第12話 三役会議

 ここ数日ノフィ伯の目元の隈が凄い。


 支部職員達……特に女性職員にとって、このことはとても大きな衝撃だったらしい。

 最近のエト伯の……乱心あるいは転身の話題が霞んでしまうほどだ。

 

 それもそのはず。

 領内一の美人と評判の彼女は、疲れを表情に出さないことで有名だったからだ。


 ノフィ伯は誰よりも早く出勤し、誰よりも遅く帰る。

 だからこそ女性職員達は、彼女が顔色を変えることもなく毎日仕事に励む姿に驚き、尊敬してきた。

 それは私を含めた使用人達も例外ではない。


 しかし今眼の前にいる彼女の顔色はとても良くない。

 何度見ても、隈が凄い。

 初めて見る彼女のそんな様子に、思わず声をかけてしまう。


「の、ノフィ伯。そのお身体の調子が悪いようなら……」


 私の言葉に、彼女は笑顔を浮かべる。


「大丈夫よ、コミさん。ちょっと忙しくて疲れてるだけよ、心配してくれてありがとう」


 ちょっと疲れてる人でも、そんな不自然な笑顔はしないのでは……。

 柔らかな表情のはずなんだけれど、隈と妙な迫力のせいで正直怖いです。


 そのまま、ふぅ、と会議室の椅子に背を預ける彼女。

 それでも朝早い会議の開始前にこうしてやってきて、三役の中で一番早く準備を終えている。

 この辺りに彼女の仕事に対する熱意が見える気がした。


 彼女をここまで疲弊させたのは私の提案のせいでもある。


 私が副官になり、方針がまとまった翌日。

 すぐに彼女を交えて打ち合わせをすることになった。

 ノフィ伯は環境を整えていく、という方針に同意してくれた上で早速行動を起こしてくれた。


 とはいえ、各職員との個別の面談と再配置の検討をお願いしたのだ。

 十数人しかいない小さな支部とはいえ、他の仕事と平行してこなすことになる。

 業務の見直しも同時にやってもらっているので、ここ数日の忙しさは察するにあまりある。

 

 再配置についての検討はまだ始まったばかりだが、監査までに残された時間は多くない。

 彼女もそれを分かっているからこそ、これだけ力を入れてくれているのだろう。


 しかし支部の職員だけが開拓領ではない。

 

 そんなことを考えていると、彼が入ってきた。



「あ、コミさん。ありがとうございます」



 エト伯である。

 私が挨拶を返すと、わずかに笑みを浮かべ席につく。

 ノフィ伯にも軽く会釈し、彼女も少しだけ笑みを浮かべる。


 んん……?


 私はノフィ伯のその表情に少し驚いた。

 それは彼女が普段見せる、自然な笑顔に近かったからだ。

 エト伯に柔らかい表情を見せる彼女を初めてみたのだ。



「おう」


 

 太く、低い男性の声。

 まもなく聞こえたヴェッカー会長のぶっきらぼうな挨拶に、小さな驚きと戸惑いも私の頭からは追い出されることになった。


 彼が、プラト狩猟会、生産会、技術会を纏める会長だ。

 職位上はノフィ伯の下になるが、現場作業を取りまとめている役柄上、その影響力は大きい。


 刈り上げられた黒髪に、黒ひげ、大柄で筋肉質な身体。 

 元はほたる道具職人だったそうだが、採掘、狩猟もこなす。

 口調はやや粗暴だが情に厚く、開拓者からの声で現在会長職についている。


 しかし大抵のことには動じないであろう彼が、入室後席につく前に一瞬動きを止めた。


「坊っちゃんがいるとはな、明日にはヴィージがここを乗っ取りにくるんじゃねえか?」


 普段ここに顔を出すことがないエト伯がいたからである。

 彼は低い声で伯爵へ皮肉を飛ばす。

 大人しいヴィージが人を襲う、というほどあり得ないということだ。


「え、ええ……ご無沙汰しています」


 そんなエト伯の返答に、席に座ろうとしていた彼がもう一度動きを止める。

 しかしそのまま何も言わず、わずかに表情を険しくすると着席した。


 ヴェッカー会長が席につくのを確認し、エト伯が口を開いた。


「それではプラト領、三役会議を……」

「待った」

 

 ところが……というか予想通り、ヴェッカー会長はそれを遮った。


「コミがどうしてここにいるんだ?」


 彼は同席している私をちらりと見ると、やや厳しい口調で問う。


「彼女は、私の副官として先日から働いていただいています」


 緊張しているのだろう、エト伯の声はやや震えている。


「ロエルっていう坊主はどうした?」

「え、えっと……彼は私に愛想をつかしてしまったようで……」

「は……?」


 ヴェッカー会長の質問に、とても居心地悪そうに応えるエト伯。

 しかしヴェッカー会長は、そのあまりに率直な返答に分かりやすく呆けてしまった。

 

