守りたい人

 HSチームの隊長であるタースは非常に真面目な人間だ。


「隊長って女と付き合ったことあるのかな」

 ボソリとラットが呟く。

 ここはHSチームのミーティングルーム。

 話の主役、タースは会議中。シュリはさっき隊長の代わりに呼ばれていった。特に予定のない三人はここで好きに時間を過ごしているのである。

「ないんじゃないの」

 軽く腹筋をしながらセカンが答えた。暇な時間はいつも体を鍛えることにしているそうだ。

「そう言う僕ちゃんは、付き合ったことあるのかな」

「ガキ扱いすんなよ。……ないよ。そう言うラットは?」

「ま、大人にはいろいろありますがな」

 セカンは十六歳、ラットは二十四歳。子ども扱いは仕方ないとわかっていながら、セカンは眉根を寄せた。

「大人なラットさんは今、誰かと付き合ってるのかしら」

 自分で入れた紅茶を飲んでいたトーカが尋ねる。

「いいや。今はいない。トーカは?」

「私は誰とも付き合ったことないわよ」

「トーカみたいな美人さんが? じゃあ、一丁オレと付き合ってみる?」

「いや」

「即答かよ」

「真剣に言ったんだったら、もっと考えてから断るけどね」

「さいですか」

 トーカがちらりと見ると、セカンの眉間のシワは消えていた。

「で、何で隊長の恋愛話なの?」

「あの人、顔はそこそこいいけど朴念仁っぽいから」

 コーヒーを啜るラットの手にある雑誌は、女性が読むものではないようだ。トーカは何となく納得する。

「ラット、その雑誌、シュリと隊長に見つかる前に隠しといた方がいいわよ」

「ん、そのつもり。今日のシャトルでこっちに来たダチに貰ってさ」

「今日、シャトル来たんだ」

「馬鹿馬鹿しい」

 腹筋を終えたらしいセカンが汗を拭って立ち上がる。

 プシュッと空気音がしてシュリが入ってきた。やばっと呟いて、ラットは雑誌を他の雑誌の山の中に隠す。

「どうしたの?」

「隊長に彼女はいるのかって話をしてたのよ」

 そ知らぬ顔で答えたのはトーカ。セカンはまた、馬鹿らしい、と呟いてダンベルを手にする。

「ふうん」

 持っていた資料をパサっと机の上に置き、シュリはしばし考えた。

「いたんじゃないかしら」

「え?」

「隊長に彼女」

 ええっと、ラットとトーカの声がハモり、セカンも手を止めシュリを見る。

「マジですか? シュリさん」

「マジですよ、ラットさん。あ、でも彼女じゃなかったわ。確か……」

 小首を傾げて考えてシュリは小さく笑って言った。

「婚約者がいたはずよ」




 会議を終えた後のタースは機嫌が悪かった。

「何がもっと撃墜数を上げろ、だ」

 ずかずかと音を立てるように廊下を進む。

『このままじゃ確実に負ける』

 キョウの言葉が脳裏をよぎる。上は何らかの対処をしているはずだ、とも言っていたが、実際の所はどうなのだろうか。

「イブキ長官にそれとなく聞いてみるか」

 長官は今日の会議にも出席していなかった。忙しい人なのだ。仕方がない。必要な場合は個別に連絡をとっているので支障はないが、それならば何のための会議かと、頭が痛くなる。

