第二章 戦争
新たな日々
厳しい冬を耐え凌ぎ、暖かな春を喜び、夏の日差しに煌めいて、秋の実りに感謝する。
そうやって二度目の冬を乗り越えて、ようやく降り注ぐ朗らかな日差しに眠くなるのは仕方のないことだと思う。
「水は少なめで、豊富な魔力が必要、と」
「花を咲かせるなら細やかな剪定も必要じゃな。こやつは葉と根を優先させよるぞ」
「そりゃ中々種が手に入らないわけだ」
眠気で重い瞼を瞬きを繰り返してどうにか開き、ようやく咲いてくれた青色の花の特徴を手元のノートに書き込んでいく。
空いている場所にアースさんが教えてくれた情報を書き足していると、製紙技術の甘さか、紙の表面にあった凹凸に万年筆の先が引っかかって文字がぶれてしまった。
ちょっと歪んだだけで読めるし、私が書いたのを見るのは身内だけだから問題無いけど、なんか残念だなぁ。
現状、最高品質の紙を使ったノートだが、やはりまだまだ私が知る物には遠い。
ざらつく表面を見つつ何気なしにパラパラとノートを捲っていると、小さな畑に座り込んで土を触っていたアースさんが徐に頭を上げる。
つられて上げた視線の先には備え付けの倉庫へ肥料を取りに行ってもらっていたウィルがいて、その手には肥料だけでなく通信用の魔道具も持っていた。
「お嬢、主が話があるって呼んでます」
「はーい、すぐ行くねー」
ノートと携帯型万年筆の蓋を閉じて立ち上がり、固まっていた体を軽く伸ばす。
今日はまだ水やりしかできておらず、品種改良と栽培研究の畑を見れていないが、どこも一度やり始めたらキリがない。丁度薬草の畑は見終わったところだし離れるなら今だわ。
次に取り掛かるつもりだった種や苗をルーエ達に運んでもらい、保管用の魔法が掛けられた棚へと丁寧に仕舞っていく。
ついでに報告もしようとノートは持ったまま皆で私専用の小さな庭を出ると、扉に仕掛けられている警備用の魔法陣が自動で展開し、アースさんが尻尾を軽く振ると静かに溶けて行った。
「また魔道具に不具合でも起きたのかなぁ」
「用件までは言われてないっすね。ただまぁ、何となくは予想できますけど」
「掃除機? 洗濯機? それとも追加で設置したコンロ?」
「多分魔道具じゃないんで、安心してください。最近は落ち着いてるじゃないっすか」
「昨日洗濯機から溢れた泡が廊下まで流れ込んでたじゃん」
「あれは洗剤の入れすぎだったみたいですよ。
洗濯場の使用人から聞いた話だと、先日雇った新人さんが間違ってしまったそうで。
さっき通った時は普通に動いていたので、もう大丈夫だと思います!」
「誰もがやりかねない失敗ですね。あんなのゲーリグ城じゃなきゃ触れませんもの」
「慣れたらすごく便利なのですけれどね」
今のところ問題が起きていないのなら良いのだが、増設したばかりの魔道具に不具合が多発して対応に追われた時のことが脳裏を過ぎり、こめかみに指を当てる。
あの時は本当に地獄だった。不具合が不具合を呼び不具合を起こすもんだから、技術班の人達が死にかけてたもの。
原因が魔法陣の線を一本書き忘れていたと判明した時の彼等の絶望顔は今も鮮明に思い出せる。クラヴィスさんが見つけたから余計に沈黙が重かったなぁ。
玄関ホールを通りがかると、最近入ったばかりの使用人達が忙しなく動き回っているのが視界に入る。
人が増えたとはいえ、やはりまだまだ一人当たりの仕事量が多いんだろう。
忙しそうにしながらも私を見れば挨拶を忘れない彼等に、五歳児らしい笑顔で手を振り返す。
あちらの知識を色々と取り入れたおかげで随分楽にはなっているようだが、それでも全てはカバーできていない。
人手を増やそうにも何か月も厳しく研修という名の調査をしなきゃいけないから、中々増やせないのよねぇ。
今期残った研修生は二名だったか。相変わらず少ない合格者に、胸元で輝く指輪へと指を滑らせた。
この世界に来て丁度二年。
農業に産業に技術など様々な方面で革命が起こり、ノゲイラでは急速な発展が進んでいた。
新たな農法に新たな魔道具や魔法、新たな事業等、今までにない物ばかりで始めこそ戸惑いが多かったけれど、人は順応していく生き物だ。
