月影に沈む覇道の行き先 ~養父と養女の辺境改革~

空桜歌

第一章 邂逅

流れ着いた者

 風に揺れる木々の道を抜けた先に広がる青。

 空の色を映す広大な湖の周囲には人の手が入らなくなった森が広がっている。


 この湖は、高い山の麓にあり海から遠く離れた内陸にあるこの土地にとって、数少ない水産業の場だ。

 だがここ数ヶ月、魔物が棲みつき民は近付けずにいると聞いている。



 道中の村々で聞いた話では、その化物は巨大な蛇のような化物であったり、巨大な角を持つ化物だという話だったが……はてさてどのような物が現れるやら。

 下見と称して出て来たように、しばらくは様子見として時間を稼ぐ口実に使うつもりだが、あの件と同時進行で片さなければならないと考えると頭痛がする。

 現状を思えば誰も近寄ろうとしない場所があるのは何かと便利だが、ここへと飛ばされた以上、近い内にこの湖の件もどうにかせねばなるまい。



 湖畔へと近寄り、中心の方へと視線を向けるが、冷ややかな風が頬を撫でるだけで水面に異変は顕れない。

 件の魔物は水中深くに潜り身を隠しているのだろう。底の方で蠢く強力な魔力を見つめたまま、いつものように背後に降り立った気配に向け、ため息交じりに呟いた。



「……領地を蝕む魔物退治を、魔導士一人と従者一人でやれなど、正気の沙汰では無いな」


「全くですよ」



 まだ若さの残った青年の声が苦々しげにそう返す。

 振り向けば声色通り、不機嫌そうに顔を顰めて控える私の従者、シドが居た。



「普通魔物退治となれば、軍を編成してもおかしくないでしょうに……主ならば可能かもしれませんが、共にできるのはたかが従者を一人だけなど……」


「あぁ、そうだ。あの阿婆擦れは私を殺したいのだろうよ。親父殿もそれをわかっていながら決定を下した」



 ”影であれ”と育てられてきた者にしては感情豊かに不服を漏らすシドに対し、懐に入れていた資料を投げ渡す。

 受け取った資料にすぐさま目を通し始めたシドを横目に、ここ数日で凝った首を回した。


 表向きには阿婆擦れの思惑通りに、裏では親父殿の思惑通りに。

 当事者である私としては、もっと気楽に生きたかったものだが、仕方あるまい。



「目星は全て記してある。適時自分で判断して構わん。

 魔物相手に片手間など自ら死を選ぶような物だ。さっさと片を付けるぞ」


「はい──全ては我が主、クラヴィス様のために」



 読み終えた資料を魔法で燃やし、恭しく頭を下げるシド。

 お互い見張りを付けられている身。私の幻影を破れる者はこの地に居ないが、必要以上の接触は危険を伴うだけだ。

 互いにそれを理解している故、シドは静かにこの場から離れ、私は当初の予定通り湖の下見を行うため歩き出した。






 湖畔を歩くことしばらく。

 湖に棲みついた魔物は姿を現すこと無く、ただただ平穏な風景を楽しんだだけとなった。

 これならば予定を繰り上げ帰城し、影で動くシドをそれとなく援助すべきだったか──そう考えた時、微かに魔力が揺らいだのが見えた。



 件の魔物の手がかりでもあるのか。

 警戒しつつそちらへと向かうと、誰か人が倒れているのが視界に入った。



「子供……!?」



 齢三歳と言ったところだろうか。

 幼い子供が一人、湖の湖畔にずぶ濡れになって倒れている。


 状況からしてこの子供はこの湖で溺れ、ここに打ち揚げられたのか。

 急いで駆け寄り、抱き上げて息を確認すれば、弱くだが息をしているのがわかり、私はすぐさま行動を起こした。



 見た事の無い作りで少々手間取ったが、子供にしては大きすぎる濡れた服を脱がし、自分の上着で身体全体を覆うように包み込む。

 触れた肌は冷たく冷え切っていて、色も赤みなど無く青ざめ、カタカタと震えている。

 この地方は王都に比べて寒さが酷く、春を迎えた今でもあちこちに雪が残っているほどだ。

 湖など氷のように冷たく、こんなにも幼い子供であれば入った瞬間に命の危機を迎えることだろう。


 それがまだ息をしている。

 まさしく奇跡というべきこの状況において、一つでも判断を間違えれば、この子は死んでしまう。

 それをわかっているからこそ、私は子供に体温が移るよう、隙間も作らぬようにしっかりと抱きしめた。



「必ず助ける。だからもう少し耐えろ……!」


「……、……ぁ……」



 腕の中から聞こえたか細い声に思わず腕の力を強める。

 今にも消えそうなほど儚い灯が消えぬように、魔法で子供に温もりを与え、温もりを維持したまま来た道を全速力で駆けた。

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