DESTINY

 落ちる。落ちる。落ちてしまう。頭の中が白く染まった。

「くっ……」

 思わず漏れた自分の声で辛うじて我に返る。

 惑星での戦闘は初めてだった。もちろん知識は頭に叩き込み何度かシミュレーションを繰り返したが、やはり感覚が違う。

 どうする?

 操縦不能。降下ではなく落ちている。ドンドンと引き寄せられていく。久しぶりのちゃんとした重力に酔う暇などない。このまま地面に激突すれば命はない。

「こんな所で……」

 手を伸ばす。確かこの機にもあったはずだ。惑星内での戦闘機にも脱出用ポッドが。

 上手く逃げおおせたとしても落ちる先は敵地のど真ん中。自分ほど利用価値のある人間はそうそういまい。

 しかし。こんな所でやられるわけにはいかないのだ。

 目を閉じ、アルスは脱出ポッドを作動させた。



 話はしばらく前に遡る。


 SOILとの戦闘を終結させたSUBの王、ガウルが船団と共にマザー・スター攻略軍へ加わった。

 そして、マザー・スター攻略指揮官となったガウルは言ったのだ。

『少し汚名を返上してみるか?』

 そうして命じられたのは、マザー・スター用戦闘機の試運転。

 ゆくゆくはアルス自身が乗る惑星用の機体。しかし、まだ試作の段階であることに変わりはない。

 本来ならば、このような危険な任務に後継者候補筆頭が狩り出されるわけがない。ガウルの命に側近達は反対したが、アルスはその命令を受けた。試されていること、そして、INIT攻略においてめぼしい成果を上げていないと責められていることがわかったからだ。

 そして予定通り、月基地侵攻の混乱に乗じて大気圏内に突入した。

 今回の目的は戦闘ではなく機体のデータ収集。細心の注意は払っていたつもりだが、大気圏を抜けるなり警備用無人艇と鉢合わせた。INITも馬鹿ではない。

 慣れない試作機、慣れない場所での戦闘。雑魚であるはずの相手に追いかけまわされ、ついにアルスは撃墜されたのだ。




 目を開けると光がまぶしかった。

 反射的に顔を覆おうとして、右腕に走った痛みに顔をしかめる。

「大丈夫ですか?」

 ビクリ、とアルスの体が震える。INITの言葉だ。瞬時に置かれている状況を思い出し、アルスは素早く身を起こす。

 目の前にいたのは、若い女性。布を体に巻きつけ腰で縛る、そんな簡素な服を着た女性だった。

 周囲に目を走らせるが、木々が生い茂るそこは彼女以外に人の気配はない。身構えたアルスの前に腰を下ろし、返事を待つように首を傾げる。

 妙な気がした。

 初めて会ったはずのこの女性にどこかで会ったことがあるような気がしたのだ。

「大丈夫ですよ」

 女性は手に持った草を掲げて見せた。

「薬草をとってきましたから」

 意味を計りかねていると、腕を出せと言われる。

 小さく息を吐いて警戒をとかぬまま、アルスは慎重にINITの言葉を紡いだ。

「お前は何者だ?」

「こちらとしては、空から降ってきたあなたの方が『何者だ?』なんですが」

 女性の視線を追うと、半壊した脱出用ポッドがあった。ポッドの表面に横一本に引かれていたはずのラインが見事にねじれている。脱出には成功したもののかなりの衝撃だったようだ。今更ながらにゾッとした。

