動力源は往々にして欲望です

 オルガから砂糖を作ってから約三ヶ月。

 執務室のソファに座った私の目の前には、一つの皿が置かれている。


 丸い皿の上に一枚一枚丁寧に並べられた内の一枚を手に取る。

 型抜きが無いため、大まかに丸く形作られたそれはちょっと歪なそれからは、ほんのりと甘く懐かしい香りが漂っている。



 ──しっかしまぁ、子供の絵と説明から良くここまで再現できたもんだ。

 少し離れたところから料理長のディックが固唾を呑んで見守っているけれど、私の意識は変わらず手にある焼き菓子──クッキーに向けられていた。



 クッキーは、ご存知の通りお菓子作りでも定番中の定番なあのクッキーだ。

 小麦粉にバター、砂糖、卵でサクサクっとできちゃうクッキーはアレンジの幅が広く、様々な楽しみ方ができるお菓子である。私もすっごい好きです。紅茶のお供よね。


 こちらの世界にもクッキーに似たようなお菓子はあったものの、作り方がアレなのかアレな感じだった。歯が折れかける物はお菓子とは呼びたくないよ。

 オルガ糖の件があってからディックが張り切って作ってくれるようになったんだけど、現代日本で暮らしていた私には受け入れ難い物だった。

 嬉しいんだよ? 有り難いんだよ? でもね、美味しくないのは……きついなぁと……。



 そんなわけでディックに私が知っているクッキーの作り方や材料を伝え、向こうの世界のクッキーを再現してもらった次第である。

 普通三歳児がお菓子の作り方を知ってるのはおかしいだろうって思ったけど、ディックは美味しい物が作れたらそれで良いらしく、特に訝しがられたりはしなかった。

 むしろ率先して聞いてきたよ。「次はどうするんですか!!」って、めっちゃ指示を仰いできたもの。怖かったもの。


 そんな事がありながら、ようやく形になったクッキー。はてさてどんな味がするのやら。

 ディックから緊張が伝わってくるような気がして息が詰まりそうになるが、私は摘まんでいたクッキーを口へと運ぶ。

 一口齧ればサクッと崩れる生地は程よい甘さを私に伝え、同時にバターの風味が口の中へ広がっていった。



「美味しい!」


「っよっしゃぁ!! あ、っと、し、失礼いたしました!」



 言葉にできない思いを一言に込めて喜びのままに声を上げれば、ディックも同じように雄叫びを上げた。

 だがここは執務室で、ずっと黙っていたが私の隣にはクラヴィスさんが座っており、その後ろにはシドが控えている。

 恐らく領主様の前で粗相をしたとでも思ったようで、ディックは喜びから一転、顔を青ざめて慌てて頭を下げ謝罪した。


 クラヴィスさんだもの、この程度ならスルーするでしょ。

 そのため私は少しだけ気にしつつ再びクッキーへと手を伸ばした。



「構わん。良くやってくれた」


「へ、へい!」


「よくやってくれたー」


「あ、ありがとうございます、お嬢様!」



 案の定、気にしていないクラヴィスさんに続き、私もディックへ子供らしく褒めたたえておく。

 いや、ほんと、よくやってくれたディック。流石料理長。マジで感謝。

 記憶に在る既製品に比べればそりゃあ味は劣るけど、それでもゼロからここまで再現できたんだから十分すぎるでしょ。さっすが料理長。マジ最高。


 我が儘を言って作ってもらったクッキーは言ってしまえば素朴な味で、もっと美味しくすることもできるだろう。

 だがその素朴さが酷く懐かしく思えて、私は目の奥が熱くなるを感じながら二枚目のクッキーを頬張った。



 元の世界にいた頃は何気なく食べていたクッキー。

 それをこんなにも懐かしく思うとはなぁ……。


 部屋を退室するディックを見送り、皿に並ぶクッキーを眺めてぼんやり考えていると、頭の上にポフンと大きな手が置かれた。

 この部屋に残っている人間の中で、私の傍にいるのは一人だけ。見ればそれはやはりクラヴィスさんの手で、優しい手付きで撫でられる。



「せっかくの菓子だ。ゆっくり食べると良い」


「……パパも、食べましょ?」


「あぁ」



 どうもしなくとも気を遣わせたようだ。

 暖かな温もりに崩れそうになりながらも精一杯の笑みを返せば、クラヴィスさんもクッキーを一つ手に取った。



