第1章 ソラの英雄
ソラの英雄 前編
何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。
(コヘレトの言葉 3章1節)
ある日、人類の道は二つに分かたれた。
深刻な海洋汚染、失われていく緑、海に沈む大地。
絶望を胸にした人類は、宇宙に希望を求めた。
最先端の科学を結集した大型宇宙艇マザーシップが作られ、それを核にする船団に当時の人口のおよそ半分が乗り込んだ。
そして残りの半分は地球に残った。宇宙と地球。二つに分かれることで人類という種を残そうと考えたのだ。
後の人々はこれを『Schisma』と呼ぶ。
この年をA.S.0年とし、新たな歴史が幕をあけた。
地球に残った人々、INITと呼ばれる人間たちは、一つの大きな組織を作り上げ、惑星レベルにおいて環境調整・操作を行い、二百年以上の時間をかけ、青い海と緑の土地を取り戻した。
宇宙へ旅立った人々、SUBと呼ばれる人間たちは太陽系やその周辺の惑星を巡りながら星の環境を整え移住を開始した。
人々はそれぞれの場所で成功を治めたかに見えた。
しかし。
A.S.274年。
SUBはINITに宣戦布告をした。
元々地球は我らのものでもあるのだからINITが独占するのはおかしい、と。
これに激怒したINITは徹底抗戦の構えを見せ、戦いの火蓋は切って落とされた。
争いは、地球近郊の宇宙を舞台に永きに渡って続くこととなる。
A.S.489年、INITは現状を打破すべく最新鋭の機体と選りすぐりの人材で構成されるチーム、HSチームを結成。後に『ソラの英雄』と称され伝説となる三人のパイロットの活躍により一旦はSUBを退けた。
だが、平和は長く続かない。
A.S.510年、勢力を増したSUBにINITは再びHSチームを組織。
翌年、新たなる『ソラの英雄』となりうる五人のパイロットを選出しその任につけた。
そして、時は A.S.512年。
緊急出動はいつものことだ。月にある基地に配備されたチームは八つ。基地の警備を担当するSGチーム、他のチームのフォロー役であるSSチームを除けば六つである。その中から、侵攻してくる敵に一番適したチームが出動する。
機体に乗り込みトーカはやれやれと息を吐いた。HSチームの出動基準は極めて単純。他のチームの手におえない場合、である。
『今回の相手は有人機数機と無人機三十数機だ』
『マジですか、隊長』
HS-1、タースの言葉に、うんざりと返したのはHS-2、ラット。
『有人機を落とせば無人機は問題じゃない。まずは有人機からか』
HS-3のセカンがそう答える。
『そういうこと。セカンはいい子ねー』
HS-4のシュリが言う。他の四人より少し年下のセカンは子供扱いが嫌いだが、状況をわきまえてか今は何も言わない。
『HS-5、探査はできるか?』
「もうやってます。四十五度の方向に敵機確認。レーダーには全て無人機と映っています」
足は遅いが最新鋭の探査・通信機能を持つHS-5、トーカはそう答えた。
『有人機は?』
「反応はありません」
『見つけ次第知らせろ。いくぞ、気を引き締めてかかれ』
『了解!』
機体が旋回し、敵機へ向う。
『HS-4、先行します』
『先行くな。HS-2、続きます』
『援護する。HS-3、5は後方待機だ』
『了解』
トーカはレーダーに目を走らせた。味方の機体を示す三つの光が敵を示す多数の光点の中へ突っ込んでいく。
『いくわよ、テトラキャノン発射!』
HS-4から発射された閃光が彼女の機の前方にいた無人機を包み霧散させる。
『いきなり必殺技を放つなっての』
言いながらHS-2の放った数発のミサイルが後方からHS-4を狙っていた機を撃ち落す。
『お前の技は後ろがガラ空きなんだよ。ふらふら敵の真っ只中に入るんじゃないって、いつも言ってるだろうが』
『うるさいわね。ほら、来たわよ』
二機は同時に旋回し、別方向からの攻撃をかわす。
そこへHSー1の放ったミサイルがヒットした。
「機体の弱点をこんなとこで話すな。後で隊長に怒られるわね』
呟きながらトーカは有人機を探す。
