花は二人で

 床に着いた足は頼り無く、両側から支えてもらいながら一歩踏み出す。

 たった一週間、されど一週間だ。元々幼い筋肉が衰えた上に、疲労も抜けきっていない体はとてつもなく重い。

 足が棒にでもなったかのような感覚が取れないけれど、一歩、また一歩とゆっくり足を進めていたら、右手を持ってくれているアンナが心配そうに視線を合わせて来た。



「お嬢様、あまり無理はなさらない方が……」


「疲れたらお願いするから、大丈夫だよー」



 だから今にも抱えたそうにそわそわしてるウィルとルーエは大人しくしててねー。

 あまり意味の無い牽制を行い、よいしょとフレンと繋がる左手に力を入れ、また一歩踏み出す。

 アンナとフレンはまだマシだけど、あの二人は特に過保護を拗らせかけているから困ったものだ。

 今だって自室から出ようとしてるだけだからね。これぐらいは歩けるもん。



 何故こうして動いているのかというと、すっかり弛んでしまった体のリハビリもあるが、第一は城内の皆に元気な姿を見せるためである。

 どうやら城内では私が重症だと思われているらしい。一週間も寝てたらそうなるよねって話だが。

 しかも警備が厳重になっているため、現在私の部屋付近には限られた者しか近寄れず、皆の心配を助長させてしまっているようだ。

 何でも昨日漸くまともに起きられるようになった報せだけでお祭り騒ぎだったらしいからね……今日はいつもより多めの花が贈られてきたよ……。


 心配してくれているのは嬉しいが、あまり行き過ぎると誰かが迷惑を被ってしまう。

 実際、この部屋に出入りできるルーエ達は勿論のこと、たまに城内を徘徊しているアースさんを見つけては私の様子を聞いてくるらしい。

 中にはクラヴィスさんに直接聞こうとする猛者もいるそうだから、早い所顔を見せて回ろうというわけである。このままじゃ仕事に差し支えるよ。


 それにお見舞いの花で部屋が埋もれそうなんだよね……丁寧な処理のおかげでずっと綺麗に咲いてるから捨てるわけにもいかなくて、部屋は花瓶だらけになっている。

 花をもらえるのはすごく嬉しいのだが、そろそろ止めないとゲーリグ城の花が全て無くなってしまいかねない勢いである。

 もうすぐ冬だから咲いてる花なんてそもそも少ないはずなんだよ。城が殺風景になっちゃう。



 そのため今回のメインクエストは庭師に見舞いの花のお礼を言うこと。サブクエストとして城内を回ることを考えている。

 毎日新鮮な花を贈ってくれているのはノゲイラで古くから行われている回復祈願の一つだから、元気な姿を見せれば多少は落ち着くはず。

 ついでに城を回って、全員は無理でも何人かに会って元気なのをアピールして安心させようというわけだ。

 部屋から出るのに一苦労な状態じゃ、大半は誰かに抱えられてのご挨拶になりそうだけどね。顔見せるだけマシだよ。



 歩けそうなら補助付きで歩いて、疲れてきたら抱えてもらうのを繰り返し、誰かにすれ違う度仕事に支障が出ない程度に話しながら中庭を目指して進む。

 相当心配させてしまったようで、私を見て奇声をあげたり泣き出すほど喜んでくれる人もいたのは色んな意味で驚いた。

 その騒ぎを聞きつけた人が集まってちょっぴり大変だったのは内緒である。心から喜んでくれてる人達に何も言えないって。


 近くを通ったのもあって焔を放たれた廊下も見に行ったけど、兵士が二人見張りに付いた上で封鎖されていた。

 聞けば焼けただけでなく戦闘の際に破壊された場所もあり、崩落の危険があるため封鎖しているそうだ。

 確かに焼けて下の階が見えているだけでなく、火の手が回っていなくとも窓枠が壊されてたり壁が抉れていたりと、封鎖も仕方ない有様だった。

 ここを通れないとなると遠回りになるんだけど仕方ないかぁ。



 そうしてしばらく歩いていると、遠くから何やら喧騒のような物が聞こえて来た。

 方角的に訓練場の方から聞こえているようだが何事だろうと窓に近付くと、自然な動作でウィルに抱き上げられた。いつから待機してたの。



「武官の連中を一から鍛え直してるんすよ。

 特にノゲイラに元々いた兵達は訓練なんてほとんど受けてないようなもんでしたからねぇ。

 騎士達が教官になってビシバシやってるらしいんで、王都で受ける訓練より厳しいんじゃないっすかね」



 そう説明しながら窓が開けられると、武官達の賑やかな声、というか悲鳴にも似た声が先ほどよりもはっきりと聞こえてくる。

 まさしく阿鼻叫喚な感じだけど大丈夫なんだろうか。今度はスタミナがつく料理とか教えた方が良かったりする?

