いて目を瞑り、本格的に考える態勢に入ったようだ。


「ちなみに中西、春原に声かけたっていうのは、その、ナンパのためか」

「はい、そうっスけど」


 当然そのためですが、それが何か?と言いたそうな目をこちらに上げてくる。


「お前、たとえ2個上の上級生であっても、ガンガンいけるのな」

「いやだって、春原さん美人じゃないっスか」


 ん、そうか?


「あの太くて凛々しい眉を見たときに、これは仲良くなってみたいなあなんて思ったんスよ」


 以前中西に聞いたところによると、彼は別に見境なく女子生徒に声をかけまくっているわけではなく、自分が仲良くなりたいというフィーリングを掴んだ人にだけそうしているとのことだった。

 ただし、彼の『相手の魅力を感じ取る力』が鋭敏すぎるせいなのか、彼の『仲良くなりたいハードル』を越えてくる女子は多いらしい。俺が部活を辞める少し前、中西が1年生の秋に聞いた時には「学内で200人の女の子には声かけましたかねえ」なんて言っていたような気がする。ちなみにヨネコウ全校女子生徒数合計は、約320人である。


「チャンスがあるならトライトライトライ、サッカーと同じっスよね」


 なんてニコッと歯を見せて笑うから、こちらも釣られて目を細めてしまうのだった。

 これが『スーパーストライカー』たる、ゆえん。


「話した時はですね、確か去年の夏で、『話しかけてくれてありがとう。でもごめんなさい、今はいろいろと忙しくって』って言われちゃって、そのまま引き下がりました」


 200人のうちの一人、それも去年の夏の会話の内容をそらんじて言えることもすごいが、ダメと言われたときにしつこくせず身を引けるのも中西の潔さだ。


「ま、俺には愛するサッカーがあるし、春原さんにも大事な何かがあるんだと思います。その大事な何かは聞けなかったけど……」

「ん、大事な何か……」


 あの神社の夜、彼女は「たくさんのやるべきこと」と言っていた。


「少なくとも去年の夏から、何かよく分からんものと戦っていたのか……?」

「ん、暁先輩、どうかしました」


 中西はそういえばずっと上半身裸のままだ。


「いや、独り言だ、続けてくれ。情報はそれだけか?お前も寒いだろうし早く行かないと」

「あ、ご心配どうも。えーっとですね、いくつか会話をしたのはしたんスよ。で、有益そうな情報はっていうと」


 中西は突然、自分の机の脇、床に直置きしていたエナメル製のスポーツバッグから、無造作にシャーペンとメモ帳を取り出し、何かを書き始めた。

 15秒くらい力を入れてゴシゴシと書いていただろうか。書いた部分をビリッと破って、こちらへ手渡してきた。

 メモは箇条書きだ。書いてあるところによると……


「『人混みよりは静かなところ』、『音楽』、『ハンバーガー』。うん、なるほど」


 最初のそれは場所っぽい書き方だが、後の二つはなんだろう。


「すみません、最初の情報だけは唯一、場所に関して春原さんが言っていたことを思い出したんです。友達とどこかに出かけるとしたら、遊園地というよりはゆったりした公園の方が好きなんだそうで。後の二つは、それぞれ聞いた趣味と好物っス」

「ハンバーガーが好きなのか……」


 背は女子の平均位、体型は細めだったと思うが、あれはあれで意外とたくさん食べたりするのかも。


「すみません、あんまり役立なくて。そろそろ行かないとちょっとヤバそうなんで、この辺で失礼しまっす!」


 教室前方の時計に一瞬目を配らせた後、ようやく中西は練習用のタンクトップに頭を突っ込み、スパイクをいそいそと履いて動き始めた。


「役に立ってないことなんてないぞ。助かった。正直、何にも情報を得られないことも覚悟してたし、ラッキーだったよ」


 ただ、春原 夕陽の話をしに来たのであったが、それは最後の数分間に凝縮されてしまい、代わりにやはり……サッカーの話の方が多くなった。


 教室を出るドアのところで中西は俺の方を振り向くと、


「暁先輩、先輩の大事な用事が終わるまで、俺は待ってますからね!」


 と言い残し、グラウンドの方に駆けて行った。


 その様子を見届けてから再び俺はメモ書きに目を落とす。


「……そうだな、今はとりあえずこれが『大事な用事』だと、感じるな」


 今日中に彼女と話せるかは分からないが、なるべく早く確認したいのだ。

 2年D組の窓から注ぐ午後3時の日差しを背にしながら、まず最初に当たろうと思う場所のイメージを描くのであった。

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