離れがたい温もり

 森の中を駆け抜けること数分、騒がしさに目を開ければ見慣れたノゲイラの武官達が慌ただしく駆け回っていた。



「何がどうなってるんすかぁ……!?」


「追加か? 第三班のところに行け! 急げよ死ぬぞ!」



 泣きそうな困惑の声と、抑え気味ではあるものの若干の怯えを滲ませる指示が飛び交うのは、別邸前の広場だろうか。

 少し開けた場所を陣取り別邸を包囲しようと動いている彼等の後方で、北の空から人が文字通り飛んで来たのが見えて思わず指さす。



「人が飛んでるんだけど!?」


「本体が各地の兵を集めとると言ったじゃろ?

 歩いてでは遅いから飛ばしてやっとるんじゃ」


「魔法で受け止めていますので、問題ありませんよ」


「飛ぶことに問題があるんだよ……」



 良く見てみれば確かに落下地点には魔導士が数名待機していて、飛んできた人は地面にぶつかる前にふわりと浮かんで怪我無く着地できている。

 だけどね、怪我の心配は無くとも物理的に飛ばされている兵達の精神が心配なんだよ。腰抜けちゃってる人とか泣いちゃってる人がちらほらいるの見えてる?

 あれを問題無いと言って良いのか頭を抱えていたら、近くを走っていた兵士二人がこちらを見て目を見開いた。



「お、お嬢様だ!!」


「お嬢様が戻って来たぞー!!」



 そう叫んだ二人の声はすぐさま周囲に広がり、皆の視線がこちらに集まる。

 とりあえず無事を伝えようと手を軽く振れば、一拍の間を置いて数多の歓声が上がった。



「お嬢様ー!! 良くぞご無事でー!!」


「シド様ありがとぉぉぉ!!!」


「みんなぁぁぁ!! 我々は救われたぞぉぉぉ!!」


「なんじゃ? クラヴィスのやつ、まだ溢れさせておるのか?」


「仕方ありませんよ。気が気でないのでしょう」



 とてつもない喜び様にアースさんが呆れ、シドが苦笑いで返す中、一人首を傾げる。

 助けてもらったのは私だよね? 何で皆の方が救われたってなってるの?

 聞いた限りクラヴィスさんが原因らしいが、一体何があったのだろうか。

 そうしている間にも皆は狂喜乱舞しながら道を開けていて、気付けば陣営の中心へと続く道ができていた。モーゼかな?


 どうしたの皆。何で私達拝まれてるの。私が攫われてる間に何があったの。とりあえず愛想笑いはしとくけどちょっと怖いよ。ねぇ。

 内心怯えつつシドに連れられるまま進んだ先で、焦がれた黒が駆け寄って来たのを見て手を伸ばした。



「トウカ!」



 距離も体勢も考えず、気遣った龍が離れたのも気に留めず、衝動のままに伸ばした手を私の名を呼んでくれた人が取る。

 引き寄せられ、引き渡され、抗うことなく受け入れた僅かな浮遊感の後、苦しいほど締め付ける両腕に吐息が漏れた。

 加減も忘れて抱きしめられていて満足に呼吸もできないけれど、やっぱりこの人の傍が一番安心するみたいだ。

 隙間すら許さないとばかりに自分を包む温もりへ、小さな手でしがみ付く。


 怖かった。痛かった。怪我はしてないか。被害はどれだけ出ているのか。

 言いたいことも聞きたいことも沢山あった。けれど言葉にならないまま、代わりに止まっていた涙がまた溢れる。

 それでも何か言わなければと、首元に顔を押し付け震える口を開いた。



「ただいま、です」


「あぁ……おかえり」



 ただいまと言って、おかえりと言ってもらう。

 ごくありふれたこのやり取りが、どれほど崩れやすい舞台の上で行われていたか。

 わかっていたようでわかっていなかった喜びを噛み締めると同時、少しばかり遠のいてきた意識にまだ自由な手を動かした。



「ちょと、くるしい」


「……すまない」



 一体どちらの意味の謝罪か。弱々しく背中を叩いて限界を伝える私に対し、言葉少なく答えたクラヴィスさんが更に力を強める。

 そんな風に縋りつかれると受け入れたくなるのは当然の摂理なのですけれどね、子供の肺って小さくてですね。あ、ちょっと緩んだ。助かるぅ。


 僅かに体勢が変わり、呼吸だけはまともにできるようになったものの、はてさてどうしたものか。

 まだ私が戻って来ただけで事件は解決していない。包囲していたとしてもずっとこうしているわけにもいかない……のだが、指揮を執る人が動きそうにないんだよなぁ。

 逞しい肩と艶やかな黒髪でしっかり見えるわけではないが、周りもクラヴィスさんの行動に驚いているらしい。

 先ほどまでの歓声は少しずつ遠ざかり、困惑に揺れる騒めきが聞こえてきていた。



 冷静に考えれば、普段のクラヴィスさんとギャップがありすぎる状態だよねぇ。

 移動やらで抱っこされている機会が多いとはいえ、冷静沈着が人に成ったかのような人である。

 正直言えば離れたくないしこのままで居たいけど、クラヴィスさんの沽券に関わりそうだ。それに何より、私がマジで限界なんだ。



「パパー、早くお城帰りたーい」


「……そうだな」



 シドに会えた時から相当だったが、今はもう、ちょっとでも気を抜いたら落ちてしまう。

 今にも遠のきつつある意識をかき集め、周囲の視線へ誤魔化すためにいつも通り子供らしくおねだりをすれば、深く息を吐いて頷かれる。

 そしてゆっくりと腕の力が緩められ、抱えなおされた次の瞬間、間近から風を切る音と共に光が飛んで行った。ん?



