BREAK TIME

『HSー5、敵艦は?』

『データ上では無人艦ばかりです』

『フォーメーション、4・2・1だ。行くぞ』

『了解!』

『HSー4、先走るな。HSー2、続きます』

『HSー1、続く。HSー3、チャフまけ』

『了解』


 教授はそこで酷いノイズ混じりの音を止めた。

「アルスさま、いかがです?」

 SUBの作戦会議室。半円に配置された椅子の中央に深々と腰をおろしたまま、アルスは小さく首をかしげる。

「ひどい雑音だな。大人の声か子供の声かもわからない」

「子供が乗ってるわけはありませんよ。会話の内容さえわかればよいのです」

 満足気に教授は語る。対するアルスは面白くなさそうに頷いた。

「多少、ノイズは混じっておりますが、我が『盗聴機』は戦闘時におけるHSチームの通信傍受に成功したわけです。この『盗聴機』を使えばHSチームなど恐るるに足りません」

「我らはHSの連中など恐れてはおらん!」

 声をあげたのはアルスの隣に控えるハイトだ。

「お前さんにはわからんだろうが、我らがINIT攻略に手間どっているのは奴らの戦力を恐れているわけではない。下手に艦を進め、あの星の環境を悪化させてはと懸念しておるのだ」

 反対側から、年配のエランドも抗議の声をあげる。

 ガウルの進める『マザー・スター政策』。INITからマザー・スターを取り戻し、定住を開始する。そのためにはできるだけ星自体を現在の状態のままで手に入れなければならない。彼らが現在、基地をおいている衛星『月』もマザー・スターの環境に深く影響する存在である。それ故、強攻策をとらずINITの戦力をじわじわと削っているのだ。

 また、星を育む技術はやはりINITの方が優れている。彼らから学ばねばならぬ部分も確かにあり、武力行使による壊滅はできるだけ避けたい。

 紛糾する会議。やれやれ、とため息をついてアルスは本星より派遣された科学者に声をかけた。

「教授、お前の言いたいことはわかった。ここにいる者は皆INITの言葉を理解する。確かにその装置は有用だ。次の戦いから正式に使用する」

「ありがとうございます」

「アルスさま!」

 半円に並んだ椅子の端に座る初老のカランが非難めいた声をあげる。

「教授はわが父、ガウルから直々に派遣されてきた。『盗聴機』も本軍が使っているそうだ」

 故意に父親の名を出す。教授に不満気な視線を送りながらも、誰も何も言わなかった。SUBのトップに立つガウルの力を改めて実感し、アルスは再び息を吐く。

「次の戦闘にはわたしも出る」

「アルスさま」

 議場がどよめいた。末席のクロイツが嗜めるように名を呼ぶ。

 実の所、幼少の頃より叩き込まれたお陰でアルスの戦闘技術はかなりのものだ。しかしSUBとしては、王の息子には『護衛』の艦をつける必要がある。それを非効率的と感じているためアルスは滅多なことでは戦闘に出ない。だが、今回は『盗聴機』の性能を確かめたいし、何よりマザー・スター攻略を早急に進めろ、との父の声が痛い。

「アルスさま直々に我が盗聴機の性能をお試しいただけるとは光栄の至り」

 芝居がかった仕草で教授は礼をする。

「つきましては、盗聴機より得たデータを分析したHSの作戦コードの情報なども役立てていただければ幸いかと」

 再び紛糾し始めた会議にアルスはこの日三度目のため息をついた。




 月基地内にあるベーカリーショップは、昼過ぎに行くと焼きたてが食べられる。よって、ラットはいつもこの時間を狙って行くことにしている。実際のところは忙しくてそう毎日はこれないのだが、今日は運よく買いにこれた。

「はいよ、クロワッサン二十個ね」

「ありがと、おばちゃん」

 ID認識票でピッと精算を済ませ、焼きたてのクロワッサンが詰まった袋を抱えて店を後にした。歩きながらそのうちの一つを頬張る。

「うん、美味い」

 そのまま、ほてほてと歩きミーティングルームに向かった。隊長が会議から帰ってくる前に戻り、有耶無耶のうちにお茶の時間にしてしまう。それが今のラットの崇高なる使命であり計画だった。