 彼の心境はとても良くわかる。

 正直私もこの話をあっさりと告げられた時、内心相当驚いた。

 

 副官がいなくなったことは自身の責任である、と彼は簡単に認めたのだ。


 領伯ともなれば責任を背負いたがらないのが普通だ。

 押し付けるとまではいかなくても、色々と理由を述べて保身をする。

 かつて私がいた領地では酷いものだったし、他の領地でも大小はあるものの大体が誤魔化す。


 しかし彼はけろりと認め、申し訳なさそうにするのだ。


 他の領地でも会長経験のあるヴェッカー会長なら、なおさら伯爵らしくない態度が分かるだろう。

 だからこそ呆けてしまったのだと思う。

 

 ノフィ伯は少し顔を背けている。

 ここまで包み隠さず事情を話されると、逆にいたたまれなくなるのかもしれない。


「ま、まあ事情は分かったが……調子が良すぎるんじゃねえか?コミはそれでいいのか?」


 ヴェッカー会長は私が副官として赴任したことを知っている。

 こうして気にかけてくれるのは彼の人柄がよく出ていると思う。


 そしてエト伯は心配そうにこちらを見ている。

 

 ……まったく。

 あなたが私を焚き付けたでしょうに、不安そうな顔をなさらないでください。 


「ええ、ご指示もありましたし。時間があるかはわかりませんが、今しばらく本業をやることは嫌ではありません」


 上司の態度に少し腹がたったので、やや皮肉を交えて答える。

 そうか、とヴェッカー会長はため息を吐き、エト伯は苦笑していた。


「ええと……ヴェッカー会長から他に何かなければ、本題に入ってもよろしいですか?」

 

 副官の返答で緊張がほぐれたのか、エト伯は改めて切り出した。

 ノフィ伯は頷き、毒気が抜かれたらしいヴェッカー会長は手で続きを促す。


「まずはお伝えしている通り、大前提として閉領を回避したい、それが今の私の希望です」


 静かな会議室にエト伯の声が響く。

 彼がノフィ伯とヴェッカー会長を前に、これだけはきはきと話すのは驚きだけれど。


「今日はそのための方針の説明、加えて採掘師の皆さんの待遇について話がしたいと思っています」


 方針についてはヴェッカー会長には書面で連絡済み。

 つまり後者が今日の主題になるのは明らかで。

 

「方針は分かってる。が、採掘師の連中の待遇を変えるっていうのはどういうことだ?」


 ヴェッカー会長はすぐに主題に話を移す。


「坊っちゃんがどんな感情を持つかは自由だ。閉領を回避しようとするのも、コミを副官にするのも本人がいいなら好きにすればいい。だがな、採掘師の連中はお前さんのままごとの道具じゃない」


 もともと太く、低い声の会長。

 彼はその節々に憤りを滲ませながら続ける。


「思いつきで待遇を変えられちゃあ困るってことだ。期待度評価をもらって領地を存続させたいなんて話、お前さんの身の回りだけでやってくれ。開拓者を巻き込むな」


 彼は声を荒げたわけではない。

 しかし確かに感情の籠もった言葉は、会議室に張り詰めた静寂をもたらした。

 その静寂は一つの答えでもある。


 彼の言っていることはもっともだし、会長としての責任を意識した確かな意見なのだから。


「伯爵令を出したければやってみな。俺たちは全員働くのをやめる。そうなれば、あっという間に閉領だろう。椅子に座ってりゃあいいお前さん方にはわからんだろうがな」


 彼は暗にノフィ伯も含めた開拓支部全体に批判を浴びせ、室内を見回す。


 今までのエト伯との関係から、彼が強硬な態度に出ることはある程度予想していた。

 しかし、職務の放棄まで明言するとは……想定が甘かった。


 私は予想以上の事態に、背筋を冷や汗が伝っていくのを感じる。

 このままだと会議の成果どころか、今後この場を設定することさえ……。


「今日は、それを言いに来ただけだ。後は好きにしろ」

「ちょ……ヴェッカーさん!」


 さっさと部屋から出ていこうとするヴェッカー会長を追って、ノフィ伯が慌てて席を立つ。

 私も思わず腰を浮かせた時、はっきりとした声が響いた。



「ままごとに興じているのは、あなたのほうでは?ヴェッカー会長」



 空気が凍るという表現がこれほど的確な状況もないだろう……。


 少なくとも私は冷や汗が凍ってしまうかと思った。

 会議室内の空気は先程以上に張り詰め、もはや呼吸も難しいほど。


 しかしエト伯は彼を凄い形相で睨みつける会長の視線など、まるで意に介さず話を続ける。


「予算の決定権をもつ伯爵から、待遇の話がでている。その状況でどうして改善に向けた話し合いにつなげないのですか?」


 緊張で声が震えていた領地伯爵はもういなかった。

 そこには目を細め、逆に会長を射抜くような瞳を持った貴族が座っていた。


「開拓者を大事にするような姿勢を見せながら、貴方は今感情を優先している。感情で報酬は増えますか?感情でほたる石は増えますか?その選択は本当に開拓者に利がありますか?」