「よくそれくらいの怪我ですみましたね」

「……オレが何者か、わかってるのか」

 さあ、と女性は小首を傾げた。

「あなたが誰にしろ怪我をしている者には手当てをすべきです。上着を脱いでください。見ているこっちが痛いんですから」

 辺りに他の人間の気配がないことを確認してからアルスは渋々指示に従う。

「骨には異常はないみたいですね。打ち身だけかしら」

 手際よく、女性は薬草を貼り付け細い布で縛る。

 アルスは女性を見つめた。肩ほどの亜麻色の髪を先の方で結んでいる。年の頃はアルスと同じか少し下。

 彼女をどこで見たのだろう。頭が少し痛んだ。思い出せそうで思い出せない。

「腕はこれで完了です。他に痛むところはありませんか?」

「いや」

 アルスは我に返って首を振る。上着を着て右腕を軽く動かす。痛みはあるが動かせないほどではない。

 腕に貼られた薬草。ふと気づいて向き直る。

「お前、本当にINITの人間か?」

 INITの暮らしはいくらなんでももう少し文明的なはずだ。怪我の手当てに包帯を使うほどには。

「そうですね。ええ、私はINITの人間じゃありません」

 マザー・スターにはINITの人間しかいないはずだ。いや……。

 記憶を辿る。INITに組せず、森で暮らす人間がいるらしいと聞いたことがあった。

 女性は立ち上がり、服の裾についた草を払う。

「喉が渇きませんか? この近くに湧き水があるんです」

 座ったままアルスは女性を見上げる。目の端でちらりと脱出用ポッドを見た。

 この作戦の司令塔の役割を果たす小型の空母、クロイツたちが乗るその艦は今どこにいるのだろう。こちらが落ちたことは気づいているはずだ。上と連絡をとる必要があるが、電波を受信されれば助けがくるよりもINITがくる方が早い。

