原風景
『星が壊れちゃうの?』
セントラル・スターから脱出した船の乗組員の顔は、皆一様に疲れていた。
『ねえ、お母さん。星が、壊れちゃうの?』
無邪気な問いに母はこちらの頭を撫で手を引いて窓際に立つ。たった今脱出したばかりの星がそこにはあった。所々に見える赤い点。あれは、先ほど逃げてきたマグマだろうか。
しかし、朧げに想像していたように、星がパックリ二つに割れたり、炎を吹いて爆発したりはしなかった。ただ悠然と佇むその姿は普段と何ら変わることがないように見える。
『壊れないの?』
『星は人を見て笑っているかもしれないわね』
隣に立っていた母がそうポツリと言った。
首を傾げて見上げる視線に苦笑してまた、頭を撫でる。
『星は私たちなどいらない、と言っているのかもしれないわ』
火山の活動は星が生きている証。
『星がなくなってしまっては、私たちは生きてはいけない。でも、星は人などいなくても生きていけるもの』
寂しげに微笑んで母はそう言った。
そして、それから。
セントラル・スターで生まれ育った母は、宇宙艇での暮らしに耐えられず体調を崩し、そのままあっけなくあの世へ旅立ってしまったのだ。
それからの自分の人生は、それなりに最悪だった。
INIT攻略拠点の小星、ワーク・スター。
本艦隊から援軍がやってきたと聞き、アルスは不本意ながらもそれを出迎えた。
「初めまして、アルスさま」
現れたのは馴染みの戦闘部隊ではない。ひょろりとして眼鏡をかけた男だ。
「ガウルさまより命を受け参りました。『教授』とお呼び下さい」
「無礼な、アルスさまに名を名乗れ」
アルスの隣に立つハイトがいきり立つ。
「ガウルさまは認めてくださいましたが?」
軽く首を傾げてみせる。確信犯か、とアルスは嘆息した。
「では教授。お前は父上の命を受けてやってきたということだが」
「はい、アルスさま」
教授はこほんと咳払いした。
「アルスさまは戦闘において一番重要なものが何かご存知ですかな?」
少し首を傾げてアルスは続きを促す。
「それは『情報』です。僭越ながら、その昔、ガウルさま不在の情報がINITに漏れてしまったがために、INITに手痛い敗北を喫したことがあります。ああ、怒らないで下さい。例え話ですよ」
教授は軽く手をあげ柳眉を逆立てる幹部たちを宥めた。
「『情報』が手に入れば、HSチームなど敵ではありません。早速ですが、私の開発した装置をお試しいただきたい」
「本隊でも使用しているという例のものか」
事前に聞いていた話を思い出し、アルスは言う。
「はい。私の作品、『盗聴機』といいます。我々の戦闘機にはそれぞれ相手の通信を傍受する受信機がついておりますが、相手方が出す妨害電波のため、かなり近づかなければ会話傍受が難しい。これでは宝の持ち腐れ。しかし、私の盗聴機を使えば、相手の通信を傍受・増幅し、味方の機に発信します。これで会話は聞きたい放題。戦略においても極めて重要かと。現物は後でお見せしますが、外見は無人の戦闘機に瓜二つなので見つかる心配も少ない」
「御託を並べおって」
よく喋る男だと感心していたアルスの後ろで、幹部の一人エランドが毒づく。
「正規軍ではすでに取り入れられSOILとの戦いにおいて成果を上げております」
「そうらしいな」
アルスは軽く息を吐く。
SOILは十年ほど前、SUBから離反した一派だ。今も、火星の近くで小競り合いを繰り返しており、そちらの指揮は父親であるガウルがとっている。
父の指揮下の正規軍で使っているものをこちらが拒否するわけにはいかない。
「次の戦闘で実際の性能を確かめたい。協力してくれるな」
「はい、アルスさま」
教授はにんまりと笑みを浮かべた。
幹部たちの視線が痛いが『これで早急にINITを攻略しろ』とのお達しがガウルから出ている。ここは大人しく従っておいたほうが良い。
