兄と弟

 今日も、出動要請を受けたHSチームは宇宙の闇へとその身を投じていた。

『HSー5、敵機は?』

『データ上では無人機ばかりです』

 そして、今日の戦闘も無人機との小競り合い。

 基本的に、無人機ばかりの相手ならばHSチーム以外のチームが担当する。しかし、SGチームが敵機を発見した時は有人機が混ざっているのだから要請がかかるのは仕方ない。

『フォーメーション、4・2・1だ。行くぞ』

『了解!』

 嬉しそうなシュリの声。

『HSー4、先走るな。HSー2、続きます』

 少し苦めのラットの声。

『HSー1、続く。HSー3、チャフまけ』

「了解」

 隊長殿の声に返事をして指示に従う。相手は無人機ばかり。早々と片がつくだろう。そうなれば……。

 その先にある慣れた行程を思い、セカンはため息をついた。




 前線に立つパイロットが健康チェックを受けるのは半年に一度。

 しかしそれよりもかなり頻繁に、言うなれば戦闘が終わる度、セカンはメディカルチェックを受ける。

 理由は単純。彼が普通の体ではないからだ。




「それじゃあ、おれはメディカルチェックがありますので」

 無人機を片付け月基地に戻り、事務的な報告を済ませた後でセカンは言いなれた台詞を口にした。

「ああ」

「行ってらっしゃい」

 不機嫌な顔でメディカルルームへ歩いていくセカンの後姿が角を曲がって見えなくなる。

「めちゃくちゃ嫌そう」

 シュリがポツリと呟いた。

「ま、検査なんて面倒なもんだし」

 頭の後ろで腕を組んだラットがそれに答える。

「成長期真っ最中の心と体は繊細なんですよ、シュリさん」

「学校出てすぐHSチームに配属してこき使っといて、戦闘が終わるたび検査なんて……」

「確かに、普通はしばらく経験をつんでから月基地のメインに入るのに、セカンはちょっと早すぎね」

 言葉を濁したシュリに代わってトーカが言った。

「セカンは体力も反射神経も頭の良さも人並み外れてるから上からの期待も大きいんだろうけど」

「あいつは……」

 零れたタースの呟きに三人が振り向く。視線を受け、部下を見回しそれ以上は言わずHS-1は息を吐いた。

「ミーティングルームに戻れ。報告書をまとめて、遅くなったが昼にしよう」

「……了解」

 少し歪んだタースの表情に気づかない振りをして三人は敬礼を返した。




 ウィーンと微かな機械音を残して装置が止まる。

『お疲れさま。もういいよ』

 ゆっくりとセカンは目を開ける。起き上がって頭につけた装置を外した。

『いいデータがとれたよ。うん、君は素晴らしいね』

「そうかよ」

 投げやりに言う言葉は相手には伝わらない。ガラス越しに隔てられた向こうの声を伝えるのはマイクとスピーカー。

 あちらにはマイクこちらにはスピーカー。向こうは指示を与える側でこちらは指示を受ける側。そう決まっているのだ。生まれた時から。いや、生み出される前から。

『筋組織にも異常はなし。いいね。流石にファストやサードとは違う』

 ビクっとセカンの体が震える。

「言うな!」

 声は届かない。しかし、叫ばずにいられない。

「それ以上言うな」

『戦闘データと組み合わせて……うん。今回の戦闘も役に立ちそうだ。あ、セカン。もう帰っていいよ』

 ブツっとマイクの切れる音。セカンはギリリと歯軋りする。




 そもそもの発端は、Schisma当時の人口減少であるそうだ。

 少子化・人口の減少はそれ即ち未来の労働力がいなくなることであり、土台の細いピラミッドは滅亡への序曲を意味する。

 そこで当時の科学者たちは考えた。

 クローン技術を応用させ一から新しい命を生み出せないか、と。

 Schisma以降途絶えていたこの試みに一人の科学者が目をつけ、再び研究は動き出す。人類存続への手段ではなく潜在能力の高い兵士の開発。それが水面下で行われてきたこの研究、通称『ES計画』の目的。

