短編
CLIMB
毎年行われるパイロット養成学校の新入生最初の試練。もとい、新入生歓迎行事。
今日はその『崖登り』の日だ。
シュリは周りに気づかれないようため息をついた。憂鬱だ。新入生歓迎訓練だが、上級生もこれに参加しなければならない。そもそもがパイロットを養成するための学校なのになぜ崖登り。意味のない訓練。最高学年にもなってこんなことやりたくはない。
プライマリスクールを卒業したて、まだ12、3の少女たちはそびえ立つ崖をポカンとした顔で見上げていた。あれを登ると告げられてもまだポカンとしている。毎年おなじみの光景だ。
崖の高さは約十m。あくまでも『歓迎』訓練なので命綱を着用しロープを伝って登る簡単なものだ。学年もバラバラに二つのグループに分けられ、シュリは後半のグループに入った。最初のグループが登り始める。下から見ていると誰が新入生か非常によくわかる。
「あの……」
声に隣を見ると亜麻色の髪の少女がいた。女子は人数が少ない。見覚えがない彼女は新入生なのだろう。
「何?」
新入生には今までに何度も話しかけられた。マイラ・カースの姪で学年主席。そんな自分に何を期待しているのかは知らないが、どうせこの子もそんな手合いなのだろうと眉根を寄せて睨む。大概の下級生、あるいは同学年も、シュリがこうやって睨めば怯む。
しかし、彼女に臆した様子は見られない。
「大丈夫ですか?」
その上、意味不明なことを言う。眉間に寄せた皺が増えた。
「何が?」
「顔色悪いですよ」
ドキリと心臓が鳴った。
「気分でも悪いんですか?」
「別に何でもないわ。それに新入生、口のきき方がなってないわね」
「でも……」
まだ何か言いた気な彼女から視線を逸らす。「次、前へ」と指示がとんで、シュリはスタンバイを開始した。
命綱をつける手が震える。見抜かれた。新入生などに。
シュリはクライミングが苦手だった。ロープ一本を頼りに傾斜面を登る何てなんと原始的な動作だろうか。計器に囲まれてソラを飛んだ方が絶対にましだ。
しかし、である。そんなことは周りに気づかれてはならない。何でもできる主席。マイラ・カースの姪。崖ぐらい登れなくては。
合図と同時に一歩を踏み出す。二歩、三歩。前だけを見て確実に進む。そうすればすぐに終わる。すぐに、終わる。
そろそろ中ごろまで来ただろうか。下を見る勇気はないまま更に進む。
その時。
プツリ、とどこかで何かが切れる音がした。
同時に体が崩れる。落ちる。体が宙に投げ出された。
ふわり、それはまるでスローモーション。ここから地上まではどのくらいあったっけ。緩慢な思考で遥か下にある地面との距離を感じる。血の気がザッと下がる。
「シュリさん!」
ガクンと落下が止まる。だらりとシュリの体は命綱一本でぶら下がった。
「もう一本のロープを持って」
頭の上からの声に従う。登るために使うロープ。何故ここにあるのだろう。いつの間に自分は命綱の方につかまって登っていたのか。
「足をつけて体重を支えて」
言われた通りにする。情けないことに体が震えていた。ロープを掴むってどう力を入れるんだった? 体重を支えるってどうやればいい?
「二人とも、大丈夫か」
新しい声がした。教官だ。異変を察して上から降りてきたらしい。
「ここからだと下りた方が早いな。ほら、シュリ。こっちのロープ使って降りるぞ」
腰をしっかり抱えられロープにつかまる。こみ上げてくる安堵と羞恥に顔が赤くなった。きっと震えているのはバレた。学年主席の、マイラ・カースの姪である自分が。
「よし、いいぞ離せ」
教官が命綱を外し上に声をかける。
それはゆっくりと、先ほどまでのシュリの代わりに落下していった。
救護テントから出てきた少女の髪は亜麻色をしていた。やはり、訓練前にこちらの顔色の悪さに気づいたあの新入生だ。
少女がこちらに気づいて笑みをみせる。
「シュリ先輩、怪我はありませんでした?」
彼女の左手には包帯が巻かれている。シュリの命綱を掴んだ時、擦れたのだ。
「……あなたが綱を掴んで支えてくれなきゃ、あたしは落っこちてたわ」
苦い思いが胸に渦巻く。三年目の崖登りで大失態を演じ新入生に怪我をさせた。最悪だ。
「先輩もしかして、高い所苦手なんですか?」
率直な問いに率直な視線。否定しようとしたが彼女にはちゃんと話しておく義務があると思い口を開く。
「高い所は怖くないわ。空を飛ぶのは好きだもの。でも、クライミングが駄目なの。どうしても。だって」
言い訳じみているかと思ったが、促す視線に思わず口を滑らせる。
「平らな足場がないのよ」
新入生の彼女はパチパチと瞬きをした。
「あんな高い所にいるのに、足の半分以上が空気を踏んでるのよ。怖いじゃない」
「それは上り方が悪いと思うんですが…」
「それに崖って、崩れてきそうじゃない?」
威圧感があって迫ってきそうで。
言葉を並べるごとに彼女の頬がピクリと動き、肩が震える。
どうやら笑いをこらえているようだと気づいたのは語り終わった後だった。
「何よ」
「いえ……シュリ先輩って可愛いですね」
聞き慣れない賛辞に思わずムッとする。
「あたしは可愛いくないわよ」
何がツボに入ったのか彼女は笑い出した。文句を言おうと思ったが余計あおる気がして止める。
失礼な新入生。しかし彼女は自分を救ってくれた。とっさの判断力と対応力。あれが偶然ではなく彼女の実力なら将来優秀なパイロットになるだろう、教官もそう言っていた。
「失礼しました、先輩」
ひとしきり笑った彼女は覚えたてであろう敬礼をする。
「私は新入生のトーカと申します。以後お見知りおきを」
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