宝の意味はそれぞれ

 胸に沈む重さに気を取られ、不意に感じた揺れにまた下がりかけていた視線を上げる。

 どうやらクラヴィスさんが何か魔法を使ったらしい。

 目の前で淡く黄金色に輝く魔法陣がクラヴィスさんの手の動きに従い二つに増え、その内の一つがカイルの方へと飛んでいった。



「結界の情報をカイルに開示しておく。上手く使え」


「ありがとうございます」



 クラヴィスさんの言葉に一礼したカイルは、戸惑うことなく魔法陣に触れる。

 私からは何も見えないが、視線が忙しなく動き始めた辺り、カイルの視界には結界の情報とやらが映っているんだろうか。

 ぎゅるぎゅると心配になるほどの速さで瞳が動いていて、ちょっと顔が引き攣りそうになる。目ってあんなに動くんだねぇ。



「指揮もカイルに任せる。

 私は急ぎの物だけ片付け、トウカと共にアースに会いに行かねばならん」


「畏まりました」



 思いもしなかったタイミングで自分の名前が出て上を見上げるが、シドがいつの間にか用意していた書類に目を通し始めていたので口を閉じる。

 勝手に城内の掃除一掃に参加するものだと思ってたけど、本当に急いでいるのかそれほど彼等を信頼しているのか。

 何にせよ、私にできることはないのでとりあえず黙っていよう。


 とはいえどうして今アースさんのところ行くんだろう? 帰って来たよーって挨拶とか? 私要る?

 一人首を傾げて考えていたが、次いで告げられた内容に思考が止まった。



「シド達が未然に防ぎ、何事も無かったが……中にはトウカを害そうとした者もいる。

 日没までにこの一覧の三十八名、誰一人逃さず捕らえろ」


「御意」



 氷のように冷たい声が執務室に突き刺さり、一糸乱れぬ動きで一礼するカイル達と共に控えているシドに自然と視線が向く。

 知らなかった。近付いて来た人がいるのは知っていた。

 けれど、危険が迫っていたなんて知らなかった。自分の身が危なかったのなんて、知らなかった。


 クラヴィスさんが居ないうちに始末しようとされていたのか。

 それをシドが、シド達が防いでくれていたのか。

 喉を絞める恐怖に唇が歪むのを感じるが、それ以上に込みあがる感謝の気持ちに口が小さく開く。

 けれど言葉が見つからず、何も言えないまま自身を見つめる子供に、彼は静かに微笑んでくれた。



「最後に、他の者にも伝えておけ」



 書類に署名していた手が私の髪を撫でていく。

 優しく労わるような手つきに、強張りかけていた体から力が抜けて、暗い感情に蝕まれていた心が少し落ち着く。


 決してシドが頼りないとか、そういうわけではないけれど、やっぱりクラヴィスさんが傍に居るのはすごく安心するなぁ。

 特に出会ってから何度も差し伸ばしてくれたこの手は、何よりも安心できる気がする。

 髪を撫で終え、頬へと近付いた大きな手につい擦り寄っていると、手の主は変わらぬ冷たい声色で告げた。



「トウカは何にも代えがたい私の宝だ。何があってもトウカだけは守り抜け」



 いくらなんでもそれはちょっと大げさ過ぎやしないだろうか。

 安心と共に出て来た余裕につい突っ込みかけたけれど、執務室内の空気はクラヴィスさんの雰囲気に応じて変わらずピリピリとしている。

 こんな空気でのんきに突っ込めるほど私の心は強くなければ鈍感でもないです。はい。黙ってますとも。


 何か聞きたそうにしながらも、日没まで時間がそう無いからか、重い空気のまま執務室を出ていくカイル達をぎこちない笑みで見送る。

 最後にシドが一礼し、扉を閉じたところで溜息を吐いた。



「あのぉ……宝って大げさすぎじゃないかなぁ、と」


「自分の価値をわかっていないのか?」


「……それはわかってますけどね。

 でも、あの人達からすれば得体の知れない子供なんだから、突然そんなこと言ったら不信感募っちゃいますよ?」



 そりゃあ、ね。クラヴィスさんからすれば建国に携わった英雄と同じ、異世界から来た人間だ。

 科学による発展を進めた異世界の知識もあるし、戦い勝利をもたらす英雄には成れなくとも価値は十分あると私もわかっている。

 だがしかし、彼等にとっては突然降って湧いた主人の養子である。しかも出自不明で記憶喪失という、怪しさ満点な子供だ。

 それぞれが向けてくる視線が痛いのなんの。シドだけじゃないかな納得してる人。後で拗れないか心配になるわぁ。



「心配しなくとも私と彼等の契りはそう簡単に揺らぎはしない。

 どのみち彼等も君の価値に気付くだろう。

 だからこそ、君は私の宝で在ればいい。この先、何があっても自分のことを優先しなさい。いいね」



 恐らく、きっとそうなんだろう。

 私を守るための言葉の盾であり、私と彼等に意識させるための呪縛であり、彼等に守らせるための命令。

 出会ったその時から私を守るために様々な事をしてくれるこの人だから、それ以外の他意はないんだろう。

 けれど向けられる黒曜の煌めきが、まるで本当に宝を見つめるように柔らかくて、こんなの、こんなの頬に熱が集まるのも仕方ないじゃない!?