「動けないのなら、水を汲んできましょうか?」

「いや」

 彼女を一人にするのはまずい。彼女が何者かわからないし、INITと繋がっていれば連絡をされる。

 左手を伸ばして女性の手首を掴む。意外に細いそれに少し戸惑うが握る手に力をこめた。

「ここから動くな」

 女性はじっとアルスと見つめる。

「あそこにある木に、体を預けた方が楽ですよ」

 唐突な言葉に眉根を寄せる。女性は隣に腰を下ろした。

「支えもなしに座っているのは辛いんじゃないですか?」

 こちらの体を心配している。しばらくしてからそう気づいた。

「何故?」

「何故とは?」

「何故、俺を気遣う?」

 女性は少し悲しそうにこちらを見た。

「ここで私とあなたが出会ったのは、きっと偶然ではないから」

「どういう意味だ?」

「『何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある』」

 アルスは改めて向き直る。返ってくるのは掴めない、捉えどころのない返答ばかり。はぐらかされているのだろうか。しかし怒りは感じない。

 だが興味はある。どこかで見たことのある、彼女は誰だ。

「お前は何者だ?」

「……私は森の民」

 言葉を切って女性は口の端を上げる。

「リバイアルの、トーカです」




 アルスは手近にある木に身を預け息を吐いた。体のあちこちが疲労を訴えてくる。

「聞いてもいいですか?」

 隣に腰を下ろしたトーカが言った。ボンヤリとそちらに視線をやり、アルスは「何を?」と尋ねる。

「貴方の名前です」

「……アルスだ」

「いい名前ですね」

 聞くだけ聞いてトーカは足元の草を千切る。反応がなかったところをみると、彼女は自分がINITと敵対するSUBの後継者だと気づいていないのだろう。

 いや、そうか。例えば『森の民』がSOILと等しいものだとすると、INITも彼女にとっては敵である。INITの敵だとわかっていて自分を助けた可能性もありえる。

 さわさわと心地よい音がする。影を作る葉の間から空が見えた。

「青いんだな」

「空ですから」

 思わず漏れた呟きにトーカが応じる。彼女には当然のことなのだろう。

 チ、チと一羽の小鳥が飛び立っていった。眩しかった日差しが、今は暖かい。

 不意に強い既視感に襲われる。どこかで見た景色だと、そう思った。

「ああ……」

 思わず声をあげた。

「あの星に似てる」

 自分が生まれた星。母親の故郷。

「セントラル・スターに似ている」




 大気の組成が似ているのだろう、セントラル・スターの空も青かった。

 家の近くにあった林は元はマザー・スターにあった木を移植したらしい。

 火山の噴火によって環境を大きく変えた。しかし、あの星は紛れもなく故郷。

『アルス』

 思い出す。幼かった自分はその林が好きだった。一人で木に登って空を見ていた。そして、時間になると母が探しに来た。

『アルス』

 自分の名を呼ぶ声が好きだった。するすると木から下り走っていくと、花のような笑顔で迎えてくれた。そしていつも、ギュッと体を抱きしめてくれる。

『アルス』




「アルス?」

 ゆっくりと目を開けた。

「母上?」

 ボンヤリしていた視界が焦点を結び始める。目の前にいたのは女性。しかし、母ではなかった。トーカという名の女性。

 我に返りアルスの顔が赤くなった。幸い、呟いた言葉はSUBのもので、目の前の彼女に意味はわからない。

 ふんわりと、不意にトーカが微笑んだ。花の咲くような笑み。

「少し眠った方がいいですよ」

 心臓が音を立てた。星に住む女性。木に囲まれて暮らしていると笑顔は似てくるものなのだろうか。

 ゆっくりと呼吸をして気持ちを落ち着ける。起こした体を木に預け直す。

「……ここは、いいところだな」

 マザー・スター。船から眺める青い星は予想通りの美しさだった。心のどこかで焦がれ続けた地に今、自分はいる。

 アルスは空を仰いだ。

「人が住むに相応しい場所だ」

「星は人のためにあるわけじゃないですよ」

 ビクリとしてトーカを見る。彼女は膝を抱えて地面を見ていた。

「ここにある木も草も、そしてこの星も、人のために存在してるわけじゃないです。私たちはこの森に、この星に住まわせてもらっているだけ。だから、自然の流れや意志には従う」

