第3章 貴女が望む未来を
変革のとき 前編
本部の一角にひっそりと白い台が設けられた。花の絶えないそれはシャトルに乗っていた者たちが作ったSGチームへの献花台である。
あれから一ヶ月。ミナトはゆっくりとそこに近づき、タバコの箱を置いた。
「馬鹿じゃろ、お前は」
『この地球を守りたい』。そんな壮大な夢を持っていたミナトは家の事情で止む終えずパイロットを諦めた。そして『何となく』パイロットになりたいと言っていた悪友は命がけでシャトルを守った。
しばらくそこに佇んでいると小さな足音が近づいてきた。花を手にした女性が隣に並び、ミナトは目を見張る。
「リィ……久しぶりじゃな」
「ええ。あなたが学校を辞めて以来ね」
タバコの横に白い小さな花束を置き、リィはじっとそれを見つめる。
養成学校時代の同期である。キョウと二人でよく女子の寮へ侵入を企てては彼女に追い払われていた。最後の方はそれが楽しくてリィに会うために遊びに行ったものだ。当時から変わらない無表情の彼女が懐かしくて、ミナト泣きたいような笑いたいような気分でその横顔を見つめた。
「今は何をやっているの?」
「本部で警備関係を統括しとる。お偉いさんじゃろ」
「あなたには向いていない仕事ね」
ずばりと言い切られ思わず苦笑がもれる。この辺りも全く変わっていない。
それならば、キョウに対する恋愛感情も変わっていないのだろうか。彼女の消息は逐一キョウから伝えられていたが、その話しぶりから彼が彼女に同期以上の感情を持っている様子はなかった。そして、聡明なリィはそれを充分承知しているだろう。
「下っ端の仕事が一番似合うくせに」
「長官職についとった人間が、今更下っ端の仕事はできんよ」
母親を安心させるため、また家を守るために、学校を辞め父親の跡を継いで長官となった。けれど、大人になったばかりのミナトが一人前として扱われるわけもなく、あの頃はただ日々が無意味に過ぎていった。長官職を譲ってからも、地位しかない閑職を与えられてここまできた。
「リィはパイロットになったんじゃろ。何で『基地』じゃなくここにおるんじゃ?」
月の基地を捨て、パイロットたちは地球に戻された。飛行場は本部から離れた街の郊外にあり、行き来が不便なために飛行場の近くに『基地』と呼ばれる司令部ができた。パイロットたちはその『基地』で衣食住を行っているはずだ。
答えずにリィは空を見上げた。
キィィィ…………ン。
近づいてくる機体の音にミナトも空を仰ぐ。遠いそこには銀色の影が五つ。
「HSチームよ」
常と変わらぬ調子でリィは続ける。
「大気圏内の飛行に機体が対応しているのは今のところHSチームとSSチームだけ。うちのチームは後回しにされたわ」
五つの影を追うように四つの影が続く。SSチームだ。
月基地が落ちてからSUBは大気圏内にまで侵入してくるようになった。森の上で戦闘を行えば墜ちた機体によって火災が起こる。それをSSチームが消し止める。他のチームが思う存分戦えるようにSSチームの同行が義務付けられたと小耳に挟んだ。
しかし、HSチーム以外が飛行不可という話は聞いていない。
「そんなことワシに言ってもええんか?」
「一般市民じゃないでしょ」
「それはそうじゃが」
SUBの包囲網は地球を中心に狭まってきている。篭城。そんな言葉を思い出す。今のINITの力ではこの地球を出ることはできない。どこからも助けはこない。そして、SUBがこの星を諦めるわけがない。
ミナトは息を吐いた。
「馬鹿じゃな」
呟くとリィがこちらを見た。見返すと献花台の花へと視線を戻すので、ミナトもそれを追いかける。
白い花が小さく風に揺れた。
もう一ヶ月か。ミサキはぼんやりとそう思った。あれから一ヶ月。
「機体が戻ってきたらすぐ整備に入る。準備しておけ」
「はい」
チーフエンジニアに返事をしてミサキたちは各々の持ち場に散らばる。共にSS-2の整備に当たるルドルフが顔を覗き込んできた。
「お疲れ?」
この一ヶ月、丸々一日の休みなどない。それはこの場にいる誰もが同じであるからミサキは苦笑して頷いた。
「ちょっとね」
「気をつけないと。月基地の頃よりも仕事きつくなってるから、体壊す人多いらしいし」
月にいた頃からSSチームのエンジニアであるルドルフは訳知り顔で付け加える。