「あ、の」


「もし君に何かあれば、私は君を守れなかったことに生涯後悔するだろう」


「は、い?」



 熱が耳まで来たからか、鼓膜がおかしなことになっているらしい。

 言われたことを理解できなくて、脳内で反芻すること数回。どうにか呑み込んだ内容はやっぱりわけがわからなかった。



「そうだな、泣き暮らすことになるかもしれん」


「じょ、冗談はほどほどにしてくれません!?」



 聞き間違いだと思いたくなるような言葉に、赤くなっているだろう顔を晒して叫ぶ。

 よっぽど異世界の知識がお気に召したのか、たかだか出会って半年程度の他人に何を言うのか。

 王都で嫌なことでもありましたかってぐらい様子がおかしいよ。連投爆撃は本当に止めて頂きたい。



「君は私を泣かせるつもりなのか?」


「そんなつもり無いから!! 肝に銘じますぅ!!」


「そうしてくれ」



 丁度書類の処理が終わったらしく、私を抱き上げ席を立つクラヴィスさんを自然と見下ろすと同時、首を傾げて問われた言葉を即座に否定する。

 人をからかう時は自分の顔面の良さを正しく理解してからしてほしい。傾国って言葉知ってる? 貴方みたいな芙蓉の顔がそんな表情してきたらそりゃあ国の一つや二つ傾くわな!?

 意味のわからない考えに思考が崩壊しているのはわかるが、自分の元の身長よりも高い位置にいる今、逃げ道などどこにも無く、せめてもの抗いとして天井を見上げ顔を覆った。

 この人絶対面白がってんじゃん。この間から味占めてるでしょ絶対。乙女心を弄ぶなんて悪い人だこと!!



 誰がおかしくなっていようとも目的だけはしっかり果たすのか、厩の方へと向かっているらしい。

 そういえばアースさんに会いに行くんでしたね。爆撃で頭いっぱいになってたわ。


 私とは違って変わらぬ顔色で歩くクラヴィスさんをちらりと見下ろし、小さく息を吐く。

 何だろうなぁこの差は。本人は恥ずかしい事を言ってる自覚が無いんだろうか。『私の宝』なんて、一歩間違えれば愛の告白だよ。勘違いなんてしないけどさぁ。

 ぐるぐると頭の中を巡る先ほどの言葉をどうにかしたくて、何か話題は無いか熱っぽい頭で探し出せたのは、名前だけ知ったその人のことだった。



「そうだ、ディーアってどんな人なんですか?」


「ディーアか……一言で言えば毒の扱いに長けた男だ。

 昔受けた毒のせいでほとんど口を利けないが、君にはむしろ利点だな」


「あぁ、なるほど……で、私の専属護衛ってことですけど、どういう? なんとなくはわかるんですが」


「簡単に言えば私とシドのような関係だと思えば良い。

 君を守り君の手足として君に仕える者だ。すぐ傍に大人の手があれば君も動きやすいだろう?」



 周りに人がいないのを確認してから聞けば、毒という、馴染みが無さすぎて想像しにくい人物像が告げられる。

 ほとんど口が利けないとなるとコミュニケーションを取るのに少々不安ではあるが、それならそれで私の秘密を守るのにはうってつけということか。

 確かにクラヴィスさんが留守で大っぴらには動けなかったとしても、シドが常に傍に居た日々は様々なサポートをしてくれて動きやすかったしなぁ。

 物を隠すとか動かすとか、幼女な体だと色々誤魔化すのが難しいんだよねぇ。この世界の本って大体羊皮紙で重いし。



 それに毒の扱いに長けている、ということは薬物に関する知識も豊富なのだろうか。

 となれば気になっていた医療関係に手を付けるのにぴったりな人かも知れない。

 この世界、ある程度の病なら魔法での治療が可能なせいか、私からすると恐ろしいほど発展してない。

 いつ誰の身に何が起こるかわからない上に、治療魔法は使える人が少ないらしく、助けられない命が数えきれないほど在ると聞いている。


 どうにかしたいとは思っていたけれど、薬を作るなんて知識は事務職だった私には遠い物。

 症状や病名とか知っている事はあるけれど、それだけだ。手詰まりだと思っていた。

 でも、その人が毒に長けているのなら──例えばそう、外科手術の要である麻酔を作り出すことも夢じゃない。



「……早く会いたいです」


「……そうだな。早く会わせたいよ」



 やりたい事が、やるべき事が、やれる事がまた一つ増えたのが嬉しい。

 専門知識がほとんど無い以上、あちらの技術を再現するなんて途方もなく難しいとわかっている。それでもいつか遠い未来の礎にはなれるだろう。

 ほんの僅かに持つ知識をかき集めながら呟いた言葉に、早く護衛を付けたいらしいクラヴィスさんもしみじみと頷いていた。

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