そんな発作があってたまるか
私がクラヴィスさんの養子となって二ヶ月。
国王から公爵位を与えられ、正式にノゲイラの領主となったクラヴィスさんは、以前より何倍も忙しそうにしている。
クラヴィスさんの従者としてあちこち駆け回っているシド曰く、前の領主はポンコツだったようだ。
前の領主が滞らせていた執務に、引き継ぎの際に生じた仕事。更には不正の後始末や新しく人を雇ったりと、色々な事が山積みになっているそうで、クラヴィスさんは食事もろくに取らずあらゆる仕事を捌いていた。
私はというと、住む場所が屋敷から城になったのと、人見知りのフリをしなくて良くなったぐらいで、領主の執務室でクラヴィスさんが仕事をしている横で本を読んで過ごす日々が続いていた。
流石幼女の頭というべきか、時々知らない単語が出て来て詰まる事はあるものの、明らかに子供向けではない本も読めるようになってきている。
しかも詰まっていたらクラヴィスさんがすぐに気付いて教えてくれるのだ。
書類捌きながら「それは『○○』と読む。意味は『○○』だ」とか言ってくれるっておかしくない? パパンおめめがたくさんあるのー?
そんなわけで、文字はすんなり読めるようになってきたので、手の空いている人を相手に話す練習もしたいのだが、今この城で働いている人達はみんな大忙しでそんな余裕は無い。
城で勤めていた人の半数がしょっ引かれたんだもの。圧倒的な人手不足だよ。しかも捕まった人達に関する事情聴取なんかもあるらしいからなぁ。
中には穴埋めとして国から派遣された人もいるのだが、それはそれ。補いきれない部分はどうしても出てしまうようだ。
みんな個人差はあれど忙しそうにしている中、「お話してー」なんて頼めるかって話である。
せめて聞き取りの練習ができるように、クラヴィスさんに頼んでなるべく翻訳魔法を発動させずにいるけど、執務室での会話とか難しい言葉のオンパレードなんだよねぇ……もうちょっと難易度下げたいのが本音デス。人手不足が解消されるまで仕方ないかなぁ。
今日も今日とて邪魔にならないよう大人しく本を読んでいると、ティレンテがやって来た。
また書類の追加かと思ったが、どうやら違うらしい。
書類を手に持ち、酷く難しそうな顔をしているのが見えて、私は本に視線を戻して耳に意識を傾けた。さーて、聞き取りの練習だ。
「クラヴィス様、こちらを」
「……不作か。この調子だと去年より更に下回るな」
「指示通り、今年の税は半分にすると報せを出しましたが、それでも足りるかどうか……」
「……わかった。財務担当のヴェスパーを呼んでくれ。そろそろ仕分けが済んだはずだ」
「あの、本当によろしいのですか? あの男の物とはいえ、貴重な品もいくつかございますが」
「元々民の血税で買い集めた物だ。それにこのままなら埃を被って行くだけだろう?」
「……かしこまりました。ではヴェスパーを呼んでまいります」
「あぁ」
ティレンテが静かに出て行ったのを確認し、本から顔を上げてふむふむと一人頷く。
どうもこうも、ノゲイラの作物のできが悪いようだ。去年も不作だったって聞いていたが、それより酷いらしい。
クラヴィスさんとティレンテのやり取りから伺うに、何かしらの手を打つつもりではあるんだろう。話の流れからして金目の物を売ってできた資金で他のとこから買うのかな?