 ミーティングルームに入ると四人の視線が一斉に集中した。

 視線の質が普段と少し違う気がしたが、机の上に置かれた雑誌やおやつを見てイライラが増す。

「ミーティングルームでくつろぐなといつも言っている」

 つかつかと大股に、四人のいる大きな円状の机から少し離れた作業用の机についた。

 ちらちらとした視線を感じるが、こちらの怒りを感じてか何も言ってこない。

「あ、隊長。先ほど上から連絡がありまして、HS-1の新しいエンジニアが本日到着したそうです」

 タースの機体、HS-1専属のチーフエンジニアが過労で倒れたのはつい先日のことだ。

「確か人選が難航していて、来週のシャトルでこっちに来ると聞いていたが」

「それがどうやら決定して即、こちらへ来たようです」

「事前に言ってもらわなければ困るのだがな」

 シュリが持ってきた資料を受け取り机の上に置く。少しバラけたそれを再度手にとり端をそろえて、机の角に沿うように置きなおした。

「相変わらずマメっすね」

 ラットの呟きにピクリと頬が動く。

「マメで悪いか」

「いいえ。悪くありません。大事なことです、はい」

「隊長、どうそ」

 トーカがコーヒーを机の上に置く。

「ああ」

「あ、それから隊長。後でそのエンジニアの方が挨拶にこられるそうです」

「ここにか?」

「はい」

「じゃあ、その辺の雑誌と菓子を片付けろ」

 ラットが素早く立ち上がって雑誌の山を手際よく袋につめる。

「ちょっとラット。あたしが持ってきた雑誌もあるんだから一緒にしないでよ」

「あーうん。一旦、オレの部屋へ運んで、後でまた持ってくるからその時に」

「もう持ち込むな」

 声を抑えた忠告も、聞いているのか、聞く気がないのかはわからない。

「ラット、袋貸しなさいよ。あたしの分だけ貰うから」

「うーん、じゃあ、シュリのは後で部屋へ持っていってやるよ。面倒くさいだろ、分けるの」

「いいの? じゃあお願いね」

「おう」

 明るい顔になって、ラットはミーティングルームから出ていく。

「勝者、ラット」

「馬鹿馬鹿しい」

 お菓子を片付けながら呟くトーカとセカンにシュリは首を傾げた。

 それを横目にタースは資料に手を伸ばす。挨拶にくるのなら、エンジニアの名前ぐらいは知っておかなければならない。コーヒーを一口飲み、ページをめくった。

 バサっと紙の落ちる音に、三人は彼らの隊長を振り向く。

「あいつ……」

「隊長?」

 そのまま微動だにしないタースとそれを不審そうに見守る三人。

 プシュッとドアが開いた。入ってきたのはラットと若い女性。

「ここ探してたんで、案内してきました」

 ラットが目をやると、女性は背筋を伸ばして敬礼した。

「初めまして。ミサキ・ルエと申します。今回、HS-1のチーフエンジニアとして配属されました」

 タースを除く四人は敬礼を返す。

「新しいエンジニアの方って女性の方だったんですね」

「女の機械屋が来るなんて珍しい」

 にこやかに言うトーカと口の中で呟くセカン。

「ミサキ……」

 ゆらり、とタースが立ち上がる。

 ミサキは自分の機のパイロットに、にかっと笑った。

「久しぶり、タースくん」




 空気が固まった。ラットたち四人は目線で会話を交わす。

『タースくんって言ったわよね、今』

『くんって顔かよ、あれが』

『二人は知り合い?』

『何にしても隊長、機嫌悪いのに……』

 タースはどさりと再び椅子に腰をおろし、机に肘をつき頭を抱える。

「何でよりによってお前が」

「失礼ね、タースくんは。イブキ長官から直々に命を受けたのよ」

「あの人は何を考えて……」

 深まる苦悩。

 ついていけない四人を代表して、シュリが口を開いた。

「隊長と、お知り合いですか?」

「はい。私はタースく……中尉の婚約者です」

 ラット、セカン、トーカが顔を見合わせる。シュリはポンと手を打った。

「そうか、ルエ家ってあの」

「はい。タースくん……中尉のお宅とは隣同士で」

「幼馴染の婚約者かよ」

 ラットが小さく呟く。

「帰れ。即刻、地球に」

 タースの地を這うような声。

「ひどいなあ、タースくんは」

「くん付けは止めろ。公私混同をするな」

「はいはい、タース中尉」

 笑ってタースの傍に近づく。

「顔を見せてよ。久しぶりに会ったんだからさ。ね、タースくん」

「人の話を聞……」

 思わず顔をあげたタースの目にミサキの顔が間近に映り、思わず顔をそむける。

「あー照れてる」

「照れてない。……何で来た」

「志願したんだよ」

 ミサキは笑った。

「他でもない、タースくんの機を整備したかったの」

 その言葉にタースは改めて婚約者を見る。

 よく考えると、本当に久しぶりなのだ。HSチームの隊長に就任して以来、ほとんど地球に戻っていない。帰ったのはただ一度、このチームの顔合わせの時で、当然ながらミサキと会ってはいない。会っては、いないのだ。

