第10話 妥協より変化

 ……穴があったら入りたい。


 昼過ぎの陽射しが入る執務室で、俺はなんでもない風を装うのに必死であった。

 

 生きる屍のような状態が変わればいい、とは思っている。

 だからこそ、こうしてエト伯を演じてはいるんだけれど。


 今より少しでも、中身の詰まったプロウトになるになれたらいいとも思う……。

 けれど、何を詰めるのかはもう少し吟味する時間がほしかった。


 しかし他に良い言い訳が思いつかなかったのだ。

 あらかじめスタンデールさんが作ってくれた環境を利用する他にいいやり方がない。 


 姿が変わる首飾りなんて、まるで空想の産物だ。

 だからその存在や、成り代わりという現象を疑うことはまずあり得ないだろう。

 

 けれど子猫族なら匂いで俺だと分かるらしいし、現に位置がわかる道具だってある。

 もしかしたら、成り代わりを見抜く道具もあるかもしれない。

 王女様の後ろ盾があるとはいえ、俺がやっていることは重罪なはず。


 となれば疑念を抱かれる要素は少ないほうがいい。

 あまりにも疑いが濃厚になれば、あるかもしれない道具を使われる日が来ないとも限らない。


 有り難いことに、エト伯が変な伯爵であることは認知されている。

 かつ、高嶺の花に憧れていることも充分知られている。

 まあ、そうなんだけどね……。


 さきほどまで、珍しく動揺を隠さない様子だったコミさん。

 その彼女が今とても生暖かい目でこちらを見ている。


 あまり関わりが無かったけれど、彼女はとても良い人だと確信を持って言える。


『こ、恋をしたから……かな』


 こーんな気色の悪いことを上司が言い出したら。

 普通はもっと残飯を見るような目で見るはずだ。

 それが、やや母性すら感じる視線で済ませてくれているのだ。

 感謝しなくてはならない……ありがとう、コミさん。


 もっと別の言い方があったのかも、と猛烈に後悔しているがもう遅いだろう……。


 コミさんの優しさに甘えて、これ以上この件に触れるのはよそう。

 そうだ、それがきっといい。



「すみません、失礼なことをお聞きして……」

「いえ、気にしないでください」


 やはりコミさんは良い人である。

 副官の疑いを薄くするためにも、動機もはっきり伝えておこう。


「ノフィ伯のお母様は、プラト領の出身だそうです。ですから閉領は避けたい、と真剣に話をされまして。なので……できることはやっておこうと」

「はあ……そうでしたか」


 彼女は驚いてはいるようだが、納得したように頷く。

 これで最低限、筋は通った……かな。

 私情まみれの理由だからこそ、エト伯の行動要因としてはしっくりくるのではないだろうか。

 ちなみにノフィにはここまでは言っていいという許可をもらっている。 


「それで、先程の話ですが……ロンドは今月までで雇い止めと?」


 彼女はある程度は腑に落ちたようで、話を本題に戻してくれた。

 冷静さの中にやや心配そうな色が滲んでいることに、情を感じて心が少し暖かくなる。

 とはいえ、それを理由に処遇を変えることはできないのが現実。


「監査を見越せば、無駄は削減しておきたいです」


 ただ、この判断は王女を優先し、今まで真面目に働いてきた人間を切ることにほかならない。

 

 ノフィ伯もといノフィが不真面目だったわけではないのは、書類を見ればわかる。

 ……書類の半分が汚い字なのは多分その証拠だし、綺麗なほうはスタンデールさんであろう。

 彼女の名誉のために、副官が書いたことにしたけれど。


 そんな彼女ならおそらくこの決断には抵抗するはず。

 とはいえ、俺に課せられているのは監査を乗り越えることだ。

 だからこの策は間違ってはいないが……。


「ひとまず減給は必要かなと。もし退職を望むなら見舞金の宛もあります。ただ……」

「……伯として、下策だとお考えですか?」 


 その通り。

 解雇、減給はもちろん立て直しの手段ではある。

 ただ講師の教えに沿うとすれば、最も稚拙な解決法でもある。



 コミさんが副官だったことは、彼女の給料額に違和感を感じ、赴任当初まで記録をさかのぼったことでわかった。

 彼女の官学校での専門修了分野は『適化』だ。

 