「難しいお話はすみまして?」
聞き覚えのある女性の声にアルスはピクリと片眉を上げる。
エスコートするように道を譲った教授の後ろから、裾の長いふわりとしたワンピースを着た女性が下りてきた。
「フラウ嬢」
苦虫を噛み潰したようにアルスはその名を呼ぶ。
フラウ・エレカ。SUBの宇宙艇、マザーシップ内部にある最大市民派閥代表の娘。加えてアルスの妃の第一候補だ。
「会いたいから来てしまいました」
「ここは戦場です。あなたの来るところじゃない」
「あら、ガウルさまはいいとおっしゃいましたわよ」
またそれか、とアルスは再び嘆息する。
戦場に女性は不要。これはSUBの常識だ。それを知っていながらやってくるとは。
パフォーマンスが過ぎる。
表に出さぬよう注意しながら内心で呆れる。マザーシップにいる時も彼女は自分の知らない間にアルスが他の女性と関わりをもつことを極端に嫌った。他の女に取られはしないか心配なのだと言うが、本音のところ、とられて困るのはアルスの正妻の座であろう。でなければ、こんな男しかいない前線の基地にまでわざわざ来る理由がわからない。
フラウはそっとアルスの手をとる。
「久しくお目にかかっていなかったものですから」
「お帰りください、フラウ嬢。あなたの身に万一のことがあったらどうするのです」
「アルスさまが守ってくださるのでしょ。だったら私は平気だわ」
花の咲くような、と皆から評される笑みをフラウは浮かべる。
実際、地に咲く花に馴染みのあるアルスにしてみれば、その笑みは随分と機械的なものなのだが。
「アルスさま、フラウさまもこうおっしゃっていますし、今のところINITがここまで攻め込んでくる様子もありません。少しお話をされてはいかがですか? アルスさまも少し、息抜きをされた方がよろしいでしょうし」
幹部の一人、ミネットが口をはさむ。
そういえばこいつはエレカ派の人間だったな、と思い出す。マザーシップの者は皆、いずれかの市民派閥に属している。フラウがアルスの妃になれば、エレカ派はさぞ喜ぶだろう。
「そうだな、折角いらしてくださったのだから。フラウ嬢、片付けなけねばならない雑務が残っているので少しお待ちいただきたい」
「はい、アルスさま」
「クロイツ、フラウ嬢をお連れして」
「はい」
優雅に一礼してから去って行くフラウを見送り、アルスは内心で三度、大きく嘆息した。
「フラウさまは貴賓室にお通ししておきました」
人払いをした執務室で教授が持参した資料に目を通していると、クロイツがやって来て言った。
「二人でお会いになるのですか?」
「ああ」
資料から目を上げるとクロイツが渋い顔をしていた。彼はガウルの側近、クライトの息子で、強いて言うならガウル派の人間。だからこそ、アルスの側近くにいる。
「どうした? 苦い顔をして」
「お言葉ですが、どうもフラウさまはパフォーマンスが過ぎるきらいがあるかと……」
同じことを考えているのかと、アルスは思わず苦笑した。
「大方、彼女の父上の差し金だろう。しかし、こちらとてエレカ派を味方につけておけるのは大きい。せいぜいこのパフォーマンスを利用させてもらおう」
「しかし、アルスさまはSUBを継がれるお方。そうでなくともエレカ派はガウル様の治世に反し裏で工作を行っていると聞きます。あまり懇意になるのもいかがなものかと」
「しかしまあ、フラウ嬢を婚約者に仕立てたのも父上だ」
アルスは肩をすくめる。
「エレカ派を押さえる狙いもあるのだろう」
「そうでは、ありますが……」
「それに、正直なところ、オレには後ろ盾が何もない」
SUBは一夫多妻。兄弟の中で勝ちあがっていくには生まれた順と母親の後ろ盾が物を言う。アルスの母親はセントラル・スター統率者の一族であったが、一族郎党のみならずセントラル・スターにいたほとんどの者が、星と運命を共にした。そもそも、マザーシップの人間たちは『星出身』のものを劣った者として扱う。生まれながらにしてアルスは、不利なのだ。