 八人の長官とごく少数の限られた人間しか知らないこの研究は、昨年、一応の成果をあげた。

 『ES計画』二体目の試作品、セカンのHSチーム配属によって。




 メディカルルームを出たセカンは皆が集まっているであろうミーティングルームへ向かった。

「そういえば、昼まだだっけ……」

 出動要請がかかったのは昼より大分前。今は昼食と夕食のちょうど間の微妙な時間。食堂に向かいかけたが、面倒くさくなってやめた。

「セカン」

 聞き覚えのある声に名を呼ばれて立ち止まり、振り返る。四十代前半、金色の髪を一纏めにしたその女性は月基地にいないはずの人物。

 驚きにセカンの目が丸くなる。

「ジェシカ博士?」

「久しぶりー! 会いたかったわ」

 大きく手を広げ近寄るなりジェシカはセカンを抱きしめた。

「ちょ、博士……!」

 慌てて辺りを見回す。幸運なことに近くに人はいない。

「元気だった? 怪我してない? タリム長官の息子に苛められてない?」

 明るい。会わない間に耐性がどこかへ飛んでしまったのか、この明るさについていけない。

 ジェシカ博士は『ES計画』を知る一人で心理学者だ。彼女はセカンが生まれた時から側にいて何くれとなく世話を焼いてくれた。それはありがたいが難点は過度のスキンシップ。

「博士、離して……」

「ん~? 聞こえない~」

 抱きしめたまま、わしわしとセカンの頭をなでる。

「人が、人が来ますから」

「わたし、ぜんぜん構わない」

「おれが構いますって」

 じたばたと暴れるセカンを、ジェシカはようやく解放した。

「顔もよく見せて。よし、いい子」

「……博士、どうしてこっちに?」

 ぐしゃぐしゃにされた髪を直しながら尋ねる。

「うん、フォスがね、仕事の関係でこっちに用があるらしくて、その付き添い」

「フォスがこっちに?」

 セカンの表情が硬くなる。

「夕方のシャトルで帰るからまだちょっと暇よ。セカンが時間大丈夫なら会ってあげなさい」

「いや、おれは……」

 コツコツと近づいてきた足音に二人は振り返る。その先には今話題に出た人物。

「セカン兄さん久しぶり」

 八歳の男の子が抑揚のない声で言った。

「ああ、フォス……久しぶり」

「フォス、ツクミ博士に挨拶はできたの?」

「もうすんだよ。帰ろう、おばさん」

「おい! ジェシカ博士に……」

 セカンが言い終わるより先に、ジェシカがフォスの鼻をつまんだ。

「わたしはまだまだおばさんじゃないわよ」

「そういうの止めてくれる? いつも言ってるじゃないか」

「もう、この子は」

 鼻をつままれたまま表情一つ変えずに淡々と言うフォスに怒った様子もなく、ジェシカはパッと手を離す。

「そうね。じゃあ、わたしもちょっと顔出してくるから、フォスのこと頼んだわよ、セカン」

「え? 博士、待っ……」

「シャトル発射の三十分前には搭乗口にいるから、そこで会いましょう」

 また後でねと、ひらひら手を振ってジェシカは行ってしまった。

 残されたセカンは恐る恐る下に目を落とす。フォスがじっとセカンを見上げていた。

「元気、だったか?」

「愚問だね、兄さん。僕たちは元々ありとあらゆる病原体に対する免疫を植えつけられてるじゃないか」

「……そうだったな」

 セカンはこの弟が苦手だった。

 すべての能力を常人より少し高めにバランスよく配置されたセカンとは違い、フォスは頭脳面だけを強化されたタイプだ。それ故、非常に弁が立つ。昔はそれでも、もうちょっと可愛げがあったのだが。

