とある従者の憂い
「──『いつのも発作』ですか」
「そうなんです! そうシド殿に伝えるよう告げて、お嬢様を抱えて飛び降りてしまって……!!」
主からの伝言と共に何が起きたかを慌ただしく伝えてくれたヴェスパーの言葉に思わずこめかみへ手を当てる。
何とも言えないお嬢様の悲鳴が響き、何事かと思い共に居た武官を連れて執務室へと駆け付けてみれば、居るはずの人間が居らず、居るのは顔を真っ青にして泣きそうになっている文官一人のみ。
主がネズミ一匹通さないように張り巡らせた結界により、この城に出入りする者は全てこちらで把握している。
そのため今城の中にいる者の中に主へ危害を加えられるような者は居ないとわかっていたので、主とお嬢様が危険に晒されているわけではないと思っていたが……そう来たか。
「クラヴィス様はご無事なのか!?」
「わ、わかりません! 何かの魔法で着地したようですが、何分ここから地上までは遠くて、はっきりとは……!」
「とにかく探しに行かないと……!」
お嬢様の声に集まった者は多く、先に来ていた者伝いに主の行動が動揺と共に広まっていく。
選別を乗り越えこの城に残った者の多くは既にクラヴィス様を主として見ている。
そのための混乱も生じているようで、早く収めなければ要らぬ騒動を起こしかねない。
そうわかっているが、吐いて出た溜息は隠しようが無かった。
「あの馬鹿主が……!」
昔は誰にも告げずに一人でこっそりと抜け出していたのだ。
前よりマシになったとはいえ、『いつもの発作』としてではなく『視察』として事前に告げてくれれば良いのに、何故あの方はこうも突拍子も無く動かれるのか。
しかもあの方の人となりを知らぬ者ばかりのこの城で、何も知らぬお嬢様まで連れて行かれるとは。
齢三つ頃の幼子でありながら、既にクラヴィス様と並ぶ鬼才の兆しを見せておられるお嬢様だが、その根は純粋で穏やかな気質だ。
魔法で水を生み出すだけでも目を輝かせるほど素直な幼子に妙な影響を与えるような真似はしないでいただきたい。
俺としては貴方に似ず素直に育っていただきたいのだ。追いかける対象が二人に増えるとか、ここに来たばかりの頃より手足は増えているが、あいつらがいない今そんな地獄は見たくない。
「あの、シド殿?」
「……失礼いたしました。
えー、クラヴィス様の件ですが、皆さんは気にせず普段通り仕事に取り掛かってください。
捜索もしなくて結構です。無意味に終わりますので」
主を心配する素振りも見せず、ただ悪態を吐いただけの俺に何かを察したのだろう。
いつの間にやら来ていたティレンテ殿に恐る恐ると言った様子で声を掛けられ、俺は咳払い一つして空気を切り替える。
いつもの微笑みを浮かべてそれぞれ動き出そうとしている者達へそう告げれば、案の定、その場にいる者の大半が戸惑いと疑問で顔を見合わせた。
「それは、どういう意味でしょうか?」
領主とその娘がいなくなったのに探すなという方が無理な話だ。
別に理由を話したところで面倒な事にはならないだろう。
それに、ここにいる者達はクラヴィス様が根を張った時点で巻き込まれるのが確定しているのだ。
さっさと理解してもらい、慣れてもらった方がこちらも楽だな。
「──この中で主の呼び名をご存知の方はいらっしゃいますか?」
「【漆黒の覇者】ですよね? 二年前の戦で広まったと聞いています」
王都にいる子息からも伝えられているのだろう。
首を傾げる者が数人いる中、迷いなくそう答えたティレンテ殿に頷いておき、俺は皆に見えるよう指を立てて示した。
「そしてもう一つ。
【月の幻影】それが主のもう一つの呼び名です」
先ほどまでの騒々しさはどこへ行ったのか。
水を打ったかのように静かになった一同の反応を軽く見つつ、俺は続けた。
「前者は戦場でのその容姿から、後者はあの方が最も得意とする魔法からそう呼ばれるようになりました。
クラヴィス様が最も得意とされる魔法は、在るモノを無く、無いモノを在るように認識させる幻です」
こうして皆に知れ渡るように話すのは、主の手の内を明かしているような物だが、あの方にとっては些細な事だ。
王都ではあの方が幻を得意としているのは下働きの者ですら知っている。少し調べれば知る事ができる。
何より知ったところで、あの方の幻を幻だと見分けることができる者はほとんどいないのだから。
「あの方は王都にいらっしゃった頃から私達従者を置いて出かける事が多々ありました。
当然、追いかけましたよ? 何かあってはいけないと、兵を使い捜索するのも頻繁にありました。
何度も何度も探して、後を追って、時には四六時中見張りを付けた事もありましたねぇ……。
ですが、あの方は幻を用いて姿をくらまし、私達従者を置いてどこかへとフラフラフラフラ。
時には一日中追いかけていたのは幻で、城に戻った時には何事も無かったかのように私達を出迎えたり……と、まぁ、色々と、ね?」
その場にいるほとんどの者が引き攣った顔でこちらを見て来るのに気付き、どうにか最後は明るく普段通りに微笑み誤魔化す。
話している内にあの頃の苛立ちを思い出してしまい、つい魔力を溢れさせてしまった。
