うちの魂《タマ》知りませんか?

 今日も極楽には燦々さんさんと陽光が降り注ぎ、満開の蓮の花がかぐわしい芳香をあたり一面に放っています。

 御釈迦様おしゃかさまは静かな微笑みをたたえ、鳴き交わす雲雀ひばりの声を聞きながら穏やかな足取りで散歩を楽しんでおりました。

 と、目の前からやけに危なげな動きでフラフラと男が歩いてくるではありませんか。視線もどこかうつろです。御釈迦様は近づいて声をかけました。

「もし、こんなところでどうなさいました?」

「はい? あ、ああっ、もしかして御釈迦様ですか? いやあよかった。ちょっと探してもらいたいんですがね……」


  *


「ええと、何を探しているかもう一度説明していただいてよろしいでしょうか?」

「魂です。わたしの魂がどっかいっちゃったんですよ」

 ふうむ。御釈迦様は天を仰ぎました。極楽にも更に上の天はあるのでございます。

 これはまたおかしな人がやってきたものだ。

 彼はこう言った。自分の魂をなくしてしまったので探してほしいと。

 ここは極楽。身体から離れた魂がやってくる場所でございます。ならばいま御釈迦様の目の前にいる男がその男の魂でなくていったい誰の魂だというのでしょうか。

 御釈迦様は慈悲深い目で男を見詰めました。男は目を丸くしてきょとんとしています。

 ははあ、これは余程よほどのおっちょこちょいに違いない。御釈迦様は思いました。

 古典落語に「粗忽長屋そこつながや」という滑稽噺こっけいばなしがございます。河原に打ち上げられた水死体を見てそれが自分の死体だと勘違いする男の話です。おそらく彼もそんなおっちょこちょいに違いないのでございます。

「もう少し詳しくお話いただけますか? その時のことをようく思い出してみてくださいな」

 よしきたとばかりに男は腕まくりをして話し始めました。

「あれはこごえるようにさむ~い冬の朝でした。わたしゃね、ベッドに仰向けになっていたんですよ」

「ほう」

「カーテンの隙間からは朝日が差し込んで、スズメなんかがチュンパチュンパ鳴いていましてね。それはそれは気持ちの良い朝だったんですよ。けれどね、どうも妙なんです。なんだか頭がボワーっとしてはっきりしないんですよ」

「ほほう」

「なんというか胸の辺りにポッカリ穴の開いたような感じになっていましてね。ヘンだな。おかしいなと思ったんです。わたしゃ自分のここに手を当てて考えてみましたよ」

「胸の辺りに」

「そうです。それで、アッと思ったんです。無い。わたしの中から魂が抜けている」

「え?」

「分かるんですねえ、やっぱり。なにせ自分のことでしょう? わたしゃあね、寝ている間に自分の魂を無くしちまったんですよ」

 御釈迦様は相好を崩して、しかし額には汗を一筋浮かべながら話しました。

「おおよそ分かりました。はい。では……、もう少しその、状況を冷静に考えてみましょうか。何かこう思い当たる節はございませんか?」

「いやあ、なにせ自分の魂をなくすなんて初めての経験ですからね」

「ええ、その通りだと思います。たいへん珍しいケースでしょうからね。なんですかねこう、考え事をしていたとか、具合が優れなかったとか……」

 はて、と男は首を傾げた。

「まったくありません」

「まあそうでしょうな。……ああ、失礼。それでは他に、何かヘンな物をお召し上がりになったとか?」

「ヘンな物? ゆんべの飯は天ぷらでしたが……」

「ふうん、別段これといった物でもありませんねえ」

「あっ!」

 男は急に大声を上げました。

「どうしました?」

「そうです、天ぷらですよ!」

「天ぷら?」

 男はさも悔しそうに話し始めました。

「わたしゃこう見えても炊事が得意でしてね、天ぷらもうちでこさえたんです。けれどね、昨日はどうにも眠かった。ナスやタマネギに衣を付けながらア~ン、ア~ンとあくびをしてたんです」

「へえ」

「ア~ン、ア~ン、とあくびをするでしょう? その時に出ちゃったんですよ、わたしの口から魂が」

「なるほど」

「溶いた小麦粉に飛び込んじまったんだなあ、魂が。眠いもんでそのまま揚げるでしょう? それを中身を見もせずにバクバクっと食べて寝ちまったもんです。あああ、なんてこと。わたしゃ自分の魂を天ぷらにして食っちまったんです!」

 ホッホッホッ、と御釈迦様は手をお口元にお当てになりました。

「ええと、どうしようかな……? ではこういうことでしょうか。あなたのお腹の中から魂がお出になればよろしいわけですね?」

「おお! そうしてもらえるならありがたいこって」

 少々お待ちを。御釈迦様は或る蓮池へと歩み寄り、すっとその中へ手を差し入れてから戻ってきました。

「こちらは特製の極楽ドリンクでございます。これをお召し上がりになればきっと魂もお出になることでしょう。ようく冷えてございますよ」

「これはかたじけない」

 男は御釈迦様から小瓶を受け取ると顔を近づけました。

「なんだか泡がパチパチ弾けておりますが?」

「どうぞ、一息にググッとどうぞ」

 男は喉を鳴らして小瓶の中身を飲み干しました。

「プハーッ! これは喉がシュワシュワして大変なものですな」

「どうです? お腹から何か出てきませんか?」

「そういえば腹が張ったような」

 男はまん丸な目を白黒させていましたが、やがてカエルのように口を開け、大きなおくび、つまりゲップを吐き出しました。

「出ました! それがあなたの魂です」

 御釈迦様が指し示すと男は慌てて両手を宙にばたつかせ、かき集めるような仕草をしますと何も無いそれを口の中に放り込みました。

「あっ。御釈迦様! 戻りましたよ。こう胸のところにストンと。いやあ、やっぱり自分の魂があるってのは良いもんですなあ!」

 男は小躍りしました。御釈迦様はたいそう慈悲深い眼差しでその様子をご覧なさっております。

「じゃあ、どうもありがとうござんした。これでぐっすり眠れます」

 そう言って手を挙げると男は去っていきました。その後ろ姿に御釈迦様の眼差しが注がれます。

 はて? 御釈迦様は首を傾げました。

 魂の件は男の勘違いだったとして、では男はなぜどうやってこの極楽まで参ったのでしょう?

「ま、いっか」

 御釈迦様は散歩の続きにお戻りになりました。

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御釈迦様の御受難 石田緒 @ishidao

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