DREADNOUGHT -feat, Call of Cthulhu-

尾石井雲子

ep.黒い腕 前編 -Please hold someone`s hand-

黒い腕 前編 -⑴

  五月十九日


 乾いた風が鳴る深夜一時を過ぎた暗がり。

 人が住まう気配さえ殺された陰鬱な住宅街の細道。街灯の淡い光すら闇の一部と化した異質な空気が厳かに漂っていた。

 虫の音すら遠い残響に感じる。家の戸は固く締め切られ、嵐が過ぎ去るのを待ち詫びるように奇妙な緊張だけが走っていた。

 まさに、凍りついた異世界のようだと筆に顕したのは、遥か夜空から街を見下げる神々しい月の瞬きがあまりに近くに感じるからか。あるいは、この悍ましい静けさを破る者が日常とは大きく掛け離れていたからか。


 それは金色の瞳だった。あるいは、血であった。幻想的な美しさを秘めた黄金の輝きと狂気に踊る赤の印を携えた魔女の夜ワルプルギス───。

 血塗れの少女が走っていた。風にせわしく揺れなびく包帯の汚れと疾走する赤の痕。静寂を犯す粗い息と幼い裸足に蹴られる地の叫びが、無辜の月夜に黙って響く。

 右目を包帯で巻き隠した隻眼の彼女は体格にも雰囲気にも似つかわしくない、魔女のようなとんがり帽子を被り、直向きに住宅街を駆け抜け、時折、後ろを見返りながら必死に走った。

 血に染まった少女の身体に傷口らしいものはない。華奢な幼い肉体に異常なほど巻き尽くされた包帯に刻々と滲んでいる様子もない。今し方、殺人現場から大量の返り血を浴びてしまったように、純白のワンピースと白い柔肌は赤に犯されていた。


 またしても、彼女は包帯の隙間から覗く黄金の瞳で背後に迫る闇に振り返った。すると、電源コードを引きちぎったようなブツンと弾ける音が頼りない街灯の燈を握り潰した。飛び散った光の泡が闇に溶け、不気味な威圧感だけが神経を舐め回す。


 何かが闇の中にいる。ずっと、こちらを覗いている。


 魔女めいた少女は安堵とは真逆の表情を浮かべた。これ以上は速くできない足に鞭を打ち、我武者羅に走り続けた。どれだけ足を動かしても、どれだけ距離を稼いでも、その闇は纏わりつくように彼女の背後から離れない。


 何かに追われていた。ずっと、あの日から───。


 ついに体力の底が見えた。まだ脆い筋肉が痙攣し、少女の速力が格段に落ちると同時に、夜闇に紛れた何者かが乾いた硝煙の音を微かに響かせる。

 抑制サプレッションされながら、撃鉄に叩き出された弾頭は小さな肩に擦り、通りがかかった電信柱に真っ赤な爪痕を残す。


 小柄な彼女はバランスを損ない、その場に転がるように倒れてしまう。受け身すら許さない突然の衝撃。糸の切れた人形のように地面に落下し、嗚咽を漏らし、澄んだ顔を苦悶に歪めた。

 やがて、響き渡る機械のような無慈悲な声。


「〝書〟の停止を確認した」


 ゆらりと少女の背後に佇む闇が近づいてくる。


「捕獲命令を受諾」


 闇の中から忽然と顕れたのは細長い枝のような男であった。肌身を完全に覆う黒い埃のローブに、気味の悪い能面を着けた不審な人物。彼の右手にはサプレッサーが装備された自動拳銃が握られており、薄っすらと硝煙を上げていた。いくら人気がないとはいえ、反銃社会の日本という国において、隠す素振りすら見せない姿に狂気めいたものを自ずと感じ取れた。

 逃げねば。少女は踠きながらも這い進んだ。


「動くな。耐えるな。殺す手間を増やすな」


 微風に吹かれる洗濯物のようにふらりと能面の男は這いずる彼女の真横に立つ。その仮面の下がどのような表情をしているのか想像の余地が及ぶわけもないが、不気味な恐怖だけが喉の先まで吐き出そうで苦しかった。