 淡々と語られる彼の主張。

 どこかぞっとするほどの冷静さを感じるその言葉に、私は息を飲む。

 

「開拓者の苛立ちを代表して私にぶつける。気分は良いでしょう」


 エト伯は自嘲気味に言う。

 彼に思い当たるところがあったのだろうか。


「ではその良い気分を味わうのが、会長の仕事ですか?」

 

 彼が更に続けたその言葉に、ついにヴェッカー会長は憤りを爆発させた。


「お前に!何がわかるってんだよ!!今まで開拓者の気持ちなんか考えたこともねえだろう!」


 部屋を出ようとしていた身を返し、エト伯の胸ぐらを掴む。


「ヴェッカーさん!落ち着いて!」

「うるせえ!」

「か、会長!」


 私とノフィ伯が間に入るが、大柄な彼をエト伯から離すことは難しかった。

 力任せに立たせた伯爵を、今にも締め落とそうとする勢いのヴェッカー会長。


 しかし驚いたことにエト伯は話すことを辞めなかった。


「本当の希望を言ってください」

「!」


 会長はぴくりと動きを止める。


「ヴェッカー会長の仕事は、伯爵が駄目だからと諦めとともに妥協することですか?」


 エト伯は胸ぐらを掴まれたままだ。

 しかし、その瞳に見える意思はちっとも揺らいでいるように見えなかった。


「開拓者の気持ちを聞かせ、分からせ、彼らに有利な条件を引き出す……違いますか?」


 怒りに目を見開いていたはずの会長は、今は驚きに目を見開いていた。

 私とノフィ伯も同様の表情をしていたと思う。



「貴方が今私に言うべきことは、『待遇を改善しなければ、全員辞めてやる』ではありませんか?」



 彼がそう言い放った後、私達は誰一人声を発することができなかった。



 彼の理屈は無茶苦茶だ。

 

 自身を脅せと。

 閉領が嫌なら待遇を改善しろと迫れと。


 会長として自身に敵対することを勧めたのだ。


 ヴェッカー会長が開拓者を守ろうとしたのは間違いない。

 最終手段のようなことを言い残し、決裂も辞さない構えを見せる。

 そうすれば、エト伯は状況を変えないだろう……そう見越して。

 

 しかしエト伯の奇行はその上を行った。


 会長に「妥協より変化」を示したのだ。

 状況を変えない以上に欲しいものはないのかと。

 

 そしていつか私を捉えた言葉と同じように。

 エト伯の言葉は会長に刺さったのだ。


 ヴェッカー会長が望みながら大人の判断で言わなかった、あるいは諦めた想い。

 それをあぶり出したのだから。


 会議室の空気を凍らせながら、エト伯は会長の心の奥に火をつけようとしたのだ。



 関係が最悪であることを理解した上で、ヴェッカー会長とエト伯が話すべきと進言したのは私だ。

 もちろん、今後についての打ち合わせの必要性からの提案でもあったけれど。


 一番の理由は、エト伯の今の状態だ。

 エト伯という人の「今」を見てもらうのが一番早い。

 これは副官としてではなく、一人の人間としてそう思ったのだ。

 

 今の彼には何かがある。


 副官の席を用意され、その後たった数日共に仕事をしただけで。

 私はその感覚を否定できなくなった。

 

 

「……悪い」



 ヴェッカー会長はエト伯の襟から手を離した後。

 静かに席に戻り、軽く頭を下げ一言そう言った。

 

 彼も、多分何かを感じたのだと思う。

 坊っちゃんと揶揄した彼が、いつもと違う、と。


「私こそ、生意気なことを申し上げました……。そ、その帰っていただきたくはなくて」

「……わかった、話は聞く。まずはお前さんの考えを話してくれ」


 さきほどまでの勢いが消えたエト伯の声は、少し震えていて。

 ヴェッカー会長はそれでも落ち着いた様子で。


 張り詰めた空気はそのやり取りを機に緩んだ気がした。


 そして……ようやく三役会議は始まったのだ。



 この時は副官になった私も、正直閉領を避けられるとまでは思っていなかった。

 それでも、自身に与えられた機会は活かそうと、未練のようなものを晴らしたいと考えていたのだ。



 けれど、この会議を境に。

 私の気持ちも、このプラト領も。

 

 大きな変化が起きることになるのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る