月が消える日 前編

 地球に戻ればそれなりにやることはある。

 地球に戻ったその日、タースは本部に泊り込んで雑務を終わらせた。家に帰ると言っていたチームメイトたち、特にラットなどは意気揚揚としていたが、自分はどうしてもそんな気分になれなかったのだ。

 家に帰ればどうしても会わなくてはならない。

 タリム・サイロン。INITを統べる長官の一人であり、タースの父親である人と。




 どこかでボタンを掛け違ったのだと思う。今でもそれなりに尊敬はしている。

 家へ向かってボンヤリと歩きながらタースはそう考えた。休暇をもらった翌日の昼である。

 父親に会いたくはない。さりとて休暇中に家に帰らないのもはばかられる。だから、父親がいないであろう日の高い時間に家に戻る。どこか行動が矛盾していた。

 しかし、そうまでして会いたくはないのだ。母親がいればまた違うのかと思うが、彼女は数年前、病気で亡くなった。父親と自分を橋渡ししてくれる者は誰もいない。

 懐かしい家についた。呼び鈴を鳴らすと見知った顔が出た。その男性、執事のエヴァンスはにっこり笑って予想外のことを告げる。

「タリムさまがお待ちかねですよ」

 今日に限って家にいる。いや、こちらの行動など見越していたのかもしれない。

 エヴァンスの後について長い廊下を歩く。父親の書斎をノックし応答を待って一人入りドアを閉めた。

 顔を上げる。目の前には、父親の姿。

「随分と活躍しているようだな。鼻が高いよ」

 腕を組んだタリムはじっとタースを見つめる。言い知れぬ感情が胸の内に走る。決して嫌いなわけではない。尊敬は、している。

「仕事は?」

 タースの口をついて出たのはそんな問い。

「今はいい。これから忙しくなるからな」

 タリムは軽く息を吐き、こちらを見つめた。

「お前に伝えなければならないことがある」

「何ですか?」

「ルエ家との婚約は解消した。そのつもりでいろ」

 意味がわからなかった。ルエ家。ミサキの、家。

「父さ……」

 婚約は解消した。解消した? すでに過去形だ。

「次の婚約者としては、そうだな、カース家の娘さんなんてどうだ。元長官の方だ。あそこは一人娘だが……」

「何故、ミサキとの婚約を解消した」

「ルエ家よりも、サイロン家に役立つ家から嫁をとった方がいいだろう」

「何故、せめて向こうに申し入れる前に相談してくれなかった?」

「何故お前に相談する必要がある? お前はもう大人だ、タース。わかるだろう」

 開きかけた口を閉じ、ギリっと歯をかみタースは踵を返す。

「タース……そろそろ、地球に戻るか?」

 後ろからかけられた言葉に肩がピクリと震えた。

「HSチームを辞めろと?」

「大事な跡継ぎに何かあっては困るからな」

「HSチームまで俺から奪うな」

 そう吐き捨て部屋を出る。

 馬鹿息子が、と毒づく声が扉の向こうから聞こえた。




「タース」

 家を飛び出し、あてもなく空を見上げていると鋭い声がかけられた。

 声へ目をやる。隣の家の庭からごつい男が顔を出していた。ミナト・ルエ。ミサキの兄だ。

「話がある。顔貸せ」

 くいっと顎で彼の家を示す。タースは庭先まで近づいた。

「話はわかっている。ミサキのことだろ」

「わかってるなら話は早い」

 ミナトの人差し指が正面からタースを指差す。

「ミサキの兄として許せん。小さい頃から、婚約なんて関係なしにミサキはお前のことが好きじゃ。お前にもわかっとるだろ」

「……本当に、すまないと思っている。しかし」

 父親の顔を思い出す。言い出せば絶対に曲げない。だからこそ、ミサキにこれ以上迷惑をかけないためにもこう言うしかない。

「これはもう決まったことだ」

 ミナトの頬がピクリと動いた。

「うちはサイロンさまに頭が上がらん。ミサキの気持ちを知りながら、婚約解消を受けるしかなかったワシの気持ちがお前にわかるか? いや、ワシのことなんぞどうでもいいわ。ミサキはどうなる?」