「再利用しようかと思っていたが、もう良いだろう」



 何かが崩れる騒音に混じって誰かの悲鳴が響く中、そんな呟きが頭上から聞こえる。

 いつの間にか振り下ろされた左手の先にある、ぽっかりと一部が抉れた建物は本当に領主の別邸だったのだろうか。

 立派だったろう別邸の面影は文字通り半分吹き飛ばされ、最早廃屋としか言えない惨状に思わず遠い目になった。



「ゴードン・パラダイム及び協力者を全て捕らえろ」


「突入部隊、行動開始!」



 クラヴィスさんの命令の元、シドが号令を出し武官達が動き出す。

 これは、私が捕まっててできなかっただけで、いつでもどうにでもできたんだろうなぁ。

 建て直しの費用はいくらかなぁと色んな意味で意識を飛ばしていたら、一人の男が兵に連れられ転がり落ちて来た。



「っ、この略奪者共が……!」



 縄と魔法で縛られた男が地面に転がったまま唾を飛ばして叫ぶ。

 数カ月ぶりに見た顔は怒りで真っ赤になっているが確かに前領主そのものだ。

 なのだが、少しだけ違和感を覚えるのはどうしてだろう。



「守るべき民から奪い、食い潰し続けた者が何を言う」


「それが何だと言うのだ! 尊き血脈を守ることこそが民の役目であろう!」


「民を救わんと駆けた彼の英雄達を侮辱するつもりか?」



 何となく、顔が違うような気がする。顔つきというか印象というか、そういった些細な何かが違う。

 まるで自分が正しいと言わんばかりに怒鳴り散らす前領主に違和感が拭えずにいると、クラヴィスさんの圧が増した。



「それに貴様に流れるのは傍系の中でも末席の物。この千年で一度たりとも証が現れなかった不確かな物だ。

 ただその時に金で地位を得ただけのお前達が特別である理由になるとでも?」



 尊き血脈に彼の英雄達となれば、この国の祖、初代国王と彼を助けた異世界の人間のことだろう。

 聞いた話では初代国王の故郷はノゲイラ周辺だったらしく、確かに記録上ではパラダイム家は初代国王の遠い親戚とされている。

 だが古い記録な上、当時は戦争の真っただ中なので、信憑性はほとんど無いに等しい。むしろ捏造されていてもおかしくない程だ。

 直系である王家に比べれば眉唾レベルの繋がりだし、そもそも王族の血筋だからといって領民達を虐げて良いわけがなかろうに。何考えてるんだか。



「侮辱しているのは貴様の方だ!

 血筋の知れぬ子供を後継者に仕立て上げ、この地を汚そうとしているではないか!!」


「黙れ」



 血筋を尊ぶ前領主からしたら、私みたいな出自のわからない子供はさぞ不愉快だろう。

 怒りの矛先がこちらに向き、嫌だなぁと顔を顰めかけた時、絶対零度の命令が飛んだ。


 美人の圧力ってそのままでも強いのに、怒ると何倍にも増すのよね。

 たった一言の命令に周りにいた全員が口を閉ざして固まる。

 私や周りの兵ですら顔が青ざめてしまう程だ。向けられている当の本人は青色を過ぎて土色になっていた。



「囀るな、逆賊が」


「ぎぃ……っ!」



 潰れた喉から漏れ出た悲鳴と共に前領主が独りでに地面にめり込んでいく。

 地面を割っても止まらない責め苦を受け、縄に縛られて震えることすらままならないらしい。

 涙や汗といった液体でぐちゃぐちゃになった顔で目を見開き訴える前領主を見てられず、クラヴィスさんの胸へと額を押し付けた。



「何事かと思えば……主、少し魔力を抑えてください。周りが持ちませんし、お嬢様によろしくありません」



 どさりと物が落ちる音と共にシドの声がして、前領主の方は見ないように顔を上げる。

 困った様子で立つクラヴィスさんを窘めているシドの傍にはボロボロな男が落ちており、隣の兵がシドと落とされた男の間で挙動不審になっていた。人のこと言えないんじゃないかな。



