敵の目的は
窓の外から微かに見える淡い光が時折揺れるのが視界に入る。
いつの間にか鐘も鳴り止み、普段の静けさが戻りかけている城内には届かないけれど、誰かがどこかで戦ってくれている。
さっきまで人に落ち着けと言っていた口が今更になって震えていて、胸元の指輪を握りしめた。
「……大丈夫だよね」
クラヴィスさんもシドも只者ではないと察しているし聞いているけど、実際にどれほど強いのかなんてわからない。
脳裏に過ぎる多くの武官達だって、訓練しているところを遠くから見たことはあるけれど、それだけだ。
魔物だって知識として知っていても、この目で見たのは便利上魔物として扱われているアースさんだけ。
無事だろうか。怪我はしていないだろうか。誰も死んでいないだろうか。
何もかも不明瞭のまま、ただ見送り励ましただけで本当に良かったんだろうか。
不安が溢れて零れてしまう幼子に、隣で守ってくれているルーエが微笑んで見せた。
「大丈夫ですよお嬢様。
既に魔物の気配は大半が消えているので、もうじき静かになりますわ」
「そっか……領内の魔物と魔導士の行方はどうなってる?」
「今んとこは何も来てないっすね。
南部は魔物の数が少なかったんですぐ来ましたけど、他は距離もあるんでもうしばらく掛かるかと」
私よりよっぽど知っている人達が大丈夫だって言ってるんだ。
心配するよりもこれからのことを考えないと、と小さく息を整えて前を向く。
領内の魔物はそのうち片付くとして、影しか見えない魔導士をどうしたもんだか。
他の領地にでも逃げられてしまえば法律上ノゲイラは直接手出しができなくなる。
協力者がいるのかもわからない以上、ノゲイラを出る前に捕まえたいけれど、魔物が現れて以来ずっと後手に回っている今、既に逃亡している可能性が高そうだ。
元の世界の知識を活用するとしても超常現象を操る人が相手だとどうしたらいいんだか。監視カメラとかあるわけじゃないしなぁ。
何か使えそうな知識は転がっていないのか。小さい頭でぐるぐる考えていたが、フレンが大きく息を吐いたのに迷子の思考は途切れた。
「ようやく一息つけそうで安心しました! 私、ちょっと声枯れちゃって」
「フレン、まだ気を抜いちゃダメよ。まだ侵入者が全員捕まったかはわからないんだから」
「え? でもそれって、混乱に乗じて城へ攻撃を仕掛けるためなんですよね?
ルーエさんの言う通りもうじき魔物が討伐されるなら、そこまで警戒しなくても大丈夫なんじゃないですか?」
フレンとアンナのやり取りに、確かにそうだよなぁと思いつつ周りを見やる。
クラヴィスさんを城から引き離し、情報を錯綜させ、城へと攻撃を仕掛ける。
あの男や他に入り込んでいる者の目的が城内の混乱を招くことなら、私達は相手の思うままに動いていたことだろう。
けれど頼りの魔物が掃討されつつあるんだ。もう勝敗は決まったも同然のはず。
勝敗がもうわかっていて忍び込んだのがバレている以上、敵地のど真ん中に居残り続けるような真似はしないだろう。私ならすぐ逃げるね。命大事。
それなのに警護してくれている人達みんな、なんだかさっきよりも警戒しているように感じる。
特にちらりと見上げたウィルとルーエの表情は険しく、一秒でも早く部屋に行きたいとばかりに駆け足に近い速度で進んでいる。
侵入者がいたから警戒を緩めないのはわかるけど、妙に剣呑すぎやしないだろうか。
「あのねぇ……不在とはいえ、クラヴィス様の結界が施されたこの城の奥まで侵入されてる時点で何かおかしいのよ。
ルーエの探知に引っかからないなら例の魔導士はいないでしょうけど……一体何人入り込んでいることか、わかったもんじゃないわ」
「……生きてる奴ならとっくに片付けたっすよ。問題は残りっす」
名前を出すのも躊躇われるあの虫みたいな言われ様だなと思っていたら、ウィルの零した言葉にアンナの顔が一瞬の間を置いて凍り付く。
アンナは何かを察したようだけど、私やフレンにはよくわからず二人で顔を見合わせ首を傾げていたら、アンナが信じられないとばかりにウィルへと詰め寄った。
「まさか、そんなことがあり得るっていうのかい?
