燻る焔
報告を受けて駆け付けた先で目の当たりにしたその惨状に血の気が引いた。
焼けた天井が崩れ落ち、焼け爛れた壁からは部屋の中が丸見えになっている。
遠目からでもわかるほど酷い火傷を負った者達が回復魔法を受ける傍らで、僅かに形を残す人だったモノが転がっている。
その戦地が如く惨憺たる光景で、何人もが必死に消火しても執拗に残る炎が自分達の覚悟を嘲笑うかのように揺らめいた。
まるであの時のようだ。
もう二度と味わいたくないと願っていたあの時の絶望は、まだ我らの前に現れるのか。
「シド殿! こちらに!」
呆然と立ち尽くしかけた自分を呼ぶカイルの声が響き、働いていない思考のまま向かう。
そこには背中全体を広く焼かれ、身動きが取れないウィルがいて、その傍に居るはずの、居なければならない方の気配が無い。
小さなその影が瓦礫に隠れているわけでもなく、誰かが守っている様子も無い状況に心臓が握りしめられた気がした。
「す、んません……やられました」
「何が、あった」
特異なその肉体故か。火傷の範囲は広くとも周りの者に比べ軽傷のウィルが息も絶え絶えに告げられ、言葉が詰まりかける。
先ほどから変わらず牙を研ぐ絶望に駆り立てられた鼓動が煩く、息ができなくなるほどの焦燥感に苛まれるがそんなのどうでもいい。
「お嬢様はどこだ」
主の大切な人。我らの小さな主。如何なる秘密があるのか類まれなる知識を持つ人。
我らが命に代えても守らなければならないあの方は、主の唯一の宝たるあの方は、どこにいる。
「さらわれた」
たった五音の短い報告は我らの心を底まで穿つ。
あの時と同じだ。守るべき存在を守り切れず、全てを失ったあの時と。
繰り返してしまった後悔に浸る猶予は無い。必ず取り戻さなければ。今度こそ、我らの手で。
何もかも見えず、立ち止まるしかなかったあの時の二の舞にならないよう、我武者羅に駆け出しそうになる足を抑えて無理矢理息を吐きだす。
するとウィルが震える腕を持ち上げ、離れた場所で手当を受けているあの方の侍女、フレンを指さした。
どうやら火傷は無いが意識を失っているらしく、先ほどからあの者の名前を呼ぶ声が聞こえてきている。
あの者が何か知っているということか。それとも立場上知っている二人の出自関係か。
どちらとも取れない導きにウィルへと再び視線を向けるが、それ以上は声が出せないらしい。
ウィルであればこの程度の火傷であれば動くことができるはず。
普通の炎ではなかったのか。一見ただの魔法の残滓しかない炎へ触れないよう、周囲に注意を促し導かれるままフレンの元へと向かう。
近寄るに連れて増す忌々しい気配に何が起きたか察し、怒りを抑えて魔力を練り上げた。
「あぁシド様! フレンが目を覚まさないんです! 回復魔法も効かなくて、どうしたら……!?」
「……精神に干渉されたのでしょう。彼女をこちらに」
近付いた自分に縋りついてきたのはフレンと親しい侍女の一人だったか。
狼狽する侍女が守るように抱きしめているフレンに手をかざせば、昏い魔力がこちらにまで手を伸ばしてきた。
炎とは全く異なる魔法に侵されているなら、この者だけが知る何かがあるはず。
とにかく手掛かりを集めるために、多少強引にフレンに掛けられた魔法を祓うとすぐに瞼がピクリと反応した。
「お、嬢……さま? お嬢様、お嬢様が!?」
「落ち着きなさい」
落ち着けなどと、誰の口から出ているのか。
変わらず騒ぐ鼓動を無視し、混乱を露わに暴れ出すフレンを宥めて軽く診る。
掛けられた魔法は気を失う程度のものだったが、精神干渉は最悪記憶を失うこともある危険な魔法だ。
幸い記憶の混濁による混乱といった軽傷で済んでいるようだが、この状態で何か聞けることがあるだろうか。
周りの手伝いもあって多少落ち着き、状況を把握したフレンにお嬢様はどうしたのか問えば、彼女は大粒の涙を溢れさせた。
「お嬢様が、守ってくださったんです……!」
「お嬢様が?」
「炎が迫って来た時に、結界を張ってくださったんです……多分、あの場にいた全員に。
レガリタ、とおっしゃっていました。白い光が、炎を抑えてくれて、ウィルさんが庇ってくれて、お嬢様と私だけが無事で……!