 間違いなく危険な存在だ。本能がそう叫ぶ。


 それと同時に少女は直感する。───これではない。闇は、もっと深い場所から、邪悪な腕を伸ばしている。


 止め処なく肩から溢れる血を抑えながら、少女は懸命に立ち上がろうと震える両脚を畳んだ。能面の男は家畜に向ける哀れみや同情とは一切無縁の冷ややかな情緒を帯びた眼光を仮面の底から垣間見せていた。


「無意味と心得よ。おまえは逃れられない。神がお定めになれた運命からは、誰も抗えない」


 チャカリと音がなる。


「任務を遂行する」


 能面の男が銃口を向けた。

 引き金の駆け引きはなかった。

 赤い血が飛び散り、少女の小さな身体に穴が開く。

 最初は右太腿。次弾は左脇腹。流れるように三発目を右胸に。消音された銃声が鳴る度に少女の掠れた悲鳴が血液と共に溢れた。

 能面の男は、死の間際と化した彼女の頭からとんがり帽子を奪うと、躊躇いもなく頭部に向けて発砲。何の抵抗もできず、少女は打ち上げられた魚のように身体を大きくバウンドさせ、そのまま動かなくなった。


 血の池が広がる。

 瞳孔が開き、呼吸が止まる。脈がその役目を終える。


「〝書〟の生命活動の停止を確認した。蘇生、、する前に捕獲する」


 持ち主が消えた帽子をその場に捨て、彼は自分の能面に飛び散った返り血を手で拭う。無機質な白の頬に赤い稲妻が狂気の如く走った。そして、悦に浸る暇もなく淡々と銃の弾倉を入れ替える。

 沈黙の闇に包まれた目前の死体から目を離さないように、新しい弾倉を自動拳銃に叩き込む瞬間───。


 月夜に舞う天女を見た。


 怪しい月光が神秘的な反射を繰り返し、白き麗人が夜空に降り立つ錯覚をもたらした。

 束の間の極楽めいた放心が零度の悪寒に殴り起こされた。月の光に照らされた翳りなき冷徹な殺意の表情と灼熱の瞳をフードの奥に視認して、彼は初めて回避の運動を取ったのだ。


 緩やかに地へと落ちる女と、反して音すら斬り伏せんと叩き落とされる斬撃。銀色の刃が描く死出の弧線は、彼の銃を容易く叩き割り、か細い赤の太刀筋だけを名残りとして散らした。

 数歩先まで後退った能面の男は切り裂かれたローブの中で血を流す。傷口は浅い。あと少しでも気付くのが遅れていたら、この無惨に転がる拳銃のように真っ二つにされていただろう。


「何者だ。人避けの結界を行使していたはずだが」


 命の危機に、意外にも彼は冷静であった。彼の冷淡な物言いに、刀を持った女は今にも舌打ちをしそうな侮蔑の表情を送る。

 月の光を全身から浴びる蠱惑的な銀の波を輝かせる日本刀。フードの底から覗く、人を斬ることに対して躊躇いを見せない覚悟の目。大きめのパーカーを羽織った若い黒髪の女は凛とした立ち振る舞いで能面の男を睨んだ。


「下衆供が。粗いんだ、貴様らの中途半端な奇蹟きせきは」


 研ぎ澄まされた武人たる殺気が空気を触媒にして伝わった。フードの奥から零れる燃え盛るような瞳こそ、神秘に通ずる者としての何よりの証拠に他ならない。───彼女は、そう、〝魔術師〟という類に入るのだろう。

