17-3
なぜ嘘をついたのか、本当のことを言うのはためらわれた。けれど、ここで嘘を重ねても不信感が増すだけだ。もう彼の信用を失いたくない。そしてなにより、もう嘘をつきたくはなかった。
「あの手紙を書いた時には、プロポーズを断るつもりだったんです」
エドマンドが立ち止まった。それだけで彼の怒りが伝わる気がして、ジューンはひやりとした。
「ああ……、やっぱりそうだったんだね」
エドマンドは落胆した声を上げ、がっくりとうなだれた。
「きみを不安にさせてしまったのは、やっぱり、ぼくが職場でいじめられているからなのかな?」
どこか申し訳なさげな様子には、怒りは微塵も感じられなかった。ジューンはぶるぶると首を横に振った。
「違います。断じて違います。あなたの問題ではないのです。完全に、わたしの極めて個人的な問題なのです」
エドマンドは驚きはしなかった。
彼はジューンを見つめ、少しのあいだ遠くを見つめて、考えを巡らせたのちに話し始めた。
「最初にプロポーズしたとき、きみは『無理だ』と言ったね? 『わたしは結婚が出来るような人間じゃない』と……」
「は、はい……」
ジューンは恥ずかしくて逃げ出したくなった。手紙と同様、忘れてほしい過去だった。
「どういう意味なんだろうって、考えたよ。いろいろ推測したけど、正解かどうかは分からない」
エドマンドはやるせなげに首を振った。
「だと思います。あははは……」
ジューンは笑いでごまかしながら、話を逸らす方法を考えていた。エドマンドは真剣な調子を崩さずに続けた。
「それでも、今日、きみは『はい』と言ってくれた。『無理』で『出来ない』と思っていたのに、『挑戦することにした』ということだよね? その決断はきっと、すごく勇気が要ったんじゃないかと思う」
思いがけない言葉だった。彼は続けた。
「だから、ぼくはそのことに、とても感謝しているんだ。ジューン、プロポーズを受けてくれて、本当にありがとう。大丈夫、後悔はさせないよ。ぼくに任せて」
エドマンドの表情は自信に満ちていた。
ジューンは胸がいっぱいだった。彼はジューンが以前に言ったことを、よく覚えている。権利を主張することが絶望的に苦手なジューンの、分かりにくい意思表示を、精いっぱいの自己表現を、大切に受け取ってくれる。そして、考えてくれる。理解しようとして……!
「わたし……変わりたかったんです……」
ジューンは話し始めた。
「勇気のお手本を見せてくれた人がいて、それで、『わたしも』と思って……」
エドマンドは微笑み、ジューンの話にただ頷いた。
「わたしはずっと、周りの人たちは皆わたしのことが嫌いで、わたしが消えていなくなればいいと思っているものだと思って、その考えに浸って、安心していたんです」
エドマンドがぎょっとして、不可解そうに首をかしげた。ジューンは自嘲の笑みを浮かべた。
「でも実際は……違うのですよ。わたしが知らないところで、わたしのために動いてくれたり、心配してくれたり、気遣ってくれたりする人がいる。世話をしていると思っていた人が、本当は、世話をしてくれていたりする……」
「その通りだよ。きみのことが好きで、結婚したがっている男もいる」
エドマンドが急いで意見を差し挟んだ。ジューンは少し笑った。
「そうなのですよね。わたし、そういう現実を、思い切って受け入れてみようと思ったんです」
とても恐いけれど。うまくいきっこないと、今も頭の中で声がするけれど。
彼に話したら、不思議と簡単なことのようにも思えてきた。
「きみが……思い切ってくれてよかった」
エドマンドは、よく理解できなくて何と答えたらいいか分からないという顔をしていたが、やがて迷った末にそう言った。ジューンはその気遣いが嬉しく、なんとなくおかしくも思えて、くすくすと笑った。
エドマンドは困惑顔だったが、とにかくジューンが笑っているので、ひとまず納得したようだった。
再び自転車を押して、歩き出す。
前を向いた時、ジューンはこうして二人で歩いて行く未来を想像した。
十年後も、二十年後も、わたしはこうして、この人の隣に並んでいるだろう。今と同じように、満ち足りた気分で、一緒にいることが嬉しくて頬を緩ませながら、歩いているだろう。
幸せな未来が、確かにイメージできた。
未来の夫の顔が見たくて隣を見上げた。ジューンを見つめる彼と眼が合った。お互いに微笑むと、エドマンドがふざけて身体を軽くジューンにぶつけた。ジューンは両手で押してやり返す。はしゃぐ声が、真冬の田舎道に響いた。恋人たちはじゃれ合い、ときに手を取り合って進んだ。二人が目指す暖かな家は、もうすぐそこだった。
終わり
神さま、欲を出してもいいですか? 唯村岬 @tadamura
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