ウィルさんが逃げろと、私しかいないと言って、お嬢様を連れて逃げたんです……でも、突然部屋から人が出てきて、死体も、まだ動いて……」
「そこで攫われたのですか」
「はい……部屋から出て来た者に魔法を使われて……お嬢様を……!」
魔法の後遺症もあって拙い証言ではあるが大まかのことは把握できた。
お嬢様は主が自分の身を守るようにと持たせていた例の指輪を使われた。
こちら側に死者が一人も出なかったのはそのためか。
あの結界魔法はそこまで強度は無いものの、邪を退け術者の意志に応じる特殊なものと聞いている。
得体の知れない炎にも効果を発揮し被害を抑えたのだろう。
しかしそこで敵の手が緩むことは無く、逃げられる唯一の術となったフレンを襲い、お嬢様を連れ去った。
「何処へ行ったかわかりますか?」
「出て来た部屋に、戻って行きました……あの部屋です……!」
フレンが指さす部屋をには扉や壁に何かを叩きつけたような跡が残っていて、すぐさま指示を出し調べさせる。
近くには大きな破片や花、窓枠など様々な物が散らばっており、どうやら彼女が抵抗して手当たり次第投げつけたようだ。
咄嗟とはいえ身の丈ほどある花瓶や窓枠を投げるなど普通の娘ができるはずの無いことだが、今更気に留める必要も無い。
「その者の顔は? 何か覚えていることは?」
「顔は、フードで隠れていて……でも首の辺りに傷があったような……? 体格は太っていたように思います。
あとは……男の声がしたので男だとしか……すみません……」
「わかりました。貴方はもう休んでいるように」
精神干渉の魔法を受けて良くそこまで覚えていたものだ。
侍女としての意地か、期待以上に覚えていたフレンに休むよう告げて立ち上がる。
影が仕込んでいる探知魔法に引っかかった痕跡。
禁忌を侵せるほどの腕があれば難なく消せるだろう痕跡が残っている以上、お嬢様を連れ去ったのは例の魔導士ではない。
そして何より、あの部屋はほとんど使われたことのない貴賓室で、緊急時の隠し通路が今も残っている。
転がる死体の数は多く、いくら緊急事態下とはいえこの数が入り込むのを見過ごすほどこの城の警備は甘くない。
つまりその者は死者を連れて隠し通路から侵入し、そのまま逃げ去ったのだろう。
部屋を調べていた者からも隠し通路が使われた形跡が見つかったという報告があり、既に追跡している者の元へ数名応援を送る。
それこそ自分が向かいたいところだが、まだ動くことはできない歯がゆさに顔が歪んだ。
領主もしくはそれに連なる者しか知らない城の隠し通路。
前領主を含めた多くの者達は王の名の元に処刑され、今も道を知るのは主と我ら直近の配下である影のみ。
それなのに知っている。防犯のため入り組んだあの道を正確に、迷うこと無く忍び込めるほどに。
あの者が手を貸し生き永らえさせたのか。それほどまでに主が憎いのか。
王都に残る禍根が頭を過ぎり、自制のために握りしめた手から血が滴り落ちる。
ありえないと思いたいが、ありえてしまう。そんな予想が這い寄る中、怒気を孕んだ気配に振り返る。
「──主」
「トウカは、どこにいる」
これほど怒りを露わにされるのはいつ以来だろう。
久しく感じていなかった威圧感に生存本能から背筋が震える。
慣れている自分でこれなら周りはどれほど耐えられるのか。
視線を逸らすことも儘ならないため確認できないが、息をする音すら聞こえない彼等の前に一歩踏み出した。
「攫われました。恐らく前領主の手の者です」
「……隠し通路か」
「はい。現在数名で追跡中ですが、東部へ向かった模様」