 そして俺も『適化』を修了して副官になった。

 コミさんは、そういった意味でも先輩なのだ。


 仕組みを変え、環境を整えることで業績の向上を目指す。

 そんな思想が、『適化』という学問の中心だ。


 官学校最後の1年はこういった専門学という分野に進む。

 採掘効率を求める分野、技術研究を進める分野、政治政策を研究する分野など多岐に渡って用意されている。


 そして『適化』はその中でも最も不人気であった。

 どの分野の所属試験にも落ちた、学生の墓だと揶揄される。

 生きているとは言えなかった俺には、今考えるとお似合いの場所だったのかもしれない。


 やっている内容も地味だし、評価されない。

 歴史のない分野で権威もない。

 その上、講師もよれよれ服の不健康な変人である。

 

 極めつけはまともに修了しても、副官にしか就職できない。 

 各組織の長になるための資格を取らせないのだ。

 つまり、その後の出世も絶望的だ。


 むしろ変人講師の口癖が、


「副官はいいぞ!」


 である。


 三年目の官学生は熱心で野心家だ。

 一生二番手……むしろそれ以下の扱いも有りうる副官、という人生を望む学生は当然皆無。

 行き着くのはよほどの不運に見舞われたか、俺のような生きた屍の道を行く人間。

 

 ――もしくは、本気で優秀な副官になりたい人間。


 講師の本当の経歴をしっているのなら、あるいは。

 それが俺の賭けであり、無事彼女は本気側だったことがわかったのだ。


 だからこそ、副官になってくれたし、なってもらったのである。



「コミさんの副官としての意見を聞かせていただけませんか」

「私の意見ですか……そ、そうですね……」


 コミさんは顎に軽く手を当てて、書類を見つめる。

 その格好、美人がやると凄く絵になるなあ……エト伯より伯爵感あるよ……。


「恐れながら、私も解雇はあまり得策ではない、と考えます」


 コミさんはしっかりとこちらを見て発言してくれた。

 俺は続きを話してもらえるように促す。


「解雇には規定の退職金が必要になりますし、ロンドの勤続年数だとそれなりの額になります」


 国家の息がかかった組織から退職させる場合、一定の額の退職金を支払う規則がある。

 そしてその額は勤続年数に比例して増加する。


「彼を解雇することによって期待度評価の上昇は見込めますが、来月の収支の悪化による減点と相殺されるような形になる可能性もあります」

「確かに……、減点分が超過するかも……」


 コミさんの指摘は正しい。

 退職金は領地の支出に計上されるので、来月分の数字は悪化するだろう。


「それに……閉領を間近に控えた解雇は安易と判断される可能性もあります。ロンドが納得したとしても、見え方としては急いで退職を迫ったという形になりますし……」


 言われてみればそうだ。

 少なくともここの二人が下策だ、といい印象を持っていない。

 監査官が積極的な評価をしてくれる、と判断するのは甘いかもしれない。

 

「解雇という手段の割に、あまり得をしない……ということですね。では減給はどう考えますか?」


 これも個人的にはいい策とは思わないけれど、コミさんの意見を聞きたい。


「そうですね……解雇よりは現実的だとは考えます」


 確かに折衷案というか、現実的な妥協位置ではある。

 それはコミさんも同じ意見みたいだ。

 しかし……。


「妥協より……」

「変化……」


 思わず俯いてつぶやくと、コミさんが言葉を継いでくれた。

 そう、これも変人講師の教えの一つ。


 妥協の側には、いつも最善が見えている。


 妥協だと思った時点で、より良い案の存在が見えている、ということだ。

 そしてそこへの道探しをしないことが、妥協の本質なのだ。

 

