甘いのは味覚か視覚か
クラヴィスさんの補助を受けながらどうにか読み進めること半日。
サトウキビや甜菜といった私の知る物とまるっきり同じ、という物は無かったものの、それに近い作物をいくつかピックアップすることはできた。
その中でも特に甜菜と似ている上に、ノゲイラでも育てられている『オルガ』というガブがあったので、その事を報告すれば、クラヴィスさんは早速シドに命じて手に入るよう手配してくれた。
どうやら丁度収穫の時期だったらしく、家畜の餌用に領内の収穫量じゃ足りない分を少し多めに仕入れていたそうで、そこからいくつか分けてくれるようだ。
すぐに手に入るのは嬉しいけど、確か甜菜の収穫時期は秋じゃなかったっけなぁー? 今は春なんだけどなぁー? やっぱり色々違うんだなぁ。
それにしても自分の領地だけでなく、お隣さんの収穫時期も把握しなきゃいけないって領主様は大変だよねぇ。
やっぱ私には無理っすよパパン。図鑑を読み終わるのだけで頭を使い過ぎてお昼寝不可避だったもの。子供の頭には無理があったんだよぉ……。
そんなわけで翌日、私は領主の仕事で忙しいはずのクラヴィスさんと共に厨房へと向かっていた。あるぇ?
「パパ、お仕事良いのー?」
「これも仕事の内だ」
私の小さな手を包むように繋ぐ大きな手の持ち主を見上げれば、幼女な私の歩調に合わせてゆったりと歩く領主様がいつもと変わらぬ無表情で答えた。
そりゃあ、金策のための砂糖作りですから? 仕事の内に入るかもしれませんけども。
使用人達の視線が生暖かいのは気にならないのでしょうか?
砂糖作り云々の事を知るのは私とクラヴィスさんだけで、側近であるシドですら知らない話である。
何せ知識の元が別の世界なものだから、私が異世界から来た事を知らないシドに教えるわけにもいかないそうだ。
そして砂糖の抽出には色々と手間がかかる。
私が元の大人の姿であれば一人でできない事もなかったのだが、今の私は非力な幼女である。包丁を握るのも火を扱うのも一人では危険すぎる。
そもそも一人では厨房にすら入れてもらえない。だって気付いたら公爵家の義娘になってたんだもの。お貴族の子女が入るような場所じゃないんだって。マジか。
とまぁ、何があろうとも私が厨房に入るには付き添いが必要なのである。
しかも今回は砂糖の抽出を手伝ってくれる人手が必要なのだが、異世界云々を知らない料理長達に頼むのは色々と問題があるためできず、白羽の矢が立ったのがクラヴィスさんだけだというわけである。しがらみが多すぎやしませんか。
更にそんな事情があることを知るのは私とクラヴィスさんのみ。
傍から見れば、今の私達は仕事をせずに何かしようとしている親子なわけである。
通りすがりの使用人達に向けられる視線の生暖かさからして、多分、恐らく、きっと、私が駄々捏ねた事になってそうなんだよね。
【仕事をしない上司】より【子供に甘い上司】の方がまだマシかなとは思うけど。良いのかこれで。
幸いなのは、クラヴィスさんは領主代理になってからずっと仕事をし続けていたので、ちょっとぐらいなら大丈夫そうっていうことだろうか。
クラヴィスさんが来てから仕事量は人手の問題で増えたけど、休みや休憩時間はちゃんと取るように指導されたらしい。
なのでその指導をしたクラヴィスさんがちょっと休むぐらいで不平不満は抱かれない、よね? 信頼を失ったりしないよね? ムスメばっかり心配してるのはどうしてかしらね?