「ラットさん」

「お久しぶりです」

「よっ」

 すれ違ったSSチームの女性パイロット二人が挨拶してくれたので手を上げて答える。

 HSチームに入る前、ラットは『渡り鳥』をやっていた。怪我や病気など一時的に出た欠員の代理を務めるこの役目のお陰で全チームの人間はほとんど顔見知りである。先ほどの二人はSSチーム。通信傍受、霍乱、解析などサポート役に徹するチームで八割方が女性パイロットという素敵な部署だ。ちなみに、トーカは昔ここにいた。

 HSチームになってからというもの、顔見知りの相手以外からも挨拶をされるようになった。挙句、握手を求められたり、話し掛けると感激されたりもする。初代の功績のお陰とはいえちょっぴり優越感、である。

「兄貴」

 呼ばれて振り向きラットは破顔した。小走りにやってきたのは弟のサロンだ。SG-6、SGチームのパイロット。

 軽く握った拳をサロンが放ち、手を広げたラットがそれを受ける。パチンと小気味良い音がした。

「よ、クロワッサン食う?」

「ありがと」

「お前また背が伸びた?」

「十九にもなって伸びないって。兄貴が縮んだんだろ」

 ラットが持っている袋に無造作に手を突っ込みパンを一つ取り出して口に放り込む。

「うちの隊長見なかった?」

「キョウ隊長? いんや。今、隊長会議じゃねえの?」

「隊長会議はさっき終わったよ」

「マジで」

 『隊長が会議から帰ってくる前にティータイム』計画は脆くも破れ去った。心持ち、ラットは肩を落とす。

「もう一コ食っていい?」

「口に入れながら聞くな」

「兄貴だって知ってんだろ、うちのチームの家訓」

 SGチームに入った時にキョウから聞かされる言葉。メンバーはそれを『家訓』と呼んでいる。

「『自分のためではなく地球のために飛べ』『仲間がやられても前を見ろ』それから……」

 クロワッサンに更に手を伸ばす弟を見てラットは続ける。

「『食えるときに食っておけ』」

「そういうこと」

 モグモグと口を動かしながらサロンは彼の隊長を探して辺りを見回す。

「キョウ隊長なら喫煙ルームじゃね?」

「行ってみたらいなかったって、カイトが。まあ、隊長が失踪してるってことはそれだけ平和だってことだけど」

 その言葉に何となく嬉しくなってラットはグシャグシャと弟の頭をかき回した。

「やめろって」

「お前も、SGチームの一員になったんだな。兄ちゃんは嬉しい」

「はあ? 今更何言ってんだよ。もう一年近くいるんだぜ」

 髪を直しながらサロンは眉をしかめる。

「兄貴こそHSチームに溶け込めてんの?」

「何を言う。うちのチームはオレが回してるようなもんだ」

「嘘つけ」

 そうだ、と新たなるクロワッサンを手にしながらも、少し神妙な面持ちでサロンは顔を上げる。

「アマネとリオスのこと聞いた?」

 ラットは二人の弟と三人の妹を持つ六人兄弟の長男である。ラットとサロンの間に長女のリーネ、サロンの下にサクラ、アマネ、リオスと続く。出た名前は末っ子の双子。

「あいつらがどうかしたか?」

「姉ちゃん言ってなかったんだ」

 聞き返すと上の弟はヤバっと顔をしかめた。

「リーネが何を?」

「聞いてないんだったら……」

「言えよ」

 サロンはガリガリと頭を掻く。

「アマネが引きこもりに、リオスが無職になったって」

「そりゃ、何でまた」

「さあ。あいつら甘えてんだよ。イブキ長官に拾ってもらってからしか知らないから」

「ま、あの頃はまだ赤ん坊だったしな」

 舌打ちするサロンをラットは宥めた。

 父親が失踪し、母親は双子を産んですぐ亡くなった。それから長男であるラットと長女のリーネとで幼い弟妹の面倒を見ていた。一番上とはいえ、子供であるラットができることは限られていて、結果、人様の懐に手を出すようになっていた。そしてある日、イブキ長官の鞄を奪ってその場で捕まり、兄弟共々お世話になることになったのだ。

