パパと私と従者さん
異世界に来てしまったあの日から早い物で一ヶ月。
私は今日もクラヴィスさんに連れられて、ノゲイラの領主が住まう城でありクラヴィスさんの職場でもあるゲーリグ城へと来ていた。
クラヴィスさんの養子になり、色々とわかったことがある。
まず、この世界は中世ヨーロッパ風な魔法の世界とでもいうべきだろうか。
貴族や平民などの身分制度があるし、部屋の灯りも、裕福な家だと魔道具というのを使うらしいが基本は火だし、移動手段は歩きや馬、馬車が一般的だ。
その一方、魔法があるおかげか水に関しては現代に近い発展をしているらしく、水洗トイレや湯沸かし器といった水回りの設備はなぜか整っていた。
中世ヨーロッパに水洗トイレなんてあったっけ? 記憶が正しければ窓から放り投げてたよね?
お風呂もわざわざお湯を沸かして運ぶとか、そんな感じだったよね?
なのに城やクラヴィスさんの屋敷は水洗トイレとお風呂が完備されていたのである。蛇口を捻ったらお湯が出る世界だよ。
だというのに何故か石鹸が無い。湯沸かし器まであるのに何でそこは無いの? そりゃあお湯を自由に使えるのはありがたいけど意味わからん。
しかも聞いたところによると、魔術式とやらを用いた浄水施設なんかもあるらしい。わー魔法ってすごいなー。水から感染症とか広がらないじゃんすごーい。
クラヴィスさんは細かい原理も教えてくれたのだが、魔力を原動力としているそうでいまいちわからなかった。とりあえず何かすごいパワーでやってるんだろうって事しか分からなかったよ。
上手く機能しているならそれで良いでしょ、多分。細かい事を考えるよりそういう物だと受け入れた方が良い気がする。飲み水とかの心配をしなくて良いんだから良いんだよ。うん。
次に、クラヴィスさんの立ち位置というべきか。
私の養父となったこの人は、何とも妙な人だというのがわかった。
本人の話では、「とある事情で王都から辺境であるノゲイラへと左遷されたただの魔導士」だそうだ。
だというのにノゲイラの領主はクラヴィスさんに対し、同等、もしくはそれ以上と思われる敬意を払って対応している。
一部の人達なんて私にお嬢様とか言ってゴマをすって来ているのだ。絶対ただの魔導士じゃないでしょ。どっかのお貴族様とかそんなんでしょ。権力争いに負けたとかそんなんでしょ。
それに主な仕事は魔法に関する開発だと言っていたが、明らかに別の何かをしている様子も目撃している。
内容までは把握していないが、何かについて調べているらしい。時折難しい顔をしては書類を燃やしていた。証拠隠滅かな? 公にできない事でもしてます?
色々と不思議な人だが、こちらの生活に四苦八苦している私に対し、ほとんど傍に居てくれたり、ゴマをすって来る人達の対応を代わってくれたりと、色々と気遣ってくれている。
優しく面倒見が良い人なのは確かなんだ。だから、まぁ、捕まるような事さえしていないなら全部OKだろう。
この世界では元の世界の言葉は全く通じない。翻訳魔法を使ってもらっているからこそ、何とか会話が成り立っている状態だ。
だが、翻訳魔法には色々と制限があり、クラヴィスさんから離れると勝手に解けてしまう。
何でも、翻訳魔法を維持するには魔力を消費し続ける必要があるが、私は魔力を持たないため、クラヴィスさんが代わりに魔力を負担しなければならない。
しかしそれには魔力の繋がりとやらを維持する必要があり、その繋がりは離れ過ぎると維持できなくなり、糸が切れるようにぷっつりと切れてしまうそうだ。
そのため、クラヴィスさんは私を連れて城に行くようになったのである。優しいよねぇ。
「記憶喪失の子供を一人置いて行くのが心配だから」と説明したとかで、領主の許可もすぐに取れたらしい。