そうやって一人心配しながらも厨房へと入れば、城の料理人達がずらっと並んでいた。わぉ、お迎えですか。
「領主様、お嬢様、厨房へようこそいらっしゃいやした」
「急に悪かったな料理長。しばらく場所を借りる」
「おじゃましますー」
「どうぞどうぞ、ご自由にお使いくだせぇ。オルガはあちらにありますんで」
「わかった」
他の料理人達より一歩前に立ち、お辞儀をして対応した銀髪のおじさんに、クラヴィスさんは一言二言返す。
それに続いて子供らしく挨拶をすれば、おじさんは人の良さそうな笑みを浮かべて返してくれた。
料理長って初めて会ったけど、名前だけは前に一回聞いた記憶があるわ。えーっと、ディック・オコーナーだっけ。
ディックが手で示した方を見れば、私が入っても大丈夫なぐらい大きな籠に、三つか四つほどのオルガが山のように積まれているのが見えた。
図鑑で読んだから知ってはいたけど、本当にこんなにおっきいのね……一つだけでも私の体ぐらいありそうだよ。異世界すげぇ。
クラヴィスさんと一緒にそちらへ向かうと、それに付き従うようにディックが付いて来た。
私は勿論、クラヴィスさんも立ち入るような場所ではないので、見守り役として何人か付けられるかなーとは思っていたが、まさか料理長直々とは。
今からやる事を見られても良いのだろうかとクラヴィスさんへ視線を向ければ、特に気にするなとばかりに小さく頷かれた。
どのみち砂糖が上手く作れれば他の人達に教えてやってもらう事になるんだし、見られたところで大した問題は無いのだろう。
私は事前に打ち合わせた通りにすれば良いと気合いを入れ直し、頭を切り替え、好奇心いっぱいの子供をイメージして表情を作った。
「パパー、これがあまいやつー?」
「そうだ。試しに齧ってみるか?」
「かじるー!」
繋がった手をくいくいと引っ張り、もう片方の手でオルガを指差して問えば、クラヴィスさんは私の問いに少しだけ声を和らげて答える。
そして齧ってみるかどうかという話が出た瞬間、後ろで驚く気配がしたが気にせずコクコクと頷くと、クラヴィスさんは私と手を離して籠からオルガを一つ手に取る。
土が付いているオルガを軽く回して見たかと思えば、どこからともなく大量の水が現れ、オルガに付着していた土を洗い流した。
どうやら魔法を使って洗ってくれたらしい。パパンやっさしぃ。
相変わらず息をするように自然に使われる魔法に目を瞬かせている間にもクラヴィスさんは懐から取り出した短刀を使い、器用に小さな一口サイズを切り出して私の口へと放り込んでくれた。
片手に子供抱えてるようなものなのに良くやるなぁと流れるような所作に関心しつつ、私は意識を口の中に向けた。
食感は見た目通りカブに近い、かな?
結構な硬さに苦戦しつつジャクジャクと咀嚼すれば、自然な甘い味が口の中に広がる。
でもちょっと後味がアレな感じだなこれ。食べれなくもないが好んで食べたくはないってところだ。
うーん、甜菜って食べた事無いから比較できないけど、これだけ甘いんだし大丈夫でしょう。
「どうだ?」
「あまいねー」
「そうか」
にへーと笑みを浮かべ、あらかじめ決めていた合言葉を告げると、クラヴィスさんが微かに目を細める。
よしよし、ちゃんと「使えそう」っていう意味は伝わったみたいだね。
それじゃあ早速砂糖を作ってみよう。とりあえず鍋が欲しいな。あと作業ができるテーブル、はこれでいっか。
思ってたよりオルガが大きかったからなぁ……これが丸々入るぐらいの鍋は、っと。
「あ、ねーねーおにーさん、そのおナベ取ってー?」
「は、はい! これで良いですか?」
「ありがとー!」
辺りを見渡すと、棚の上に大きな鍋が置いてあるのが見え、身長的に届かないので近くに居た料理人に頼み取ってもらう。
小さな身体を最大限に使って鍋をクラヴィスさんの元へ運べば、私の意図が伝わったのかすぐに受け取り、テーブルの上へと置いてくれた。