 様子を見に行った方が良いのかなぁと考えていたら、訓練所の中心に水柱が数本現れ一層派手な悲鳴が響くと同時、そっと窓が閉められる。大丈夫じゃなさそうだな。

 小さくなったもののはっきりと聞こえる悲鳴にウィルは背を向け、私を抱えたまま歩き出す。武官さん達には幸運を祈っておくよ……。




 そんな風にゆっくりと着実に進むことしばらく。漸く中庭に辿り着く。

 自分で歩いた距離はそう長くないが、汗も掻いたしリハビリには丁度良かったんじゃなかろうか。


 一度新鮮な空気を吸い込み、疲れた体に酸素を送る。

 さて、目的の庭師はどこかなー、六人いるうちの誰か一人でも良いから捕まえたいなー。

 彼等はゲーリグ城全体の植物を管理してるから、いつもどこにいるかわからないんだよね。

 中庭ならこの時間だと必ず一人は居るから来たんだけど、はてさて誰が居るか。



 きょろきょろと辺りを見渡し探していると、私を抱えていたウィルが西側を指さす。

 見てみれば黄色の花が不自然に揺れていて、誰かが作業しているようだ。

 僅かに見える丸まった背中に向けてフレンが声をかけると、一人の老人がひょっこり顔を出した。



「おぉ、お嬢様! まさかわざわざおいでになられたのですか?」


「毎日花を届けてくれたでしょー? そのお礼を言いに来たのー」


「そうでしたか、皆にもよく伝えておきます。

 しかし、本当にようございましたなぁ……一時はどうなることかと……」



 ふさふさの髭を揺らし、もさもさの眉毛を下げて微笑む老人に幼女らしい笑みを贈る。

 毛や日よけの帽子でほとんど見えないが、その目元にはうっすらと涙が浮かんでいる。

 いやー心配かけてごめんねー。この通りもう元気だよー。



「いつも綺麗な花をありがとう。おかげですっかり良くなったよ」


「これはこれは、ご丁寧に……そうだ、少々お待ちいただけますか。すぐに用意致しますので」



 笑顔で元気になったのをアピールしつつ花のお礼を言うと、何か思いついた庭師が慌てて中庭の奥へと走っていく。

 言ってはあれだが結構なお歳のはずなのだが、その足取りは年齢を感じさせないほど軽やかだ。庭師の仕事で足腰鍛えられてるんだろうなぁ。

 何を用意するのか薄々わかってはいるけれど、言われるがまま待っていること数分、庭師のおじいちゃんが花束を持って現れた。予想通りです。



「回復祝いです。よろしければお受け取りくださいますかな。

 こうも何度も贈っては迷惑になりかねんとわかっているんですが、ワシらにはこれしか用意できませんでなぁ……」



 そう申し訳なさそうにしながら差し出された花束は、先ほどの黄色の花を中心に様々な花を選んでくれたようだ。

 摘まれたばかりの花はどれも瑞々しく、色鮮やかに咲き誇っていて、日々真心を込めて育ててくれているのが見てわかる。

 その上あの短時間でも処理を怠らない思いやりがこもった花束をもらって、迷惑なわけが無いじゃない。


 私を抱えるウィルの腕を引き、受け取ろうと一歩踏み出すルーエを視線で止める。

 意図を察してくれたウィルは庭師の前へ移動してから私を降ろしてくれた。

 目の前の老人は私達の動きに少し戸惑っていたけれど、私が腕を広げたのを見て理解してくれたようだ。

 膝をつき、腰を曲げ、視線を合わせ、皺だらけの手が差し出した花束を落とさないようしっかりと受け取った。



「みんなの気持ちだと思って大切にするね」


「嬉しいお言葉をありがとうございます」



 自然と緩む頬をそのままに、想いが詰まった花束を抱きしめる。