 タースは立ち上がって、そっとミサキの肩に右手を置く。微笑みながらミサキはピンと人差し指を立てた。

「タースくんの機だったら整備不良で落っこちても一蓮托生できるでしょ」

「……だから、帰れと言ってるんだ、お前は!」

 肩に置いた手に寄りかかるように脱力する。

「何言ってんの。ここに配属されたんだからそう簡単に帰れるわけないじゃない」

「……イブキ長官に連絡する」

「あらあら、そんな私用で連絡しても構わないわけ? 隊長さん」

 くっとタースは左の拳を握り締めた。

「お、お前の整備した機体に乗れるか!」

「HSにあたしを引き抜いた、イブキ長官を信用してないんだ」

「いやそんなことはない」

「でしょ。先代のHSチーム大好きだもんねえ、タースくんは」

「ちがう、論点はそこじゃなく」

 永遠に繰り返される水掛け論を蚊帳の外の四人は静かに見守った。




 パリっとお土産に貰ったクッキーをかじる。

「珍しいものが見れたねえ」

 入れなおしたコーヒーを啜りラットは呟く。

 ミサキさんは整備クルー達の部屋へ戻り、隊長殿はそんな彼女へ資料を渡しに出かけていた。

「ラット、クッキーの欠片ポロポロ落としてたらまた隊長に叱られるわよ」

「へいへい」

「すでに尻に敷かれてるわね」

 笑みを含んだ声でトーカは言い、どっちの話だよとセカンが呟く。

「けど、隊長あの女のこと好きなわけ?」

 ミルクティーを片手にセカンは首をかしげた。

「珍しく周りの空気が柔らかだったじゃない。好きなのよ、きっと」

 それに答えてシュリが呟く。

「あんなに喧嘩腰なのに?」

「まあ、お子様にはわからないだろうけどな」

「子ども扱いするなって言ってるだろ、ラット」

 不貞腐れたようにセカンはクッキーを口に入れた。

「ルエ家って言えば、Schisma以来の名門だろ」

「ええ、でも最近はちょっと落ち目っていう噂を……あっ」

「どうした、シュリ?」

 ラットの問いに何でもないと手を振って、シュリは誤魔化すようにコーヒーを飲む。

 シュリの記憶が正しければ、ルエ家が落ち目になったのはミサキの父親が亡くなってからだ。そして、その原因は操縦していた機体の整備不良。

「……愛だわ」

『何が?』

 ラットとセカンの声がハモり、トーカが笑った。




 HS-1の点検を終えたミサキはトンと床に着地した。

「すごいね、流石HSシリーズ」

 冷たいその肌に触れて微笑む。

「よろしくね、HS-1。タースくんをしっかり守ってあげて」

 見上げると首が痛くなるほど大きな最新鋭の戦闘機。ミサキはそっと機体に口づけた。

「女の整備士で不安? ごめんね。でももうタースくんの機を他の人に任せておくのは嫌だったの。タースくんの命に関わることだから、あたしがこの目でこの手でやらないと不安で仕方ないの」

 ふふっと笑う。

「あたしはタースくんの機体を整備したくてこの職についたんだよ。だから、HS-1、あたしはあなたにとっても一番いいエンジニアのはずだよ」



 HS-1整備ドックの扉の外でタースは呟く。

「危ないから帰れと言っても、無駄なんだろうな」

 ミサキに気づかれないように、タースはそっとその場を離れた。

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