よぅしやっるぞー! って言ってもやるのはクラヴィスさんなんですけど。
「それで? どうしたい」
「んっとねー、んー……あ! 細かくして甘いの出したいなー」
「細かく、な……ふむ」
私を土台代わりの椅子に乗せ、テーブルに置かれた鍋とオルガを見て面白そうにしているクラヴィスさんに問われ、その場の勢いで思いついた風を装って答える。
そんな子供に付き合うクラヴィスさんは、オルガを手に取り思案するように小さく頷いていた。
砂糖の作り方は、偶然子供の実験に付き合って見つけた事にするらしい。
こんな演技をせずに砂糖を作ってしまえば、それがどこから知った知識なのか疑問に問わるだろう。
そうなるとクラヴィスさんの立場上、面倒な事に巻き込まれるのは目に見えている。
そのため私の知識は基本的に偶然発見した事になるそうだ。
私はただ知っている事を再現しているだけなんだけどなぁ。
知識の事は置いておいて、ともかく今は砂糖を作らなければ。
さっきは小さく切ってくれたから何とか噛めたけど、結構硬いからなぁ。包丁で切るのはちょっと大変かもしれない。
となると、棒で叩き潰したりする方が簡単かしら。
そんなことを考えていたのだが、次の瞬間、クラヴィスさんがオルガを握り潰し始めた。え。
「こんなものか?」
「……何ですと!?」
何という事でしょう。ばきばきぼきぼきぐしゃぐしゃという音が鳴り響いたかと思えば、細かく砕け散ったオルガが鍋の中にあるではありませんか。
わー……鍋いっぱいのオルガ(粉砕済み)だぁ……しかもどうやったのかすっごい細かく砕かれてるぅ……え、ホントに手だけで握りつぶしたの?
「ぱ、パパンはきんにくもりもりだった……?」
「魔法だ。筋力を強化して握りつぶした」
「……魔法ってべんりダネー」
顔が引き攣るのは仕方ないと思う。
私あの手で頭を撫でられたりしてるのよね。魔力の繋がりを作る時とか特に。やだ、いやな想像しちゃったよ。絶対怒らせないようにしよう。うん。
べとべとになってしまった手を魔法で洗い流しているクラヴィスさんを横目に周囲を見れば、どうやらここにいた料理人の皆さんも同じような考えに至ったようだ。
若干青ざめてる人までいて、目が合うと何を伝えたいのかブンブンと勢い強く頷かれた。大丈夫かなあの人。
「次は?」
「あ、えと、しぼってみる―? かたいのやだもん、甘いしるだけで良いもん」
「ふむ……ディック、清潔な布はあるか? なるべく大きな物が良い」
「へ、へい! こちらを!」
気を取り直し、次の行程を告げると、クラヴィスさんがディックへ指示を出した。
彼も驚いていたようで反応が遅れていたが、すぐに白くて大きな布をクラヴィスさんへと手渡した。
少し触らせてもらったが、ガーゼに近い質感だ。これならちゃんと搾れそうだ。
それより、先に布を広げておいて、その上でオルガを握り潰してもらった方が良かったか。
余計な手間を掛けさせてしまい申し訳なく思っていたのだが、クラヴィスさんには些細なことだったようだ。
鍋の中に在ったはずのオルガが欠片一つも、汁一滴も残すことなくふわりと浮かび、その間に鍋を覆うように広げられた布へと着地した。あー……魔法って便利ダナー。
「トウカ、鍋を押さえていなさい」
「はーい」
重力に従って沈んでいく布の端をまとめ、中身が零れないように持ち上げるクラヴィスさん。
オルガの塊が入った布からはぽたぽたとオルガの汁が滴り落ちていて、私は言われるままクラヴィスさんの下へと潜り、鍋が動かないようしっかりと押さえる。
どうやらさっきオルガを握り潰したのと同じ魔法を使っているようだ。
特に力んだ様子も無く絞っているのに、その力の強さを現すように大量の汁が頭上から落ちて来るのを、私は最早遠い目をして見守った。
粗方搾り終えたようで、搾っても数滴落ちるだけの状態になったのを見計らい、クラヴィスさんはオルガの搾り粕を包んだ布を鍋の横へと置く。
