とてつもない美人さんに助けてもらいました
パチパチ、パチパチと火が爆ぜる音が聞こえる。
ぼうっとする頭でそれを理解し、酷く重たい瞼を上げれば、ぼんやりと霞んだ視界の先に見慣れぬ天井が広がっていた。
「……ここ、どこ……?」
パチパチと瞬きを繰り返し、呆然と呟く。
確か私は……行きたくも無い社員旅行に強制参加して、クソ上司にセクハラされそうになった後輩ちゃんを守るために間に入った時、上司に押される形で湖に落っこちた……はず。
横になっていたベッドから少し痛む身体を起こし、周りを見渡しながら記憶を辿る。
衝撃で意識でも失ってしまったのか、湖に落ちた後の記憶が曖昧だ。
とにかく苦しい思いをしたことと、何か温かい物に包まれたことは薄っすらと覚えているのだが……誰かが助けてくれたのかな? ありがたい。
となると、ここは近くの医療施設か何かだろうか。病院にしては天井が白くない。
生まれてこの方入院知らずの私の勝手なイメージだが、木造の病院なんて今時珍しいのではなかろうか。
あー……それにしても労災とか降りるかなぁ……今月ちょっと本とか買い過ぎて厳しいんだけど。
生きていることに感謝しつつ懐事情に薄ら寒い物を覚えていると、扉が開く音が聞こえた。
お医者さんか看護師さんかなーと視線を向ければ、そこには白衣姿とはかけ離れた、黒いコートを腕にかけた長い黒髪をした男性が入って来ていた。
お、おやおや? お医者さんじゃなさそうですね?? というか、あの、美人ですね!?
部屋の明かりを受けて星空に流れた星のように輝きを放つ艶やかな黒髪が身体の動きに伴ってなびき、遠目からでもわかる煌めきを持った黒曜の瞳がゆっくりとこちらへと向けられる。
冷たい冬の黎明を思い浮かばせる凜とした雰囲気をまとったその人は、凛々しくも華やかな、恐ろしいほど整った容姿をしていた。
離れてはいるがはっきりと見えるその人は、今までで見た事が無いようなとてつもなく整った顔をしてらっしゃって、痛みなんてどこかに飛んでしまったかのように呆けてしまう。なにあの美人、国宝か? 世界遺産か?
美人なそのお方は、私と目が合ったかと思うと一瞬目を見開き、すぐに近寄って来た。
ちょっと待ってこっち湖に落っこちた上に寝起きで顔がやばいと思われるのですが。せめて化粧、化粧させて。
「──────……!」
「……ん!?」
あわあわとしている中、美人さんから明らかに日本語ではない言葉が飛び出て思わず固まる。
良く見れば確かに日本人離れしたお顔をしていらっしゃる。年齢はわからないけど、外国の方か。お忍びのハリウッド俳優だったりしちゃわない?
英語、あんまりできないんだけど、どうしよう。参ったなぁ……。
言葉がわからないことをどうにかジェスチャーで伝えようとしようとした時、明らかに小さい子供の手が視界に入って来た。
あれ? そこ、私の手があるはずなんですけど?
「え、うそ、は!?」
「────?」
「いやいや、うそでしょ、なんで、え? なんで──こどもになってるの!?」
身体が痛いのなんて関係ない。わけもわからず飛び起きて叫ぶと、聞き慣れた私の声ではない舌っ足らずな子供の声がした。
それは私が発したはずの言葉で、余計に自分の身体が縮んでいると錯覚してしまう。い、いやいやそんなはずなかろうて。
顔を動かし自分の身体を見下ろすが、そこにあるのはどう見ても子供の身体だ。
小学生にも、下手したら幼稚園児にも満たないかもしれない。
そこまで把握し、私は一人頷いた。
「──ゆめか、ゆめなんだな、おーけーおーけー」
仕事が嫌になって子供に戻りたいと思うことが度々あったから、きっとそのせいだろう。
夢にしてはとてつもなくリアルな感覚がするのだが、無理矢理気にしないようにして自分に言い聞かせるように呟く。
これは夢だ。夢でしかない──私は24歳の社会人、壱岐冬華(いつき とうか)だ。決して幼女では無い。
そう、自分に言い聞かせたかったのだが、「これは夢では無い」と訴えるかのように痛む身体に息を呑む。
ま、まさか、本当に子供になっている……? い、いやいやいやいや、うっそだろおい、なんてフィクションだそれ!?