でもまさか、こっちに来て次の日には一緒に出勤することになるとは思ってなかったよ。パパン仕事早すぎでは? そりゃあ傍に居られるのは助かりますけど。
職場も職場だよなぁ。対応早すぎだよ。
臨機応変に対応できる上に子持ちに優しい職場なんだ、きっと良い職場環境だろうなぁ──なんて思っていたのだが、現実はそう甘くは無かった。
「おはようございますクラヴィス様、トウカお嬢様」
城内に入り、ゆったりと歩くクラヴィスさんと手を繋ぎ、トテトテと早足で歩いていると、後ろから声を掛けられ振り返る。
そこにはノゲイラの政務官であるティレンテ・カウストロームが居た。
「ティレンテ殿か。おはよう」
「おはよーございます……」
クラヴィスさんが挨拶を返したのに続き、クラヴィスさんの長い脚に隠れ、ぼそぼそと挨拶を返す。
そんな私に対し、ティレンテは少し困ったように微笑み返した。
このおじさん、子供が好きなのか何かと気遣ってくれるんだよねぇ。おっといけない。ぎこちない笑顔を返しておかないと。
「今日もお元気そうで何よりですなぁ……おっと、失礼いたしました。
クラヴィス様、どうぞこれを。トウカ様が文字を覚えようとしておられると聞き、持ってまいりました」
私のぎこちない笑顔をどう受け止めているのか、微笑ましそうに私を見ていたティレンテが、はっと気付いたように姿勢を正し、クラヴィスさんへ数冊の絵本を差し出す。
クラヴィスさんのズボンを掴みつつその内の一つの表紙を見上げてみると、『タタンの勇者』というタイトルと、子供向けと思われる絵が描かれているのが見えた。
「息子が幼い頃読んでいた絵本です。お使いください」
「いつも助かる。トウカ」
「ありがとうございます、てぃれんてさん」
少々年季の入った絵本を受け取ったクラヴィスさんに促され、再びぎこちない笑顔を浮かべてお礼を告げる。
ちょっと身体が揺れたのはご勘弁願いたい。クラヴィスさんの養子になった以上、身分的に頭を下げちゃ駄目らしいんだけど、これは最早魂にこびりついた何かなんです。慣れるのには時間がかか
るんです。
そんな私にティレンテは気付いているのかいないのか、ご機嫌な様子で笑っていた。
「いえいえ、子を育てるならば何かと要り様ですからなぁ。それにノゲイラで満足に揃えるとなると一苦労ですので、こうして子を持つ親同士で助け合うのは良くあることです。
何より、こうしてクラヴィス様とお嬢様のお力になれるのであれば、これほど光栄なことはありませんよ。
では、私はこれで失礼いたします」
ぺこりと頭を下げて去っていくティレンテに対し、クラヴィスさんは少しその背を見てから私の手を繋ぎ直して歩き出す。
そろそろ良いかなぁと周囲に誰も居ないのを確認してからクラヴィスさんを見上げれば、クラヴィスさんも私へと視線を向けていたらしくバッチリ目が合った。
「で、あの人は?」
「白、と言いたいが……まだわからん」
「了解です」
普通の良い人だと思うんだけど、クラヴィスさん的にはまだ完全には信頼できないそうだ。
前から誰かが歩いて来ているのか話し声が聞こえてきたので、コクコクと頷いておき、私は人見知りっぽく見えるようにクラヴィスさんの手にしがみついた。
果たしてこれでちゃんと人見知りをしてしまう子供に見えているのだろうか。
うーむ、ボロが出る前にチェックが終わると良いんだけどなぁ。
なぜ私が人見知りの子供のフリをしているかというと、全てはクラヴィスさんの指示だからだ。
ここの人達の大半はクラヴィスさんに対し色々と融通してくれる。
それは私にも同じで、こうして話しかけてくれたり、必要な物をくれたりと、色々としてくれている。