肥料を用いて土壌を整える農法はもうノゲイラでは一般的になり、電気ではなく魔法によって動く洗濯機や掃除機といった魔道具達は、家庭魔道具として確立され、今では城の生活に欠かせない物になってきている。
魔道具に関してはまだどれも試作段階に近く、城と城下町の限られた場所にしか設置されていないが、いずれ普及していくことだろう。
それと同時に生活が困難な人達への支援を含め、役所や病院といった施設の設立に向けて行政にも力を入れている。
人員不足や人々の認識など問題は山ほどあるが、なるべく早く学校も設立したいところである。
大人でも読み書きができない人もいるからね。人材育成は早ければ早い程良い。
そうやって領主が変わったのと同時期に始まった大規模な改革に、周囲も大きな関心を寄せているようで、連日のように侵入者が後を絶たない。
大体は結界で弾かれるかすぐに捕まって追い出されるなりなんなりしているらしいが、迷惑な話だよ。
この発展は私の世界の知識がもたらしたのは確かだが、何よりアースさんの助けを得られたのが大きかった。
大地に流れる強大な魔力の流れ、魔流の力を操り、特定の場所だけ植物の成長を急速に早めてくれたのだ。
広範囲にすると魔流が枯れかねないので私専用の庭に限っての事象だが、おかげで何か月も掛かって成長するものが一週間程度で育つので、品種改良が捗る捗る。
更に栽培方法も教えてくれるため、入手が難しく希少だった薬草などの栽培にも成功している。
一年ほど前から民と協力して取り掛かった薬草栽培は、ありがたいことに今では王都からも依頼が来るほどの一大事業だ。
その一方、ポーションや薬の精製と研究も行っているのだが、そもそもポーションを作れる調合師自体が少ないのもあってそちらは中々上手くいっていない。
元々ノゲイラにいた調合師の三人を城に雇い入れ、日々研究してもらっているが、毎日のように爆発音を響かせている。
上手く行っていることもあれば、問題も山ほどある。
けれどもう冬の心配をせず、家族と共に次の春を迎えられる。
ノゲイラの人達がそう思えるようになっただけで、私がこの世界に来た甲斐があったなぁとしみじみ思う。
ノゲイラで過ごす初めての冬は想像よりも厳しく、得るものよりも失うものの方が多かった。
十歳にも満たない子供、双子を産んだばかりの母親、身寄りが無かった老人、子供達を優先し倒れた夫婦。
合計二十八名もの餓死者を出してしまったのに、ノゲイラを古くから知る人達からすれば少ない方だという。
それから死に物狂いで改革を押し進めた二年目は、衰弱した人が数名出てしまったものの、治療を受けて無事に回復。
死者を一人も出さず乗り越えたのは奇跡だと涙ぐむティレンテに言葉が出なかったのは記憶に新しい。
全て救うには時間が無かった。手を伸ばしても届く前に力尽きてしまった。
月日が経とうとも何度も思い出してしまう苦い記憶は、今も変わらず杭となって深く突き刺さっている。
もう二度と繰り返さないようにと進み続けたけれど、皆が安心して暮らせるようになるにはまだまだ足りないのだ。
「お嬢様! 丁度良かった、少しよろしいですか?」
呼ばれて顔を上げれば、財務担当のヴェスパーが山のような資料を抱えてこちらに向かってきていた。
そういえば二年もやっていれば多少は自信が付いたらしい。いつも忙しそうなのは変わらないけど、青白い顔になってることは減ったなぁ。
他人とはいえこうやって成長している姿を見ると何だかほっこりするねぇ。
執務室に入る度に緊張で震えていたヴェスパーを思い出していたら、目の前のヴェスパーが怪訝な顔で見ていた。やっべ。
「どしたのー?」
「……いえ、以前お話されていた件で、商人から入手できたとの報せがありました。
こちらが彼からの手紙です。費用も随分抑えてくれたみたいですね」
「あらま、有り難いねぇ」
にぱーと笑って誤魔化す私に追及は諦めたらしく、ヴェスパーは資料を抱えたまま器用に一通の手紙を差し出す。
既に封蝋は解かれているそれを受け取り軽く目を通せば、見慣れた筆跡が所々歪んでいた。
色んな国に行ったことがある商人でも知らない植物を探せだなんて、だいぶ難しいこと頼んだからなぁ。
これは喜びに歪んでいると信じよう。きっとそう。怒ってないよきっと。
「……うん、じゃあこのままお願い。対応も任せるねー」
