隠すもの
ゴードン・パラダイムやまだ動いていた死者の肉体が破裂し、肉片の奥から飛び出した黒い焔が結界に衝突する。
結界に阻まれこちらには届かないが、何もかも奪いつくさんと燃え盛る焔が触れた物を手あたり次第燃やし尽くしていく様は、飢えた獣が暴れているかのようだ。
嫌でも感じ取ってしまう魔力は呪いを孕み、酷く淀んでいた。
「何、ねぇ……クラヴィスさん、何が起きてるの?」
腕の中から聞こえた呟きに視線を降ろす。
その瞳は幻影によって何も映しておらず、困惑に揺れていた。
「何も、見えないよ? ねぇ居るんだよね? 返事してよ、クラヴィスさん……!」
「……鼻も誤魔化してやれ。酷い臭いじゃ」
「わかっている」
この陰惨な光景を見せないように、聞こえないようにと視覚と聴覚を幻影で閉ざしたが、突然のことで混乱させてしまったのだろう。
小さな手で私の服を掴み、涙を溢れさせるトウカの首元に収まったアースが呟く。
結界のおかげか、私にはわからないがアースには感じ取れてしまうらしい。
次第に燃やす物が無くなり、宙へ霧散し始めた焔を忌々し気に睨む小さな龍を横目に、トウカの額へ自分の額を合わせた。
幻影を解くのは簡単だ。わざわざ触れる必要は無い。
だが私と違う黒の瞳にあの焔が欠片でも映れば、響く悲鳴を一音でも拾ってしまえば、深い傷を残すことになるだろう。
忘却することができない傷を彼女に与えたくない。
幻影に閉ざされた中で私の声だけ届くように。視覚を戻しても私以外何も映らないように。
そう額を合わせて少しだけ幻影を解くと、数度瞬きを繰り返した黒が大きく見開かれた。
「ヴぁっ!?」
たまに発する変わった鳴き声が飛び出し、少しだけ気が抜ける。
彼女が私の顔を好んでいるのは知っていたが、ここまで近いと流石に許容量を超えてしまうようだ。
硬直したのを良い事に頬へ手を当て、新たな幻影を施しながら触れ合う額を通して魔力を繋いだ。
「大丈夫、私の魔法で君の感覚を閉ざしただけだ。心配しなくて良い」
「ど、どうしてですか? 何が起きてるの?」
「君は知らない方が良い事だ。
少しの間、視覚と聴覚、嗅覚が利かなくなるが、我慢して欲しい」
落ち着くように意識した声色で告げると、僅かに上ずった声で問いが繰り返される。
アースが隠したとはいえ何かは見ているだろう。あまり情報を与えては何が起きたのか理解しかねない。
こんな物は理解しなくて良いと、言葉を濁して頼めば、肩を掴む手に力が入った。
「傍に、居ますよね?」
「……あぁ、傍に居る。城に帰るまで離れないから……良いね?」
「あぃ」
本当の幼子のように拙い声で受け入れたトウカの頬を撫で、厳重に幻影を施し額を離す。
感覚を閉ざされ、唯一状況が明確にわかる触覚を頼りに私へしがみ付くトウカを抱えなおす。
これで彼女は何も知らずに終えられるだろう。最後の焔が絶えたのを確認して新たな結界を張りなおせば、血と肉が焼け焦げた臭いが風に乗って辺りに広まった。
アースの言う通り嗅覚も閉ざして良かった。
焔が振りまいた悪意のように直接害を与える物でなくとも、彼女に届けばきっと心を傷付けていた。
「りょ、領主様……これは、何が……」
「証拠を消したのだろうよ。よほど身を隠したいようだ」
先ほどまでゴードン・パラダイムを捕らえていた兵士の一人が青ざめた顔で呆然と呟く。
その横でもう一人が口元を抑えて小刻みに震えていて、二人に下がるように指示を出す。
周りを見ればほとんどが動けずにいたようだが、中には救助者を探そうと踏み出す者がいて声を張り上げた。
「近付くな! 呪いだ!」
私の命令に全員がその場に立ち止まり、正しく理解した者から我先にと後ろへ下がる。
黒い焔がもたらしたのは死だけではない。
悍ましい魔力を宿していたあの焔は、焼き尽くしたモノに呪いを残していった。