 あの時、イブキ長官に会わなかったら。そう考えるとラットは今でもゾッとする。

「今のオレたちがあるのは兄ちゃんと姉ちゃんのお陰だよ。今だって、兄ちゃんの給料の半分があいつらの生活費に消えて、残りは『昔の分の生活費』として長官へ返してんだろ」

 知っていたのか、とラットは苦笑する。パイロットになり自分で稼げるようになった時点で、イブキからの援助は学費以外は受けていない。自分の兄弟は自分が養う。それが当たり前だとラットは思っているからだ。

「姉ちゃんだって、学校にも行かずにずっと家でオレらの面倒見てくれたし……それなのにリオスは『学がない』って姉ちゃんを馬鹿にしたらしいし」

「それはいただけないな」

 ラットは初めて眉根を寄せた。

「だろ。姉ちゃん久しぶりにグーで三発殴ったらしいぜ」

「……ああ。まあリーネならそうか」

 その光景がありありと脳裏に浮かび、ラットはとりあえず目を逸らす。ラットと苦労を共にした妹は相応にタフな性格をしている。

「リーネも水臭いな。オレに黙ってるなんて」

「忙しいだろうと思ってんだよ。オレだってこの話サクラから聞いたし」

「そっか」

 ラットは肩をすくめて息を吐く。

「ま、今度帰った時、アマネとリオスと話してみるわ」

「うん。オレも今度地球へ帰ったらあいつらに説教する」

「説教はリーネがやってるだろ」

 冗談めかした言葉にも笑わず、サロンは神妙な顔のまま続ける。

「オレは本当に感謝してるよ。兄ちゃんが給料のいいパイロットになってオレらを育ててくれなかったら今ごろどうなってたかわかんねえ」

「ま、それはお前が気にすることじゃねえよ。リーネはともかく、オレはパイロットが性に合ってるし」

 サロンは少し睨むように兄を見た。

「サクラとも話してたんだけど、兄ちゃんも姉ちゃんも、もう自分の好きに生きていいんだぜ。HSチームの兄ちゃんから見たら頼りないかもしんないけど、オレだってサクラだってもう一人前なんだし」

「……おう」

 大きくなったなあ、としみじみ思う。

 そう、大きくなってくれた。

 ピイピイ泣くことしかできなかった赤ん坊のアマネとリオス。小さな腕に二人を抱えてオロオロしていたサクラ。幼い手で家事をしていたリーネ。

 そして、手伝おうとして結果、ラットの邪魔をしてばかりだったサロンがこんなことを言うようになるとは。

 ラットは小さく笑みを浮かべ弟の頭をポンと撫でた。




 通りがかったカイトと共に再び彼らの隊長捜索に乗り出したサロンと別れて、ラットはミーティングルームに向かう。カイトにも勧めたのでクロワッサンは七個減ってしまっていた。

 ふと見ると、喫煙ルームの扉の辺りで見知った男女が会話をしている。足を止める。何となく見てはいけないものを見てしまったような気がした。

 男の方はサロンたちが探していたキョウ隊長。女の方は……HS-1のチーフエンジニア兼婚約者のミサキ。

 回れ右をする。自分は何も見なかった。うん。

「ラット」

 呼び止められてしまった。

「キョウ隊長」

「よっ」

 仕方なく振り向く。ミサキが軽く会釈してくれたのでラットもそれを返す。

「キョウ隊長、こんな所で何やってるんすか? うちの弟たちが探してましたよ」

「サロンたちが? おっかしいな。見つかるようにここにいんだけど」

「だったら素直に部屋に戻ってくださいよ」

「やだね」

 ラットの抱える袋を覗き込み、こちらの了解なしにパンを一つ取り出しかじる。

「キョウ隊長……」

「口寂しい」

 自然な動作でまた一つ新しいクロワッサンが捕まり口に入る。焼き立てが美味しいのかキョウ隊長の小腹が減っているのか、はたまた自らの『家訓』に従っているのか定かではない。