 見えているのだから、適した道は必ずある。

 考え方を変え、視点を変え、とにかく変わることを惜しんではいけない。


 変人はそんなことを熱弁していた……と思う。


「減給なら効果が薄く、解雇なら逆効果になる可能性がある……」

「減給をせず、解雇もせず……となると彼を続投させる、ということになりますが……」


 コミさんと俺は二人ともぶつぶつと言葉を零す。

 互いに互いのつぶやきは頭に入った状態で、考えを巡らせていく。


「そもそも彼が続投できないのは……」

「ご飯を作る必要が無くなっていっていますから……」

「……でも美味しいですよね、ロンドさんのご飯」

「そうですね、私も好きです……」


 でも、今彼が料理を作るべき機会は減っていっている。


「エト伯が沢山食べたらいいんじゃないですか……」

「この状況で贅沢してたら監査官の印象すごく悪いですよ……」

「今更ですよ、今まで食べてたんですし……」


 心なしか、コミさんの雰囲気が砕けてきているようだ。


「それに、もし痩せたとしてもノフィ伯とは……」


 あ、あれ?

 副官さん?


「んんっ!……失礼しました」


 分かりやすく咳払いをすると、少し目を細めながら彼女は言う。

 少し心を開いてくれているのだとすれば、むしろ嬉しい……かな。


 とはいえ、お互い考えは中断していない。

 

 しばらくそうしていると根本的な疑問が浮かぶ。


「ロンドさんの腕はいい……それなのに、どうしてプラト領にこだわるんだろう……」


 俺がその疑問をつぶやくと、コミさんは顔をあげて答えてくれる。


「ロンドは、色々な料理を作る必要がある所が気に入っているそうなんです」

「そうか……貴族向けは料理の種類が要求されるから……」

「他にあまりそういった仕事の口はないそうで」


 確かに伯の数は決まっているし、裕福な人間の数も限られている。

 そうなるとこういう仕事はないのか……。

 

 だから、彼はここに残った。


「じゃあ彼も、彼女側の人なんだ……」

「彼女側?」


 俺が漏らした言葉にコミさんが反応してくれたが、説明が長くなってしまうので気にしないで、と伝える。


 でもそうか、それなら彼を解雇したり減給するのは違うと思えた。

 それをすんなりやったら、両親を無視した世界と同じになってしまう。


 彼の状況を考えてみる。


 ここでやれていた仕事。

 それと同様の仕事の口がないから、ここにいる。

 色々な種類の料理を作りたい、という気持ちが閉領を目前にしても消えていない……ということだろう。


 もっと早く行動を起こす、というのが彼がやるべき対応だったのかもしれない。

 現実を見て、自身の考えを捨てるのも一手だったはずだろう。

 ただノフィが、場合によってはスタンデールさんも苦労しているように、思い入れとはなかなかに難しい。

 

 俺の心がざわめいたあの感じと同じ。

 どうも釈然としない、そういう気持ちになったのではないだろうか。


 それなら今やるべきは彼の対応の遅さを笑い、解雇することではない。

 その厄介な気持ちにどう向き合うかは人それぞれなのだ。

 

 ただ現実ここにも仕事がなくなりつつあり、無駄を削減するために減給、解雇も視野に入ってきた。

 だが、どちらも領地にとって……監査を乗り越えるに当たって効果的ではない。


 加えて伯爵が贅沢をするような意味のないことは続けられない。



「それなら……意味をつくればいいのか」



 意外なほどに簡単に答えは出た。


 彼に金銭を支払うに値する仕事を用意するべきなのだ。 

 彼の能力に意味と価値をもたせる仕組みをつくるのが領伯の仕事だろう。 



「……副官としても、同じ意見です」

 


 俺の言葉に、コミさんはやや呆け気味の表情で同意してくれた。

 

