第2章 半分の的中
第8話 半分の的中
最近、エト伯爵がおかしい。
確かにもともと色々な意味でおかしい人ではあった。
朝は禄に起きてこないし、身の丈に合わない贅沢を好むし、ねちっこい目で人の身体を見てくるし。
だから同期の使用人がどんどんと辞めていったのは当然のこと。
私もその一人になるべきだったとは思っている。
領伯の食事を担当しているロンドと、私。
かつて十人を超えていたはずの使用人も気づけば二人。
随分と静かになったものだ、と何処か他人事のように思う。
巷ではプラト領はまもなく閉領となり、領地全体が撤退になるという話でもちきりだ。
開拓支部の職員と違って、私達使用人のほとんどは閉領になれば仕事が無くなる。
次の領地へ移ったとしても、領伯の使用人の席は空いていないだろう。
辞めていった使用人たちは給料があるうちに、教都へ戻り次の仕事を探すと言っていた。
けれど私はそうできなかった。
副官としてここへ赴任した過去が。
使用人として過ごしてしまった時間が。
どうしても私の足を重くするのだ。
「コミさん……、もうすぐ俺たちクビらしいっすよ」
「……でしょうね」
ある日の昼下がり、ロンドはどんよりとしたため息を吐いている。
「閉領だからってんじゃないですよ?閉領を待たずに解雇らしいっす」
「伯爵様の例の気まぐれかしら」
「気まぐれで辞めさせられちゃたまんないっすよ……」
まだ結婚資金も溜まってないのに……と、頭を垂れる彼。
料理人らしく短めにされた茶髪は、いつもよりぼさぼさだ。
彼は教都に想い人がいるらしい。
真剣に結婚を考えているが、二人で暮らすにはまだまだお金が足りないようだ。
「でも私達、今暇じゃない。やらせる仕事がないんだから、解雇は妥当じゃないかしら」
「いや、まあ……そうなんすけどね……」
身の回りの世話をするはずの私。
貴族向けの料理を作るはずの彼。
そのはずなんだけれど……。
エト伯は掃除はもちろん、最近は寝具の用意も一人でやりはじめ。
料理はまかない程度ですませ、場合によっては自室でプロウトを焼いていたりする。
「はあ……あの人、一体どうしたんすか?」
「私が聞きたいくらいよ、貴方食事に何か混ぜたの?」
「ま、混ぜないっすよ!エト伯は俺にとっちゃお客さん、美味しい料理を出さなかったら料理人失格っす」
この若者は口調はともかく、仕事にはとても真面目だ。
上司をお客さんと表現し、美味しくないものは絶対にださない、とこだわる姿は尊敬できる。
「仕事はしないけど、ご飯はよく食べる伯爵ではあるわね。好き嫌いもしないし」
「そうなんすよ!珍しいっすよ?何でも食べてくれる貴族様」
開拓支部伯と違い、領地伯爵は昔の貴族制の名残だ。
だから庶民は、領伯のことを貴族様と呼ぶことも少なくない。
グリッケン教国は開拓者の国だとされている。
とある大きな開拓団がこの地を見つけ、国を作った。
その際、彼らの母国にあったという貴族文化を導入したことが始まりだと言われている。
開拓団内の3つの組織の長と総団長は最初の貴族となり、彼らの一族はその名を引き継いでいくことになった。
例えば団長名のツェルテは、王族の家名として代々引き継がれている。
こうした建国の逸話をなぞったのが領地伯爵の発祥だ。
新たな領地を求めて開拓団を派遣する際は、その指揮者に爵位が与えられるようになったのだ。
そして国家からはそうした爵位をもった人間に対し、領地名を名前につけることを許した。
エト・プラト伯爵、というのはそのためである。
そしてそんな伯爵が納める領地へ、開拓を促進するために支援金が支給されるようになった。
しかしまあ当然というか。
そんな支援金を懐に入れてしまう不届き者が出てきてしまうわけで。
そこで国は仕組みを整理、血筋で領地を引き継ぐ領伯に対して、補佐役兼監視役として開拓支部伯爵という席を作った。
この開拓支部伯爵の登場で、勉強して真面目に働けば伯爵になれる世界がやってきたのだ。
先代と現国王は更にこれを進め、今中央で要職につくと皆爵位を持つことになる。