理解しきれない現状に思わず遠い目をしていると、傍で様子を窺っていた美人さんがベッドの横にしゃがみ、私に視線を合わせて来た。
「────? ────」
「どうしろと」
幼児化した上に、言語が違う人と話せって冗談きつい。
とにかく言葉がわからないことを伝えようとジェスチャーをしてみると、すぐに理解してくれたのか美人さんが小さく頷き、『待て』というように目の前に手を出してきた。
誰か別の人を連れて来てくれるのかと期待していたが、美人さんは何故か人差し指と中指で私の額に触れる。
一体何なんだと身じろぎするが指は離されず、額が温かくなったかと思えば丸を描くように指が動き、最後にトンと軽く叩くように触れてから離れていった。
「──これで、わかるか?」
「! にほんごおじょうずなんですねぇ」
「ニホンゴ? あぁ、ニホン語、か……。
私は、君がこちらの言葉を理解できるように翻訳魔法を掛けただけだ。
違和感はあると思うが、聞くことと話すことは問題無くできるだろう」
一瞬、水の中に入ったような、耳に膜が張られたような感覚がしたかと思うと、すぐにはっきりとした日本語が心地よいテノールボイスに乗って聞こえてくる。
翻訳魔法って、何。魔法って、そんなファンタジーな話が……まさかここ……異世界とか言わない、よな? え、ガチ? ガチでマジなの?
い、いやいやいや落ち着け私。それは流石に現実逃避にもほどがあるぞ。
湖に落ちた結果、幼児化した挙句に異世界トリップなんて有り得ない。
そう冷静な私が言っているが、それでも今目の前で起きていることは現実だと、痛む身体が訴えてくるのを無視できなかった。
「……お互い色々と聞きたいだろうが、まず、身体の調子はどうだ? どこか辛いところは無いか?」
「だいじょぶ、です」
「無理はしなくて良い。横になっていなさい」
混乱し過ぎたせいで痛みを隠しきれなかったらしい。
美人さんは少しぎこちない動きで私の頭を撫で、クッションをいくつか背中に差し込みゆっくりと横になるよう促してくる。
それに従ってクッションに背中を預けると、美人さんは感情のわからない、冷たい印象を与える無表情のまま口を開いた。
「混乱しているようだが、今はあまり時間を取ってやれない。単刀直入に聞く。
君は、どこの誰だ?」
美人さんが横になった私を覗き込んだ拍子に黒髪がはらりと揺れる。
それが怖いぐらい絵になっていて、つい黙り込んでしまう。ヤバいよこの人、顔だけで世界掌握できるんじゃない? 世界のてっぺん取れますって。
そんな私の沈黙をどう取ったのか、美人さんは怪訝な顔をした。
「君が湖畔に打ち揚げられていたところを私が見つけ、屋敷に連れ帰って治療を受けさせた。
そして目を覚ますまでの間、領民の戸籍や行方不明になった子供は居ないか調べてみたが、君に該当する者は居なかった。
顔立ちと見慣れぬ服装からして他国の者かと思いこの地に繋がる関門も調べたが、この一ヶ月、君のような幼子を連れた者は一人も居ない」
調べられることは調べ終わった後らしい。
領民、戸籍、他国、関門と、色々と引っかかる言葉に顔が引き攣りそうになる。
領民なんて今時聞かない言葉だ。それに戸籍も一個人がすぐに調べられるものだったのか。
行方不明は警察に聞いたというならあり得るだろうが、顔はごく普通の日本人だし、私の服装は歩きやすいようにごく普通のパーカーにジーンズを着ていた。
そもそも日本に居たというのに、他国の者だなんて、色々とおかしい。関門なんて現代日本にあるのか? それらしいのは空港の入国審査ぐらいだと思う。そもそも私は一体いつ日本を出たんでしょうね? パスポートとか高校の頃に取った期限切れのやつしかないよ?