「ジェシカ博士を『おばさん』よばわりするのは止めろよ」

 とりあえず、さっき気になったことを言っておく。フォスは口の端をくっと上げた。

「あの人は偽善で僕たちと接してるんだ。どうしてそんな人間に敬意を払わなくちゃいけないの? ああ、でも『作られた人間』がどのような精神状態で成長していくのかを間近で観察してるんだから博士と呼んだほうがいいのかもね」

「……」

「ねえ、兄さん忘れたの?」

 暗い声、暗い瞳。ピクッとセカンの片頬が動く。

「僕らはただのサンプルなんだよ。サンプルを大切にする人間なんている?」

 視線に射抜かれ動けない。頭のよすぎるこの弟より長く生きているくせに何も言い返すことができなかった。

 はあ、とフォスは姿に似合わぬ深いため息をつく。

「そうだった、ごめんごめん。わからないよね。兄さんは僕らの中では一番の出来損ないだもんね。ファスト兄さんが失敗作だったからセカン兄さんはレベルを抑えたんだもんね。しばらく会ってないから忘れてたよ」

 じろりと、見上げてくる視線がきつくなる。

「本当に、セカン兄さんを見てるとイライラするよ」

「フォス……」

「僕らは、人間とは違うんだ。INITの役に立たなかったら捨てられておしまいなんだよ」

「……お前、サードの」

 ピクッと今度はフォスの片頬が動いた。

「関係ないよ。あいつは出来損ないだったんだ。話をすり替えないでよ。僕が言ってるのはセカン兄さんの話だ。だいたい、セカン兄さんがいながら、HSチームは何をやってるんだよ。このままじゃSUBに負……」

「おい!」

 ビクリとフォスは身をすくめる。大声を出したことを少し後悔しながらセカンは続けた。

「おれのことは何を言ってもいいけど、HSチームのことは悪く言うな」

「何だよ……」

 先ほどまでと違いフォスの声が揺れる。再び見上げた瞳にはどこか辛そうな悲しそうな色。

「ねえ、兄さん。忘れたわけじゃないだろ」

 セカンは答えない。フォスはゆるく首を横に振った。

「いや⋯⋯忘れちゃったんだね」





 覚えているのは血の色。そして自分を呼ぶ声。


 それは、三年前の話になる。




 その日、セカンは定期検査のためパイロット養成学校からINIT本部に戻っていた。

 住み慣れた我が家であるはずの『生体工学研究所』。しかし、常人より鋭いセカンの感覚が異様な気配を感じ取った。

『何……?』

 うわああああ!

 聞き覚えのある叫び声。フォスの声だ、と認識すると同時に駆け出す。引きつった悲鳴を頼りにドアを開けるとむせ返るような血の匂いで息が詰まった。

 まず目に入ったのは紅い色。そしてその中心にいるのは……。

『サード?』

 半信半疑のまま呼びかける。背中にボコリと盛り上がる肉。太い手足は五歳の幼児のそれではなく、ピクピクと揺れるそれは異様な形状でありえない方向に曲がっていた。

 セカンの声が届いたのかサードは伏せていた顔を上げのろのろと手を伸ばす。

『兄ちゃ……』

 虚ろな瞳、血まみれの顔が網膜に焼きつく。同時にサードの全身から力が抜けそのまま動かなくなった。

『サード……』

 足が震えていた。むせ返るような血の匂いはもう気にならない。

『何で……? 何が…………』

 がっくりと力が抜けその場に膝をつく。

 近づいてきた人影があった。顔を上げると自分たちの生みの親、ツクミ博士がそこにいた。片手には銃を持っている。何故、博士が銃を手にしているのだろう。

『サードは失敗だ』

 ちらり、とセカンを一瞥してそう言う。

『お前は頑張れよ。期待してる』

 そのままいつもと変わらぬ足取りで部屋から出て行った。

 何だ? 何が起こった? 