世襲が基本だった領地伯爵も、能力が認められれば庶民が就くこともできるようになった。
一方成果をあげない場合は、歴史ある貴族家もあっという間に爵位を剥奪されている。
現在貴族を名乗る一家は努力と実績を重ねた優秀な人ばかりだ。
結果、開拓領でも教都で勉学に励んだ支部伯に負けじと、領伯一家も挟持をかけ能力向上に勤め、割とこの政策は上手く行っていると思う。
……一部を除けば、だけれど。
そしてプラト領はその一部だったはずなのだ。
「もう病気以外ありえないっすね。間違いない」
「こ、恋の病……ぷっ……くく……」
ああ、つい上手いことを言ってしまった。
この優秀な癖は時々出てしまうので、困りものだ。
「全然おもしろくないっす」
「そういえば包丁があったわね……」
「ちょちょちょ!短気にもほどがあるっすよ!!」
……調理場はこういう時大変都合がいい。
ロンドの顔色が悪くなったようなので、許すことにする。
「はあ……でも、ノフィ伯を離したくないから奇行に走ったって噂は本当なんすかね」
「まあ、惚れてはいたかもしれないわね。彼女美人だし、胸も大きいし」
「あれ、今度は自慢ですか?コミさんだって、そういう理由で使用人にされたんすよね?」
「知らないわよ……」
副官として派遣されたはずの私。
けれどエト伯は私を副官としてじゃなく、身の回りの世話をさせる使用人のように扱った。
おかげで官学校で学んだことはほとんど無駄になり、使用人としての仕事を覚えることになった。
理由は私の容姿が気に入ったから……らしい。
どこからともなく今の仕事着を手に入れた彼は、私がそれを着て仕事をするのを見て満足そうにしていた。
一方で彼は使用人に手を出すようなことはしなかった。
人に当たり散らすこともなかったし、出されたものは綺麗に食べる。
女性の目はまともに見れないようだったが、挨拶を無視するようなこともない。
領伯としては壊滅的だったが、悪人というわけではなかったのだと思う。
「ロエルくんもいなくなっちゃったしなあ……」
「彼も結局辞めちゃったのかしら」
「結構話せる副官さんだったんすけどね、まかないも一緒に作ったこともあったっすよ」
私の立場がよくわからないことになったまま、少し前に若い副官がやってきた。
見た目は至って普通。
ただ、現在のプラト領に来るくらいだ。
能力は大したことがないのだろう、と嫉妬心も手伝って彼を見下していた。
ところが彼は文句の一つも言わず、半ば押し付けられたように見える仕事さえこなしていた。
手際よくこなすので、ますます様々な場面でこきを使われていたけれど……。
自身の扱いについてよっぽど無頓着なのか、落ち込む様子さえなく淡々としているように見えた。
どこか私が憧れた人と重なる部分もあり、けれども何か違いを感じる部分もあり。
不思議と目で追っていることが多かった。
私は彼を一方的に知っている程度だったが、ロンドはそんな彼と交流があったらしい。
「コミさんがいつもより美味しいって食べてたプロウト、あれロエルくんのお手製っすよ?」
「あら、そうだったの……ちょっと残念ね」
「まかないも美味しいって食べてくれるし、良い人だったんだけどなあ」
「だから長続きしなかったんじゃないかしら」
そうっすねえ……とため息をつく彼。
賢い人ほど行動が早い。
逆に言えば、今ここに残っていることはあまり賢くないことの証明でもある。
「領伯の料理人は色々作れて楽しかったんだけどなあ……」
彼が残った動機はこれらしい。
料理人は色々な就職口があるが、貴族付きになれるのは少数だ。
「給料が良くないのは気にならないの?」
「結婚を控えて、本当は気にしなきゃいけないんすよ、分かってはいるんすけど。でも、貴族の食卓で色々なものを作れるのは大きな魅力なんすよ。庶民向けの食堂じゃあ、とにかく早く出せるもの一辺倒。安かろう不味かろうで納得してますから」
彼女も理解してくれてるんすけどね、と軽く惚気るロンド。
私が睨みつけると、はっとして話に戻る。
結婚が控えているやつなど、食べようとしたプロウトが爆発して吹っ飛んでしまえばいいのだ……!