鍋いっぱいに揺れる薄っすら白い液体を視界に入れつつ、布に手を伸ばし広げてみれば、中のオルガはすっかり萎びていた。粒の大きいおからみたいだなこれ。
こっちは家畜の餌にできるのでそのまま置いておいて、次は大トリだ。
「んーとねー……みずけをとばしてみる―? そしたらもっと甘くなるかなー?」
「ならば煮詰めるか」
「領主様、それなら俺が」
「あぁ、頼む」
テキトーさを醸し出した私の言葉にクラヴィスさんだけでなくディックも反応し、ディックによってオルガの搾り汁が入った鍋が火にかけられる。
魔法ではなく、備え付けの竈を使ってくれたのに少し安心したのは私だけだろうか。
本当は不純物を取り除いてから水分を飛ばすべきなんだろうけど、そこまでしたら流石に偶然見つけたなんて誤魔化せないだろう。
ディックに火の番を任せ、私達は近くで鍋の様子を見守りながら煮詰まるのを待つことになった。
現代なら温度を下げて真空にし、水分を飛ばすフリーズドライ製法なんかもあったと思うが、こっちで再現できるだろうか。後で相談してみよう。
そんなことを考えながら鍋を見守る事しばらく。
どんどん煮詰まってかさが減る鍋の中身にディックが何度も心配そうにこちらを見て来たが、子供らしい無邪気な笑顔でそのまま続行してもらい、水分がほとんどなくなったところで鍋を火から上げてもらう。
甘ったるい匂いが漂う鍋を覗き込めば、少し茶色がかった固形物がちらほらと底にできていた。
塊を鍋から皿に出してもらい、熱を持つ小さな欠片を一つ手に取り、天井の灯りにかざしてみる。
遠心分離や精製なんてしていないので真っ白では無いし、取り除かなかった不純物が混じっているのか黒い点が見えた。
私の知る砂糖より随分質は低いだろうが、まぁ形にはなっているだろう。
試しに口の中に放り込めば、先ほど齧ったオルガよりも甘い味が口の中に広がった。
「ん、甘いのー。じゃりじゃりするー」
「……そうか」
口の中で溶ける砂糖の塊に首を傾げつつそう言えば、クラヴィスさんも一欠けら手に取り口へと入れる。
完成とは言えないが、偶然見つけた体を装おうには丁度良い完成度ではなかろうか。
どんな反応が来るかなーと隣に立つその人を見上げれば、数秒思案した後、作り物では無い自然な微笑みを浮かべて私を見た。
「良い物ができた。流石私の娘だな」
私の頭を撫で、短くだがはっきりと褒めた後、ディック達にも一欠けら口にするよう促すクラヴィスさん。
どうやら料理人達の舌にも十分な物だったようで、みんな様々な反応を見せている。
だけどそれよりも、私はクラヴィスさんに撫でられた頭を押さえていた。
び、美人の微笑みの方が甘いですぅ……!?
やっべぇ流石顔面世界遺産。下手なお菓子より甘い笑みを浮かべなさる。恐ろしや。
どうやら角度的に料理人の何人かもその微笑みを目撃したようだ。
私と同じように砂糖ではなくクラヴィスさんを見て固まっている料理人が数人いた。
あ、さっき目が合ったお兄さんだ。あなたも見ちゃったのね。やばいよね。わっかるぅー。
と、ともあれ、甜菜糖改めオルガ糖ができたわけである。
後は製法に一手間二手間かければもっと良い物ができるはずだ。
そういえば、魔物由来の砂糖ってどんなのだろう。ちゃんと見た事無いや。
何やら盛り上がっている料理人達を横目に、気になって先ほどのお兄さんに尋ねれば、厨房に居たのもあってすぐに見せてもらえた。
「これがその砂糖っすよ」
「……マジかぁ」
どうやらそのファンタジーな魔物はグラニュー糖を作り出しているようだ。
見た目も味も私の記憶にある白い砂糖のままで、素で呟いた言葉は料理の幅が広がると雄叫びを上げる料理人達の声に掻き消えた。あの、喜び過ぎじゃない?
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