「俺とミサキの関係は……終わりだ。これからは、チーフエンジニアとパイロットとして……」

「ワシが聞いとるのは、タース、お前の気持ちじゃ」

 ミナトは睨みつけるように言った。

「お前はミサキを好きなんか?」

 柄にもなく、タースは少しだけ動揺した。そう、ほんの少しだけ。婚約は解消された。ここで言うべき答えは決まっている。

 ビービービー。

 口を開こうとした瞬間、タースの通信機が鳴り出した。滅多にないこれは、緊急呼び出し音。

「悪い、呼び出しだ。また今度」

 本部に向かって走り出す。引き止めるミナトの声にもタースは振り向かなかった。




 ミナトは後ろ姿を見送った。走っていくタースの姿は徐々に小さくなりやがて消える。

「……あのボンボンがっ!!」

 バシっと勢いに任せて殴ったのは庭の柵。ミシッと音を立ててそれは折れた。

「家を壊すな、ミナト」

 呆れたように家から出てきたのは長い髪を根元で一つにまとめた優男。ミナトの双子の弟、ナギサだ。

「聞いてたじゃろ。あの野郎、逃げやがった」

「緊急招集はオレにもかかった。サイロン家のボケ息子は逃げたわけじゃないさ」

 そういわれてミナトは初めて、ナギサが白衣と黒い鞄を手にしていることに気づく。ナギサの職業は医者であった。

「何かあったんか?」

「あったのかこれからあるのかはわからんが、何か起こったのは確かだ」

 しかし、とナギサは続ける。

「それとミサキの件とはまた別だ。帰ってきたら奴を絞めるぞ。答えなかったら薬を使う。なに、跡が残らない薬ぐらいいくらでもある」

「お前なあ」

 ミナトはガリガリと頭を掻く。

「重要なのはタースの気持ちじゃろうて。タースの気持ちがミサキに向いとらんなら、いくらミサキがタースのこと思っても上手くいかん。諦めさせるより他ない」

「あんな奴諦めさせた方がいいとオレは思うがな」

「ワシだって思うわ。しかしなあ、タースもミサキに気があるんじゃったら、応援してやりたいと思うんよ。家同士の下らん事情で諦めさせとうない」

「あの馬鹿息子の気持ち次第か」

 ナギサは手に持った黒い鞄を見下ろした。

「自白剤か」

「お前なあ、ワシの言った意味理解しとらんやろ」

 わざとらしくため息をついてミナトはにやりと笑う。

「ミサキのことになると周り見えんようなるのは昔からじゃの」

「それはお前も同じだろ」

「ミサキは可愛い妹、誰より何より、大切じゃ」

 ナギサも同意するように口の端を上げた。

「ま、とりあえず行ってくる」

「おう。本部でタースと会っても穏便に頼むぞ」




 もう九年か、とナギサはエレカーを運転しながら呟く。

 母親が亡くなってから九年、父親が亡くなってから十四年経つ。

 長官職についていた父親はある日、最新鋭の機体に乗った。そして起こった事故。いつの間にかそれが同乗した父親のせいにされていた。理不尽な話だが、母親と幼い子供たちだけのルエ家にはどうしようもなかった。数少ない親戚たちもとばっちりを恐れて寄り付かなくなった。

 それを、息子の許婚の家だから、と庇ってくれたのがサイロン家。詳しい調査が行われ機体の整備不良ということで片がついた。以来サイロン家には頭が上がらない。

 あの事故の時、ナギサは医療系の学校に通っていた。ミナトは養成学校でパイロットを目指していた。話し合う前にミナトはさっさと荷物をまとめて家に戻り父親の後を継いだ。パイロットになるという夢を諦めたのだ。自分とミサキ、そして母親のために。

 ミナトは何も言わなかったが、年若くして長官となった双子の兄は苦労が絶えなかっただろう。それがわかっていたから、母が亡くなった後、「長官職をサイロン家に譲る」と言い出したミナトを止めなかったのだ。

 こうして、ルエ家は長官職を離れた。本来ならば長官職が住むべき街の中心部にある自宅も誰かに譲らなければならないところだが、ミナトが一時期にせよ長官であったことやミサキがいずれサイロン家の嫁になることから、うやむやのうちに許されていた。

 しかしここにきての婚約破棄。

「吐き気がする」

 そもそも、父親が亡くなったあの事故から疑いがある。

 あれは故意に起こった事故だ。そんな噂がある。事故機に仕掛けをした人間がいるのだと。

 当時その機体の整備を担当していたのはタリム長官の弟であるターミヤだ。その件に関して彼はおとがめもなく今は技術局のトップに納まっている。ルエ家が譲った長官の椅子はタリムとターミヤの末の弟であるタラハのものだ。

 こんな馬鹿げた話はあるだろうか。

 ナギサたちの父親は、ルエ家はサイロン家に嵌められたのだ。

 あの坊ちゃんは、タースはそれを知らない。知ろうともしないでいる。

 婚約解消は上等だ。そんな男に、サイロン家などに可愛い妹を嫁がせたくはない。


『ナギサ兄ちゃん、あたしエンジニアになるから』

『エンジニアになってタースくんの機体をあたしが整備するの』


「……考え直せ」

 記憶の中の妹にそう呟く。

 あの頃からミサキはあいつが好きだった。それを知っているから月基地にいる彼女に未だ婚約破棄を伝えられないでいる。

 やるせない気持ちで、ナギサはエレカーを本部の駐車スペースに入れた。




 いつもの診療室に行くと、普段の倍の数の医者と看護士がいた。

「ナギサ先生、何があったんですか?」

 顔見知りの看護士が声をかけてきた。

「今日は非番だった。ついたところでわからん。サクラくんは病院勤務だろ。どうしてここに?」

「手が空いている者は本部へ行けと急に言われて……」

 サクラは別の看護士たちを振り返る。病院から一緒に来たのだろう。どの顔も不安そうだ。

 ナギサは直属の上司を見つけ近づく。

「トキヤさん、これは一体?」

「わからん。ただ上が、これから怪我人が出るかもしれんから医療スタッフをかき集めろだとさ」

「地上で戦闘でも?」

「それはないだろ」

 やや困惑顔のトキヤも詳しいことは聞かされていないのだろう。

「……何が、起こってるんだ?」

 ナギサは窓から空を振り仰いだ。

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