さほど魔力が強くない者には一瞬とはいえ、耐え難い威圧感を与えてしまっただろう。
少し申し訳なさを感じたが、主に仕える以上いつ経験するか分からない事だ。これも良い経験になったと思ってもらおう。
「あの方の幻を打ち破れるのは、私が知る限り三人しかいらっしゃいません。
シェンゼ王国国王陛下、第一王子であらせられるグラキエース殿下。そして王国騎士団魔道部隊二番隊隊長、ウィリデ・ルリウム殿のお三方のみです」
今は遠くにいる方々の名を連ねれば、皆にどよめきが広がる。
それもそうだろう。例え一度も顔を見た事が無くとも、シェンゼ王国でその名を知らぬ者は居ない方達だ。
特に都合が付きやすく、本人も楽しく請け負ってくれたウィリデ殿には何度手伝ってもらったか。
着々と腕を上げる主と、それを打ち破ろうと躍起になったウィリデ殿の闘いは、最終的には主の勝ち逃げ状態になってしまった上に、主の幻を更に高めてしまった。
主が身を守るための力を高めたと思えば嬉しいのだが、主が我々から逃げるための力を高めたと思うと素直に喜べない。
「というわけで、探した所であの方を捕まえられる者はこのノゲイラには居ません。
何より今この城は人手が足りていないのです。無駄に労力を割く必要はありませんよ」
「で、ですがクラヴィス様に何かあったら」
「問題ありません。幻が得意なだけで、あの方はどのような魔法でも使いこなします。
それに、あの方は魔法が得意というだけで、剣が使えないわけではありません。
流石に本職の方には負けるとおっしゃっておりましたが、それでも騎士団の三番隊隊長殿と渡り合う程度の腕はありましたね」
心配性なのか俺が慣れ過ぎてしまっただけなのか、集まった者の中から不安気な声が上がったので迷うことなくバッサリと切る。
そもそも従者一人しか付いて行けないなど初めから無理があったのだ。
領主の仕事が溜まっていて、且つ何もかもを失った幼子であるお嬢様が居たから大人しくしていたのだろう。
これからは恐らくこういった事が頻繁に起こる。幼い頃から主に仕えている俺の勘がそう言っている。俺一人で全て対処するなんて無理だぞ、誰か早く来てくれ。
「あの方に関して心配する必要はありません。むしろ心配なのはお嬢様ですよ。
お嬢様は賢い方ですから……大人が振り回されるというより、子供が振り回される結果になりそうです」
文句も我が儘も全く言わず、黙々と本を読み文字を覚えていくお嬢様の姿が脳裏に浮かぶ。
主が傍におられる以上、お嬢様が怪我をするような事は無いだろう。
だが幼子に振りかかる心労を思うと、こちらの頭まで痛くなって来た。
せめて楽しむ余裕があれば良いのだが、あの悲鳴を聞いた後ではその望みは薄いか。
「領主となれば落ち着くかと思っていたんですがね……こちらに来て二ヶ月も大人しくしていたから油断していましたよ、全く……。
……クラヴィス様が主となった以上、皆さんには慣れていただく他ありません。諦めて慣れてください。その内嫌でも慣れますから」
これ以上説明する事は無いのだから、早く仕事に戻さなければ。
半分本音を零し、深い溜息を吐いてから微笑みと共に押し切り、手を叩いて解散を促す。
今だに戸惑いや心配を露わにしている者もいるが、徐々にそれぞれの仕事場へと戻って行く。
その中の一人が視界に入り、そういえばもう備えが無かったのを思い出し、部屋を出て行きそうになっているその後ろ姿へ声を掛けた。
「料理長、お嬢様にお菓子を用意してもらえますか。きっと疲れて帰って来るでしょうから」
「あーなるほど。了解」
今の時刻であれば厨房係の者は昼食の用意に走り回っているはずだが、料理長は主とお嬢様の料理を担当している。
お嬢様のあの声を聞き、何があったのか確認しに来ていたのだろう。
片手を上げて返答し、急ぎ足で去って行った彼の背中を見送り、次は蒼い顔がようやく治まって来た今回の被害者へと視線を向けた。
「ヴェスパー殿」
「は、はい!」
責任を問われるとでも思っているのだろうか。
名前を呼んだだけで肩を大きく震わせ、再び顔を青くさせる。
まだ若い彼を見ていると、主に仕えたばかりの頃を思い出す。
俺もあの頃は主の行動に顔を青くし、周りの者達と大慌てで探し回り、止められなかった自分を責め、主の命に危険が無いか死ぬほど心配したものだ。
しかも今回は目の前で窓から飛び降りたのだ。慣れている俺や度胸の据わった者ならまだしも、ヴェスパーのように気弱な者には衝撃が強すぎただろう。
「心中、お察しいたします」
「へ?」
「私も以前、目の前にいたはずの主が幻で、掻き消えた事がありましたので……」
「わーぉ……」
目の前で主人が消えるというのは、本当に胆が冷える。
慣れている俺ですらあんな思いはもうしたくないのだ。
あの頃を思い出して自然と苦々しい表情になりながら語れば、ヴェスパーはその場面を想像したのか顔を引き攣らせ、どこか聞き覚えのある鳴き声を出した。
あぁ、どうかお嬢様、無事に帰って来てください。主は帰ったら説教だ。
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