人だった黒い塊が風に吹かれて転がり、押し殺した悲鳴が響く中、シドがこちらへと近付く。
「主」
「息がある者は」
「数名いるようですが……間に合わないかと」
「いっそ終わらせてやりたいが……罠だろうな」
見れば分けて集めていた傭兵のうち数名が僅かに息をしているらしい。
全身を焼かれ声も出せずに息だけしている彼等は、助けようと近付いた者を巻き込むための囮だろう。
自身の都合で死を与えておきながら、長い苦しみを与える存在への嫌悪に顔が歪む。
その時不意に感じた気配に空を見上げれば、太陽を背に現れた巨大な龍が屋敷を睨みつけていた。
【主よ、あの屋敷ごと呪いを消し去りたい。構わんか】
「屋敷にも呪いが?」
【本体でなければ分からんほど弱い物がな。
恐らくあの者達を操るのを止め、呪いとして振りまいたのじゃろう。
魔力があれば無意識に弾ける程度の物ではあるが……それ故トウカが危うい】
屋敷へ意識を向けるが、自然の魔力に紛れた異物の存在はうっすら感じても、それが呪いかどうかはこの距離だと判別できない。
私でこれならばほとんどの者が気付けずにいただろう。気付けないまま建て直し、トウカが足を踏み入れていたかもしれない。
トウカを攫い、トウカだけを蝕む呪いを残す。この陰湿な嫌がらせじみた行いの意図は何なのか。
契約を通じて聞こえる声に滲む嫌悪がその忌々しさを如実に表していた。
「構わん。元々取り壊すつもりでいた。
それとできれば彼等も送ってもらえるか」
【うむ、勿論だとも。
痛みも苦しみも感じぬよう、一欠けらも残さず送ってやろう】
利用するなら改築案も出ていたが、先ほど放った魔法で既に取り壊しが決まっている。
調査が終わっていないため隠された物が多々有りそうだが、トウカの安全に比べれば取るに足らない物。
迷う事無く了承すると周囲に強固な結界が張られ、膨大な魔力を溢れさせたアースが空高く舞い上がる。
遠ざかる姿を追って上空を見上げれば、空を切り裂く咆哮と共に雷電を纏った巨大な光が屋敷へと降り注いだ。
屋敷どころか大地ごと薙ぎ払う眩い雷は、散りばめられた呪いを消し去り、蝕まれた者達を昇華させていく。
圧倒的な力の前で私ができることなど一つだけだ。
中には金に目が眩み自ら死を招いた者もいるが、その死を利用されたことに変わりはない。
弔うこともできず、消え去ることしか許されなかった彼等へのせめてもの手向けに、何者にも利用されない安らかな眠りを祈った。
大地ごと消え去った屋敷跡に吹きすさぶ風が収まった頃、私達を衝撃から守っていた結界が残滓を散らして消えていく。
死体も呪いも一欠けらも残さず無くなった空間に、アースの清らかな魔力だけが漂っていた。
【ついでにお主らの浄化もしておいた。
ワシは湖に戻る。久々にやって力加減を間違えてもうてなぁ……ちと疲れたわい】
「助かった。ゆっくり休んでくれ」
【礼を言うのはこちらじゃ……此度は気遣わせてすまんかったなぁ。
ま、今は分体もおるしの! ワシ本体はしばらく動けぬからそのつもりで頼むぞぅ】
礼を言った後、わざと明るい声でそう言い残して遠ざかるアースへ軽く手を振る。
契約で繋がっているからこそわかるが、彼の龍は相当弱っている。少なくとも本来の力の十分の一も出せていないだろう。
それなのにこちらの様子を感じて無理を押して出てきてくれたのだ。何か礼がしたいところだが、何なら喜ぶか。
トウカの首元にいる小さな龍へと視線を落とせば、察したのか彼はケラケラと軽く笑った。
「気になるならこのワシに菓子でもくれたら良いぞ。
本体と繋がっておるからな、ワシが喰った物はあちらにも伝わる」
「……帰ったら料理長に頼むとしよう」
「いやぁまこと楽しみじゃ! このために作ったようなものじゃし!」