 グルグルと思考がループする。わからない。理解できない。何も考えられない。

『博士が、やったんだ……』

 緩慢な動作でセカンは震える声に目を向ける。部屋の隅に膝を抱えるもう一人の弟、フォスの姿があった。

『博士がサードをあんなのにして……それで……』

 虚ろな目。淡々と告げられる言葉。フォスの体は震えていた。

『失敗だから、いらないって』

 セカンはサードに視線を戻す。フォスもサードの方へ顔を向ける。

 そこから動けなかった。

 部屋に入ってきたジェシカが悲鳴をあげるまで、二人は呆然とサードを見つめていた。




 ジェシカは『生体工学研究所・月支部』のドアをノックした。返事はないが鍵がかかっていないので中に入る。

「失礼します。お久しぶりです、ツクミ博士」

 一人、コンピュータに向かって作業をしている男に声をかける。

「その声はジェシカくんか」

 先ほどまでセカンの検査をしていた男、ツクミは振り返りもせずに言った。

「はい、博士」

「さっきフォスが来た。あれもHSシリーズに関わるそうじゃないか」

「はい、そのようです」

 笑みを浮かべているのであろう男の背中に頷く。

「セカンもいい結果を残してる。あの二体は成功だな」

「あの二人はよく頑張っていますわ、博士」

 ジェシカは一歩前に出る。カツン、とヒールが鳴った。

「『フィフス』プロジェクトの件ですが……」

「ああ、計画は順調だよ」

 そこにきて初めて、ツクミはジェシカの方を向いた。

「お言葉ですが博士、肉体強化型はリスクが大きすぎます。セカンのレベルが限界かと……」

「セカンは所詮『人間レベル』での最高値を基準にしている。『人間の限界を超えた』成功例がないからこそ挑戦するんだよ。フィフスはファストとサードの失敗を生かし、セカンのデータも参考にしながら作ろうと思っているよ」

 ジェシカは軽く唇をかんだ。

「ファストの失敗をサードに生かせなかった。私はそのように考えております。やはり、無理な肉体強化は無謀です」

「ジェシカくん」

 声音にぞくりとジェシカの背が凍る。

「畑違いの君に口を出される筋合いはないんだけどね」

「……確かにわたしの専門は心理学ですが、このプロジェクトに初期段階から関わってまいりました。重要性も理解しているつもりです。私はせめて、失敗すれば即廃棄など、そのような非人道的なことは止めていただきたいのです。あの子たちは人間です。あなたが作り出した人間なんです。失礼ながら博士、あなたは何のつもりですか? 何のつもりであんな……」

「失敗作に興味はない。それだけだ。現に、セカンやフォスは大事にしているだろ」

 ツクミは肩をすくめる。その目がジェシカを捕らえて光る。

「君はファストの事をまだ忘れられないようだね」

 逆流する感情をジェシカは拳を握って押さえ込んだ。ダメだ。まだ、駄目だ。

「『何のつもり』はこちらの台詞だよ。母親気取りも結構だけどね、私は政府から全権を委任されている。あの二体はINITに役立つように作った兵士のサンプル。それ以上でもそれ以下でもない。わかるね。不満があるなら辞めてもらっても構わない」

「……」

「私は忙しいんだよ、ジェシカくん。用がそれだけならさっさと地球に帰りなさい」

 ツクミはそれきりコンピュータに向かい拒絶を示す。こうなるとこちらの意見に全く耳を貸さないのはよく知っている。

 息を吐いて、ジェシカは部屋を後にした。




 シャトルの搭乗口近くに設けられた待合室で、セカンとフォスは並んで腰掛けていた。発射までまだ一時間以上ある。人はまばらだ。

 吐き気がする、と思った。何に対してかはわからないが、あの時のことを思い出すといつもそうだ。

 頭脳強化型のフォスに対し、サードは肉体強化型と言われていた。人間の体の限界を超える筋力と体力を持った『人』。サードの体は生まれる前に与えられたそれに耐えられなかったのだと後から聞いた。

