英雄
マルクは床に転がったまま顔を上げた。
「ん~? どうした、僕?」
「文句言いたそうだな~? ん? 何かなー?」
ニヤニヤと嫌な笑みはあの頃、パイロット養成学校の頃と同じだ。
パイロットに向いていない。マルクは周りからそう言われていた。今から思い返せば正し過ぎるその意見も、パイロットへの夢と憧れでいっぱいだったあの頃は耳に入らなかった。
男としては華奢な部類に入るマルクは学校での授業についていけなかった。学科はまだしも実技では居残り・補習の繰り返し。
そんなマルクに目をつけたのが二つ上のこの先輩たち、ミエルとハラスだった。
体格にも能力にも恵まれたこの二人は、マルクに会う度からかいの言葉を投げてきた。先輩に盾突くこともできずそれに甘んじていると『鍛錬』という名の暴力にまで発展していった。三年だった二人が程なくして卒業した時は涙を流して喜んだものだ。
それが、四年経った今、繰り返されようとは。
「何? お前通信士になったの? 生意気」
「『別枠卒業』か。情けねえなあ。オレらが鍛えてやったろ」
入学したものが皆パイロットになれるわけではない。卒業したものが皆パイロットになれるわけではない。そうであるからパイロット養成学校では飛行技術以外にも様々なことを学ぶ。そして、パイロット以外の職種、例えば通信士としての『別枠』での卒業規定も設けられているのだ。そして『別枠卒業』は意外に多い。
……彼らのようにパイロットになったものから見れば、オチコボレなのだが。
ミエルとハラスの左袖には青のラインが三本。月基地のパイロットを示すラインだ。二人はSPチームに所属するパイロット。花形だ。
ケホケホと小さく咳き込む。それが気に食わなかったのか二人の顔が歪んだ。蹴られる、そう思って咄嗟に目を閉じた。
「ミエルにハラス、何やってんだ? お前ら」
声は遠くから聞こえた。
目をあけると二人は体を強張らせていた。ぎこちない動きで彼らの背後を振り返る。
「ラ、ラットさん……」
「タース隊長……」
その名前にマルクは息を呑む。
二人の後ろにいるのはHSチーム。彼らは『花形』どころの騒ぎではない。自分などが会話するのもはばかられるほどの『英雄』だ。
ミエルとハラスの間から、ひょいと顔が覗き出た。HS-2。まともに目が合いマルクは硬直する。
「何だ? 新人イジメか?」
「いや、あの……」
「その……」
こちらを再び見下ろしたHS-2は不機嫌そうに眉根を寄せた。その視線はマルクの左袖、白のラインが三本入ったそこに注がれている。
「こいつ、パイロットじゃねえな。通信士か?」
「はい……」
「そう、です……」
ふうん、とHS-2は頷き、ボソリと言った。
「お前らさ、情けなくね?」
ミエルとハラスは同時に頭を下げる。
「すいませんでした!」
「オレに謝ってどうすんだよ」
ほれ、とこちらを顎でしゃくる。
「ちゃんと謝ればゾルツ隊長には黙っといてやるよ」
二人はマルクを助け起こし平謝りに謝って、ラットにもう一度謝ると、慌てた様子で去って行った。
呆然とその様子を見送っていると目の前に白いものが差し出された。ハンカチであることにしばらく気づかなかったのは、それを差し出したのがHS-1であったからだ。
「血が出ている」
慌てて礼を言って受け取る。口の端の血がハンカチに滲んでから、白いそれを汚してしまうことに気づいて更に慌てた。
「あ、あの、血が付いて……」
「洗って返してくれればそれでいい」
HS-1はHS-2に向き直る。
「SPチームか?」
「はい。ミエルにハラス。悪い奴らじゃないんですがちょっと調子に乗ってますね」
「弱いものいじめはゾルツ隊長の嫌う所だが…⋯」
「ゾルツ隊長はやることと言うことえげつないけど、人格者ですからね」
ちらり、とHS-2はこちらを見る。
「しかしまあ、ちょっとやり過ぎなんで、後でリィ副長の耳にでも入れときます」
「そうしてくれ」
HS-2がこちらを見て笑った。
「ま、もう大丈夫とは思うけど。名前は?」
我に返って慌てて立ち上がり、敬礼する。
「申し遅れました。通信課のマルクと申します」
手を下ろしハンカチを握り締めたまま頭を下げる。
「あの……本当にありがとうございました。オレみたいな、パイロット崩れの通信士がHSチームの方に助けていただけるなんて……感激です」
「顔を上げろ」
恐る恐る顔を上げるとHSチームの二人は笑っていた。
「通信士は立派な仕事だ。お前たちがいてくれるお陰で俺たちは安心して飛べる」
「そ。何を卑屈になってんの」
ポンとHS-2がマルクの肩を叩く。
「じゃ、オレらは行くわ」
「は、はい。ありがとうございました」
去っていく二人を見送ってマルクは息を吐く。
英雄、HSチーム。
「かっこいい……」
握り締めたままのハンカチがHS-1からの借り物であることに気づいたマルクが右往左往することになるのは、また別の話である。
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