第4話 お飾り伯爵の事情

 木造2階建て、領内で最も大きな建造物。

 それがプラト開拓支部である。

 1階は開拓を推し進める組織、開拓支部の仕事場や会議室。

 2階は領伯の執務室や私室となっている。


 朝日が差し込む2階の執務室に置かれている姿見を前に、俺は思わずため息をついた。


「ほんとに瓜二つだよ……」


 そこに映るのは、短めの銀髪、どうしたって目立つお腹を抱えた小太りの伯爵。

 何度見ても、昨日まで俺の上司だったエト・プラト伯爵そのものだった。


 自身が知っている人物の容姿になれる……という首飾り。

 やはりその効果は絶大だ。

 とはいえ、永遠にその状態でいられるわけではなく、大体真夜中になると効果が切れてしまう。

 大体……というのは王族で試しても個人差があったから、だそうだ。

 また再現度にも差異がある。


 直前に使った姿は、別人が使っても高い再現度を保てる。

 ノフィ伯にそっくりになれたのはそのためだ。

 王女様の予備として、彼女の姿が記憶されていた……というわけ。

 普通は異性の姿になるのは非常に難しいらしい。


 更に、新しい姿になる場合はまた別。

 変身しようと思った相手のことをどれだけ知っているかによって、兄弟からそっくりさん、声まで本物と変わらない……という所まで差が出るのだそうだ。 


 俺の場合エト伯の姿は見事に瓜二つであった。

 同性の上、毎日顔をあわせていたのだから無理もない。


 ちなみにカチッというのは、首飾りについた仕掛けを動かした音だったようだ。

 知らない内に動かしてしまったこの仕掛けを使うと、手動で姿を解除できる。


 加えてこの首飾りの場所は、別の道具で探すことができるらしい。

 昨晩のドタバタにノフィリア王女が乱入できたのはそのためだ。

 スタンデールさんに落としたことを黙ったまま探していたらしく、こっぴどく叱られていた。

 

 効果を発生させるには、首飾りを身に付けてお腹に力を入れる感じ。

 俺の場合は、息をすーっと吸って、一瞬息を止める感じにすると発動するみたいだった。

 

 昨晩エト伯爵の私室へ入る前に特大のため息をつこうとしたことが、姿が変わった要因だったらしい。

 まあ、「ノフィ伯を嫁にするための秘密作戦会議」と題された苦行に強制参加だったのだ。

 特大のため息が出てしまうのは、もはや自然の摂理である。

 ただ昨晩二十回目を迎えたその苦行も、二十一回目が開催されることは無くなった。


 その理由は二つある。 


 一つはエト伯爵が当分の間、『研修旅行』へ旅立たれることになったからである。

 旅支度はスタンデールさんによって瞬く間に整えられ、夜が明ける前にどこかへ連行されていった。

 どこへ行くのかは知らないけれど、今後のために彼にはみっちりと再教育が施されるらしい……。


 もう一つは。


「伯爵の中身が俺だとは思わないだろうなあ……」



 ……今日から俺がエト伯だからである。



 今回の事態を正直に報告すれば、俺はエト伯の実家から高額の賠償金の請求、もしくは何らかの処分を受けることになる。

 冤罪だ!と訴えたいのは山々だが、相手は貴族の身内と王族。

 首飾りのことを含め、普通は信じてもらえないし、王族だって認めないだろう。


 そんな事態を避けるため、というよりそうさせない代わりに要求されたことがこの成り代わり。

 俺はこの突拍子もない話をされた昨夜を改めて思い返した。

 

 