「今の彼は、余剰の才能と認識するべきですね。ですから伯爵の仰るように再配置ができれば、一番効果的です」

「再配置……どういうものがいいかな……」


 再配置、つまり彼に新たな仕事を用意する、ということだ。

 現状このプラト領で料理人が必要だろうか。

 もちろん、食堂なんかはあるけれど……。


「民間の食堂に紹介するのは……解雇ですよね、実質」

「彼自身も望んではいないでしょう、それならもっと早く辞めているかと」


 ううむ……。


「その……よろしいでしょうか」


 コミさんが控えめに手を上げる。

 うわあ、なんかそれも絵になるなあ……、できる人感がすごい。

 俺はその雰囲気を眩しく思いながら、頷く。

 コミさんは、話がずれてしまうかもしれませんが、と前置きした。


「監査で期待度評価を上げる必要がある、とお考えですよね?」

「そうですね、今閉領を避けるならそれが一番だと思ってます」


 コミさんは俺の意見に頷き、それなら、と続ける。


「期待度評価があがる、とされるのはやはり領地の実績に結びつくものです。ただロンドを再配置しただけでは……」


 大前提の目的は、監査の期待度評価を上げることだ。

 つまり領地の業績をあげるために、効果的な行動をしているな……と監査官に思わせなければならない。

 となると、ロンドさんを単純に再配置するだけではさほど期待度評価に貢献できない、そう彼女は言う。


「なので、もう少し大きな視点で考えてみてはいかがでしょうか。実績を上げるために、彼の配置だけを見るのでなくて領地全体を俯瞰するのです」

「領地全体の配置を……?」

「そうです、方針を決めて全職員の配置を見直すことで新しい仕組みを作るのです」


 ぜ、全体の配置ですか……!

 もしやるとすれば、相当大掛かりなことになるぞ……。

 しかも、下手をすれば安定している部分を崩す可能性がある。


 しかし、だからこそ大きな可能性もまた存在する。


「でも……そうか。全配置を再構成することで、再配置そのものが大きな施策として認識される」

「はい、監査の期待度評価としては比べ物にならないほど大きくなると思います」


 妥協より、変化。

 まさにこの状況のことかもしれない。


 ロンドさんという能力の活用を諦めないという発想を持つことで。

 減給や解雇といった下策に甘んじないことで、より効果の大きな策の可能性が見つかった気がした。


「とはいえ、労力に見合った効果がでるか……それにこういった適化は……」


 コミさんとしても、大きな仕事になってしまうことは充分に分かっているのだ。

 だから、自身の意見を言い終わった後やや気まずそうにしている。

 それでも、彼女は進言してくれた。

 それはそれだけの可能性を感じていることにほかならない。


 けれど、気がかりはもう一つ。


「こういった面倒は、嫌われますからね」

「!……は、はい。特に、領伯や支部伯のお立場は……」


 こういう大掛かりな変化は痛みだ。

 変化に対応させられるほうは面倒だし、厄介だし、時間がかかる。

 その不満の矛先は当然言い出した人間に回ってくる。


 しかし今は、この点はとても都合がいい状況なのだ。


「自分で言うのも変だけれど、私の評価がこれ以上落ちることはないですからね」

「……!」


 そう、もともとエト伯の領伯としての評価は最低なのだ。

 不満の矛先としてもわかりやすいし、エト伯からの指示だから、と指示する側も言い訳しやすい。


 加えて俺は偽物だ。

 だからエト伯としてめちゃくちゃに言われても、そこまで凹んだりしない……はず。

 エト伯本人にはとても申し訳ないけれど……聖人でもないので気持ちに逃げ場を用意してしまおうと思う。


「ではコミさんの意見を採用させていただきたいと思います。方針を決めて、組織そのものの再編成を私が検討します」


 逃げ場があるのだから、腹をくくってしまおう。

 上手くいくかはわからないけれど……減給や解雇でお茶を濁す以外の策を考えてもいいはず。


 とりあえずコミさんには、この後は副官としての書類仕事を……と話を進めようとすると。



「その……私にも再編成のお手伝いをさせてください」



 コミさんから、強い意思のこもった有り難い申し出をいただいた。


 成果はこれから出すつもりだけれど、これはいよいよ追い詰められた。

 これだけ優秀で前向きな副官を迎えておいて、何もできませんでした……とはちょっと言えない。


 それに何より。

 こういう人に、再び諦めたような無表情に戻って欲しくないと思うのだ。



 俺は自分の中に最近感じるようになった、そんな気持ちを改めて確認した。

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