第15話 そよ風

日に日に暖かさを感じるようになったプラト領。

 ぽかぽかとした陽だまりも、より一層心地よさを増してきている。


「人族は器用だにゃあ」

「さらさらで気持ちいいにゃ」

「ふふっ……引っかかないでくださいね」


 彼らにひっつかれているのは、スタンデールさん。

 今日はアセンヌ院の院長としての服装である。

 子猫族達はさらさらとした手触りの法衣に夢中だ。


「むぅ……なんか釈然としない」


 一方群がられている自身の執事が羨ましいのか、ノフィは少しふてくされ気味だ。


「ノフィ、具合悪いのにゃ?」


 そんな顔色の変化を見逃さないのがチャップ。

 すりすりとノフィに近寄る。

 チャップだけに限らず子猫族は、他者の気分の変化にとても敏感だ。


 そんな彼の可愛らしい仕草に、王女様はあっという間に骨抜きになった。


「ふへへぇ、チャップちゃんは天使ぃ……」

「にゃにゃにゃ!」


 強めにぎゅっとされたチャップは驚きながらも、楽しそうである。


「しかし、思った以上に子猫族は人懐っこいのですね。人前に姿を見せないので、てっきり人族は苦手なのかと」


 直接触れ合うのは初めてだというスタンデールさんは、彼らの歓迎ぶりに驚いている。

 

 確かに彼が言う通り、実物を見ることは滅多にないと言われている子猫族。

 数が少ないんじゃないかとか、勝手に国をつくった人族を嫌がってるんじゃないか、みたいな話は良く聞いた。


「別にチャップ達は人族は嫌いじゃないにゃ。ロエル達はいい匂いだし、プロウトも美味しいにゃ」

「俺がいい匂い?」


 ノフィは女性だしそういう所も気にしていそうだけど、俺はどうなんだろうか。


「でも人族は沢山いるし、時々嫌な匂いがする時もあるにゃ」

「嫌な匂い……ですか」

「チャップちゃん、私は!?私はいい匂い!?」


 やや暴走気味のお嬢様は、ここへ来るといつものことなので放っておこう。

 チャップは抱きしめられたままだが、頷いている。


「気が荒い人族がチャップたちは好きじゃないのにゃ。嬉しそうな人族とかのんびりしている人族は好きにゃ。怖いのは嫌だにゃあ」


 なるほど……俺は昼寝をしていたし、彼らにはのんびりとした人族に映ったのかもしれない。


「開拓初期は良くも悪くも、皆やる気に満ちたり、気が立っていますからね。それがチャップ君達には怖いのかもしれませんね」

「開拓で生まれた国だものね、グリッケン教国自体。チャップちゃん達を怖がらせちゃってごめんね」


 ノフィは少し申し訳なさそうにチャップの頭を撫でる。

 それを見た子猫族達が近くに寄ってきた。

 同じように頭を撫でてあげると、にゃあ、と嬉しそうにする。


「なんだか私まで、子猫族の信奉者になってしまいそうです」


 スタンデールさんも寄ってきた子猫族を撫でながら、笑みを浮かべていた。


 三役会議が終わってから、ここへ来る時間をほとんど取ることができなくなり、今日は久しぶりの訪問だ。

 エト伯の姿を解いて暖かな陽だまりと、子猫族の彼らに囲まれている。



「それにしても……『休日』とは考えましたね」

 

 ひとしきり撫でられると満足したのか、子猫族達は大好きなお昼寝に戻った。

 チャップも抱えられたまますやすやと眠っている。

 そんな彼らを微笑ましく見ながら、スタンデールさんは感心したような声をあげた。


「まあ、俺が考えたわけじゃないんですけどね。官学校にいた頃講師が言っていた話です」


 休日を取り入れる、という発想は元々『適化』の方策の一つだ。

 