 ズレた能面の位置を正しながら、彼は嘲りを含んだ侮蔑的な挑発をした。


「時代遅れなカタナを携えた、サムライめいた魔術師か。聞いたことがあるな。哀れ極まる呪われた巫女の噂を」


「黙れ。ここで何をしている。いや、何をしていた、、、、、、


 赤い瞳が血の池に横たわる隻眼の少女を見据える。死んでいることは遠目でも判った。

 ちらりと死体の少女に目を向けて、能面の男は肩をすくめて嘲るように無機質な声を出した。


コレ、、は我々の所有物だ。其方が気にすることではない」


「物……。まさか、それが〝書〟だと」


「これ以上、語る義務なし」


 戦意を肌で感じ取った。二人は互いに決して分かり合えない敵同士であることを察していた。言葉の戯れは終わりを告げ、ここから未来さきに待つ、殺し合いの勝者こそが生きるに値する。

 男は懐に隠していたホルスターに仕込んだ両刃の分厚いナイフを取り出す。刃先十センチはくだらない殺傷力に優れた狩猟用のダガー型ナイフだ。

 太刀を構えた赤い目の女が間合いを図るべく行動を準じた寸前、能面の男は地面に転がる真っ二つの自動拳銃の片割れを彼女の方へ蹴り飛ばした。

 明経止水の精神で、蹴り投げられた銃を布で隠した鞘で弾き飛ばす。その死角から男がナイフを突き出し、決殺を迫っていると勘付きながら、一気呵成の勝負に出た。

 次の瞬間には剣戟が甲高く響いていた。刀とナイフでは間合いが違う。羽振りの速い短剣を相手に、超至近距離で長刀を振るうのでは、膂力に決定的な差が生じる。押し負けたのは当然、女の方だった。

「しゃァ───ッ」男が雄叫びを上げた。横道に逸れるように、圧された刀は空を切らされる。明確な隙が生まれた。既に振り戻されたナイフの速度に、防御のすべはない。

 距離の奪い合いこそが勝負の決め手である。無論、制していたのは能面の男の方だ。距離を詰められたのは女の方だ。穿たれる短い刃を止められはしない。───はずだった。

 突き出されたナイフは虚空の月明かりに照らされ、赤い殺戮を滴らせることなく、女の肢体を目の前にして、あろうことか止まっていたのだ。


「これが、呪いか」と男が己の意思とは裏腹に急停止した自分の脚に向けて落胆混じりに言った。

 

 そこには蛇がいた。両足を固めるように締め付ける半透明の蛇の群れ。あまりの馬鹿力で巻きつかれているので、足の血管が止まり、肌が白く薄れているのが分かった。

 蛇に尾先は確認できない。その一片の綻びもない鱗を備えた蛇腹の大群は、長い尾の果てに、女の袖の中に例外なく繋がっていた。今の今まで、数多の蛇を衣服の中に隠し飼っていたわけではあるまい。

 これもまた呪縛めいた奇蹟の一端他ならない。

 フードの奥から女のみにくく崩れた顔が見て取れた。張りのある若い柔肌が地割れのように爬虫類めいた鱗を形成していた。これが忌まわしき蛇神の呪いであるのは見間違いようもない。