 お祝いだからいつもよりもボリュームのある花束はちょっぴり重いけれど、これぐらいの重さなら持っている分には問題ない。

 そう、持っている分には問題ないのだが……足の方が限界みたいですね。ぷっるぷるし始めた。


 目標は達したし、嬉しい贈り物ももらったし、そろそろ部屋に戻るかぁ。

 涙ぐんでいるおじいちゃんが気付く前に抱えてもらおうと花束から視線を上げる。

 その時、背後から聞き馴染みのある声が私の名前を呼んだ。



「トウカ」



 振り返ると、そこにはシドとカイル、スライトを連れたクラヴィスさんが立っていた。

 どうやら打ち合わせか何かをしていたらしく、それぞれ資料らしき羊皮紙を持っていて、シドの肩からひょっこりアースさんが顔を出している。

 朝から居ないと思ったらクラヴィスさん達の所にいたんだ。気付いたら居なかったから今日も厨房へお菓子を集りに行ったんだと思ってたわ。


 すぐさまクラヴィスさんの元へ行こうと思ったが、花束を持ったままではまともに歩けそうになく、かといって私への花束を誰かに預けるのも気が引ける。

 大人しくウィルに運んでもらおうとする前に、クラヴィスさんがこちらに近付いていて、難なく抱きかかえられた。脚が長いから歩くの早いんだなぁ。



「きれいでしょーお祝いにもらったのー」


「そうか」


「パパにも癒しのおすそ分けだねー」



 慣れた手付きで抱き上げられ、いつもの定位置に落ち着いたところで、えいやと花束をクラヴィスさんの顔へと近付ける。

 この体勢だとどうやっても至近距離になってしまうが、その分花の良い香りが明確にわかるだろう。

 事実、クラヴィスさんも多少は癒されたのか、最近見た中で飛び切り柔らかな微笑みを浮かべていた。

 いやーやっぱり美人に花は良く似合うね! 突然だったから息を呑んだのはいつものことさ!


 しっかしいつもやられっぱなしなのも如何な物か。私が勝手にダメージを食らっているだけなんだが、それはそれ。

 たまにはこちらからしてやろうと、閃きのままに花束から一輪だけ抜き取った。



「私一人には、勿体ないからね」



 私の掌ほどある黄色の花をクラヴィスさんの右耳の上辺りに挿しこむ。

 不意を突いたのかそれとも受け入れているのか、抵抗など無く、すんなりと髪を通った花から手を離す。

 少々歪んではいるものの、形の良い耳に引っかかるようにしっかりと止まった花は漆黒の髪に良く映えていて、周囲が固まるのも構わず笑みを溢した。



 ──これは彼等から向けられた信頼の表れだ。

 悪政に苦しんだ彼等が信頼し、期待し、願っているから贈られた、未来への祈りが込められた花束。

 いつか私はこの世界から去ることも考えず、導きを信じて託した願いの結晶だ。


 背負えるだけ背負うし、叶えられるだけ叶えるし、もたらせるだけもたらすつもりではいる。

 だが私は、貴族の娘らしく他家との繋がりを持つことも、跡を継いで彼等の未来を導くこともないだろう。

 いずれ何もかも捨ててしまう私にこの想いは勿体ない。持って行ってあげられない。


 だからこれは私が断ち切るための我儘な押し付け。

 一緒に背負ってくれる貴方と、私ごと背負ってしまいかねない貴方と、分かち合わせてほしい。

 いつか全部投げ出せるように。帰る場所が揺らがないように。



 そんな身勝手すらお見通しだったのだろうか。

 微笑みと同じ柔らかな声で告げられた言葉に、思わず花束に顔を埋めた。



「君の望むままに」



 そんな顔して言うから皆に養女を溺愛してるって思われてんだぞぉ……!

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