「首尾はどうなっている」


「制圧自体はもう終わるかと。

 ただ、既に支配が離れているらしく大勢倒れていました。

 まだ動いているのもいたため拘束はしておりますが、いかが致しましょう」


「連れてこい。焼く前に調べねばならん」



 声を掛けられて冷静になったようで、前領主を押し潰していた圧力が弱まる。

 液体をまき散らして激しく咳き込む前領主を目の当たりにして、シドの傍で落ちていた男が引き攣った悲鳴を上げていた。

 あぁこの声、あの時抜け道を探るよう言われていた従者か。そう頭の端で理解しながら、私の視線は続々と捕まり広場に転がされていく人達へと向いていた。



 縄で縛られても、抱えきれず地面に引きずられてしまっても、呻き声一つ上げず微動だにしない。

 その顔は城で見た者と違って明らかに色が悪く、瞳は虚ろで生気が無い。

 まるで糸が切れた操り人形のように力無く地に寝かされる彼等の傍に、明らかにおかしな歩き方をする者が数名座らされていく。


 少し離れた場所に分けて集められているのは前領主に雇われた人達だろうか。

 喚き散らす者や命を乞う者などのざわめきが異様な静けさの中で響いていた。



「……どうして、あんなことするのかな」



 終えたはずなのに動かされ、操られ、必要が無くなれば捨てられる。

 負うはずのなかった傷から黒く淀んだ何かが垂れたのが見えて、理解できない行為に気持ち悪さが込み上げて。

 気付けばそう呟いていた私の視界をどこからともなく現れたアースさんが遮っていた。



「お主は見ん方が良い」


「……せめて家族の元に帰してあげたいけど……」


「気持ちはわかるが、首を刎ねても動かされてしまうからのぉ……。

 相手の手口がわからぬ以上、弄ばれぬよう大地に還してやるのが一番の救いじゃろう」


「アースさんでもわからないの?」


「不甲斐ないがなぁ……操っておる魔力が少なすぎて何もわからんのじゃ。

 魔力の質は覚えたがそれだけじゃ。術者を辿ることもできんかった」



 結局彼等は捨て駒で、身元もわからないまま灰になるしかないのか。

 黒幕である魔導士は安全なところで高みの見物を決めているのかと思うと腹立たしさを覚える。

 叶うなら一発殴りたいぐらいである。幼女じゃ威力なんて無いに等しいだろうけど。

 そんなことを考えていたら無意識のうちにクラヴィスさんの服を握りしめていたようで、そっと手を取られた。



「先に城へ戻るか?」


「……ううん、パパと居たいです」



 向けられた気遣いに緩く首を振り、何も見えないようにクラヴィスさんの肩へと顔を押し当てる。

 精神的に良くない状況なのも、ここに居てもお荷物にしかならないのもわかっているけれど、今はこの生きる温もりから離れたくない。

 ひっつき虫の如くしがみ付く私に、クラヴィスさんは「そうか」と呟いて背中を支えてくれた。有り難い。



「領主様! 屋敷の制圧が完了いたしました!」


「わかった。移送の手配はどうなっている」


「そちらも既に完了しております!」



 そうこうしているうちに全員捕らえ終わったようだ。

 クラヴィスさんと兵士とのやり取りが聞こえ、やっと帰れそうだとほっと一息吐くと、肯定するように優しく背を撫でられる。

 まさに子供のように宥められて多少の羞恥心を覚えるけれど、それ以上の心地よさに思わず擦り寄っていたら、背後から濁った声が投げられ体が跳ねた。



「わ、私をどうするつもりだ……!?」


「……さっさと始末したいところだが仮にも貴様は元領主。貴様等の処刑は王家が行わねばならん。

 それにどうやって逃れたのか、協力者は誰か吐いてもらわねばな。

 さっさと自白した方が楽になるぞ? 私の得意とする魔法は知っているだろう」



 見れば兵士に連れて行かれそうになって前領主が暴れながら叫んでいた。

 まだそんな元気があったのかと呆れていたらクラヴィスさんも同じだったらしく、溜息を吐いて声色低くそう告げる。

 基本的に何でも使えるけど一番得意なのは幻影なんだっけ。私は見たこと無いけど、武官の誰かが話しているのを聞いたことがある。



「終わらぬ苦痛を味わいたいなら、望み通り与えてやるが?」



 一歩近付き、止めと言わんばかりに囁いた声は、決して大きくないのに威圧感を伴っていて、前領主は情けない悲鳴を上げるしかなかった。

 傍で聞いていた私ですらちょっと鳥肌が立ったぐらいだ。向けられた側はさぞ恐ろしいことだろう。

 だが、その脅しのおかげですっかり大人しくなったようだ。ガタガタと小刻みに震え出し、抵抗すらままならない前領主を二人の兵士が連れて行こうと腕を掴む。



「──離せ!!」



 ──それは一瞬のことだった。

 恐怖に震えていたはずの前領主の体が硬直し、クラヴィスさんが声を上げる。

 反射的に兵士達が手を離し、重力に従って傾いていく前領主の体が異様な音を立てて膨らむ。


 ぼこり、という聞いてはならない歪な音が耳に届く前、目の前に真白の光が壁として現れた。

 一体何がと考える間も無く、アースさんが全身を使って私の顔をクラヴィスさんへと押し付ける。

 次の瞬間、幾つもの風船が弾けるような破裂音が衝撃と共に襲いかかった。

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