「そういえば、今はどんな感じなんですか?」


「そうだな……砂糖の生産は上々。少しだが商人にも卸し始めた。あいつは商売上手な男だから上手くやってくれるだろう」



 クッキーをお茶請けにそのままティータイムへと突入する私達。

 シドがいるので異世界云々の事を漏らさないよう気を付ける必要はあるものの、他には誰もいないのでほぼ素のまま話せる今、話題はここ最近のノゲイラについてだ。



 オルガから砂糖を作ったその日。クラヴィスさんの指示の下、城の一角で砂糖の生産と研究が始められた。

 オルガにも様々な種類があるので、その中からより砂糖を効率良く取れる物を厳選したり、もっと白く作ることはできないのかなど、色々と試行錯誤がされたそうだ。

 ノゲイラの特産品にするべく、今は外に情報が漏れないよう限られた人数で城内の一角を使い行っているが、ゆくゆくはどこかに工場を作って領民の働き口にしたいらしい。

 候補地もテシルという土地にある領主の別邸や、エフィナにある無人の屋敷など、幾つか候補も絞られていて現在詳細を調査中との事だ。相変わらず仕事が早いことで。



 本格的に商売にするのはもう少し準備を整えてからにするらしく、私は知っている知識をそれとなーく伝え、研究を押し進める手伝いをしている。

 クラヴィスさん曰く、これ以上私が砂糖の生産に直接関与したら身の安全を保障できなくなるようだ。


 何で? と思ったが、よくよく考えればクラヴィスさんは特殊な経緯で領主になっている。

 一気に公爵になったクラヴィスさんを良く思っていない人も内外問わずにいるだろう。

 誰かがクラヴィスさんを探ろうと、忍者だか刺客だか密偵だかを送り込んでいるかもしれない。

 クラヴィスさんの事だから魔法で感知とかしてるだろうが、そんな状況でもし養女であるが私が色々と知っていると知られれば、狙われるのは間違いないわけである。自分で想像して怖いわ。



 そういった理由で、私は基本的にノータッチで見守ろうと思っていたのだが、如何せん、私には元の世界の知識がある。

 みんなで一丸となって壊さなければならない壁の壊し方を知っているのに、黙って高みの見物をしているような物だ。私の精神状態によろしくない。

 それに何より、ちゃっちゃと量産してもらってお菓子作りへ着手していただきたいのだ。甘い物を寄越せ。


 ただ煮詰めて固めただけの物だとしても、こちらの世界では十分すぎるほどの物だとはわかっているが、魔物由来の砂糖と比べれば質は低い。

 それに元の世界で食べられるようなお菓子を作るには雑味が多いだろう。

 どの品種から効率良く砂糖が取れるかはこちらの人達に頑張って探ってもらわなければならないが、不純物の取り除き方や精製方法は知っている。


 一応クラヴィスさんには全て話してあるが、頭を悩ませている人達の様子を見るからに全て丸々伝えるような事はしていないだろう。

 それでも解決のきっかけになる程度には伝えてくれているようで、三ヶ月経った今、懇意にしている商人に納品できるほどに生産体制が整ったのである。

 まだ試行錯誤している最中なので薄っすら茶色がかっている砂糖なのに変わりはないが、その内魔法でどうにかなりそうだという目途も立っているらしい。

 無理して元の世界のやり方を再現しなくとも、こちらの世界なりのやり方でやってもらえればそれで良い。どのみち砂糖はできるんでしょ? それなら皆さんのやりやすい方でお任せします。



「これで元手さえ稼げれば、手詰まりだった事も進められるようになる。

 まだまだこれからだが、順調だな」



 紅茶片手にそう語るクラヴィスさんは大変絵になる様子だが、流石に疲れが出て来たのか顔色が少し悪いように思う。

 それはそれで美人の色気に変化を与えるだけなんですけれども。疲れてても美人って流石世界遺産って感じですよね、ってそうではなく。



「しっかり休んでくださいよ?」


「この程度慣れている」


「いやいや、無理して倒れたら元も子もないですからね? シドも!」


「はい、お嬢様」



 この主従、人の話を聞く気が無いのか。

 あからさまに誤魔化されているとわかる笑みを浮かべて頷かれても説得力がないんですけどぉ?