「誤魔化したところで調べればすぐにわかる。
無駄なことはせずに答えなさい。──君は、何者だ?」
これが夢で無いなら、私は、本当に──異世界トリップをしてしまったのか。
それがもし事実なら、これから一体どうすれば良いのか。
いっそのこと、この美人さんに全て打ち明けてしまおうか。
表情がほとんど動かず冷たい印象を受けるが、この人何だかんだ優しそうだし。そういう目利きは昔から自信があるぞ。
そうして私は、美人さんに私の知ることを全て話すことにした。
あぁ、舌足らずなこの口が憎たらしい。ゆっくりじゃ無きゃ異世界がどうとか上手く話せないんですけどー?
「──……なるほど、異世界の人間か。しかも中身は大人だと」
「しんじられないかもしれないですけど、さっきまでわたし、おとなだったんです。24さいでした」
「ふむ……もう一度確認するが、君の母国はニホンという国なんだな?」
「そうです。こっかでもうたいましょうか?」
「要らん。嘘では無いようだからな。
……それにしても、異世界の人間とは……」
舌足らずな口を精一杯動かし、自分がわかる範囲のことを全て話し終えると、美人さんは顎に手を当てて考え込む。
異世界云々は私の世界には魔法が無いことや、着ていた服がごく一般的な服装であることを主体にして憶測としてだけ伝えたり、文字を書いて見せた程度だが、どうやらこの世界には前例があるらしい。
すんなりと理解し、私が異世界の人間だと受け入れる美人さんに、私の方が首を傾げる始末である。いや、すぐに理解してくれるのはありがたいけど、それで良いのかい美人さん。
「でも、ほんとうにいせかいなんですかね? おにいさんこんしんのドッキリとかでは?」
「ドッキリが何かは知らんが、君の言うニホンという国は聞いたことが無い。
今書いてくれた言語も見たことの無い物だ。着ていた服もそこらの貴族が着る物より質が良く、見たことのない技術が使われていた。
これで嘘を吐いていないとくれば、これはもう、異世界の人間が再びこの世界に現れたとしか言いようが無い」
そう言い切った美人さんが難しそうな顔をして私を観察するように見て来た。
まるで珍しい動物にでもなった気分だ。
居心地の悪さから腹部に掛けられていた毛布を顔まで引っ張り、顔を半分隠してそっと息を吐いた。
美人さんが言うには、今いるシェンゼという国は、異世界の人間が初代国王の友となり、戦争に勝利をもたらし建国に大きく関わったという伝承があるらしい。
誇張された逸話などもあるらしいが、その人物が異世界の人間であることを裏付ける証拠が幾つも遺っているそうだ。
元の世界に戻るにはその人について調べるのが一番手っ取り早いのだろうか──だとしてもどうやって調べれば良いのやら。
この世界の言葉なんて、魔法でどうにかしてもらっているが、読み書きはできないままだ。見せてもらったが筆記体とでもいうべきか、ミミズがのたうち回ったような字でした。全くわからん。
それにしても、これからどうやって生きろというのか。
大人なら働くことも十分できただろうが、今の私は幼女だ。しかも推定年齢は三歳といった辺りのガチ幼女である。
肉体労働は言わずもなが、事務仕事も文字が読めない状態では無理だろう。そもそもこんな子供雇ってくれないだろ。
色々詰んでいる。無理難題だろこれ。
内心頭を抱えていると、椅子に座って何やら考えていた美人さんが一人頷く。
どうかしたのかとそちらを見れば、黒く輝く切れ長の瞳と目が合った。
「……君、名前は?」
「とうか、です。いつきとうか」
「トウカが名だな?」
名前を聞かれ、そう言えば言って無かったかと思いつつ答える。
多分こちらの人達は名字が後に来るのだろう。
名前を確かめられて頷けば、美人さんは一度咳払いをして真っ直ぐ私に向き直った。
「ではトウカ。君は今日から私、クラヴィス・ユーティカの養子とする」
至極真面目な顔で告げられた言葉に、一拍の間を置いて理解する。
「いや、なんで?」
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます