MAN or WOMAN
INITにおいて名士と呼ばれる家が概ねそうであるように、カース家は長官職を継げる男子を期待していた。
INITにおいて名士と呼ばれる家が大概そうであるように、カース家の親戚は女の子を一人しか生めなかったシュリの母親を責めた。
しかし、INITにおいて名士と呼ばれる家では滅多にないことだが、シュリの父親は親戚に長官の座を譲った。
自分は男であるがそういったことに向いてない。新しい妻をめとって後継ぎを生ませる気もない。そこまで言うのならさし上げましょう。そう言って。
INITにおいて名士と呼ばれる家が皆そうであるかは知らないが、シュリはそんな両親に愛され、物心両面において豊かな環境の中で育った。
それなのに、こんなところにいる自分は親不孝者だと思う。
ゴロンと自室のベッドに寝っ転がった。
「やたらと筆まめなのよね」
呟いて私的に送られてきたメッセージを読む。元気にやっているのか、怪我をしていないか、そういったことがこまごまと。差出人は父親だ。
「母さんより筆まめじゃないの。全く……」
返事を送らなければ、何かあったと思われそうなのでシュリはすぐに返信文を考える。
そういったところは父親に似なかった彼女はその日一日の疲れもあって知らず知らずのうちに眠っていた。
多分、原因はそこにある。けれどそんなのは目覚めた後で気づくこと。
その夜、シュリは幼い頃の夢を見た。
「何であんな余計なことしたのよ!」
ミーティングルームの机をバンと叩きシュリは叫んだ。
「余計なことってどういうことだよ」
受けて立つのは彼女の向かいに立つラット。
プシュッと軽い空気音が漏れドアが開く。
「どうしたんだ?」
入ってきたタースは部屋の隅で静観しているセカンとトーカに尋ねた。
「喧嘩です」
「見ればわかる」
「さっきの戦闘のことでちょっと」
セカンの言葉にタースは眉をひそめた。
長きに渡り戦闘状態が続くINITとSUB。INITの精鋭部隊HSチームは今日も月基地から戦いの場へ赴いた。幸いにして今日は無人機相手の小競り合い。たいした苦労もなく帰還したのはつい三十分ほど前の話。
「かいつまんで説明しますと」
どこに問題があったのか理解できず眉間の皺を深くするタースにトーカが淡々と解説する。
「シュリが先ほどの戦闘中、一度だけ敵に不覚をとりました」
「そうだったな」
無人機ばかりとはいえ今日は数が多かった。HSチーム1の撃沈数を誇る、言い換えれば敵の真っ只中へつっこんでいくシュリは一度だけ敵に囲まれロックオンされた。
「しかし、ラットが周りの敵を撃ち落して事なきを得たじゃないか」
タース自身も一瞬ひやりとしたが、すぐ傍にいたラットの迅速な行動でシュリは今もこうして元気に怒鳴っている。
「それが気に食わないそうです」
「誰の?」
「シュリの、です」
「何故だ? ラットに礼を言いこそすれ、責める理由は見当たらないが」
「そこが難しいところですよ、隊長」
言ってトーカは笑う。
「だいたいね、あれくらいの包囲網、すぐ抜けられたわよ」
「嘘つけ、嘘を。あれをどうやって回避するんだよ」
「あたしならできます」
「できませんね。誰にも無理です。せっかく助けてやったんだから礼ぐらい言え」
「あーら、お礼を言ってもらいたくて助けたの? それはご苦労さま」
「馬鹿! ピンチだったら助けるのは当たり前だろうが。何言ってんだこのじゃじゃ馬」
「じゃじゃ馬ぁ? じゃじゃ馬で悪うございましたね。こんなじゃじゃ馬助けても、一文の得にもなりませんことよ」
「お前、二度と助けてやらんぞ」
「ええ結構よ。その方がせいせいするわ」
「いい加減にしろ、二人とも」
睨みあう二人の間にタースが割って入る。
「シュリ、お前が悪い。ラットに謝れ」
勢いのまま開きかけた口を閉じ、シュリはふいと顔をそむけると部屋から出ていった。
「シュリ!」
「あーイラつく。ちょっとジム行ってきます」
ズカズカと大股でラットも部屋を出ていく。タースは深いため息をついた。
「全く、あれじゃあ次の戦闘に支障をきたすぞ。トーカ」
「了解です、隊長」
軽く敬礼してトーカも部屋から出ていく。
「責任転嫁ですか?」
「適材適所だ。俺はこれからHS-1の機体の打ち合わせに行ってくる」
俺はあいつらの親じゃないぞ、と言いながら部屋を出るタースをセカンはおざなりな敬礼で見送った。
ミーティングルームを出たトーカは少し考える。どちらに先に行くべきだろうか。
やはり、より興奮している方だろうとシュリの部屋へ足を向ける。ラットはジムに行ってることだし、ストレスを運動で発散するまでしばらく放っておこう。
シュリの私室の前に立ち、コンコンとドアをノックする。返事はない。しかし、在室を示すランプが点いていた。そして、シュリは落ち込むとベッドの上で膝を抱える癖がある。
「入るわよ」
鍵はかかっていないようだ。キーを軽く叩くとドアが開く。
暗い室内に、予想通りの姿でシュリはいた。灯りをつけドアを閉める。抱えた膝に俯いていたシュリは恨みがましそうに顔をあげた。
「何よ」
「その体勢、学生の頃と同じだと思って」
拗ねたのか、シュリはふいと横を向く。
「トーカは昔っから大人よね。あたしより二つも下のくせに」
「そう?」
「優しいし美人だし」
「お世辞言っても何にも出ないわよ」
長くなりそうなので、トーカは傍にあった椅子に腰掛けた。
「トーカ」
「何?」
「隊長に言われてお説教しに来たんでしょ」
お説教。トーカは思わず苦笑する。
「さあ」
「あたしが悪いってことぐらいわかってるわよ」
「そう」
「でもムカついたんだもの」
「そ」
可哀想なラット。
「ねえ、シュリ。何で今日はムカついたの? ラットがシュリのフォローに入るのはいつものことじゃない」
「今日は……夢見が悪かったからよ」
……可哀想なラット。
内心で呟いてトーカは小さく肩をすくめた。
「それで、どんな夢を見たの?」
小首を傾げてトーカは訊いてきた。
夢見が悪かったと思わず口走ってしまったが、シュリとしてはその内容を言うつもりはない。
「……小さい頃の夢よ」
それだけ答えて口を噤む。こちらの様子をしばらく伺い、トーカも黙った。
時計の表示だけが静かに変わっていく。細やかに動く秒が五十九を示し、0に戻る。それを数度繰り返す。
トーカはいつまでいるつもりなのだろう、と思う。彼女のことだ、こちらが口を開くまでここにいる。
時計の秒が再び0を表示したのをきっかけに、シュリは沈黙を破った。
「あたしの母さんはね、男の子が欲しかったのよ」
「男の子?」
トーカの方を見ずにシュリは頷いた。
「だけど、生まれたのは女の子。長官職は男じゃないとなれない。伝説にまでなったマイラ叔母さんだって、長官にはなれなかった。あたしは一人っ子であたしが女だから、いろいろ親戚とかがうるさくて……父さんが長官職を譲って解決したと思ったけど、お前のせいで父さんが苦労したって母さんを責める人もいた。母さんはあたしの前では笑ってたけど、影でこっそり泣いてたの」
トーカは何も言わない。しかし、話を聞いてくれているのは気配でわかる。
「ショックだったわ、本当に。あたしが悪いんだって思った。今でも時々夢に見るの。それを昨日たまたま見た。それだけよ」
話はおしまい、とトーカを見ると、彼女は静かに微笑んだ。
「だからシュリはパイロットになったの?」
うん、とシュリは頷く。
「あたしは叔母さんに憧れてた。並み居る男どもを押しのけて英雄にまでなった叔母さんみたいになりたいってずっと思ってた。だから、HSチームに配属された時、嬉しかったわ」
「そう」
「トーカだって、伝説のHSチームに入れて嬉しかったでしょ」
「私は……そうでもなかったかな」
「え?」
後半の小声の呟きを聞き取れず、シュリは聞き返した。トーカは笑って小さく首を横に振る。
「そうね、HSチームにシュリがいて嬉しかったわ」
「それはあたしもそうよ。トーカがいるとは思わなかった」
学生時代は二歳差を乗り越え仲がよかった二人だが、卒業後は別々のチームに所属していた。ゆっくり話をする機会はなく、同じチームになることすら噂で初めて知ったのだ。
「いいメンバーに恵まれてると思うわ」
いたずらっぽく笑い、トーカは付け加える。
「ラットもいい腕を持ってるしね」
トーカがここに来た理由を思い出しシュリは眉根を寄せた。
「でもあたしあいつは何かムカつく」
「あらあら、どこが?」
「何かいっつも余裕だし。『突っ走んな』とか『大丈夫か』とかうるさいし。あたしのフォローに回る形で戦ってるくせに撃墜数はやたらと多いし」
「全部長所じゃない」
「どこが」
「ラットはシュリのこと心配してるのよ」
「なめてるのよ。あたしだって伊達にHSチームにいるわけじゃないのよ。心配なんてしてくれなくても、あたしはやれるわ。第一、あたしが女じゃなかったら、あんな風に言わないでしょ」
「そうねえ……それはそうなんだろうけど、難しいわねえ」
珍しく歯切れの悪いトーカにシュリはまくし立てる。
「それがムカつくの。バカみたいにジムで鍛えて体力はあり余ってるし、咄嗟の判断が確実だし、操縦技術だってすごいし、何かムカつくのよ、あいつ」
「シュリはラットのことよく見てるわね」
「いやでも目に入るのよ。一応、組んで飛んでるから」
「それに今のは全部、誉め言葉よ」
「誉めてるつもりはないんだけど」
トーカは笑った。
「ライバル視ってところかしら」
「……ライバル?」
シュリは嫌そうに顔をしかめる。
「自分にないものを持ってるから、ムカつくんでしょ」
キュッと唇を結んで考える。
「それは……あるかもしれないけど」
「嫌いなわけではないんでしょ。仲間として、一番力を認め合ってるのはシュリとラットだと思うわ」
「……確かに、あいつの力は認めるわ。けど」
「けど?」
けれど。
「やっぱり何か、ムカつくのよ」
格納庫の一角で簡単に打ち合わせを終えると、ミサキはタースに資料を手渡し機体に向かった。
「それでトーカちゃんを行かせたってわけ?」
問いにタースは頷く。
「あきれた。職務放棄じゃない、隊長さん」
資料の該当箇所を指差し機体を振り仰ぐ。ミサキの視線の動きを追ってタースは資料にチェックを入れた。
「損傷箇所は完璧に直ってるな」
「当たり前よ。誰が整備してると思ってるの」
「シュリとトーカは学校で一番仲が良かったそうだ」
「そうなの? でも二人って年離れてるでしょ」
「シュリが三年の時トーカが一年で入ってきたらしい。女子は数が少ないから、学年を越えた知り合いも多いそうだ」
タースはミサキに資料を返した。
「それにシュリは有名人だからな。目立つ」
「初代HS-3の姪っ子、か」
「羨ましい話だ」
ミサキは呆れたように笑う。
「本当に、タースくんは初代HSチームが大好きだねえ」
タースは黙って手近な椅子に腰掛ける。
「まあ、シュリちゃんの気持ちもわかるけど」
「あれはただのヒステリーだ」
「そう言っちゃかわいそうよ」
スパナやレンチ、ベアリング、ボルトにナットとこまごましたものが散乱した机の上に資料を放り出し、ミサキは自分のカップにコーヒーを注ぐ。
「飲む?」
「いや、いい」
カップの中身をくるくる回して、ミサキはタースの隣の椅子に座った。
「くやしいのよ、やっぱり。男にできて自分にできないっていうのが」
「そんなもんか?」
「男社会は女に優しくないのよ」
ずずっとミサキはコーヒーをすする。
「どんなに鍛えたってね、腕力で男にはかなわないのよ。自分が苦労して持ち上げたものを男はひょいと持ち上げる。どうしようもなく自分にムカつくわね。そんな時、重いだろうからって持ってもらったら余計に」
「重いものを持ってやるのは腹が立つのか?」
「仕事の時はね。自分が女だから迷惑をかけてるわけじゃない」
「しかし、仲間が困ってるのなら助けてやるのは当然だろ」
「助けてもらったら助けたいじゃない。でも、こっちが助けられることなんてほとんどない。男社会っていうのはね、女がいなくても成り立つからこそ男社会なのよ」
ミサキはちょっと肩をすくめてみせる。
「驚いたな。ミサキがそんな風に考えていたなんて」
「ま、こんな仕事してれば嫌でもね。あたしもさあ、重いもの持ち上げらいのが悔しくて月基地に配属希望したようなもんよ。ここは地上より重力ないでしょ」
「……前は、俺の機体を整備したいからだって言ってなかったか?」
ポツリと呟いたタースの言葉にミサキは意外そうな目をして、そして声をあげて笑い出した。
「大丈夫だよ、タースくん。それもあるから」
ジムのドアを開けるとそこにいたのはただ一人。腹筋台に逆向きに寝そべったラットだけだった。
サンドバックの下にグローブが放り出している所をみると、ストレス解消は終わったようだ。
「シュリ怒ってただろ」
「まあね」
トーカは近くのバーベル上げの台に腰を下ろす。
「前にも言ったでしょ。好きな女に八つ当たりするなって」
「今日のは完全にシュリが悪い」
ラットはむっくりと上半身を起こす。
「敵に背中をとられるようなへまをした」
くすり、とトーカは笑った。
「あいつ危なっかしすぎるんだよ。挙句、フォローに入るなとか言うし。ああ、痛い痛い。嫌われましたな、完全に」
「嫌われてはいないわよ。『ムカつく』とは言ってたけど」
「それ充分、嫌われてる」
視線を向けないままトーカは、でもねえ、と続ける。
「シュリはラットのことをライバルだと思ってるみたいから」
ガタンと腹筋台の方で何かが落ちる音がした。
「……それは、トーカさん。オレとしては喜ぶべきなのか悲しむべきなのか落ち込むべきなのか」
トーカは立ち上がってドアの方へ歩き出す。
「まあ頑張って。道はまだまだ長いから」
一度だけ振り返ると、ラットがこちらに片手を上げていた。
タースがミーティングルームに戻ると、しばらくしてラットとシュリが二人で部屋に入ってきた。
仲はいたって、普段通り。
トーカの方をちらりと見ると、にっこりと笑みを返されたのでうまくいったのだろう。
安心して、タースは書類に視線を戻した。
そして。
「何であんな余計なことしたんだ!」
ミーティングルームの机をバシっと殴る音がした。
「何よ、その言い方。助けてもらったくせに」
先の喧嘩から三日。トーカの尽力でラットとシュリの仲は元に戻ったと思っていた。
しかし。
「今度は何だ」
疲れたようにタースは言う。
怒鳴るラットに受けて立つシュリ。この前とは立場が逆だ。
「さっきの戦闘で、シュリがラットを助けたじゃないですか」
「ああ」
セカンの説明にタースは頷く。
今日の戦闘もほんの小競り合い。しかし、体勢を崩したラットが包囲され危ない場面があった。そして、それを助けたのはシュリ。
「それが気に食わないらしいです」
「ラットが、か?」
「はい、隊長」
傍観者たちの見ている前で言い争いは続く。
「だいたいあれくらいの包囲網、すぐ抜けられるんだよ」
「嘘よ、嘘。どうやって回避するのか見せてもらいたいものね」
「やってやろうじゃないか」
「無理無理、絶対無理」
「お前なんかに助けてもらわなくったってよかったんだよ」
「仲間がピンチだったら助けるのは当然でしょ。それともあたしが女なのが気に食わないわけ?」
「ラットにすればフォローの分だけシュリ自身の守りが手薄になるから手を出されるのは嫌でしょうね」
二人を見物していたトーカが視線を外さぬまま呟き、小さく肩をすくめる。
「シュリはラットを守れてご満悦のようだけど」
二人の言い争いはエスカレートしていく。
「女だからなんて言ってねえよ。お前は何も考えずに突っ走っていくのが取り得だろうが」
「人を猪みたいに言わないでくれる? あたしだって考えなしにつっこんでってるわけじゃないのよ」
「考えなしだろ。ほいほい前に出やがって」
「あれは戦略よ」
「ど、こ、が。ふらふらしやがって。お前の後ついてくのは大変なんだよ」
「ついて来なくて結構。別に、トーカやセカンに援護してもらうし」
「お前みたいな奴のフォローできるのはオレぐらいしかいないだろうが」
「……お前ら、いい加減にしろよ」
タースは自分の眉間の皺が増えていくのを確かに感じた。察してトーカとセカンは、そっと壁際まで移動する。
「ま、あんたはあたしの後ろからのこのこついてくるのが似合ってるからね」
「人を腰ぎんちゃくみたいに言うなよ。ついて行ってやってるんだよ。オレがいないと何にもできないくせに」
「できるわよ。ラットこそあたしがいなけりゃ何にもできないんじゃない?」
終わらない喧騒に、タースは大きく息を吸い込んだ。
雷が落ちるまで、あと一秒。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます