第13話 ヴィージが苦手な彼女
りんりん……と羽を鳴らし、側に寄ってきたヴィージが身体の周りをくるりと回っていく。
少しふらふらと飛んでいるところを見るに、まだ子供だろうか。
「おや、子供のヴィージがやってくるなんて珍しいですね」
そんなヴィージを微笑ましく見ていると、男性の声がした。
「スタンデールさん、おはようございます」
「おはようございます……ふふっ、早起きしてヴィージ園の手入れをする伯爵とは」
「今はまあ、ただのロエルってことで」
「アセンヌ教の関係者として、信心深い若者は大歓迎です」
初老の彼は俺の様子を見て、楽しそうに笑う。
「コミさん、ヴィージが苦手らしくって」
「ああ、少し前に来た時、彼女悲鳴をあげてましたよ」
「え?ヴィージに何かされたんですか?」
「いえ、珍しい服に興味が湧いたらしく、何匹かが彼女を取り囲んでしまって」
ああなるほど。
普段世話をする人間とは違ったから、興味津々だったのかもしれない。
ここはプラト領のアセンヌ院。
アセンヌ教はグリッケン教国ではもっとも普及している宗教で、その教会にあたる場所だ。
主な活動内容は、孤児や周囲から酷い扱いを受けた子供の保護と教育。
婚姻の祝福や、場合によっては炊き出しも行う。
これらはアセンヌ教が信奉する神、アセンヌ神の教えに基づいている。
開拓民の国として始まったグリッケン教国。
その最初の地が現在の教都ダナセーヌである。
この地に国を拓くと決めた一番の理由は、教都の中心にある小高い丘の存在だった。
緑に覆われたその丘の中心には、人の手で作られたとは思えない造形物があったそうだ。
人々はそれを神の御業と受け止め、神の座す丘の下を人々の住む場所と考え開拓を進めたらしい。
結果開拓は成功、グリッケン教国が誕生した。
この成功は丘に座す神の寛大な心があってこそ、そう考えた人々はかの神をアセンヌ神と呼び信奉するようになった。
それ以来、現在も丘とその周辺は緑が残され、立ち入りは厳しく制限されている。
なので素晴らしい造形物というのは、俺を含め国民の大多数は見たことがない。
アセンヌ神は人と人との繋がりや、繁栄をとても大切にするとされている。
大きな争いをしなかったことが神の御心に適ったのだ、というのは教国民の共通認識である。
だからこそ人同士が助け合い、健やかでいることを支援する取り組みにアセンヌ院は積極的だ。
「ヴィージ灯の大幅削減は順調に進んでいますか?」
「あ、はい。ちょっと院長さんに言うのは気が引けますが……」
「はは、確かにアセンヌ院の収入源ではありますけど、ロエルくんの足を引っ張るほうがアセンヌ神に叱られますよ」
ヴィージ灯というのはアセンヌ院で作られているもので、その売上は院の収入になる。
そしてその原料となる蜜をくれるのはヴィージという生き物だ。
ヴィージは大人の両手の平に乗るくらいの身体で、半透明の羽を持っている。
身体は茶色と肌色のふさふさした毛に覆われていて、しましまか水玉模様。
大きな卵型に、丸い目と短い手足がついているが歩いたりせず、大抵大人の目線くらいを飛んで移動する。
彼らは花の蜜が大好きだ。
開拓領を拓いたら、まず花の苗を植えて彼らがやってくるのを待つ、というのは常識だ。
花畑を彼らが気に入ってくれると、りんりん、という羽音が聞こえるようになる。
「おお、ありがとう。手渡しだなんて、これは他の院長に自慢できますよ。ロエルくんのおかげかな?」
「いやいや、この子が好奇心旺盛なんじゃないですか?」
「子猫族にも好かれるみたいですし、何かいい匂いが……?」
「ちょ、ちょっと近いです……!」
お尻を触ってきたこと、忘れてませんからね!!
小さい子供ヴィージが、スタンデールさんに壺のようなものを渡し去っていく。
この壺の中に、彼らが花から集めた蜜が入っているのだ。
花畑の蜜が気にいると、彼らはこうしてお裾わけしてくれるようになる。
普段は蜜を入れて一番花畑に近い建物の前に置いていってくれる。
ちなみに壺はアセンヌ院製だ。
花畑の側に花と一緒に置いておくと、彼らが使うようになる。
「小さいヴィージも可愛いらしいですね」
「ええ、お嬢様が見つけたら追い回しそうです」
ああ……絶対そうなるだろうなあ。
簡単に浮かぶ絵に、思わず二人で笑ってしまう。
「さて!信心深い若者にまけてられませんね」
その言葉を合図に、俺とスタンデールさんはしばらく雑草とりや、水やりに勤しんだ。
「申し訳ありません、エト伯。ヴィージ園の手入れもやっていただいて……」
日中は随分と暖かくなってきた執務室。
コミさんは少し申し訳なさそうにする。
「あの毛で覆われた感じがどうも……」
「もふもふしていて気持ちいいですよ?」
「さ、触ったことあるんですか!?」
「はい。子供の頃に何度か」
彼らは深夜から早朝にかけて行動している。
だから朝早くに世話に出かけると、数匹と出くわすことがあるのだ。
それを繰り返していると、だんだん慣れてきて触れるくらいになる。
「そ、そうですか。しかし副官の仕事なのにお手を煩わせてしまって……」
恐縮する彼女。
本来ヴィージ園を手入れするのは副官の仕事ではないので、別に気にしなくていいのに……。
というか最近コミさんはどうも堅苦しい。
具体的に言えば、領伯、支部伯、会長が集まり、俺の寿命が半分になった三役会議の後から。
もともとエト伯に対しても丁寧な態度ではあったが、ここのところそれが更に意識されているように感じる。
スタンデールさんだとそうは感じないのは、副官であった時と対応が変わっていないからかもしれない。
領伯に対する副官の態度としては、特に間違っていないのかもしれないけれど。
……どうにもやりにくい。
こちらとしては中身は副官だし、騙している感じが強くなってとても申し訳ない。
というか、実際に騙しているので尚更だ。
偉い人として扱われてしまうのが、こうも居心地悪いとは思わなかった。
「あの……コミさん」
「はい?」
「口調をですね、もっとこう……普通にしていただけませんか?」
「普通、といいますと?」
「そんなふうに、あまり堅苦しくされてしまうとどうも話しにくいと言いますか……」
随分個人的なお願いなので、ちょっと照れくさくなりつつも続ける。
「具体的に言うと……その、ロンドさんと話す時くらいで」
「は!?い、いや、彼は同僚といいますか……その、伯とはお立場が違います」
ついこの間、彼女とロンドさんが話をしているのを見かけた。
その時の様子のほうが、もう少し自然で彼女自身もやりやすそうに見えたのだ。
「お願いできませんか?その……執務の時だけで構いませんので」
「えぇ……なんかおかしくありませんか……?」
彼女にとっては意外な申し出だったのか、少し硬さが取れた様子のコミさん。
今に始まったことじゃないか……とこっそりつぶやいているのは聞こえてますよ……?
「……わかり、わかったわ。意思疎通が億劫になっては元も子もないものね」
「そうですよ。それにコミさんのほうが年上ですから、あまり……」
気を使わないでくださいね……と続けることができなかったのは、彼女の視線が突き刺さったからである。
「……ええ、年上でしょうけど。何か?」
こ、怖い!
彼女に年齢の話を持ち出してはいけない。
俺は冷や汗を流しつつ、心に刻んだ。
……は、話を変えよう。
「そ、それで、ヴィージ灯の件ですけど」
「……」
あからさまに話題を変えたことは分かったのだろう。
彼女は更に目を細めて俺を睨んだ後、小さくため息をつき返答をしてくれる。
「はぁ。とりあえず、開拓支部でのヴィージ灯使用量はかなり減ったわ。ノフィ伯がしっかりと監督してくれているみたいで、雨天の日くらいしか使っていないみたい」
例の三役会議から約一ヶ月、プラト領開拓支部は大きく変化を始めた。
その一つは支部職員の労働時間の変更。
陽が落ちた後に仕事をすることは原則禁止とした。
これは無駄な仕事を徹底的に削減することで可能となった。
「書類業務と、会議回数の削減でここまで成果があがるとは思わなかったわ」
「コミさんの指摘があったからですよ」
「書類削減は、エト伯のお話がなければ難しかったと思うけれど」
「書類も会議も嫌いですから……」
率直に気持ちを話すと、彼女はふふっと上品に笑った。
委任していた仕事を手元に戻してみた結果。
小規模な領地では必要のない仕事がとても多かった。
また領伯への申請を省略すべきものや、署名の必要性を疑われるものもあった。
そのすべての要因は、職員一人ひとりが決められないという環境だ。
何かを決める時、些細なものまで支部伯、領伯に書類を見せなければならない。
何かを提案しても、領伯は保留もしくは却下するし、支部伯は忙しすぎて付き合えない。
結局実現になかなか辿りつかない。
となると仕事そのものの意義は感じられないし、彼らはどんどんやる気を失う。
「各係で動いていい、という枠組みは結果的に良い方向にいっているみたいだわ」
「支部職員は皆さん基本的に優秀ですからね、もったいないことをしていました」
「色々な改善が進んでいるみたいだし、ノフィ伯の隈も見なくなったわね」
現在は大きく仕組みを変え、一部の職員達には一定程度までの権限を持ってもらった。
領伯、支部伯まで話を通さずとも、最初の動き出しはできる形だ。
責任も大きくはなるが、官学校を出た職員達はやる気を出してくれたようである。
今では書類も減り、いくつか新しい提案も上がってくるようになったとノフィが喜んでいた。
変身でごまかせないほどの隈も消えたようで、ひとまず安心した。
「採掘師の皆さんはどうでしょう?」
「買取額の増額は単純に喜ばれていたわ。ヴェッカー会長はかなり感謝されたみたいね」
「『休日』はどんな感じでした?」
「そっちは……」
「おい、いるか?」
コミさんが言いかけた時、扉の向こうから太い声が聞こえた。
俺は背筋を伸ばし、返事をする。
「はい、どうぞ」
副官が扉を開けるのを待たずに入ってきたのは、ヴェッカー会長だ。
ぶっきらぼうな調子はそのままだが、俺が失礼なことを言った後も態度は変えずとも応対はしてくれている。
「とりあえず、昨日の分までの書類だ」
頼んでいた採掘量についての書類だ。
明日でも構わなかったが、早めに仕上げてくれたらしい。
「支部に持っていったら直接渡せと」
多分ノフィが気を効かせてくれたのかもしれない。
丁度この二週間でどうだったか聞きたかったし、会長から直接聞けるならそのほうがいい。
怖いけど……。
「ありがとうございます。そのまま現状の報告をしていただいてもよろしいですか?」
「ん……おう、なるほどな」
ノフィの意図に気づいたのだろう、彼は軽く頷くと応接椅子に座ってくれた。
合わせて俺も斜向いに座り、コミさんは椅子の後ろに立つ。
「コミさんも座ってもらって……簡単に書き取りをお願いします。私、字が汚いので……」
俺の発言に、コミさんは笑いをこらえた様子で席につく。
「ではお願いします」
「そうだな……」
ヴェッカーさんに促すと、ほたる石の買い取り額の増額については好感触だと言う。
「当たり前だが実入りが増えりゃ喜ぶ。ただ、だからこそ『休日』のほうを嫌がる」
この「休日」というのが伯爵令を出して新たに制定した仕組み、もう一つの変化である。
採掘師の皆さん週に一日は仕事を休んでください、というものだ。
「長期の採掘休以外、今まで毎日やってたんだからな。手持ち無沙汰というやつもいるし、もっと実入りをあげたいやつもでてきてる」
「採掘休の期間しか今まで休みはありませんでしたからね……まあ予想どおりです」
「そうだな。ただお前さんらからすりゃ、とれすぎるのも困るんだろう?」
「ちょっと思い切ってあげちゃいましたからね」
「休日」には二つの狙いがある。
一つは報酬の抑制。
まずは買い取り額を予定より大幅に増額したことで、彼らの給与は上がっている。
ただ、採掘量が多くなりすぎると支払いが間に合わない。
その調整のために一日休んでもらっているわけだ。
もう一つは税収の増加。
給与があがり、休みがある。
となれば、家族で食事に出かけたり、仲間とお酒を飲んだり……。
そんなふうにお金を使ってもらえないか、そう考えた。
採掘量を増やすことは見送って、商店からの税収増を狙っている。
合わせて、週に一度の休日という生活は他の領地では見られないものだ。
上手く領地の魅力になれば、とも考えている。
「休日を喜んでいるやつもいる。子供と過ごす時間が増えるのが嬉しいって言う話は聞くし、遅くまで飲んだやつもいたみたいだしな」
「商店の中でも食事処の客入りはいいようです」
ヴェッカーさんの言葉に合わせて、コミさんも報告をしてくれる。
「採掘師には閉領になった場合は補助金もあるしな、懐が暖かくなると使ってしまうやつも多い。そこはお前さんの行った通りになったな」
「長くこちらで働いている方は、今は様子見といったところでしょうか」
「だろうな。所帯持ち多いから、出稼ぎ組より引っ越しに金がいる」
出稼ぎ組、というのは別の地域から派遣されている採掘師達のことだ。
彼らの多くは若く、独身であることが多い。
一方地域に長く住んでいる開拓者は結婚して、家庭があるのが大半だ。
補助金だけでは心もとないのかもしれない。
「例の『まかない』はどうですか?」
「ああ、あれか。最初はそうでもなかったが……、まあ一度くらい見に来てみればいい。放任すぎるのも部下としちゃあ心配になるだろう」
そこで、ヴェッカーさんは少し表情を柔らかくする。
まあ確かに。
ロンドさんがどれくらい活躍しているかも気になるし、様子を見に行くべきだろう。
ただ……。
「採掘師の皆さんは……」
「まあ、嫌がるだろうな。俺も正直いい気分はしない」
買い取り額を抑えてきた元凶が姿を現すのだ。
当然いい顔はされないだろうなあ。
思わず苦笑すると、優秀な副官さんが助け舟を出してくれた。
「ノフィ伯とご一緒なら、いかがですか?」
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