「蛇人間如きがッ」男の叱咤に、女は冷たい眼差しを送る。


「残念。私の血に、爬虫類は混ざっていない」


 女の刃が男の利き手に深々と突き刺さる。黒いローブの袖口からボトボトと赤が垂れ落ち、鉄の匂いを染み付かせる。

 掌から零れ落ちたナイフ。滲み広がる血液の袖から女は剣を引き抜いた。


「ぐぁ、おおおおッ……うで、腕が、ぁがッ」


 手を抑えながら、膝から崩れ、悶える能面の男。仮面の隙間から痛みを嘆く涎が涙の如くこぼれ落ちた。

 哀れみや慈悲は最初から持ち合わせにない。女は至って冷静に処刑人のような心で、この泣き叫ぶ男にトドメを刺さんと首に刃を添えた。

「愚かだ。神にあだなす狼藉者がッ」声帯を震わせて泣き叫ぶ男に、女は気色の悪い能面を剥がして、さぞや二枚目であろう首を晒してやろうかと思案した、その直後だった。


 ───ゴキッ。


 骨が折れるような鈍い音が響いた。

 意図せぬ奇怪な音に、思わず目を向けると、そこには死んでしまったはずの少女が不気味な振動を繰り返し、何度も静かに飛び跳ねていた。

 ゴキッ、ゴキッ、ゴキッ───。

 尋常ならざる躍動。少女の手足は一切動いていない。ただ、狂ったように飛び跳ねる肉体に弄ばれるだけだ。

 少女の開いた瞳孔は死人としての確かな証拠である。しかし、自身から溢れ出た血溜まりの上を跳ねる小さな身体には別の生物が潜んでいるかのように跳躍的な挙動を続ける。


 明らかに様子がおかしい。


「なんだ」


「蘇生っ! 時間切れのようだ」


 目を逸らしていた隙に、能面の男は逃げるように走り出していた。


「待て、何のことだ⁉︎」


「作戦は失敗した。撤退す───」


 その瞬間、鮮血が散った。

 無秩序な暴力が人間としての形ある尊厳をいとも容易く引き裂いた瞬間だった。痛みすら過去の遺物となり、現在に至る直視すべき唐突な〝死〟に男はただ狼狽した。

 何も理解できないまま上半身だけの肉体となった彼は地面を這いずっていた。飛び出た臓器を引きずりながら、遥か暗黒の先で底知れぬ闇に貪り食われる己の下半身に手を伸ばした。


「もう、追いついたのか、徘徊者よ。ならば、せめて、わたし、も、深き聖地へ……」


 安らかな声が途切れ、肉を貪り、骨を砕く音が騒然たる勢いで飛び散った。能面の男であったであろうモノは、現実ではあり得ない未知の暴力の災禍に晒され、形すらままならない真っ赤な肉塊へと変貌した。

 ただ一つ言えることがあるとすれば、そこには人智の及ばない狂気の一端たる〝なにか〟がいる、ということだけだ。

 暗闇から鳴り止まぬ病的な咀嚼音と共に何かが滴り落ちる音がした。びちゃりとアスファルト一面を赤に染め上げると、カランと血に濡れた能面だけが転がった。


「ッ…………」


 赤い目の女は絶句していた。今もなお、繰り広げられている悍ましい状況に恐怖心を抱えずにはいられなかった。

 黙って息を殺して後ずさる。能面の男は不可視の怪物に食い殺されたのだ。次は自分の番だ。人間の抵抗が通じる相手とは思えない。


 ───誰かが、私を、呼んでいる。


 背後からゾッとするような悪寒が走る。不可視の怪物とは真反対。そこにはもう一つの死体、否、狂気の産物があったはずだ。


 ───深い、すべてを呑み込んでしまいそうな、深淵の奥深くから。


 死んだはずの少女の目が開いた。禍々しい黄金の輝きを放つ左眼と包帯から覗く無数の、、、瞳が、月夜の下、開かれた。


 ───のぞいている。わらっている。うごめいている。


 少女は小さな口を震わせた。「こない、で……」月の灯りが、深淵の眠りを呼び覚ます。星が叫び、地が泣き、海が賛美に割れる。この世の終わりが深き海底より這い上がる。


 ───わたしを呼んでいる。だって、わたしが鍵なのだから。


「がッ───ァあああああああああああああああああああああッ」


 それは目を疑う悍ましい現象だった。

 狂った世界の体現であった。

 異常をかたどる悪魔そのものだった。

 死した少女に開かれた無数の銃痕から黒く禍々しい液体が噴き出し、それは半固形体として禍々しく蠢きながら、傷口を瞬時に塞いでいく。

 一見細い枝にも見える触手のような形状を保ち、ソレらは少女の至る部位から飛び出しながら、波打つように蠢き続ける。とても生物らしいとは言えない、頭が理解を拒む動きだった。

 得体の知れない恐怖がその場を支配した。現実とは遥か遠くに離れ過ぎた狂気の現象が全身を舐め回すように悪寒として駆け巡る。


 なんだ、あれは。なんなんだ。


 冒涜的な影が恐怖という感情を加速させる。茫然と立ち尽くす赤目の女は半ば意識を失いかけていた。戦うという意思など端から折られていた。それでも下唇を噛み締め、自我を保っていたのは彼女が既に常識とかけ離れた異端の者であったからに違いない。