 この三ヶ月、クラヴィスさんは勿論、私も砂糖にかかりきりだったわけではない。

 基本はこの世界の人達に任せ、あちらの世界の知識を基にした農業改革やノゲイラ全域の検地など、別の事業も同時進行で手を付け始めている。


 検地はほぼほぼノータッチが、農業改革は私が主体である。勿論表立ってはしてないけどね。

 なんせ知識の元が私なのですよ。現状再現できない農機だろうと何だろうと覚えてる限り絞り出されたよ。

 人間って追いつめられたら記憶の底にあるカスであろうと引っ張り出せるのね……初めて知ったわ……。



 食べられると思われていなかった作物の中でノゲイラでも育てられそうな作物の入手や、腐葉土以外の堆肥や有機質肥料といった肥料の作り方など、色々とクラヴィスさんに話してすぐ広めてもらったり後ですぐに取り掛かれるよう綿密に計画を立てたりとしている。

 資金の問題ですぐにできなかったり、別の問題を片付けないと手を付けられなかったりするが、その辺りは流石クラヴィスさんである。

 基本的に思いつきで話す私に対し、ノゲイラの現状を考え、実行をいつにするかを決めてから開発なりなんなりを進めている。パパンすっごーい。


 クラヴィスさんの指導のおかげでこっちの言語も完全習得できたしね。いやぁ、頑張ったな私。まだ話すのは怪しい時があるとはいえ、読み書きに関してはもう完璧ではなかろうか。

 本当に良く頑張ったよ私。説明する事が多いから翻訳魔法は時々頼ってるけど、日常生活はなら無くても何とかなるんだぞ。子供の記憶力ってすごい。



 しかし幼女体力で半ば強制的に規則正しい生活をしている私と違い、この大人二人と来たら五ヶ月間ずっと働きっぱなしだ。

 クラヴィスさんは領主の仕事に加え、私の知識をこちらに広げているし、シドはクラヴィスさんの手足となってあちこち走り回っている。

 崩壊寸前だったノゲイラの立て直しをしなければならないとはいえ、頼むからちゃんと休んで欲しいんだけど、この調子だとしばらくは休んでくれないかなぁ。


 一体どうしたら休んでくれるんだろう。

 ジト目でクラヴィスさんを見つつクッキーを頬張っていると、クラヴィスさんが思い出したように呟いた。



「あぁそうだ、トウカ」


「ん、はい。何でしょう?」



 名前を呼ばれ、口の中でもごつくクッキーを飲み込み、一口紅茶を飲んでから返事をすると、クラヴィスさんは一度シドと目配せをした後、私へ向き直った。



「現段階で取りかかっている事は一通り一段落着いた。

 必要になりそうな魔道具も用意できたので、いよいよ漁業の問題解決に取りかかるつもりだ。

 そのため三日後、私とシドでヘティーク湖へ魔物の調査に向かうが……君も来るか?」


「ヘティーク湖?」



 魔物の調査という言葉に内心ビビりつつも、聞き覚えのある地名に私は首を傾げた。

 確かヘティーク湖ってノゲイラにある大きな湖だったっけ。

 随分大きな湖で、そこから広がる数多の川はノゲイラ全体を巡る水源になっているはず。

 何よりもノゲイラは海から遠く離れた内陸部にあるため、魔物が棲みつくまではそこが数少ない水産業の場だったって教えられた覚えがある。


 そりゃあ魔法同様、異世界の存在である魔物にも興味はあるけれど、調査に私なんか連れて行ってもそう役に立ちそうな事なんて無いと思うのだが。

 クラヴィスさんの問いに真意が読めず、首を傾げ続けていると、クラヴィスさんの手が顔に近付いてきた。へ?



「君を見つけた場所だ。何か手掛かりが見つかるかもしれん」



 男らしいごつごつとした親指が私の頬を拭う。

 どうやらクッキーの食べかすが付いていたようだ。

 拭い取られた食べかすはやけに根性があるのか、今度はクラヴィスさんの指に引っ付き、そのままクラヴィスさんに食べられていた。


 超絶美人の絵になり過ぎる行動だけど相手は幼女だ! 漂うのは色気ではなく微笑ましさだぜパパン!

 というかそういうのは好きな相手にしてください。でも我が子ならおかしくない、のか……?



「い、行きますぅ!」



 あまりの事に驚き過ぎて声がひっくり返ってしまったが、同行する旨を元気よく伝える。

 そんな私に見守っていたシドが耐え切れず噴き出していた。このやろう。

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