 あの事件以来、フォスは塞ぎ込んだ。フォスとサードは対として作られ双子のように育っていたのだ。片割れを失った弟の傷はセカンのそれよりも深い。それがわかっているからこそ、セカンはフォスを避けるようになってしまった。互いの顔を見ればあの時のことを嫌でも思い出す。

 頬杖をついたセカンはちらりと隣の弟を見る。

 あれから、会話らしい会話をしていない。行くあてもなくて待ち合わせのここに来た。手持ちぶさだが、フォスをおいて戻るわけにもいかずこうしている

 こんな時ラットだったらどうするだろう、と思う。六人兄弟の長男だという彼は面倒見がよく年下の扱いが手馴れている。考えて止める。ラットならそもそも、こんな状況に陥ってはいまい。

 プラプラと足を動かしていたフォスはその動きを止めポツリと言った。

「兄さんはHSチームが好き?」

 フォスの方を向く。少年は自分の足先を見つめたままだった。

「……うん、まあ」

 曖昧な返事を返すとフォスは、くっと喉を鳴らす。

「はっきりしないね」

 再びプラプラとフォスは床に届かない足を揺らした。

「言ってないんでしょ。自分がサンプルだってこと」

「ああ」

 極秘の研究。知っているのは研究に関わる人間と八人の長官のみ。

「言うなって言われてるからな」

「どうだか」

 フォスは視線を合わさぬまま肩をすくめる。

「言ったらさ、普通に接してもらえなくなるよ」

「かもな」

「かもな、じゃないよ。絶対、さ」

 弟の視線を辿って、彼の足先を見る。小さい靴は綺麗に磨かれていた。

「そうかな」

 ピタリとフォスの足が動きを止める。

「そうとは、限らないんじゃないか」

「甘いね、兄さんは」

「フォス」

 床に視線を落とし、呟くように声を出す。

「おれは……忘れたわけじゃない」

 フォスは再び喉を鳴らした。

「わかってるよ」

 シャトル発射一時間前を告げるアナウンスが流れる。搭乗手続きが始まった。

「僕が月基地に来た理由」

 フォスがポツリと呟く。

「教えてあげようか」

 セカンは訝しげに弟を見た。

「最近は戦闘機の設計をやってるんだ。今回の仕事、僕は正直驚いた」

「何をやるんだ?」

「企業秘密。だけど兄さんには関係のあることだからこっそり教えておくよ。誰にも言わないで」

 フォスはベンチに膝立ちするとセカンの耳に口を近づけ囁いた。セカンの目が徐々に大きく見開かれる。

「……それは、どういう……」

「意味は自分で考えなよ。その頭だって人間よりはいいんだろ」

 ベンチに座りなおしてから反動をつけ、よいしょ、とフォスは飛び降りた。

「ああ、ここにいたのね」

 ジェシカがやってくる。下手なことを言うわけにもいかなくなりセカンはフォスへの問いかけを飲み込んだ。

「早かったのね。ごめん、待たせちゃったわ」

 ジェシカには応えず、くるりとフォスはセカンの方を向いた。

「兄さんにできることはせいぜい馬車馬のように働くことだけさ。そうすればこの事態は回避できるし『サンプル』としてよい結果も残せる。一石二鳥だね。よかったね」

「……何の話?」

 ジェシカが二人を交互に見て尋ねた。セカンは黙り込み、フォスも何も言わずに歩き出す。

「そんなことよりおばさん。もう手続き始まってるから行こう」

「フォス」

 これだけは聞かなければ、とセカンは弟を呼び止めた。

「HSチームは、どうなる?」

 振り返りフォスは顔をしかめる。

「知らないよ。でもきっとそのままだと思うよ。無能なサンプルである兄さんは……わからないけど」

 セカンが押し黙ったのを見てフォスはまた歩き始めた。

「フォス、ちょっと待ってて」

 ジェシカがセカンに向き合う。

 セカンは暗い瞳でそれを見上げた。フォスがここに来た理由をおそらく知らない博士には何も言えない。

「握手しましょう」

 差し出された右手。セカンは躊躇いがちにそれを握る。