「伯爵に成り代わるって……」


 スタンデールさんの言葉を聞いた俺の反応に、彼はゆっくりと頷いた。


「プラト領の閉領を避けるためには、二ヶ月後の監査を乗り越えることが必須です」


 彼が言う監査というのは、国が各開拓領の内情を調査し評価するものだ。

 定期的に教都ダナセーヌから監査官が派遣され、領地の現状を確認していく。


 特に重視されるのは二点。

 指定産品――プラト領で言えばほたる石――をどれだけ産出できているか。

 産出量を増やすために行動を起こし、その内容が今後に期待できるかどうか。


 数値的に評価できる実績と、監査官から見た期待度を総合して判断が下される。


 俺が赴任してきてから二度監査があったが、どちらも評価は最低。

 監査後の様々な注意を聞き流し昼寝を始めるエト伯を見て、この評価は妥当であると深く納得したことを覚えている。


「さすがに次の監査で評価があがらなければ……閉領は避けられないでしょうね」


 先代の領伯からエト伯へ代替わりしてからというもの、評価は落ちていく一方。

 これ以上の最低評価は閉領の判断を下されても不思議ではない。

 というより良く今まで我慢してくれたな……と感じるほどである。


「現状、産出量を大幅に増やすことは難しいでしょう。となれば期待度の評価をいただく他ありません。

 その場合は色々な施策を打つ必要がありますが、今まではエト伯が予算を却下している場合が多く……」


 スタンデールさんがそう言って苦い顔をする。

 確かに彼の言う通りエト伯は予算に、かなり私情を挟んでいた。

 俺が赴任してから見た限りでも、基本的に経費で趣味的なものばかり買っていた気がする。

 様々な理由を付けて、いつ着るのか不明な服とか、いつ使うのか不明な食器とか……。

 執務室の机や、筆記具なんかもやたら良いものが揃っているのはそのためである。


「ロエルがエト伯として、施策の予算を通してくれれば。成果はともかく、行動は起こせる……ってことね」

「左様でございます」

 

 王女様が笑みを深め、執事さんも満足そうな表情をする。


「ロエルくんに対しての言い方としては失礼かもしれませんが……ある種のお飾りとしてしばらく伯爵としての席にいていただきたいのです」




 ……と、いうわけで。


 俺は今日からエト伯爵に成り代わることになったのだ。

 まあお飾り伯爵なわけだけれど……。


 期間としては約二ヶ月後の監査を終えるまで。

 二ヶ月という時間と、監査の結果が良ければ次の領伯候補には宛があるらしい。

 最悪、教育後のエト伯を戻すことも考えているようだ。


 監査の結果が良くても、悪くても、俺はお役御免となり教都へ移り住むことになる。

 その際の仕事の紹介と、資金援助が今回の働きに対する報酬の代わりだそうだ。


 加えて、王族紋章入りの指輪を使う不思議な儀式を行って、これらの契約をすることになった。

 信頼を得難い状況だからこそ、ということでこの形式を選んだとノフィリア王女は言っていた。

 聞く所によると王族ができる最も厳格な契約形式の一つだそうだ。


 ちなみに資金援助の一部は前金としてその場で支払われ、思いもよらぬ臨時収入を得た。

 びっくりする額ではあったが……まあプラト領だと使う宛ほとんどないんだけどね……。


 

 ほぼ徹夜明けといえる頭で考えていた思考は、女性の声によって遮られた。


「エト伯、ご在室でしょうか?」


 執務室の扉の向こうからだ。


 ええっと、こういう時は伯爵はなんて言ってたっけ――

 

「失礼しま……!?」 


 って早!!

 返事を待たない彼女の行動に驚いていると、同じく驚きに目を見開いた様子の使用人さんと目が合う。


 彼女、コミさんとは俺も面識がある。

 深い藍色の長い髪に白い肌、やや冷たい印象の切れ長の目。

 背も高く、とても整った顔立ちで美人には間違いない。

 仕事着である、白色のエプロンと、黒の上下も相まってとても綺麗な立ち姿が印象的だ。

 けれど世間話などするほうではなく、ほとんど表情を変えないのでちょっと苦手であった。

 

 そんな彼女の手には箒と塵取りが握られている。

 朝から執務室の掃除に来てくれたのかもしれない。


 この時間、副官としては別の仕事をしていたのでエト伯が彼女とどう交流していたのかを知らない。

 沈黙はとても気まずいので、とりあえず挨拶をしてみることに。


「……お、おはようございます」

「……え、ええ……おはようございます」


 彼女は姿勢を正し、挨拶を返してくれた。

 けれど、ほとんど表情を変えないコミさんがわずかに呆けた様子を見せている。


「き、今日は、何か特別なお仕事でしょうか。清掃は後にしたほうがよろしいですか?」

 

 ややつまりながらも、いつもの調子を取り戻した様子のコミさん。


「え、いや……特に仕事はないのですが」

「えっ?」

 