「HSチームのドッグなんて毎日が修羅場らしいよ。ここに移ったミサキちゃんはラッキーだね」
苦笑が曖昧な表情に変わる。
シャトルに乗って地球へ戻ったあの後、ターミヤ技術長から直々に異動命令が出た。HSチームの大気圏内専用の機体はほぼ完成していて、その開発に関わった技術者がそのまま整備にも当たることになった。よって元HSチームのエンジニアは全員異動。不満はあったがターミヤ技術長に食ってかかったハワードがその場でクビになったので、誰もそれ以上反論できなかった。みんな生活がかかっている。
月にいた頃はチーフエンジニアだったミサキも、今ではSS-2を担当するただのスタッフだ。パイロットのミコトは気さくな人柄で、SSチームのエンジニアたちはみんないい人で、何の問題もないから不平を言うのは間違っている。けれど、ミサキはやはりHS-1がよかった。チーフエンジニアなどでなくてもいいから、あの機体に関わりたい。タースを守ること。それが夢であり、それが全てだった。
「まあ、そろそろSPチームの機体も完成するみたいだし、HSチームの方も少しは楽になるんじゃないかな」
「そうなんだ」
「らしいよ。下手に人事異動なんかするから作業が遅れるんだ。ターミヤ技術長は現場を知らないからねえ」
ミサキと年が変わらないのに、ルドルフは老練な口調で批判する。おそらくは誰かの受け売りであろう。
HSチーム。今はその名前も遠くなってしまった。そばにいてくれと言った彼の顔をしばらく見てないなかった。私用通信で連絡は取り合っているが物足りない。月にいる頃は毎日会えていたのに。同じ基地の中にいても所属するチームが違えば顔を合わせることはほとんどない。
話をしたい。声が聞きたい。その体に触れたかった。
「ミサキちゃん?」
「ん?」
「聞いてた?」
「ごめん、ボーっとしてた」
「まあいいけどね。たいした話じゃなかったし。あ、そうそう、知ってる? ゾルツ隊長とミイネ隊長は昔……」
他愛もないお喋りを続けるルドルフに気づかれぬよう息を吐いて、ミサキは機体の出入り口に視線を送る。
「タースくん、無茶してないかなあ」
会いたいな、とまた思った。
敵機を発見したと同時に飛び出したのはHS-2だった。射程範囲に入ると同時に閃光が煌めき敵機が爆発する。
『ちょ……ラット待ちなさいよ』
その後をHS-4が追う。
荒れてるな。HS-1のコクピットでタースはそう独りごちる。
「SS-2、他に敵機は?」
『ここにいる無人機で全てです。他に侵入の形跡はありません』
宇宙空間での戦いと地球上での戦い。変わったことは幾つかある。大きなものは機体だ。例えば、旧HS-5は探査、解析に特化していた。だが今は、旧HS-4に勝るとも劣らない戦闘機。HSチームの抜本的な見直しにより全機体が戦闘重視のものに変わったのだ。
また、地上での全ての戦闘にはSSチームが同行するようになった。敵機の探査や各機の飛行ログ収集など旧HS-5が行っていた仕事はすべてSSチームが行っている。更に戦闘によって森林に影響が出ないように気を配り、小型の飛行体を操作して戦闘を記録し、リアルタイムの映像を送って司令室の指示を仰ぐ、など、その仕事は多岐に渡る。
五機いた敵機がラットの活躍でまた一機減った。タースも目の前の敵にミサイルを放ち落とした。連日の出動で動きが雑になっているのがわかる。フォーメーションも何もあったものではない。
残りの二機もHS-2があっさりと落とす。シュリの舌打ちが通信を介して聞こえた。
『ご苦労だったな』
タイミングよく司令室にいるイブキから通信が入った。SSチームのお陰で戦闘の様子は逐次伝わっている。
『他に侵入の形跡はない。帰還してくれ』
「了解」
機体を旋回させる。戻る先は郊外にある基地。
『ラット、ちょっとあんたいい加減にしなさいよ』
『はいはい。わかってるよ、シュリさん』
カリカリとした口調でシュリが言い、ラットがそれに答える。月にいた頃からのなじみの光景。だが、二人が軽く言葉を交わしただけで通信越しに気まずい沈黙が流れる。
ラットは普段と同じように振舞っていた。しかし、おそらくチーム全員が今の彼は普通ではないと感じていた。