通信の電波は独自の暗号化がなされていてSUBには解読できないはずであるが、世の中に解読できない暗号などない。
「SUBのステルスシステムがいつまでも有効じゃないように、ね」
先日搭載した新しいレーダー。これを使えば、SUBが現在使っているステルスも感知できるはずだ。
新しい反応が三つ。その位置は……。
「HS-3!」
通信越しの叫びと同時にデータを転送する。反応は九十度の方向。この位置、おそらくHS-1を狙っている。
HS-3は急発進して即座に方向転換した。ブースターを全て吹かし一気に敵機との距離を詰める。
レーダー上の三機の陣形が乱れた。こちらが位置を把握したと気づかれた。迎え撃つ気だ。
しかし、HS-3はこのチームの中でも最速を誇る機。すでに三機は彼の射程圏内。
「HS-3、照準を三度補正」
データを送り続けてはいるがリアルタイムよりもわずかに誤差が生じる。それを踏まえてフォローを入れる。
『了解。トリキャノン、発射』
HS-3から放たれた光線は予定通り二機を同時に貫いた。
形勢不利と見てとったか、方向転換する残りの一機。
そこへ肉薄するのはHS-1。データを転送したのはHS-3だけではない。
『メタキャノン、発射』
HS-1の砲座が光り、周りの無人機を巻き込んで残りの一機は四散した。
HS-5から降り立って、トーカは大きく伸びをした。
「お疲れさま」
声に振り向くと、HS-4から降りたシュリがやって来る。
「お疲れさま。シュリ、大活躍ご苦労さま」
「無人機相手に大活躍したって仕方ないわよ」
有人機を早々と片付けてからは早かった。お世辞ではなく、チーム内でトップの彼女の射撃の腕と最多のミサイル搭載数を誇る機体の活躍によって。
「しかし、あいつら何がしたかったんだか」
わしゃわしゃとシュリはゆるくウエーブのかかった短い髪をかき混ぜる。
「SUBはこの辺りの小惑星を制圧して月基地と地球への包囲網を狭めようとしているようよ。今回もその一環ね」
「でしょうねえ」
基本的にINITに他の無人惑星に移住できる技術力はない。そちらはSUBの専売特許だ。Schisma以前から最も近い星として開発が進められていた月基地はその例外である。
「シュリ、子供扱いすんな」
言いながらセカンがやってくる。
シュリはきょとんとして五つ年下の同僚を見下ろす。セカンの身長はシュリよりも八センチほど低い。
「子供扱いって何のこと?」
「ほら、さっきの戦闘中のあれよ」
「あれって何?」
トーカが背伸びをして囁くもシュリは先ほど言ったことを完全に忘れているらしい。
「ま、シュリも無意識だったんだし気にするな、坊や」
いつの間にかやってきたラットが後ろからセカンの頭をぐしゃぐしゃ撫でる。
「ラット!」
「あー怒らない怒らない。これくらいで怒ってる方がガキだぞ」
面白くなさそうにセカンは拗ねた。
「ラット、シュリ。戦闘中に機体の弱点を喋るなと何度言ったらわかるんだ」
そこに怒りのオーラを放ちながらタースがやってくる。言われた二人はきょとんとして顔を見合わせた。
『何のことでしょう、隊長』
予想通りの展開にトーカが微笑むのと、タースの雷が落ちるのはほぼ同時だった。
HSチームは『ソラの英雄』と呼ばれている。
それはSUBを破った先代のHSチーム、ライアン、イブキ・リト、マイラ・カースの三人を示す呼称でもある。
精鋭集団であるHSチーム。HSチームという名の英雄。
二代目の自分たちにも、その名に恥じぬ働きをしてもらいたいと、地球にいるINIT上層部はそう願っている。
しかし、その願いは現場にとって、実際にその期待を受けるものにとっては時にわずらわしいものだ。特に、SUBの戦力が日に日に増している今においては。
待機場所も兼ねたHSチームのミーティングルーム。その一角に備えられた給湯室で、トーカはそう物思いにふける。
室内にちらりと目をやれば、中央の円卓から離れた作業机に渋面で座る男が一人。
隊長のタースである。
上層部に先ほどの戦闘結果を伝えに行って戻ってきて、そしてああだ。上から面白くないことを言われたのだろう。真面目な隊長は非常にわかりやすく顔に出る。