「トウカを守るためではなかったか?」
「おっと」
魔石を求められた際に告げられた目的とは違う、ただの欲が零れて思わず溜息を吐く。
以前約束した通り、トウカがもたらした菓子は定期的に届けているが、それだけでは足りなかったようだ。
誤魔化すように笑うアースの仕草がトウカのそれと似ていて、また気が抜けた。
「シド、影を数名残してここの調査を行ってくれ。
呪いはアースが浄化してくれたが、まだ隠し通路が残っているかもしれん。
確認次第封鎖及び破壊しておけ。残りの者は私と共に帰城する」
「御意」
トウカを取り戻し、ゴードン・パラダイム達はあの有様で、魔導士の手がかりは期待できない。
ならば一刻も早くトウカの願いを叶えてやりたいと指示を出し、屋敷跡地に背を向ける。
跡形もなくなった屋敷を見せないよう体で遮り幻影を解けば、トウカはゆったりとした動きでこちらを見上げた。
「ん……終わり、ました?」
「あぁ終わった。もう城に帰るから、眠いなら寝ていて良いぞ」
「……じゃあ、お言葉に甘えます……」
何も見えず、何も聞こえず、何も臭わずいれば、眠くもなるだろう。
疲労も溜まっていたようで、頬を撫でて促せばすぐに身を預けて穏やかな寝息を立て始める。
服を掴む手は緩めず、少し重みを増した温もりの眠りを妨げないよう別の幻影を施すと、アースが呆れたように笑った。
「そこまでせんでも、お主の傍であれば起きぬと思うがなぁ」
「念のためだ」
アースから彼女が隠し通路を使って部屋から離れたことは伝えられていた。
普段から幼い体に苦労していたというのに、彼女が使ったのは長年手入れされずに放置されていた隠し通路。
その道のりが如何に困難だったかは、手や足に残るシドの魔力と汚れた服を見ればわかること。
それ以前に城では混乱する者達を取りまとめ、侵入者に気付き、配下の者を守ったとも聞いている。
幾ら中身が大人だとしても、その身に降りかかった負担は計り知れない。
そんな彼女を休ませてやりたいのは当然のことだろう。
何にも苛まれず眠れるよう瞼に掛かる髪を払えば、トウカは言葉にならない何かを呟き穏やかな寝息を立てている。
君を狙うのは一体何者なのだろうか。
変わらず正体の掴めない魔導士の存在が気がかりだが、国内の問題が片付かない限り手を回すことも満足にできない。
動かせる者を使って追ってはいるが、確実な手掛かりは死者を操っていた魔力と焔を得意としていることだけだ。
あの僅かな魔力であれほどの焔を扱うのは私でも難しい。
トウカの見つけた装飾品に模られたメロリアの花。
あの花と焔を結びつけるならとある一族が思い浮かぶが、彼の焔が燃え盛っていたのは遠い昔。
何百年も前に本家が途絶えてから、名が広まるほどの者は生まれていなかったはず。探りは入れるが期待できないだろう。
完全に後手に回っている今、できるのは守りを固めることだけか。
腕の中で留まる温もりが身じろぎしていて、自然と腕の力が強まる。
私の宝。私の花。守るべきであり、守りたい君が危険に晒されないように。
いつか手離すその時まで傍で咲いてくれるように、君に降りかかる火の粉は全て振り払おう。
それが例え私の願いを殺すことだとしても、君へ報いる唯一の術なのだから。
「いやはや、人の想いは相変わらず難儀なもんじゃなぁ」
繋がりから悟った龍が憐憫を滲ませた視線をこちらに向ける。
その瞳は私ではない誰かを映していて、こちらにも想いの一端が流れ込んで来た。
「……貴殿も同じだろう」
「遠い、遠い昔じゃよ」
伝わってしまったとしても、これはそれぞれが抱えて進む物。
それ以上はお互い何も言わず、私は城へ帰るため馬に跨った。
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