タースは彼に何も言えない。ラットの傷に触れることを恐れていた。そして、自分の傷に触れられることを。卑怯だが何も言うことができずにいた。
無理をしなくてもいいと彼を解放してやるには、セカンは若くシュリは素直ではない。この役回りを演じることのできる唯一の人間も、最近どこかおかしかった。
「おかしくならない方がどうかしているか」
口の中で呟く。月からの緊急帰還。その後の連日の戦闘。加えて彼女が乗る機体はその役回りを大きく変えた。
HS-5はSS-2と通信越しに会話をしている。彼女は元SSチームでHSチームに配属されてからも同じ役回りを担っていた。SS-1のミイネからも「トーカを戦闘重視の機体に乗せるのならうちに返せ」と言われている。現実問題それは無理な話なのだが。
タースはため息をついた。
「ミサキ……」
会いたかった。会って話を聞いてもらいたい。きっと彼女は笑いながら「隊長失格だね」と言うのだろうけど。
戦闘から戻ったラットはHS-2のチーフエンジニアにこっ酷く叱られた。機体に無理をさせていると彼は主張する。こちらはそんなつもりは無かったが、新しいチーフエンジニアとはどうにも折り合いが悪い。はいはいと適当に頷いておきドッグを後にする。
足はHSチームのミーティングルームの方へと向かっていた。長い廊下を歩きながら、よくもまあこんな短期間でこんな広々とした基地ができたものだと感心する。
「短期間、なわけでもねえか」
上層部は月基地の放棄を随分前から決めていたらしい。
ため息をついてラットは踵を返した。このままミーティングルームに戻りたい気分ではなかった。あそこは最近どうも居心地が悪い。何度か角を曲がって喫煙ルームにたどり着く。
地上の基地にも喫煙ルームはある。しかし、月の基地と同じように閑散としていた。昔はもっとタバコを吸う人間は多かったというが、伝説の方のHSチームがタバコを吸わなかったため、それにあやかろうとするパイロットが増えたらしい。しかし、ゼロではないからこの部屋は作られる。
人のいないそこに入り、ラットは咥えたタバコに火をつけた。
戦闘のあとは必ずここに逃げ出す隊長も、それを探しに来る弟ももういない。けれど実感はわかなかった。月の基地にいたままならば彼らの不在をもっと強く感じられたのだろうか。しかし、月の基地も今は無い。
ゆっくりと息を吐く。ゆらゆらと煙が流れる。「HSチームの人間は禁煙しろ」とヘビースモーカーから言われたことや、SGチーム配属祝いに弟に無理やりタバコを吸わせたことを思い出す。思い出すのはとりとめのないことばかりだ。
みるみるうちに短くなったタバコを灰皿に押し付け二本目を取り出す。火をつけたところで喫煙所の扉が開いた。見知った人影に思わず手が止まる。
「……よぅ」
「シュリに嫌われるわよ」
薄い微笑を浮かべながらトーカは言った。ラットは口の端を上げる。
「今はそういう気分じゃねえわ」
彼女は少し離れた場所に座った。箱を差し出すと手を振って断られる。吸わないのならば何故こんなところにいるのか。
しばらく互いに口をきかなかった。静かな空間でタバコが半分になった頃、彼女がポツリと呟いた。
「ごめんなさい」
何に対する謝罪であるのか図りかね、隣を見る。彼女はまた薄く笑った。それが何故か急に癇に障って視線をそらす。
「嘘くさい笑顔だな」
口から出た言葉は予想以上の毒をはらんでいた。ラットは壁の方を向いたまま白い息を吐いて乱暴にタバコの灰を落とす。彼女は何も言わない。
「……悪い」
「当たってるから構わないわ」
背後で彼女が立ち上がる気配がした。らしくない返答に思わず問いかける。
「何かあったか?」
「何も」
ラットに言えるようなことは何も。そう聞こえた。
「そっちは?」
「……何も」
彼女の問いに同じ言葉を返す。
言いたくないことは言わない。相手が聞かれたくないことは聞かない。これが彼女と自分の間にある関係でそれは随分と心地よいものだった。
足音が遠ざかっていき、扉が閉まる音。ラットは灰皿に短くなったタバコを落とした。最後の一本を取り出し箱を握りつぶす。
「『何も』ないわけないだろ」
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