仲良く反省文を書いているラットとシュリがこちらを見て、何とかしてくれ、と合図を送ってきた。不機嫌な隊長は皆、苦手だ。
セカンはいつものボディチェックに行っていて不在。となればこの中ではトーカが一番年下だ。観念して、タースが気に入りのコーヒー豆を挽く。
INITは軍であり政府でもある。地球という星を統括する組織の名前であり、そこに住まうもの達の呼称でもある。
政府で最高権力をもつのは軍の元帥。その元帥は八人の長官の中から選ばれる。
長官は基本的にSchisma以来INITを作り上げてきた名門の八つの家から選ばれその任に当たる。軍での階級は大将だ。ちなみに、INITにおいて苗字の使用が認められているのは、この八つの家ゆかりの者だけ。
そして、タースの名はタース・サイロン。父親は現在、長官の一人であり、次期元帥の呼び声も高いタリム・サイロン。同じく苗字持ち、カース姓を名乗るシュリの情報によると、隊長殿は父親と折り合いが悪いらしい。
ただでさえ、SUBの侵攻にイライラしている上層部。先ほどの報告の際、タリム長官とひと悶着あったのだろうとここまでは、まあ同情する。
しかし、それが『隊長』の仕事である。自分たちより偉く給料も良いのだから、嫌味の一つも言われてもらわなければ割りに合わない。第一、タリム長官のことは隊長の個人的な理由ではないか。
様々な思いを念じながら入れたコーヒーをお盆に載せ運ぶ。
HSチームのミーティングルームに備え付けられている給湯室から部屋に戻ると、祈るようなラットとシュリの視線を感じた。
「コーヒーが入りました」
「ああ」
湯気の立つそれを机に置く。
何かの資料に目を通していたタースはカップを手に取った。
「今日は、イブキ長官はご不在だったようですね」
イブキ・リトは月基地の各チームを束ねる長官、すなわちHSチームの直属の上司である。そのためイブキ長官は何かとこちらを庇ってくれる。
「何故そう思う?」
「隊長の顔に書いてあります」
また、イブキは先代のHSチームの一員である。生きた英雄に心酔している者は多く、タースもその一人。
上から何を言われようともイブキ長官と話した後の隊長殿は機嫌が良いのだ。
「そんなことが顔に出るのか?」
「ええ、はい」
少し気まずそうにタースはコーヒーを飲んだ。そして言う。
「お前の方が会いたいんじゃないのか?」
小首を傾げたこちらを見てタースは続ける。
「お前はイブキ長官の秘蔵っ子だろ」
どうやら反撃のつもりらしい。トーカは少しだけ口の端を持ち上げた。
「お忙しい方ですから定例報告会で顔を合わせるぐらいで別に」
そうか、と納得したようなそうでないような顔でタースはもう一口コーヒーをすすった。ことり、とそのカップを置く。多少の気分転換にはなったらしくタースの眉間の皺は消えている。
ラットとシュリの方へ視線を送ると二人は同時に小さく親指を立てた。
「隊長ーもうこんな小さい子みたいなことさせないで下さいよ」
シュリが片手にレポート用紙を持ちトコトコやって来る。
すれ違い様、目で会話した。ありがとう、お疲れ様。今度はシュリがやってね。
当のタースは部下たちの目配せに気づくことなく、レポートをつき返した。
「書き直しだ」
「えー」
「心の底から書け」
「無理です」
「それならオレも無理です、隊長」
ペンを放り出しラットもやってきた。
「文字じゃなく心に刻んどくんで勘弁してください、隊長」
「あたしもです」
「さっき『心の底からの反省は無理です』と言わなかったか?」
「空耳です」
「幻聴です」
「第一、敵はこちらの通信を傍受してるんすか?」
「今はHS-5の発する妨害電波のおかげで、傍受されずにすんでいるようだが、いずれそうなるかもしれんだろ」
「じゃあ、いいじゃないですか」
「そういう問題じゃない。心構えの問題だ」
「今度から気をつけます。だいたい、学校の時も書かなかったですよ。反省文」
肩をすくめてシュリが言う。
「流石カース家のシュリお嬢さま。オレは学生時代に書き飽きました」