母を早くに亡くしたアルスは、権謀術数の真っ只中で後ろ盾がまるでない。それは、宇宙空間に生身のまま出るのに似ていた。これまで生きてこれたのは、ガウルの第一子であるという事実。ただそれだけ。
それ以外の寄る辺は今のアルスにはなかった。これからもそれにすがって生きていくしかない。
「オレとしてもエレカ派を味方につけておけるのは大きいよ。父上はどうも、オレを好きではないらしい。実際のところ、リウスに後を継がせたがっている」
リウスは母親の違うアルスのすぐ下の弟だ。この頃はいつもガウルの側にいるという。
「そんなことは! リウスさまは、失礼ながら女性関係がだらしなく、SUBの者たちは皆、アルスさまに後を継いでいただきたいと思っております」
「だといいのだが……すまないな、クロイツ。いつも愚痴ばかり聞かせて」
「いえ、わたしでよろしければ、何時なりと」
クロイツは親しげな笑みを浮かべる。
「わたしは幼き頃よりアルスさまと共に育ってまいりました。僭越ながら、あなたさまのことは誰よりもわかっているつもりです」
「ありがとう。頼りにしている」
アルスも笑みを返す。
「さて、そろそろ行かなければな。すまないが、フラウ嬢に『これから伺う』と伝えてくれないか?」
「承知いたしました」
一礼して、クロイツは部屋を出て行く。
「さて」
それを見送ったアルスの顔から表情が消える。
「これで、クロイツの口からこちらの意向が伝わるだろう」
クロイツに言ったことは、気持ちは嘘ではない。
マザーシップでの後ろ盾が何もないアルスが母親の違う兄弟たちの中で勝ち上がっていくには、利用できるものは何でも利用する。それだけだ。
クロイツの口からこちらの弱気を知ったクライトは、後継ぎにアルスを推す動きを強めてくれるに違いない。リウスが次期SUBの王となれば、幼い頃から息子をアルスの側においた苦労が水の泡。最悪、閑職に飛ばされる可能性もある。彼らはアルスにとって有利に動く。
「次はフラウ嬢か」
ポケットに小型の機械を忍ばせアルスは部屋を出た。
足早に貴賓室へ向かう。戦闘の最前線に不必要な貴賓室も、とりあえず一度はその役目を果たせたようだ。部屋の前に立っていたクロイツに頷き、そのドアを開ける。
「お待たせしました」
フラウはアルスを見てカップを置いた。
「INITはどうですの? アルスさま」
「そうですね、HSチームに多少、梃子摺ってはいますが、それも時間の問題ですよ」
アルスはフラウの向かいの席に腰を下ろす。
「アルスさまが梃子摺るなんて、HSチームは強いのですね」
「無理に攻め込むと、マザー・スターの環境に影響が出るという理由もあります」
カップをとり中身を軽く揺らして、フラウは小首をかしげた。
「環境など気にせず、一気に攻め込んでしまえばよろしいのに」
「そういうわけにはいきません。マザー・スターは今のところ、環境を変化させずとも我々が暮らせる唯一の星ですから」
「私、ずっと疑問だったのですけど」
フラウは言う。
「私たちが星に住む必要がありますの?」
ピクリ、とアルスの手が動く。
「星の上で暮らさなくてもよいと思います。私たちは今までそうしてきたのですもの。星で暮らすなんて野蛮で、恐ろしいことですわ。私たちの知らないような病気もあると聞きますし、空気も浄化されていないのでしょ。それに、人の住めるように整えても、いつ崩壊するかもわかりません。セントラル・スターがいい例ですわ。そんなところで暮らすのは不安です」
星で暮らすことが野蛮だという考えがあることをアルスも知っている。だからこそ『星出身』の者は劣っている、と言われる。いくらガウルさまの子とはいえ星で育ったような人間を王としてもよいものか。幼い頃は、目の前でそんな陰口を叩く輩もいたぐらいだ。