でもあの男、しっかり動いてたじゃないか……! それに捕まった後も身動きしたのを見たよ……!?」
「貴女は離れていましたし、あれ以上の混乱を招かないよう幻術で隠しましたからね。気付かないのも無理はありません」
「そんな……相手は一体……」
何が何やら。ウィル達があの男に関して何か黙っていたようだが、それほど重要な事だったんだろうか。
ルーエに諭されたアンナが口調も荒く信じられないと驚いている横で、フレンと共にウィルへと視線を向ければ溜息が返って来た。
そして少しだけ歩く速度が遅くなり、ウィルは苦い顔を露わに口を開いた。
「……お嬢に聞かせるのは良くねぇとはわかってますが、身を守るためによく聞いててください。
さっきの男、捕まえる際に血を流し始め、確認したところ既に死んでました。恐らく相手は死者を操る禁術を使ってます」
「禁術?」
フレンが小さく息を呑み、青ざめた顔で口元に手を当てる傍ら、告げられた単語を繰り返す。
最近魔法の基礎知識は教えてもらうようになったけれど、禁術なんて聞いたことが無い。
死者を操るなんて悍ましい内容な時点でやばそうだなとは思うが、それがどれほど恐ろしい事なのか。
いまいちわからなくて変わらず首を傾げていると、ルーエが重々しく口を開いた。
「禁術、というのは道徳的な観点からでもありますが、元々死者を操るのは不可能とされているのです。
他者を操るには干渉する必要があり、干渉すれば自らも干渉される。
精神に干渉して思考を操り思うように動かす魔法は実在しますが、死して意識の無い死者には使えません。
肉体を操るにしても、生者であれば拒絶反応が起こり反動を、死者であれば死の干渉を受けると聞きますわ」
「死者を操ろうとしたら死ぬってこと?」
「死ねたらマシな方っすよ」
死の干渉だなんて恐ろしい言葉に思わず聞けば、それより嫌な答えが振ってきて顔が引き攣る。
はっきりと言い切ったウィルは、どこか遠い目で呟く。
「一歩歩き出した瞬間、死んだ奴の体が崩れ、術者の体が腐り始めた。
色々切り落として一命は取り留めてましたけどね。後遺症もあってひでぇもんでしたよ」
恐ろしい事を淡々と言われて今度は私とフレン、二人分の悲鳴が小さく零れる。
色々って、どれだけ切り落としたんだろうか。想像するのも嫌になるわ。
しかも後遺症だなんて、まさかどこか腐り続けたりなんてことが……? 禁術なのも納得だね。こっわ。
でもそうなると、相手の魔導士はそれほどのリスクを背負ってまで死者を操っているということになる。
行方が見つからないのももう死んでいるからなのだろうか。それならそれで死体が見つかってそうだけど、そういった話は聞いていない。
どこかもやっとしているとフレンが遠慮しがちに手を挙げていた。
「あの、この城にはクラヴィス様が施した侵入者を防ぐ結界があると伺っています。
それなのにその、操られている人達は入ってこれたんですか?」
「結界ってのは範囲が広いほど効果が下がっちまうから、ある程度のモンを施すとなると色々と制限を定めなきゃならねぇ。
主は幾つも重ね掛けすることでこの城に結界を施したそうなんすけど、死者の出入りまでは禁じられなかったと聞いてるっす」
]顔を青ざめたまま言葉を濁して問われ、丁寧に説明するもその視線は周囲に向けられたままだ。
この際魔導士の生死はどうであれ、結界をすり抜けてしまうのならどれだけ入り込んでいるのか分かった物じゃない。
それは警戒も厳しくなるよ。漸く理解できた状況にうんうんと頷き、今更ながら私も周りへと注意を向けた。
どこで死体とかち合うかわからないって、そんなホラー体験求めてません。押し売りはお断りです。
「……にしても、おかしな話だね。
禁忌を侵すぐらいなら結界を破るなりなんなりした方が速いし、代償も少ないだろうに」
「結界はとっくにカイルさんが調べてくれましたけど異常なんて一切無かったそうっすよ。
探知にも引っかからなかったんで侵入する前から死体だったと思うんすけど……それにしちゃあ臭いがしなかったんだよなぁ。
動いてるとしても死体は死体っす。死体を目の前にすりゃ流石に気付くと思うんだが」
「私も、遠くからだと普通の人にしか見えませんでしたわ。
お嬢様が気付いたから良かったものの……どうなっていたことか」
荒々しく髪をかき乱し、砕けた口調のまま苦々しく吐き捨てるアンナに、ウィルもルーエも触れることなくそれぞれの疑問を口にする。
きっとあれが素のアンナなんだろうなぁと思うと同時、二人の疑問にあの男の姿を思い返す。
そういえばやけに息切れ気味だったけど息もしていたし、顔色もそこまで悪くなかった。
多少なりとも不自然なところはあったけれど、パッと見ただけじゃ死体だなんて思いもしないほど自然だった、というべきか。
ウィルのことは信じているが、正直本当に死体だったのかなって思っちゃうぐらいだよ。
禁術というほどだから普通の魔法ではないんだろうけれど、その魔法はそれほど他者を巧く操れるモノなんだろうか。
しかしそんなことをしてまでやったのが城内の混乱だけだなんて、コストが悪すぎやしないか。
何か別の目的がありそうだけど……こっちも陽動でどこかに攻めるつもりなのかなぁ。
城を攻め落とすつもりならとっくにしてるだろうし、ここじゃないとしたら……クラヴィスさんを狙うつもり、とか?