「フォスはあなたのことが心配なのよ」

 常ならずひどく真面目にジェシカは囁いた。

「あなたまでいなくなるんじゃないかと思ってるの」

 戸惑うセカンに返されたのは小さな頷き。

「それはわたしも同じ。生きてまた、ちゃんと会いましょう」

 キュッと一度強く握り返してからジェシカは手を放した。

「じゃあね、セカン。体に気をつけて。いつでも連絡しなさいね」

 いつもと同じ明るい笑顔で微笑む。

「博士も元気で……」

「またね」

 軽く手を振って、先に行ってしまったフォスの名を呼びながら追いかける。

 その姿が人に紛れて消え、セカンは右手を見つめた。




「何の話をしてたの?」

 シャトルの中で、ジェシカは隣に座るフォスに話しかける。

「おばさんには関係のない話だよ」

 読んでいた分厚い本から少しだけ目を上げて、フォスは素っ気無く答えた。

「あら、仲間はずれ?」

 微笑んでいたジェシカの顔が不意に真面目なものに変わる。

「……HSチームに、何かあるの?」

「チーム自体に問題はないよ。ただ事態がどんどん進んでる。それだけさ」

 フォスは軽く肩をすくめた。

「兄さんはHSチームが好きなんだってさ」

「あら」

 ジェシカの顔に笑みが戻る。

「あのセカンがそんなことを……それは、素敵ね」

「素敵なもんか。変わんないよ兄さんは。話してるとイライラする」

「兄さんのことをあまり悪く言っちゃ駄目よ」

「血の繋がりはないよ。生まれ方が同じなだけだ。便宜上『兄さん』とは呼んでるけどね」

 話は終わり、とフォスは本に目を戻す。そんなフォスを見て、ジェシカはゆったりと微笑んだ。

「いつか、あなたにも」

 静かで歌うように言う。

「あなたのことを理解し、信じ、愛してくれる人が現れるわ」

「絵空事だね」

 フォスはそう切り捨てた。

「僕らは『サンプル』であることを隠して人と接してる。理解は永遠に得られないよ」

「あなたたちは『人間』。自分がそう信じなくてどうするの」

 フォスは横目でジェシカを睨む。

「たとえ絵空事だったとしても」

 ジェシカは微笑んだまま頷いた。

「そう願ってもいいじゃない。あなたの人生はまだまだこれからなんだから」




 ミーティングルームの戸を開けると中にいた四人が一斉にこちらを見た。

「お帰り」

 ラットが言って口の端を上げる。

「今日は随分遅かったな」

 再び書類に目を落としタースが言う。

「昼ごはん食べた? セカンの分も買っといたんだけど」

 テーブルの上に置かれたサンドウィッチをシュリが指す。

「もう晩御飯に行った方がいい時間ね」

 それを受けてトーカが微笑む。

 セカンは入り口に立ったまま動けずにいた。


『僕が月基地に来た理由、教えてあげようか』


 蘇るフォスの言葉。上層部は一体何を考えているのだ。

 ソラの英雄と担ぎ上げ、最も激しい戦場へ送り出し、それなのに……。

 このことはまだ、言えない。時がくれば自然にわかること。それまでは。

「どうした? 何かあったのか? ん?」

 黙りこんだセカンの頭を近づいたラットがグシグシっとかき回す。シュリとトーカも訝しげな顔でこちらを見、隊長も視線をこちらに上げている。

『サンプルを大切にする人間なんている?』

 チームメートとして、仲間として接してくれる彼ら。

 自分の事情を知ればきっと離れていく。そう思う反面、彼らは変わりなく接してくれるのではないかと期待する自分もいて、結局のところわからない。

 あの日と同じく、痛みを訴える弟にしてやれることは何もない。自分はあの日から何も変わっていない。今はまだ変わらない。

 顔を上げる。いつもの調子を思い出しながら、チームの皆に言った。

「遅くなって、すみませんでした。……夕飯、行く?」

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