だが、それにはれっきとした狙いがあるからで、純粋な好意とは言い切れない。
その狙いというのも他でもない、クラヴィスさんだった。
取り入りたい、弱みを握りたい、陥れたい、魔法の研究を盗みたい……とまぁ十人十色な目的でクラヴィスさんを狙っているそうだ。
そしてそういった人達は、クラヴィスさんが養子にした私を利用しようとしているわけだ。マジ面倒。あらやだいけない私ったら、つい本音が。
……まぁ、そうしようとするのもわかるんだけどね。
たった一ヶ月程度の付き合いだが、クラヴィスさんは隙らしい隙が無さすぎる。
それだったら私みたいな子供に探りを入れた方が何かを得られる可能性は高いだろう。
小さい子供って家で聞いた事をぽろっと言ったりしちゃうからねぇ。それで揉めたっていう知り合いが居たよ。
それに突然子供の面倒を見ることになったクラヴィスさんに対しても、親としてアドバイスなんかして好感度アップを狙えるという、ね。
使えるモノは何でも使う精神は好きだぞぉ。私が絡んでなければの話だが。
そういった輩がいるこの城は、クラヴィスさん曰く「犯罪者の温床」だそうです。ホント、ヤバい所に来てしまった感すごいなぁ……。
詳細は機密事項だとかで教えてもらっていないが、今のところ城に居る人のほとんどは信用してはいけないそうだ。
千人近く働いてるのに、信用して良いと言われたのはクラヴィスさんの従者ただ一人である。ヤバい以外言いようが無いよね。ナニココ、コワイ。
そのため、私は人見知りを演じ、なるべく他人を寄せ付けないようにすることになったわけだ。
それならクラヴィスさんに引っ付いていてもおかしくない理由ができるし、探りを入れられてもわざわざ誤魔化さずにだんまりを決めても良いからね。
演技するのは少し面倒だけど、色々と楽なので頑張りますよぅっと。
そんな権謀術数蠢く城で私が人見知りの演技をしてまで何をしているかというと、ティレンテが言っていたようにこちらの言葉の習得に励んでいる。
翻訳魔法は、魔力を糧に他者の言葉を最も理解している言葉へと自動的に置き換え、話す時も自動的に置き換えて話させる魔法だそうだ。
理屈は全く分からないが、私はクラヴィスさん達の言葉を日本語で理解しているし、話す時も私自身は日本語を喋っているつもりだが、実際にはこちらの言葉を喋っているらしい。
魔法ってすごいね。私の頭どうなってんだろ。考えたらヤバい気がするのは気のせいかな?
とにかく、魔法について考えるとわけのわからない状態になりそうなのでそれはそれとして、翻訳魔法は決して言語を習得させる魔法ではなく、一時的な物だというのが重要だ。
元の世界に戻る術を探す云々の前に、言葉を話せないと生きていくのも難しい。
私に魔力があるなら別だが、魔力が無い以上、ずっとクラヴィスさんに翻訳魔法をかけてもらい続けるわけにもいかず、私はまず言葉を覚えることにした。
同じ世界の、生活の中に多少なりとも溶け込んでいた英語ですら危うい私である。
正直言って何年かかるかなぁと思っていたが、子供になって頭が柔らかくなっているらしい。
今日もらった絵本のような子供向けの本で文字を覚えたり、クラヴィスさんが休憩時間に文字を教えてくれたりと、色々と努力した結果、この一ヶ月である程度の読み書きはできるようになってい
た。すごくない!? すごいよね!?
会話も翻訳魔法があるので後回しにはしているが、話しかけて来る人達を相手に聞き取りの練習をしたり、単語の発音練習をしている。
文章で話すとなると文法がおかしくなったりするものの、クラヴィスさんから「意味は伝わる」という評価は貰える程度に話せるようになったのだ。やだ私ってば天才?
