貴女が望む未来を 5

 部屋の掃除を終えたミサキはラジオを聞きながらお茶を飲んでいた。目新しいニュースは何もない。何もないのに都合よくHSチームのニュースが流れてくれるわけがない。

「タースくん、元気かなあ」

 頭を振って苦笑する。もう考えないようにと思うのに、いつの間にか思考はそちらへ行ってしまう。

 飲み終わったお茶のコップを洗う。睡眠時間を削って機体と向かい合っていた頃は、仕事を辞めたらあれもやろうこれもやろうと思っていた。けれど、あの時何をやろうと考えていたのか今は思い出せなかった。仕事を辞めてた一日目は好きなだけ眠り、二日目は好きなものを食べ、三日目からはぼんやりしていた。今日は何をしよう。

「……暇だなあ」

 兄二人は仕事である。話相手になってくれるような知り合いも心当たりがなかった。

 無心になれる何かをしたくなって、庭の草でもむしろうかと外に出る。働き者だあ、と呟いて独り言が多くなっていることに気づく。

 外に出ると家の前に恰幅のいい男性が立っていた。ちょいと上げた帽子の間から見えた顔にミサキは目を丸くする。

「ハワードさん」

 元HS-5のチーフエンジニア。技術部長に楯突いて仕事をクビになったハワードだった。

「どうしたんですか?」

「辞めたんだってな」

 唐突にそう切り出され、ミサキは瞬間何も答えられなかった。こちらを見るハワードと目を合わせられず、項垂れて頭を下げる。

「すみません」

 原因は、と聞かれて体調不良だと答えた。ハワードは鼻で笑う。

「随分と元気な体調不良もあったもんだ。⋯⋯HS-1だな」

 答えられずに黙る。肯定の返事をしているようなものだが、月基地であれこれ面倒を見てくれたハワードにこれ以上嘘はつきたくなかった。

 じろじろと見られているが、俯いた顔を上げられない。とても申し訳ない気分だった。ハワードは上に噛みついて辞めさせられた。自分は何もしないでただ辞めた。

「暇か?」

 突然そう尋ねられ顔を上げる。白い歯を見せハワードは笑っていた。

「暇、です」

「じゃあ一緒に来い」

 どこへと問う間もなく踵を返した相手は歩き出す。慌てて家に入って戸締りをして、ミサキはその後を追いかけた。走って追いつくと、歩みを止めぬままハワードは言った。

「若い奴が朝っぱらから暇をもてあましてんじゃねえぞ」

「あの、ハワードさん、どこへ」

 しばらく歩くと車が止まっていた。車の外装はボロボロで走るのかどうかすら怪しい。躊躇するミサキを助手席に押し込み、ハワードはハンドルを握る。

 ガクンと大きく揺れてから車は走り出した。

「見た目はボロいがまだまだいける。何不安そうな顔してる。エンジン見たら安心するか? ちゃんと手入れしてあるぞ」

「エンジンよりもドアが助手席のドア取れそうです。これ、接合部がバカになってるんじゃ……」

「そいつは気づかなかったなあ。悪いなミサキちゃん、助手席のドアを開けたのは二十年ぶりだ」

 言って笑う。ミサキは引きつる頬を押さえられなかった。元HS-5チーフエンジニアであるハワードの得意分野はエンジン系統である。仕事の場合はまだしも、自分の乗るものならば何をどうしようが勝手である。

「ハワードさんのエンジン馬鹿」

「お、久しぶりだねえその台詞」

 懐かしいと言ってカラカラ笑う。機械屋の中にエンジン好きは多い。車や戦闘機を動かす動力に夢を持ってこの職を選ぶ人間は結構いるのだ。

 飛ばされないように手で押さえながらミサキはドアの接合部分を覗き込んだ。直せないこともなさそうだが、助手席を使わないのならばいっそ、溶接をしてしえば面倒がなくていい。

 そんな意地悪なことを考えながら振り向くと、意外に優しい目とぶつかった。戸惑うミサキにハワードは言う。

「お前さんの人生はお前さんのもんだ。HS-1なんかに負けんな」

 ミサキはゆっくりと俯いた。

「あたしはタースくんの役に立ちたくてこの仕事について、タースくんの傍にいられないからこの仕事を続けている意味はないんです」

「きっかけは何にせよ、だ」

 車のスピードが緩みガクンと揺れてから止まった。

「お前さんはこの仕事が好きだろ」

 思いもしなかった言葉に虚をつかれミサキは黙る。

 ハワードが車から降りたのでそれに従った。目の前にあるのは小さな工場。懐かしい油の臭いがする。

「機械の修理何でもござれってやつだ。一ヶ月前から始めたが結構仕事がある。そろそろ手伝ってくれる人間が欲しいところでな」

 ミサキはハワードを見上げた。ハワードは笑う。

「嫌ならいつでも辞めていい。だが、今は暇なんだろ」

 後に続いて工場の中に入った。懐かしい空気。懐かしい雰囲気。

「……戦闘機の修理しか経験がないけどいいですか?」

「筋の悪い人間を誘いやしねえ。若い才能を無駄にすんな」

 ミサキはおずおずとスパナを手に取った。手にしっくりと馴染んだそれに、少し泣きたいような気持ちになった。




 シュリはトーカの手をぎゅっと握った。昏々と眠り続けている彼女はピクリとも動かない。

「トーカ、ごめんね……ごめん、トーカ」

 聞こえていないとわかっていてもシュリは謝罪を繰り返す。ごめん、ごめん……。

 シュリは唇を噛んでうつむいた。ここで泣くわけにはいかない。

「……もういいか?」

 背後からかけられたラットの声に頷く。もう一度手を強く握ってシュリはトーカの傍を離れた。

 ラットに気づかれないよう目に溜まった涙を拭う。彼に続いて部屋を出、ミーティングルームへと歩き出す。

 HS-5機のゴタゴタもあったが、新しいHS-5は今日、顔を出すはずだ。SAチームにいたカレンという女性である。トーカよりも一年下の代でシュリは顔を見知っている程度だった。カレンは女性に限って言えば基地で五本の指に入る腕前だそうだ。