ピクリ、とラットの言葉に反応したシュリの体が震えた。すっと目を細め彼を見る。
「お嬢さまって言うの、止めてくれる?」
ゆっくりと、区切られた言葉にラットも目も剣呑な色に染まり、細められる。
「はいはい……お嬢さま」
「止めろ」
タースが声を挟んだ。先ほどまでの意気投合はどこへやら、睨み合う二人に彼らの隊長はため息をつく。
「学校の反省文ねえ」
温度の下がった空気の中、トーカは呑気に片頬に手を当てた。
「確かあの時書いたんじゃなかった? 初めて会った時……」
「トーカ!」
シュリの顔が瞬時に赤く染まり、トーカに向かって人差し指を唇に当てる。
「その話はオフレコよ」
「その話って何かなあ」
表情が一転。にっと笑ったラットがシュリの肩にポンと手を置いた。
「別にどってことない話よ」
「じゃあ、キリキリ吐いてもらおうか」
「いやよ。ラット絶対馬鹿にするもん」
「バーカ」
「うわ、マジむかつくこいつ」
ぎゃあぎゃあと続くじゃれあいのような会話に、タースはさっきとは別の意味で深く息を吐き、トーカをちらりと見上げる。
微笑ましそうに二人を見守るトーカはタースに軽く肩をすくめてみせた。
「らしくないわね」
自販機にもたれてコーヒーを啜っているラットにトーカは声をかけた。
ミーティングルームから何気なく出ていった彼を追ってきたわけではないが、少しへこんでいるようなので声をかけるのが正しいあり方であろう。もちろん、同僚として。
ラットはちらりとこちらに目を上げる。
「トーカの入れてくれるコーヒーも美味いんだけどさ、たまに自販機のうすーいコーヒーを飲みたくなんのよ」
「わかってるくせにとぼけるのがお上手ね」
ラットは視線を外してコーヒーを啜った。トーカは自販機に背を預ける。
「シュリがお嬢さんって言葉に過剰反応するの知ってるでしょうに」
「のわりに、セカンを子供扱いしても怒らないよなあ、トーカさんは。弟分のセカンくんよりも親友のシュリちゃんの方が大事?」
「あら、セカンは子供扱いして欲しそうにしてるじゃない。気づいてるくせに」
「本人聞いたら怒るぜ、それ」
くくっと横を向いたラットは笑う。
「隊長もシュリもSchisma以来の名家。気に食わないのはわかるけど」
「トーカちゃんだってイブキ長官の娘っしょ」
「あら、私は養女よ。それに、ラットだってイブキ長官に拾われた口でしょ」
イブキは何らかの事情で行き場のなくなった子供たちを何人も支援し育てている。子供の将来を軍属に縛らず惜しみない援助と支援を与える。そのやり方は評判が高く、これも彼が多くの人から慕われている理由の一つだ。
ちなみに、トーカとラットはイブキに養われた身だが、同じチームに配属されるまで互いにそのことを知らなかった。本当の兄弟以外はバラバラに育っているので他にどういう人間が何人いるのかさえ知らない。
「トーカちゃんひどいなー。それじゃあオレが家柄悪いのひがんでシュリに八つ当たりしてるみたいじゃん」
「違うの?」
「違うって」
ラットは苦笑して言う。
「オレは腕一本でやってきたプライドあるよ。実際のところ。隊長どのにも負けない自信があります」
「そ。だったら好きな女に八つ当たりしないのよ」
ちらりとトーカの頭を見下ろしラットはコーヒーをまた啜る。
「トーカ嬢は浮いた噂を全くお聞きしませんが、実際のところどうなんでしょ」
「私は自分の恋愛よりも先にすることがあるもの」
「すること?」
「そう、すること」
「ふうん」
それ以上は聞かない。聞かれてもトーカははぐらかす。ラットは言わないであろうことを聞く人間ではない。
足音に二人は同時に目を向ける。無言で歩いてきたのはセカンだった。
「よっ」
ラットが軽く片手をあげると、セカンはちらりとこちらを向いて「ああ」と返事をした。
そしてそのまま去っていく。
「ボディチェックの後はいつも機嫌悪いな、あいつ」
「あら、ラットさんもお気づき?」
「わからいでか」
トーカは見上げラットは見下ろし、二人は顔を見合わせた。
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