9 (終). 自称、光の〇〇〇

 突如、疲労感がどっと襲い、片膝でも立っていられなくなった。

 緊張の糸がほぐれ、体が臨戦態勢を解いてしまったようだ。

 俺はその場にへたり込み、丁度『アイツ』がそうしていたように胡坐をかく。両手を後ろに回して上体を支え、夜空を見上げる。先ほど彼女を眩く照らしていた満月も、今は少し雲に隠れ始めている。

 心臓はまだ早鐘を鳴らしていたものの、徐々に落ち着いてきていた。風はまた弱く吹き始め、体の熱を冷まそうとしてくれていた。


 大きく、深呼吸。


 そうやってしばらくしていると、彼女がこちらへ戻ってきたのが見えた。

 光の剣はまた、その手から影も形も無くなっているらしかった。


 座り込む俺の姿を確認すると早足で駆けてきた。

 そして今夜の最初の出会いの時のように、俺の目の前に立ち……


「バカっ!何でそんなできっこないことをするの!」


 鋭く叫ばれた。


「……いや、バカ呼ばわりするのはさすがにちょっと」


 実際問題、心外である。

 今夜は結構体を張ったわけだし、女の子からもう少し優しい言葉をかけてもらえる、と思ったのは、甘い見通しだったか……。


「言いつけを守らなかったバカはバカ!こんなに怪我、させちゃう、なんて……」


 と言って俺の顔を覗き込むようにしゃがみ込んだ。


 確かに、肘鉄を喰らった頭頂部にはたんこぶができているし、蹴られた側頭部も腫れてきているが、こんな怪我は経験したことは何度もある。


「大丈夫だ。見た目ほどひどくはないよ。しょうがない。あれが」


 今は落下の衝撃で鞘が外れ抜き身になっている、『アイツ』の落とした包丁の方に目をやりながら、


「あれが見えちゃったからなあ……」


 彼女はその時に初めて包丁を確認したようだった。そして何か合点がいったようにその目を見開き、閉じ、空を仰ぎ、目を伏せた。

 そして、ため息を一つ。


「……結果的には悪い方向に転んじゃったけど、その気持ちは、うん……受け取って、おくわ……」


 そして、また短く息をして。


「……ありがとう」


 さっきまで気づいていなかったが、彼女は頭の後ろで髪をひとまとめにし、赤いゴム紐で留めていた。その黒い髪との色のコントラストが綺麗だなと思った。


「悪い方向に転んだ、っていうのは……」

「アイツには逃げられた。今日の作戦は失敗」


 束ねた髪が跳ねる。


「まあ、また追っかけ続けて、アイツと根競べするだけだよ」


 今夜初めて、彼女が少し笑った。

 太い眉の強い印象と、その笑顔の優しさが、一見するとマッチしていないようでいながら、不思議としっくりきていた。


「……今日は、ありがとう。応急処置をするから少し待っていて。道具は参道の入り口に持って来て、置いてあるの。取ってこないと」


 そう言って彼女は立ち上がり、参道の方へ向かい歩き始めた。


 彼女は鳥居まで来ると振り返り、

「君もいろいろ知りたいこともあるだろうけど、今日は君も私ももう限界に近い。……明日しっかり、話す」

「……やっぱり、ヨネコウ3年C組のメンツだよ、なぁ」


 ようやく、スタート地点。

 今夜、俺が泥だらけになりながら相手にしてきた『アイツ』のこと。

 満月の光を受け生まれた、奇妙な剣らしきもの。

 そして彼女自身のこと―――


 ……彼女の名前。

 なんかちょっと太陽に関係があったような。


「えっと、君の名前って、『あさひ』ちゃん、だっけ……?」


 少し前にもそうなったように、彼女の頬がまた膨張する。

 その丸い目と相似形だな、と思った。


「ちーがーうー!!!」


 ―――『アイツ』に「待ちなさい」と言った叫び声よりも、大きかったかも。


「私の名前は、春原すのはら 夕陽ゆうひっていうのっ!」


 ……朝じゃなくて、夕方の方だったか。


「……おう、悪い、夕陽ちゃん。応急処置セット、頼む」

「しょうがないから持って来てあげるわよ、覚えておきなさい!」


 彼女は今度こそ参道の階段を降りようとして……またこちらを振り向いた。

 その目はなぜか、一段と凛として輝きを増しているように見える。


「……おう、今度は、なんだ」


 彼女は口をぱくぱくとさせている。


「……私は、あの、その」


 月明かりの暗がりで分かりにくいが、だんだん顔が紅潮してきている……?


「ひ……ひっ、ひっ……」

「ひ……?」


「私は……えっと……ひっ、光の…………戦士っ……」


 ……言っちゃった!みたいな顔をしてそのまま両手で口を押え、まじまじと俺の目を見つめてきた。すぐにくるっと背を向け、参道をたたっと駆け下りて行ってしまった。

 

「いやそれは……どう反応すりゃいいんだよ」


 彼女の姿が見えなくなった後、境内に座り込んだ俺が一人、残された。

 つい1時間ほど前、終わりのない自己嫌悪へ、気持ちの変化をつけるために外に出た結果。目的は、その必要以上に大達成されたようだ。

 叩かれたり、石を掴んだり、『アイツ』を押し倒したり。今日特に働いたであろう自分の右手を、なんとなく、西の空に沈みつつある満月にかざしてみた。

 薄く雲に隠れた弱い月の光を浴びて、擦り剝けた指の皮から赤い血がにじむのが見えた。


 自称、光の戦士との初めての邂逅の夜は、かくして更けていくのであった。


                             【Chapter 2 へ続く】

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