 脳がこれ以上あれを知りたくない、、、、、、、、、と拒み、電源を落とさんと気絶を強行した。ボヤける思考の中で、何度も動くなと自分に言い聞かせた。今、自分は触手の怪物と不可視の怪物に挟まれているのだ。逃げ道はない。死と直面している。

 だから、祈るように願った。


(二体の化け物が味方同士とは限らない。互いに潰し合ってくれるなら、まだチャンスは……)


 途端に不可視の怪物の気配が消えた。あっさりとした退きに呆気にとられる。

 しかし、黒い触手が動いた。それそのものが意思を持っているかのように、辺り一帯を隈なく這いずるように舐め回し、赤い目の女の目前まで迫る。

 目と鼻の先。間近で視ると、黒と認識していた色は油のように虹が混ざっていたことに気づく。液体の触手は、人体の口や鼻、瞼などの器官を粘土のように型取りながら自壊し、また作り上げては泡のように弾けるといった理解不能の動きをしていた。

 やがて、触手は人面とは思いたくない、男か女かも定かではない、世にも恐ろしい苦悶の表情を持つ顔を生み出した。顎を引いて目を瞑る女を愉快げに眺めて、口元を裂くばかりに歪めて笑みを浮かべた。

 いよいよ、吐息がかかりそうな距離まで迫り、月が霞んだ雲に覆われると触手は興味を失ったのか、うねるように帰っていった。


■■■■■■■■■■■Tekeli li Tekeli li li li……』


 声とは思えない嘲るような笑い声を残して───。

 液状の触手が小さな身体に戻っていくと少女は夢から覚めた御伽噺のお姫様のようにすぐに意識を取り戻した。

 少女は辺り一面に広がる惨状を一瞥したものの、何事もなかったように起き上がり、体内に撃ち残された弾頭が地面にポロポロと落ちると、電信柱の後ろに捨てられた帽子を拾い上げて意識半ばに被った。

 傷口は消えていた。自分の血で汚れた服だけがあの恐怖の名残だった。死した表情は既に冷え切ったものにすり変わり、少女は先刻と同じく裸足のまま走り出した。今や不気味に思える魔女めいたとんがり帽子が闇夜へ遠ざかって消えていくのを、赤目の女は見送る他できなかった。


「なんだったんだ、あれは……」


 一人残された女は耐え難い緊迫から解き放たれ、頭を埋め尽くす疑問と恐怖を精一杯、重たい呼吸と共に吐き出そうと努力した。獰猛に揺れる堪え難い意識と恐怖に震える両脚。漏れる吐息には鉛のような疲労感が混ざっており、彼女に考える猶予すら与えはしなかった。

 落ち着きを取り戻し、彼女は携帯電話を取り出した。連絡先から『ガン・スミス』という名前に電話をかけ始める。程なくして相手が通話に応じると前置きもなく、女は強い語気で語り始めた。


「───挨拶は抜きだ。手短に事の次第を伝えるぞ。現在進行形で最悪の事態が起きている。数十分前、教団の男と〝書〟に接触した。男は死亡。私じゃないぞ。不可視の神話生物、、、、だ。野に放たれているが、出現には何か条件が必要なのかもしれん。これは後回しでいい。

 問題は〝書〟の方だ。単刀直入に言うとアレも神話生物だ。文献で似たような存在を見たことがあるが、世界を滅ぼす〝魔導書〟になろうとは考えもしたくなかった」


 スピーカーから雄叫びのような怒声が飛んだ。彼女は耳を離し「黙れうるさい!」と一括した。それから咳払いを挟んで続けた。


「……ああ、持ってるぞ。あれは新聞紙を手で引き裂く感覚で、世界なんてものをゴミのように潰せる力を。滅ぶぞ、七十億の命が」


 妖しい月が生温かな風に揺られる。

 彼女が見上げた夜空の星は、未だ不動の運河で輝いている。いつか、自分の席へと帰ることを夢見て───。

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