 俺がそこまで話すと、調子を取り戻したように見えたコミさんはまた驚いていた。

 思わず声を上げてしまったという様子の彼女を見るに、どうやら何かを変わったことをしてしまったようだ。

 い、一体何が問題だったのだろうか……。


 失礼しました、と声を上げてしまったことを詫びる彼女を見て、俺は途方に暮れる。


「えっと……今日は朝の清掃は結構ですから、他の所の清掃をお願いします」


 これ以上彼女と話していると、何かボロを出してしまいそうだ。

 そう考えた俺は、一時休戦をするべくそれらしいことを言ってみる。


「さ、左様でございますか。かしこまりました、ご朝食はいつものお時間でよろしいでしょうか?」

「えっと……はい。問題ないです」


 まだ動揺を隠しきれない様子の彼女は、俺が頷くのを確認した後一礼し退室していった。


 ぱたん、と扉が閉まる音を聞いて、俺はふうっと息を付き執務室の椅子に座る。


 緊張のあまり、いつの間にか席を立っていたことにも気づかなかった。

 まだ暑さを感じるような季節ではないはずなのに、手はじっとりと汗ばんでいる。


「……これは思った以上に疲れそうだ」


 スタンデールさんが言った通り、俺はお飾りとして座っていればいいと思っていたのだが、そのお飾りになるにも慣れは必要らしい。


 それにしても、さっき彼女は一体何に驚いていたんだろうか。

 おそらく普段のエト伯とは何か違うことをしてしまったのだろうけれど……。

 あの特徴的な話し方は、仕事中はやっていなかったはずだし。


 と考え事をしていると、閉められた扉の向こうから聞き慣れた声がする。


「エト伯、アセンヌ院のスタンデールです。お時間よろしいでしょうか」

「あ、ええ。どうぞ」


 俺が返事をすると、お嬢様の執事ではなく、アセンヌ院の院長としてのスタンデールさんがやってきた。

 昨晩からのどたばたで一睡もしていないはずだけれど、彼はそんな様子をおくびにも出さず穏やかな表情をしている。


「おはようございます、いかがですか?領伯の席の座り心地は」

「思った以上に居心地が良くないですね……」


 扉をしっかりとしめてから、スタンデールさんは少し茶目っ気のある表情で聞いてくる。

 どうやら俺の様子を見にきてくれたらしい。

 そんな彼に苦笑を返し、先程のことを話してみる。

 スタンデールさんなら何か良い助言をしてくれそうだと思ったのだ。


「コミさんを早速驚かせてしまったらしくって」

「おそらく……ですがこのお時間に執務室にいる、ということが珍しかったのでは?」

「あっ……」

 

 俺はスタンデールさんの言葉にはっとする。

 返事をほとんど待つ様子もなく入室してきたこと。

 加えて「今日は何か特別なお仕事でしょうか」という言葉。


 エト伯は朝早い会議も基本的には欠席していた。

 考えてみれば朝早くから仕事をする上司ではなかったなあ……。


 エト伯のことをちょっと考えれば分かることで、失敗をしてしまったことがなんとなく恥ずかしくなってしまう。

 そんな俺を、何か微笑ましいものを見るような様子で彼は言う。


「上司といえども、生活のすべてを知っているわけでもありませんからね。昨晩からは慌ただしい状況が続いていますし、無理もありませんよ」

「そう言っていただけると、少し楽になります……」


 穏やかに微笑む彼に、昨晩から張りっぱなしだった心が少しだけ緩む。

 とはいえ、心配は尽きない。

 まあ、もともと心配だらけの作戦ではあるんだけれども。


「やっぱり周囲に不審に思われるのは避けたほうがいいんですよね……?」


 一朝一夕でエト伯の振る舞いができるようになるはずもない。

 つまり、先程コミさんとの間に起きたようなことが、事ある毎に発生することになるわけで。


「確かに不審さを感じさせないことに越したことはありませんが、他人の振る舞いを真似するというのは難しいものです。

 そこまでロエルくんに負担をかけるつもりはありません」


 スタンデールさんは、もう無茶をお願いしていますからね、と苦笑しながら続ける。


「ただ、姿と声が一緒だからこそ不審さがましてしまう……ということもあります。

 ですから、ここは多少強引にでもエト伯が変わった理由をでっち上げてしまったほうがいいかと」

「変わった理由……」


 どうせあらゆる所で齟齬が起きるのなら、先にその理由を告げてしまう、というのは手ではある。

 しかし、当然ながら真実を話すことはできないし、でっち上げると言っても適当な理由が中々思いつかない。


「ロエルくん、私に妙案があります」


 唸る俺に対して、わずかに微笑みながらスタンデールさんは助け舟を出してくれるらしい。

 さすが王族の執事さん!ありがたい……!


 あれ?でもこの流れには既視感があるような。

 具体的に言うと、昨晩にもこの口上を聞いたような……。



「お嬢様を本気で好いていることにすれば良いのです」

「えっ……!」


 

 無茶な提案ができなければ、王族の執事は務まらないんだろうか。

 俺はスタンデールさんの満足そうな表情に、そんな益体もないことを思った。

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