「庶民は料理の種類を求めないんすよ。忙しいから、とりあえずお腹が膨れればひとまずよし。間違ってないすけど……どうも納得いかないというか」
「それで貴方まかないも妙に凝ってたのね」
まかないが美味しいのは嬉しいが、太ってしまいそうなのでほどほどでお願いしたいけれど。
「でもそのまかないもおしまいですよ。あぁ……次は大衆食堂でプロウトを焼き続ける毎日決定すね」
彼がぼんやりと呟くのを聞きながら、私も改めてため息をつく。
「暇ね……」
「クビ宣告を待つだけの暇って辛すぎっす……」
手持ち無沙汰にすぎる昼はこうして過ぎていった。
副官に憧れたのは、とある開拓支部の手伝いをしていた頃。
官学校を修了せずとも、支部職員の補佐的な役割で仕事に就けたことがあったのだ。
私はそこで色々な雑用をしながら日々を過ごしていた。
とはいえ、順風満帆とは程遠い領地で。
私達の勤務環境は最悪の一言だった。
領地伯爵がかなり傲慢で、エト伯とは逆の種類。
自身の保身には頭が周り、ずる賢さが服をきて歩いているような男だった。
支部内の女性達にみだらなことをしようとし、気に入らない職員に当たり散らし。
領地の経営が悪くなると、開拓支部伯を大勢がいる前で怒鳴ってみせたりしていた。
あまりの環境の劣悪さに精神を病んでいく人も多く、次々と人が辞める。
しかし金と権力にものを言わせ、また大量に雇用する。
私が雇用されたのは、そんな人手不足を補うためでもあったのだ。
そして結局大量にやめていく、そんな地獄だった。
ところがある日、件の伯爵が告発された。
教国の調べで今までの横暴が明らかになり、彼は死罪。
一家は爵位を取り上げられた後、国外へ追放されたらしい。
それでも領地に明るい空気はなかった。
次の伯爵がまともだとは限らない。
予感は半分的中し、次に来た女性の伯爵はとても評価しにくい人だった。
まだ若く経験不足もあったのだろう、失策も少なくなかった。
しかし彼女は正義感に溢れた善人で、頑張ってはいたのだ。
だからこそ支部は頭を悩ませることになった。
助言をしてみても、どこか歪んでしまい「そうじゃない」という方向に転がる。
そんな時、その副官はやってきた。
白髪でどこか不健康そうな見た目。
何年着たらそうなるのか、と聞きたくなるほどよれよれの服。
その頃の私からみると、お兄さんとも、おじさんともつかないような、年齢がわかりにくい男性。
また面倒そうな人がきた、支部の誰もがそう思ったが。
彼が来てから、領伯の策は見違えるほど的確になり。
帰れないのが当たり前だった支部職員は、陽が落ちる前に家路につくようになった。
支部伯を始め、職員達の能率は向上し、領地の業績はあっという間に持ち直したのだ。
結果、領伯、支部伯ともに教国から表彰されるほど。
しかし副官が表彰されることは無かったし、給与も据え置きだった。
彼が来たことで何かが変わったことは間違いない、それは職員全員が感じていたけれど。
書類に残らない補佐こそ彼の仕事、その証明は難しかった。
納得できない、そう感じる人も少なくはなかった。
あらゆる所へ顔を出し、領伯の代わりに頭を下げ、支部伯の代わりに書類を作る彼。
領伯と支部伯はその力を利用しながら、成果を独り占めしたように見えた。
非正規であった自分よりも職位としては上の副官、それでも彼はとても話がしやすい雰囲気だった。
その雰囲気に甘えて、私は不満はないのか聞いてみたことがある。
すると彼は穏やかな微笑みを浮かべた。
「副官の存在意義って何だと思う?」
「え、えっと……」
言葉に詰まる私に、彼は続けた。
「私は副官の仕事は、領伯の肩の荷を軽くすることなんだと思ってる。だから彼らが表彰されて、やっと書類一枚分くらいの形になったかなと」
そしていたずらっぽい笑顔で言った。
「君なら書類一枚仕上げるごとに給料あげてくれって言うかい?」
よれよれの服で、不健康そうなはずの笑顔は眩しくて。
自分の仕事に自分なりの評価を下して笑っている彼は、その日から私の憧れになった。
私も副官として、彼のように誇りをもって働きたい。
そんな想いを抱くのにも、ほとんど時間はかからなかった。
だから使用人に雇用が切り替えられたことが分かったその日から。
私の心には穴が空いたままだった。
そして今。
領地に久しぶりの雨が降ってから数日後、エト伯の執務室に呼ばれた。
無気力に使用人を続けて来た日々も、今日で終わり。
憧れの副官をすることもままならず、妙な使用人として中途半端に過ごした私。
もしかしたら。
いつか。
そんな意味も根拠もない希望に引きずられて、結局プラト領に居座った私。
けれどそれも今日で終わりだ。
あっけなく暇を出され、この仕事ともお別れだろう。
という私の予想は。
いつかと同じく半分は的中した。
そしてもう半分は眼の前で起きている事態である。
「使用人は今日でおしまいにして、副官やってもらえませんでしょうか……?」
「……は?」
……最近、エト伯爵がおかしい。
いや、もしかしたら私の眼がおかしいのかもしれない。
私には今……領地伯爵が土下座をしているように見えるんだけど……。
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