自分なりに色々と考えてみるが、禁術なんて危ない物に手を出してまで成し遂げたい目的なんてわかるわけもない。
相手の手の内が一つ分かったというのに、変わらず掴み切れない存在に頭を抱えていたら、自分を支える腕に力が入ったのを感じた。
「話してたらお出ましってか」
忌々し気に呟かれた言葉に、何事かと様子窺おうにもきつく抱きしめられて身動きが取れなくなる。
今度は一体何なんだ。無理矢理顔を動かしウィルが見ているであろう方向を見れば、複数の人影が見えた。
「今立て込んでるってのが見てわからないのかしらねぇ?」
「気遣ってくれる相手なら最初からここにいませんわよ」
「そりゃそうだ」
私の部屋がある方向へアンナとルーエが溜息交じりに進んでいく気配がする。
他にも数人周囲で動いた気配がして、その言葉と状況に理解する。
待ち伏せされていたんだ。しかも相当な数で。
「ここはアタシ達に」
「任せた」
「貴女はお嬢様と一緒に行きなさい」
「は、はいっ!」
狙いは私なのか。まさか私の出自を知って?
離れた場所で鳴った金属音に改めてウィルへとしがみ付く。
何も見えなくなった視界でフレンが返事をした次の瞬間、二つの地を蹴る音と鈍い打撃音が鳴り響いた。
「俺から離れるなよ!」
敵の群れに突撃したらしい二人の戦いは激しさを増しているようだ。
そう言ってウィルが駆け出し揺さぶられる頭には、遠ざかっているにも関わらず耳を塞ぎたくなる音が届いている。
「あーもう! 骨を折っても砕いても構わず動きやがって、死者の相手ってのは面倒だね!」
「四肢を吹き飛ばしても無駄のようですわね……! っ、魔法注意!!」
死体だから痛みも何もないんだろうか。腕が飛んでも、足が千切れても止まらないんだろうか。
身近で起こった戦いに、聞こえてくる衝撃に体が震えて止まらない。
誰か、と指輪に縋りついた時、空を割いたルーエの叫びにウィルが息を呑む。
「フレン!!」
「え」
不意に緩んだ拘束に視界が広がり、瞬きを一度だけ行う。
アンナが侵入者達の上を駆け抜け、ルーエが槍を構えるその先に、紅い光が煌々と輝いている。
それは廊下を容易く塞げるほどの炎の塊で、今にも爆発しそうなほど膨らんでいた。
あれは、敵味方関係無く、全てを燃やすつもりだ。
そう理解したのは私だけじゃない。ウィルが伸ばした手の先で、紅に輝かされる赤茶色の瞳がこちらに向く。
各々が防御を、もしくは制止を試みる中で、ただ一人無防備に放り出される彼女を掴んだ光景に願いを叫んだ。
「──【レガリタ】!!」
彼女が、彼が、戦う彼女達が、守ってくれる彼等が、誰一人傷付かないように。
今は居ない漆黒へと願った光は純白に輝いてそれぞれへと降り立つ。
けれどほとんど扱ったことの無かった私に、まともな結界が使えるわけもなく。
紅が破裂すると共に飛来した紅蓮の炎は指輪の結界だけでは抑えきれず、儚い音を立てて散っていく。
迫る炎に目を閉じる寸前、掴んだ彼女と共に抱き込まれたのを最後に、激しい衝撃に呑み込まれた。
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