「お任せください」
どうやら探すのに滅茶苦茶苦労したらしい。なんかごめんよ。
お互い様な関係とはいえ頑張ってくれた分、利益は多めに渡せるように手配するからネ。
そう頭の端のメモを増やしておき、手紙をヴェスパーへと返す。
アースさんとクラヴィスさんの結界や侵入者に対する防衛設備。
そういった準備を終えて情報規制の体勢が整ったことで、ヴェスパーを始めとする上層部の数名には私が領地改革に携わっているのは話してある。
異世界云々は相変わらずクラヴィスさんとアースさんしか知らないため、あまり知られすぎないよう気を付けなきゃいけないものの、おかげで色々と動きやすくなったよなぁ。
ペコリと頭を下げて足早に去っていくヴェスパーと別れ、度々声を掛けられながらも執務室へと向かう。
子供の足だし元々時間が掛かるとはいえ、忙しいクラヴィスさんをあまり待たせるわけにはいかない。
仕事関連はパパっと済ませ、急ぎではなさそうな事なら後にしてもらい、怒られない程度の早足で廊下を抜ければ、丁度シドが執務室から出て来た。
その表情はいつもと違って明るく、とても嬉しそうだ。
「何か良い事でもあった?」
「お、嬢様」
話しかけると不意を突かれた様子で顔を赤らめるものだから、むしろこちらが驚く。
あの忍者が私達の気配に気付いてなかった……? 明日嵐でも来るんじゃないか?
顔も赤いし風邪でも引いたのかと一歩シドへと近付けば、シドは一歩距離を取った。なんでやねん。
「やっぱ帰って来たんすねー」
「それで喜んでいる、と。相変わらず彼のことが大好きですわね」
「ウィル! ルーエ!」
二人の茶化すような物言いにシドが声を荒げるものだから、ついアースさんと顔を見合わせる。
もしかしなくとも照れているらしい。あのシドが、だ。
俄かに信じがたいけれど目の前の光景は現実の物で、アースさんと二人、思わずしげしげとシドを見つめる。
言われてみればなんだか恥ずかしがっているような……? と思った所で視線がばっちり合い、思いっきり逸らされた。
そのまま片手で口元を隠して「失礼します」と言って去っていくシドに、ウィルとルーエが微笑ましそうに笑い合っていた。
「あーいうとこ見るとシドさんも人だなぁって思えるっすわ」
「あら、あの人はまだわかりやすい方よ」
「そりゃルーエさんだからじゃないっすかね」
何だかよくわからないが、誰かが帰って来てシドが喜んでいたというのはわかった。
シドにとって帰ってきてくれて嬉しい人ってなると、クラヴィスさんぐらいしか思いつかないのだが、今日は出かけてなかったし違うよねぇ。
わかっている二人を他所に、他の三人と一匹で首を傾げていたら、ウィルがこちらへ意味深げな笑みを向けてから扉をノックした。
「主、お嬢を連れて来たっす」
「入れ」
部屋の主からの返事が届くや否や、ウィルは私達にお構いなしで扉を開く。
ルーエとアンナ、次いでフレンが姿勢を正す横で、部屋の中へと意識を向ければ、そこにはクラヴィスさんの傍に一人の男性が立っていた。
武官にしては随分潜みやすい姿のあの人は、影の誰かだろうか。
フードが付いた外套は少し汚れていて、古い傷跡が刻まれた腕が隙間から見える。
記憶に無い誰かに気を取られながら部屋へ入れば、肩に届きそうな鶯色の髪を後ろで一つに束ねたその人がこちらに振り返る。
長い前髪で右半分を、紺の布で下半分を隠していて顔がほとんどわからないけれど、唯一見えるこげ茶の瞳が私を映した途端、ぽろりと涙を一つ零した。
「だ、大丈夫!?」
溢れた涙は一つに留まらず、静かに涙を流す男性に慌てて駆け寄る。
もしかしなくとも私を見て泣き出したよね? これって私が泣かせたことになるんですかね!?
とりあえず涙を拭いてもらわねばと、わたわたハンカチを取り出しながら近付くと、男性ががくりと力が抜けたように床に跪く。
今度はどうしたと一歩止まってしまったが、男性は跪いたままただこちらをじっと見つめていた。
魂が抜けたように何も言わず、ただただこちらを映すこげ茶の瞳は変わらず涙を溢れさせていて──どこか見覚えのあるその色にそっとハンカチを当てた。
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