そして、その考え方はエレカ派を中心とし今もなお広がっている。
アルスの脳裏に脱出船から見たセントラル・スターが蘇る。
あの星は生きていた。星で暮らす事が決して野蛮でも危険でもない事は身をもってよく知っている。人が真に生きていくためには星が必要であるということも。
しかし、それを彼女に、エレカ派代表の娘に言ったところで仕方がない。一生誰にも理解してもらえぬ考え方だと思うが、ガウルの長男であっても思考ぐらいは自由だろう。王の意向に反しているわけでもなし。
そう、王の意向。
「アルスさま?」
伺うように上目を使うフラウにアルスは微笑む。ホッとして、フラウは更なる言葉を紡ぎ出す。
「ねえ、ですから、INIT攻略などを行わずともよいではありませんか」
言質はとった。おそらくフラウはこれを言いに来たのだろう。ポケットの中の小型機械は正常に動いている。アルスは微笑んだまま告げた。
「それはエレカ派の意見ですか?」
フラウの表情が凍る。
「マザー・スター政策は必要ない。エレカ派を代表してそうおっしゃっているのですか?」
「……いいえ、アルスさま。私個人の、意見ですわ」
「そうですか。お気をつけ下さい。あなたは、あなたの言葉がエレカ派の意見ととられても、文句は言えない立場の方だ」
「はい。申し訳ありません。ガウルさまの『マザー・スター政策』に非を唱えるつもりはなかったのです」
マザー・スターを奪い返す。歴代のSUBの王が提唱してきたこの『マザー・スター政策』は実際のところ『星は劣ったもの』とする市民たちに受けが悪い。しかし、昔、INITに手痛い打撃をこうむったガウルは歴代の王にも増して、マザー・スター奪取に積極的だ。
王の政策に異を唱えれば処罰は免れない。また、ガウルはその手のことに容赦はない。
エレカ派も愚かなことを、と思う。身内の自分にそれとなく告げれば何かが変わるとでも思ったのか。おめでたいことだ。
「ならばそれで構いません」
体を少し強張らせたままのフラウにアルスは続ける。
「父上には黙っておきましょう。あなた個人の意見なら」
「……はい。アルスさま」
アルスは立ち上がってフラウに手を差し出した。
「お帰りください、フラウ嬢。お父上にもよろしく」
マザー・スターへ戻る船の中でフラウは通信を開く。
「お父様、駄目だったわ。アルスさまもマザー・スター政策を支持している」
『詳しい話は帰ってから聞く。あまり秘匿通信を信用するな、フラウ』
父親の言葉に頷き事務的な連絡をしてから回線を切る。
アルスの余裕に満ちた笑みを思い出しフラウはギリギリと歯を鳴らす。抜け目のないアルスのことだ、先ほどの会話は録音されていただろう。
勝算はあったのだ。アルスは父親を嫌っている節がある。さらに少数の部隊で戦闘の最前線に立たされていることへの不満も当然あるだろう。そう思って仕掛けたが、アルスの父親への忠誠心は意外にも強かった。
どんどん遠ざかっているこの背中の向こうにはマザー・スターがある。フラウは生まれも育ちもマザーシップだ。星など未開発の野蛮な場所でしかない。
「誰があんな泥臭いところで暮らしたいものですか」
「それではアルスさま、今回の戦闘から『盗聴機』を使わせていただきますので」
「ああ、ハイトとよく打ち合わせをしておけ」
「心得ました」
恭しくわざとらしい礼をする教授の隣で、ハイトは苦い顔をした。
二人が出て行ったあと、アルスはスクリーンにマザー・スターを映し出す。
どこかセントラル・スターを思い出させるあの星は、アルスの立場を確固にするための足がかりでもある。
「もうすぐ、手に入れる」
緑の星は静かにたゆたうばかりであった。
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