 トーカは本当にHSチームに戻ってこない。

 自分は? とシュリは自問する。やっていけるのだろうか、これから。

「パイロット、辞めたい?」

 ポツリとそう訊かれた。足を止め、シュリはラットを見た。ラットも止まってこちらを振り返る。

 ラットの目って茶色なんだ、と場違いなことをシュリは思った。これまでそんなこと気にしてもいなかった。瞳の色が気になるほど近くで、彼とじっくり向かい合うことがなかったからだろうか。

 茶色い瞳が少し和む。

「辞める時は早めに言ってくれよ。オレも辞めるから」

「……何でよ」

「オレも辞めたいってちょっと前まで真剣に思ってた。それをこっち側に引き戻したのはお前だし、その責任はとってもらわないと」

 彼は笑って言った。冗談とも本気ともつかない台詞。戸惑いながらラットを見ると、彼はこちらの目を見て言った。

「でもそれは今じゃない。オレたちの気持ちがどうであれ、オレもお前も今、辞めるわけにはいかないんだよ」

 違うか、と訊かれ、違わない、と答える。

 辞めるわけにはいかない。そう、そうなのだ。トーカのことを本当に考えているなら、ここで止まっていてはいけない。彼女の分も、HSチームとして。

 ラットの言葉をかみ締める。彼はポンポンとシュリの頭を撫でた。

「その代わり、いろんなことにケリがついたら一緒に辞めようぜ。で、食い物の屋台でもやろう。オレ、前からああいうのやってみたかったんだよ」

「……そういうの、いいわね」

 ラットは小さく目を見張り、そして静かに笑った。シュリもつられるように笑う。

 何日ぶりに笑ったんだろうと思った。振り返ればトーカのいる治療室。ごめんね、とまた心の中で謝る。彼女なら許してくれると思うのは、自分のエゴだろうか。










 ここはとても心地の良い空間。




 ゆらゆらと揺らめいていた。ゆらゆらと揺らめいている間に周りの景色がめまぐるしく変わっていく。白い闇の中に立ったまま、私はそれを見ている。

 自分自身の内側から自分を見ていた。体は今、本部の庭園の中にいる。そこは癒しのために設けられた空間で、木が植えられ季節の花が風にそよぐ。

 そこに入るたびに人工的な空間だと感じる。花の種類が見覚えのあるものとは違っても、人工的な造りは相変わらずだ。

 勝手に動く体は庭園の真ん中、備え付けられたベンチに座った。

 ああ、と白い闇の中から思う。私は誰かを待っている。私は彼を待っている。

 程なくして足音が聞こえた。視線を向けると、リュートが軍服に身を包んで歩いてきた。軍に入っていないはずの彼が見覚えのない軍服を着ているその理由も知っている。

 私は立ち上がった。一歩踏み出そうとして、よろけて膝をつく。

 リュートがこちらに近づいた。大丈夫ですか、と屈んで手を差し出してくれる。


『時が来たわ』


 リバイアルの言葉で指示を出す。リュートは一瞬だけ目を見張ると、すぐに表情を消した。立ち上がらせてもらい、軽くお辞儀をする。お気をつけて、と言ってリュートは去っていった。


 ゆらゆら揺らめく。ゆらゆら揺れる。

 流れゆく景色は流れゆく時。流れゆく時間のその先は……。




 長い夢を見ていた。

 重いまぶたを開けるとぼんやりとした光が見えた。数度瞬きを繰り返す。部屋を照らす人工の光がゆっくりと形をあらわにした。動かない体と薬品の臭いが、これが現実であると告げる。

 ああ、とトーカは思った。さっきのは『時見』だ。あれはこれから起こる出来事。これから起こる未来。

 それを望んだのは私だ。トーカという人間が本当に望む未来を見る。これが『時見』の本来の力。

 母様もあれを見たのだろうか。だとしたら抗えない。逆らえない。『時見』が見せる未来は心の奥を映し出す。こんな未来があると、わかってしまったらもう駄目だ。

 幾つかの分岐点。そこをどう進めばいいのか、どうすればいいのか覚えている。すべてのことがはっきりと見渡せる。

 あれが私の選び取る未来。私が心から求める未来。


 ああ、けれど……。


「トーカ……?」

 聞き覚えのある声がして、ゆっくりと思考の渦から浮上する。ぼんやりとしたまま視線を巡らせるとイブキがいた。

「よかった……」

 疲れがにじむ顔で笑い、その手がそっとトーカの頬を撫でる。

 突き上げるように熱いものが胸の奥からこみ上げ、激しい感情の波が全身を駆け巡った。


 ああ、けれど。

 この未来はあまりにも……。


「トーカ、どうした?」

 光がボヤける。閉じたトーカの目から涙が零れ落ちた。

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Schisma 川辺都 @rain-moon

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