「ミサキちゃん、食う?」

 新たに取り出した一コ。ミサキがこちらに礼を言って受け取り、パクパクッと景気よく食べる。ああ、やっぱりうちの隊長みたいなのにはこういう人が相応しいよなあ、などと変なことを考えてしまう。

 ラット自身も一つ取り出して齧る。ちょっと冷めてきたかもしれない。

「そういや、お前シュリちゃんとはどうなってんの?」

 脈絡も何もない発言にラットは思わずゲホっと、むせた。

「前タースが愚痴ってたぞ。お前とシュリちゃんが盛大に痴話喧嘩してるって」

「ああ、あたしも聞きました」

 にんまりとミサキも笑う。人の恋路を楽しむ顔だ。あの人は外で何を言ってるんだ、とラットの背に汗が流れる。

「違いますよ。あの時はただの喧嘩です」

「『あの時は』か」

「そんな含みのある言い方はやめて下さいよ。シュリとはまだ何もありませんって」

「『まだ』何もなしとは、お前にしちゃ奥手だな。本気か?」

「キョウ隊長~」

 情けない声を出すとキョウは笑った。

「苛めるのはこの辺で止めといてやるよ」

「ありがとうございまっす」

 ラットはチラッと二人を見る。

「で、キョウ隊長とミサキさんは一体何を?」

「浮気」

 さらりとキョウが言い、ミサキが爆笑する。

「違いますよ。キョウさんは、あたしの兄ちゃんの親友なんです」

「そ。ミサキちゃんの兄貴、ミナト・ルエはオレのマブダチなわけよ」

 ミサキの兄、ということは。

 ああ、隊長の未来の小舅か。ラットはそう納得した。

 言ってる間にクロワッサンは次々とSG-1の口の中に消えていく。

「あ、すみません。あたしそろそろ行かないと。キョウさん、ミナト兄ちゃんを構ってあげてくださいね」

「ミサキちゃんに頼まれちゃ仕方ないか」

 クロワッサンご馳走様でした、と小走りに去って行くミサキの後姿を見送り、くっと小さく笑う。

「面白いことを教えてやるよ、ラット」

 顔に浮かぶのは意地の悪い笑み。

「ミナトなあ、めちゃくちゃシスコンなんだよ」

 思わずラットも笑い出す。キョウ隊長と同じく、HS-1の未来を想像して。




「ただいまぁ」

 プシュッとミーティングルームのドアが開く。部屋の中にはシュリしかいなかった。

「お帰り。どこ行ってたの?」

「パン買いに。みんなは?」

「隊長は地球からの私用通信。トーカは機体の打ち合わせ。セカンは……ジムじゃない?」

 気がついたらいなかったから、とシュリは肩をすくめ、ラットの抱えている袋を覗き込んだ。

「クロワッサンじゃない。何? 二個? ケチねえ、安いんだからもっと買ってきなさいよ」

「最初はもっとあったんだよ」

 気がついたらこれだけしか残ってなかっただけだ。別に食べ切ってしまってもよかったのだが、せっかく焼き立てが買えたので。

「ほい」

 一個取り出して差し出すと、受け取ったシュリは小さく千切って口に入れた。

「うん、美味しい。ありがと」

「っていうか、全部やるわ。数半端だから喧嘩になるだろ、これ」

「天下のHSチームが、クロワッサンごときで喧嘩しないわよ」

「いやあ、食べ物の恨みは恐ろしいんですよ、シュリさん」

「そ」

 袋を渡してラットは給湯室へ向かう。いい加減、喉が渇いてきた。

「飲む? トーカみたいに上手く入れられんけど」

「じゃあ、コーヒー」

「ほいよ」

 二人分のコーヒーを沸かしながら視線をやると、シュリが丁寧に小さく千切りながらクロワッサンを食べていた。

「……食べ方はあんなに女らしいのになあ」

 それを言うと彼女は怒る。

 思わず自嘲する。家族に縛られ何もできないわけでも、恋愛に奥手なわけでも決してない。ただ、問題は……。

 コポコポとコーヒーメーカーの中で泡がはじけて消えた。

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