冷静に、簡略に、言葉に気を付け今の主に必要な情報だけを伝える。
制御が利かず溢れ出ている魔力がいつ暴走するかわからないのだ。下手な報告は刺激を与えかねない。
「何を使ってでも、何をしても構わん。彼女を取り戻す」
「御意」
怒りに勝った恐怖で頭が急激に冷え、主の命に礼を捧げる。
あの主がまさかここまで心を乱すとは。思いもしなかった出来事に改めてお嬢様の存在の大きさを理解する。
幼く賢いあの方が主の心を解かしているのはわかっていた。
主に良い変化を与えてくださることを願っていたが、こうも人らしくなられるとは。
しかしそろそろ魔力を抑えて頂かなければ、いつ誰が耐えきれず倒れるかわかったものではない。
放つ言葉を選び、覚悟を決めたところで遥か上空から舞い降りる気配に息が詰まった。
「……アースか」
契約で主の怒りを感じ取ったのか、ゲーリグ城の上空にアース様が現れたようだ。
距離を取った上で抑えてくださっているようだが、それでも圧倒的な存在が放つ魔力に体が重くなる。
姿は見えずとも繋がりを用いて会話を始めたお二人に、我らは息を潜める以外なかった。
「トウカが攫われた。取り戻しに行く。
──……ならばそちらは任せる」
アース様は何を告げたのだろう。
少しだけ魔力を緩めた主は周囲を見渡し漆黒をこちらに向ける。
「動ける者はどれほどいる」
「影も含めて百名弱になります」
「全員出せ。ルーエ、動けるな」
「っはい!」
「これよりアースが魔物を引き受ける。
同行し各地を回ると同時、各部隊の半数を私の元へ送れ」
「畏まりました」
主に呼ばれ、自身で傷を治療していたルーエがすぐさま駆け寄り跪く。
どうやら各地で暴れている魔物の対処をアース様が引き受けてくださったようだ。
確かにお嬢様を取り戻すにはアース様の存在は強大過ぎて、まさに今そうなっているようにこちらの動きを阻害しかねない。
領主として魔物を放置するわけにもいかないので使える兵が少なかったのだが、これなら兵を戻しつつ魔物の殲滅が可能だ。
そしてアース様と同行するのならある程度魔力に耐性がなければ動くことも叶わない。
これから敵の根城へ向かうのを考慮すれば、件の炎で負傷しこれ以上はまともに戦えないルーエが適任だろう。
まだ片腕が動いていないが、淑女の見た目に反して騎士の精神を持つ者だ。
自身の護衛対象を奪われたのもあり、何があっても成し遂げるはず。
膨大な魔力の塊が近付き、人一人軽く掴めてしまう巨大な手が姿を見せる。
その手の中には深い紫の卵が収まっていて、時折脈を打つように揺れるそれは独りでに浮かび主の元へと飛んでいく。
卵が主に渡った所で鋭い爪が招くように動き、主の視線を受けたルーエが慌てて駆け寄り掴まるとすぐに宙へと昇って行った。
「……もうじき孵る、か。シド、お前が持て」
「これは……」
「連れていけとのことだ」
悲鳴一つ上げずに消えて行ったルーエを見送ると同時、手渡された卵を抱え込む。
以前アース様の元へ行った際に魔石を卵に変えられたと聞いていたが、その卵だろうか。
深い宵闇を思わせる紫は伺っていた色と異なるが、一体何が孵るというのか。
アース様のおかげで多少落ち着かれたもののそれ以上余計な事は聞けず、とにかく動ける者に出立を急がせる。
何が孵るのか知らないが、お嬢様を助ける術であってほしい。
腕の中で揺れ動く洗練された高純度の魔力に微かな希望を持ちながら、先を急ぐ主の後を追った。
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