 トーカはゆっくりとこちらを向く。

「それがリバイアルの考え方です」

「自然の流れ、か」

「私たちがここで出会ったことも、その流れの一つ」

 微笑んでトーカは続ける。

「人はそれを『運命』とも言います」




 パチ、パチリ、と音がする。

 アルスはまどろみから覚醒した。いつの間にか眠っていたようだ。振り仰ぐと空には満天の星空。近くでは小さな炎がはぜっていた。

 身を起こそうとして固まる。トーカの低い声が聞こえた。

「……いえ、見当たりません。……はい。今日は森に泊まります……大丈夫です、この辺りは無線が通じますから。……了解」

 小さな電子音がしてトーカがこちらに近づいてくる。

「気がつきましたか。気分は……」

 瞬間、アルスはトーカの腕をとって捻じ伏せた。右腕に痛みが走るが構わない。

「何者だ? さっきの通信は何だ? INITと、繋がってるな」

 答えないトーカを左で捻じ伏せたまま、アルスは右腕で彼女の懐から通信機を取り上げる。炎を光源に通信機の表面に書かれた文字が見えた。

「チームHS、だと」

 左腕に力をこめた。

「お前、あのHSチームか!」

 叩きつけた通信機が地面に転がる。

「マザー・スターにもHSチームもいたとはな。さっきのはINITにオレを引き渡す連絡か?」

「……訂正してもいいかしら」

 組み伏せられたまま、トーカが静かに言う。

「HSチームは月基地を活動拠点としたHSシリーズに関わる者の呼称。地球にHSチームはいないわ」

 そして、と抑揚のない声で続けた。

「あなたをINITに引き渡す気なら、もうとっくにやっている」

 ピクリとアルスの腕が震えた。

 最初に出会った時、そして先ほど。アルスは二度、不覚をとっている。

「わかったら放して。痛いから。あなたの右腕にもよくないわ」

「何者だ? HSチームなら何故オレを助けるようなことをする?」

「私はあなたに助けられた」

 その刹那、ノイズ交じりの声が目の前の女性のものと重なった。

「もう一つの名前を教えるわ。私はHS-5パイロット、トーカよ」




 アルスは思わず組み敷いた手を離していた。あの時の、戦いの中でのあの一瞬の記憶が浮かんで消える。

 腕を軽く振ってトーカはアルスに向かい合った。

「あの時の」

「ええ」

 トーカは頷く。

「あの時はありがとう。助かったわ」

「いや……」

 座りましょう。促されてアルスは腰を下ろす。焚き火を挟んだ向かい側に彼女も座った。

 それは、不思議な感覚だった。HSチームの一人が目の前にいるというのに不思議と敵愾心は沸き起こらない。むしろ親しみに似た感情が湧き、アルスは戸惑った。

「ずっと疑問だった。何故あの時、あなたは私を助けたのか」

「……まさか戦闘機に女性が乗っているとは思わないだろ」

 それに。

「目が合ったから」

 トーカは驚いた顔でアルスを見た。言ってしまってからアルスは後悔した。宇宙での戦闘中、目が合うなどありえない。

「今度はこっちが質問をする。HS-5がどうしてここにいる?」

「言っても信じないと思うけど、ここにいるのは休暇よ。休暇でこの辺りにいたら、誰かさんが落ちたって連絡が入って様子を見に来たの」

 嘘だな、と思う。この森は惑星のほとんどを覆うほど広大だ。都合よくアルスの落ちた付近にいるわけがない。

「単独か?」

「そうよ」

 この言葉は間違いではないだろう。現に今も、彼女の他に人の気配はしない。

「もう少し位置が違ったら危険だったわよ。街のど真ん中に落ちちゃ、私たちにとってもあなたにとってもシャレにならないところだわ」

 ちらりとこちらを見、トーカは苦笑して続ける。

「信じてない顔ね。本当よ。私は森の民だから、ここにいるだけ」

 アルスは改めて彼女の服を見た。

「十年ほど前までリバイアルの民としてこの森で暮らしていた。今はINITの人間になっているけど」

 トーカは悪戯っぽく笑い肩をすくめる。

「でなければ、INITの言葉を喋れるはずがないもの」

「なるほど」

 アルスは息を吐いた。

「森の民はINITと違う言葉を話すのか」

「ええ」

「言葉は文化。お前たち森の民はINITとは違う文化を持っている。そう考えていいということだな」

「頭がいいのね」

 トーカは膝を抱える。

 アルスの方は膝を崩し左手を地につく。支えなしで座るのは少しきつい。

「いいのか?」

「何が?」

「俺を連れて帰らなければ立場が危ないんじゃないか」

「平気よ。私はあなたを見つけられなかった。そう報告すればいいだけの話」

 トーカはちらりと大破した脱出艇の方に目をやる。

「あれは回収させてもらうけどね」

 同じ方向に目をやる。それくらいは仕方がない。

「俺は確かにお前を撃たなかった。そういう意味では助けたことになる。しかし、俺を逃がす貸しの方が大きい」

「あなたが空から落ちてきた。私はそれを見つけた」

 パチリと火が爆ぜる。炎越しの彼女の顔が揺らめく。

「『時』が見えた。私があなたを助ける『時』が見えたの」

「……どういう意味だ?」

「さっき言った自然の流れ。そういうことよ」

 トーカは立ち上がって森の奥を示す。

「もう少し先に湖があるわ。さっきからあなたの仲間が探しているけど、木が邪魔で下りてこれないのね。湖なら上が開けてる。何とかなるわ」

 アルスも立ち上がった。焚き火に照らされ二人は向かい合う。

「お別れね」

 トーカは微笑む。

 離れたくはなかった。手を伸ばし手腕を掴み、少し躊躇ってから引き寄せる。

「何故私があなたを助けたのか、もう少しわかりやすい答えを教えてあげる」

 アルスの腕の中でトーカは囁いた。

「私もあの時、あなたと目が合ったと思ったのよ」

 彼女の頬に触れ、アルスは笑う。

 触れるように重なった唇は互いの熱を残さぬままに離れた。




「全く、生きた心地がしませんでしたよ」

 ソラへ戻る船の中で、クロイツは大きなため息をついた。

「ガウルさまに進言してください。もう二度とアルスさまを危険な目にあわせないよう」

 教えられた通り湖まで進み、無線を使って救助を求めた。近くを旋回していたらしいSUBの船が素早く拾い上げてくれ、そのまままっしぐらにソラへ向かって飛んでいる。

「そうだな」

 アルスは自身のシートに体を預けたまま頷いた。

 HSチームとの戦いは避けては通れない。しかし、トーカとはもう戦いたくはない。

「もう前線はごめんだな」

 クロイスは驚いたようにアルスの顔を見た。

 マザー・スターを抜けたと報告があり、乗組員は息を吐く。アルスは近くまで迎えにきている父親の船団に挨拶を入れるための指示を出す。

 コクピットから見るマザー・スターは青く輝いていた。






「脱出ポッドは発見したのですが、人は確認できませんでした」

 次の日、街に戻ったトーカはイブキを初めとする長官たちの前でそう報告した。

「SUBの船が近くまで来たのには気づいていたのですが」

「わかっている。生身ではどうしようもない」

 イブキが頷き、他の長官たちも唸る。

「SUBの連中め、我が物顔で飛びおって」

「森の上空における戦闘行為の許可も視野に入れなければなりませんな」

「しかし、それでは森に飛び火した場合……」

 イブキの合図でトーカは一礼し長くなりそうな会議を抜け出した。

 二度目の『時見』。何故だろう、それはいつも彼が関係している。

「アルス……」

 つと、足を止め窓の外を仰ぎ見る。

 窓から見える空は今日も青かった。

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