見たり聞いたりしている限り、こちらの世界は随分と発達が遅れている、と表現するのが合っているのかわからないが、元の世界に比べれば遅れているように感じる。
魔法ありきの世界なのでたまに生活の中に超常現象がごく当たり前に取り入れられているんだよ。単純に比べて良いのかわかんないですわ。
それでも遅れているなぁと感じる要因の一つにはこの世界の食糧事情が挙げられる。
こっちに来て以来クラヴィスさんの庇護下にいるためその日の食事に困ったりした事はないが、所謂平民達はそうはいかないのである。
甘い物なんて一年に一度食べられるかどうか、その日食べる物にすら困る日々、なんだそうだ。現代日本の生活に慣れ切った私には辛すぎる状況だよ。
そんな私がご飯に困らず過ごせているのは、ノゲイラの人達が生活を切り詰めて出してくれている税のおかげである。
クラヴィスさんを始め、この世界の人達にはお世話になっているんだ。
農業なんて小学校の頃米を育てた以外はちょっと本で読んだりテレビで見たりしたぐらいだけど、何か役に立てないかな。
「パパン、きいてもいいですか?」
「なんだ?」
「できがわるいって、どんなさくもつなの?」
「……アムイという作物だ。主にパンの材料に使われている」
それがどうかしたかと言った様子で返された回答にふむふむと頷き、顎に手を当てる。
アムイって確か、小麦とそっくりなやつだったよね。この間城の倉庫に運ばれていくのを見かけたぞぅ。
となると……今の季節は春だから、秋蒔きしたやつかな。
「このちいきのきこうはどんなかんじなんでしょう? 冬のさむさはきびしい?」
「私もまだ体感したことはないが、雪が降り積もり、毎年凍死する者も少なくないと聞いている。
……その辺りの対策も講じなければな……」
あまりの仕事っぷりに失念していたが、そういえばクラヴィスさんもノゲイラに来たのは私とそう変わらない時期だったか。
自分に言い聞かせるように小さく呟いたクラヴィスさんは、羽ペンを手に取り紙に滑らせる。
やる事あり過ぎではないでしょうかパパン。シドが言ってた通り前の領主が無能過ぎたのかしら。うん、できる限り手伝おう。クラヴィスさんが倒れないように。
「んー……きこう、かなぁ。それともひりょうがあってないとか……?」
元の世界で本を読んだ程度にしかない知識を振り絞り、可能性がありそうな不作の原因を幾つか上げる。
暖房設備が不十分だから凍死者が出るのか、それとも寒さが厳しいから凍死者が出るのか。
この地域の冬の越え方がどんな物かわからないが、凍死者が出るような地域だとすると、寒さは厳しい方だろう。
小麦なら寒い地域でも育てられるはずだけど、そもそも名前が違うし、ここは魔法がある世界なんだ。
元の世界と同じ作物として考えていて良いのかどうかも疑問だよなぁ。不思議な力で連作障害はありませーんとか言われてもおかしくないぞぅ。
ただ考えているより実際に見た方が何かわかるかもしれない。
クラヴィスさんは領主になってから視察に行く事もあるので、今度それに連れて行ってもらおうとお願いしようとした時、クラヴィスさんが少し目を細めて私に質問を投げかけた。
「アムイはどの国でも昔から育てられている作物だ。
寒さに強く、この地域でも育つが……ヒリョウとは何だ?」
「え、ひりょうをしらないの?」
いやいやそんなまさっかぁ……え、ガチ? ガチで知らない?
ソファの上に座り、ぽかーんとしている私にクラヴィスさんは近寄り、そっと頭に手を置く。
翻訳魔法ですか。詳しく説明しろって事ですね。いえっさー。
ソファの反対側に座ったクラヴィスさんへ聞きかじっただけの知識なので詳しい事はわからないと前置きをし、私は肥料について色々と説明を行った。
翻訳魔法があって良かったと再認識したよ。日常会話ならまだしも、何かを説明するなんてできないっての。
説明やお互いに質問を終え、私が言えたのはただ一言である。
「この世界変に発展しててわけわかんないね!?」
どうやらこの世界、本当に肥料が存在しないらしい。
しかもやっている農法は、農地を半分に分け、作物を育てる畑と何もしない休耕を毎年入れ替える二圃式農法のようだ。一体いつの時代です?
何で水洗トイレがあって肥料は存在しないんだ。そりゃあ直接関係はしないかもしれないが、発展にばらつきがあり過ぎだろ。
水洗トイレも浄水施設も必要だけど、もっとこう、できる事がさぁ……!?
おかげで騙されてたわ。もっと発展してると思ったわ。中世じゃねぇよ古代だよここ。でも古代に水洗トイレはあるのか……!?
カルチャーショックとでもいうべきか、異世界の農業事情に思わず頭を抱える。
すごい世界に来てしまった。もしかしたらクラヴィスさんが知らないだけで、他の地域はもっと発展してるかも。ノゲイラは辺境の地だって言ってたし。発展してると言って。
クラヴィスさんも色々とショックを受けたのか、膝に両肘を突き、手を組んで黙り込んでしまった。あ、これ他も変わらない感じです……?
そんな中、空気を壊すようにノックの音が響いた。
「ヴェスパーです」
「……入れ」
「失礼致します」
入って来たのはシドと同じぐらいの年齢に見える赤茶色の髪をした若い男性で、緊張しているのか少し強張って見える手には小さな山になるほどの書類を抱えている。
そういえばさっき財務担当のヴェスパーって人を呼ぶよう言ってたなぁと思いつつ、ショックから立ち直り切っていない精神を無理矢理切り替えた。今の私は三歳児だよぉ。
「あ、あの、件の仕分けについて報告に参りましたが……改めた方がよろしいですか?」
「ヴェスパー」
私達の様子に取り込み中かと思ったらしく、ヴェスパーは緊張した面持ちでクラヴィスさんに伺いを立てる。
後で視察に連れて行ってもらえるよう頼むのを忘れないようにしようと心に決め、横に置いていた本へと手を伸ばすが、クラヴィスさんの次の言葉に手を戻した。
「せっかく来てくれたところ悪いが、急用ができた。夕刻そちらに向かうのでその時報告してくれるか」
「は、はい!」
「トウカ、君も来なさい」
「? はぁい」
ヴェスパーに指示を出した後、クラヴィスさんは椅子にかけていた上着を羽織り、私にそう告げる。
どこに行くんだろうと首を傾げつつ頷き近くに掛けてあった上着を着ると、急に抱き上げられた。ビックリしたぁ!
「クラヴィス様、どちらへ?」
「近くの村へ視察に行く。誰かに聞かれたらそう答えておいてくれ」
「では供の者を呼んでまいります」
「構わない。私とトウカだけで行く」
「え!? で、ですがそれは」
「そう長くは出かけん。気にするな」
お供の人もつけないのは流石にどうかと思うよパパン。辺境とはいえ領主だし、公爵ってすごい偉い地位なんでしょ。上から数えた方が早いってシドに聞いたぞ。
急な展開過ぎてヴェスパーも困っている様子だが、クラヴィスさんはお構いなしに私を抱えたまま歩き出す──窓の方へ。
「あのパパ? こっち窓です、扉は反対です、パパ!?」
「あ、あのクラヴィス様!?」
クラヴィスさんは私やヴェスパーの声などどこ吹く風と言った様子で窓を開け、そのまま窓枠に足をかける。
何で足を掛けてらっしゃるのでしょうか? あの、背中を抑えるように抱えられてるせいで見えないけど、この部屋、城の中でも高い場所にありましたよね?
「あぁ、そうだ」
思い出したように声を出すクラヴィスさんに、私は恐る恐る顔を上げる。
そこに見えたのは、微かに口角を上げてヴェスパーの方を見るクラヴィスさんの横顔だった。
わー横顔も整ってらっしゃいますねー、じゃなくてですな? え、ちょっと、待って? 待って!?
「シドには『いつもの発作だ』と伝えてくれ」
「っ、ひょぉおぉぉぉぉおお!?」
──クラヴィスさんはそう言い残して窓から飛び降り、ゲーリグ城に私の情けない声が響き渡ったのだった。
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