 現在の所開拓者達を含め、基本的に仕事をしない日というのを設ける習慣はない。

 それは稼ぎの問題だったり、領地の業績を加味した結果だったりする。


「休暇を与える、っていう意味で時々採掘休はあったけど……。私も始めに聞いた時はびっくりだったもの。週に一度はちょっとやりすぎじゃないかって」

「私もお嬢様と同じ感想でしたね」


 休暇という名目で、まとまった休みを与えるのは一般的に知られている。

 今回の休日はその応用といった所だ。


「ロエルの言った通り採掘量は減ったけど、税収は増えたものね。支部の職員も驚いてた」

「コミさんと相談した結果だよ。良い方向に転んでくれてよかった」


 出稼ぎの採掘師さん達がお金を使ってくれるかは賭けの部分もあった。

 採掘師に占める割合の多い彼らが、貯蓄に走ったらここまで効果は出なかっただろう。

 ロンドさんの活躍も非常に大きい。


「職員の再配置の反響はどう?」

「時間が無い中でやった割には、評判はいいわ。皆積極的になってくれたし……まあ閉領を避けられる、と思っている人は少ないとは思うけど」


 苦笑しつつ言う彼女。

 酷い隈を作った甲斐はあったようだ。


「でもね、なんか全部私の手柄みたいになっちゃって……」


 採掘地の訪問以降、ノフィ伯、ヴェッカー会長の評判は右肩上がりだ。

 大きな変化を領伯に負けず断行したことが受けている。


 ただ、その事については気がかりもある。


「コミさんの人気が伸びてないんだよなあ……美人なのに」

「そうじゃないでしょ!?」


 副官の人気が増せば、より円滑に領地が回るんだけど……と口にするとノフィは大きな声をだした。

 チャップの尻尾がぴくっとなったのを見て、彼女は声をひそめて続けた。


「ロエル、っていうかエト伯は嫌われっぱなしよ?良いの?」

「ううん……エト伯の人気が出ることはないだろうし、今の形でちょうどいいんじゃないかな」


 今まで長いこと領地を無関心に放ってきた伯爵だ。

 ちょっとやそっとのことでは、領民からの印象を変えることはできないだろう。

 

 そもそも領地伯爵は何をしているかわからない、という領民がほとんどじゃないだろうか。

 伯爵令を出して何かを強制したり、税制を操って私腹を肥やす。

 そんな風に見られても仕方がない部分もある。


 それが、ほとんど顔を見せなかったエト伯なら尚更だ。


「領地の期待度評価を上げるのが仕事なんだし、領伯の評判を上げてもさほど意味はないかなって。支部伯と会長は領民ともっと触れ合うから、評判が良いに越したことはないし」


 そういう意味で、副官のコミさんも人気が出てほしいと思っている。


 それに俺自身はエト伯の偽物なのだ。

 無視されたり、陰口を叩かれるのは本人であるよりは辛くないと思う。

 心の逃げ場があるのは、想像以上に効いている。



「そうだけど……そんなことないよ」



 少し硬い声で言う彼女に驚く。

 先程までの柔らかい雰囲気は消え、蒼色の瞳は真剣に俺の目を捉えていた。


「姿を変えていても、心無い言葉には傷つくし、嫌な気持ちになる。どれだけ立場を変えても、ロエルはロエルという人間なんだから、絶対だんだん辛くなる。支部職員に時々酷いこと言われているの知ってるんだからね」


 身を乗り出すように見つめられ、俺はにわかに鼓動が早くなるのを感じる。


 確かに彼女の言う通りではある。

 職員の機嫌を損ねたくはないので、なるべく近づかないようにしてはいるけれど。 


 姿を変えてノフィ伯として過ごしてきた彼女にも、思い当たる節があったのかもしれない。


「だから、私達の前ではもっと楽にして。共犯者なんだから愚痴だって共有するの」


 彼女らしい、ぐいっと押し付けられるような優しさ。

 でもそれは決して不快なものではなかった。


「お嬢様の言う通りです」


 そして押し付けられたのは、優しさだけじゃなかった。

 肩口に心地よい圧力を感じて、振り返るとそこには穏やかな表情のスタンデールさん。

 どうもゆっくりと指圧をしてくれているようだ。


「今日はおじさんで我慢してください。お嬢様は力加減がまだまだなので、次回までに教育しておきますから」


 凝ってますねえ、などと良いつつ肩こりをほぐしてくれる執事さん。


「じゃ、じゃあ……私は手かな」

「え?」


 顔を赤くしつつ、ノフィは俺の片手をとってゆっくりと押し始める。

 手はあんまり凝らないと思うけど、柔らかい彼女の手で指圧されると不思議とほっとした。


「チャップはこっちにゃ」


 もう片方の手はいつの間にか起きたチャップが、見よう見まねで揉み始めた。

 肉球がぷにぷにと当たって心地良い感じ。


「王族と執事、子猫族に労られるなんてちょっとご褒美をあげすぎかな」

「どうでしょう。王族と言ってもお嬢様ですからね」

「ちょっと!?」

「にゃふふ」



 無理をしていたという感覚はなかったし、そのつもりもなかったけれど。

 全身の力が少しずつ抜けていく。

 そこでようやく身体に力が入ったまま過ごしていたことに気づいた。



 時折木々を揺らす風。

 差し込む陽。


 

「……ありがとう」

「ふふっ……どういたしまして」


 

 思わぬ報酬と彼女の笑顔は、あの晩とは違う暖かなそよ風のようだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

偽物伯爵のリパナスタ!!〜無能領主を演じつつ、どん底領地を立て直します!〜 澄庭鈴 壇 @staylindan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