英語が覚えられずに泣きそうになっていたあの頃を思えば、きっと子供になって頭が柔らかくなり、記憶力が上がったとか、そんな感じだろう。
何せこちらに来てからというもの、文字だけでなく人の顔や部屋の装飾まで、何でもすぐに覚えられるようになっている。
この間なんてたまに通る廊下の壺が少し違う向きになっているのに気付いたぐらいだ。子供の頭ってすごい。でも私自身もすごいよね。ふへへ。
そうやって私はクラヴィスさんの執務室にあるふかふかソファを陣取り、絵本をお供に猛勉強している日々を送っているのだが、たまにクラヴィスさんに外に連れて行ってもらったりもしている。
私的にはずっと本を読んでいても苦痛では無いのだが、子供の体力では少々難しいらしく、お昼を食べたら寝落ちする事も多い。
それにクラヴィスさん的には、子供がずっと絵本を読んで過ごしているというのも不自然だそうだ。
まぁ確かに子供らしからぬ集中力だよなぁとは思います。そこは中身が大人なもんで仕方ないんだけど。
子供らしくないと怪しまれては私もクラヴィスさんも面倒だ。
そのためクラヴィスさんは時折休憩という名目で私を城の庭に連れ出してくれる。
しかし、クラヴィスさんはたったそのためだけに時間を割くような人では無かった。
「トウカ、おいで」
「はい、パパ」
「少し席を外す、中庭にいるので何かあれば遠慮なく呼んでくれ」
「わかりました」
そろそろお昼の時間になる頃、クラヴィスさんが休憩と称して上着をしっかり着込ませ、私を外へと連れ出した。
今の季節は春だそうだが、私の知っている春とは違い、青く晴れた空から降り注ぐ日差しで少し暖かいものの、風は冷たく幼い子供の肌に突き刺さる。
詳しい事は調べてないけど、この辺りは寒さが厳しい地方なのかなぁ。
一瞬強く吹いた風に身体を震わせ、思わず繋がっている温かな手を握り締めていると、不意に誰かの声が聞こえて来た。
「クラヴィス様、お嬢」
聞きなれたその声がした方向へと顔を向ければ、こげ茶色の髪に同じ色彩の瞳をした青年が少し離れた所から駆け寄ってくるのが見えた。
庭師の手入れが行き届き、見た事の無い花が咲くこの庭で、彼に会うのはこれで三度目だ。
兵士が使っているという訓練用の防具を身に着け、息も切らさずに私達の前に立ったその人は、私の実年齢より少し下だったか。
この世界では平凡な顔立ちをしている彼は、クラヴィスさんと私に向けて軽く礼を行い、すぐに顔を上げた。
「シド、お前も休憩か」
「はい。訓練が一段落着いたので、少し息抜きをしておりました」
シド、と呼ばれた彼は、左遷される前からクラヴィスさんに仕えている従者だそうだ。
本来はクラヴィスさんの傍に控えているべき人らしいが、すごく腕が立つそうで、領主直々に頼まれてここの兵士達に訓練を付けていると聞いている。
そして何より、クラヴィスさんがこの城において唯一信頼して良いと言った人でもある。
「奇遇だな。今トウカと気分転換をしている所だ。時間があるならお前も付き合ってやってくれ」
「よろしいのですか?」
「シドも、いっしょー」
「では、そうさせていただきます」
シドに対しては子供のフリをしなくて良いのだが、ここは人目があってもおかしくない場所だ。
人見知りの子供らしく、且つ、シドに対して少し心を開いているように。
設定通りに見えるよう、恥ずかしそうにしながらも期待を滲ませた声色でシドの手を取り、ちょいちょいと引っ張ってみる。
するとシドは少し驚くも微笑ましいとばかりに笑みを浮かべ、剣を握るために硬くなったその手で私の手を握り返した。
相変わらず表情の作り方が完璧過ぎだよなぁこの人。
そんなことを考えてしまうが、今はとにかく城から離れないとね。
事前に言われている通り、人気の無い庭の奥に向けて二人の手を引っ張る形で歩き出すと、二人はやれやれと言った様子で私の後を歩き出した。
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