17-2
ジューンは奈落の底に落ちたような気分だった。
今の今まで、どうして気づかなかったのだろう。ジューンの手紙はエドマンドを不愉快にさせていたのだ。特に最後の手紙は、誘いを断り、感情的になって、十分に考えもせず個人的な内容を書いてしまった。
彼は鈍感ではない。はっきりと書いていなくても、ジューンがプロポーズを断ろうとしていることが読み取れたのだ。侮辱されたと思っただろうか。怒っただろうか。
ジューンの足が重くなり、気がつけば、彼の背後を歩いていた。エドマンドは無言で、振り返らずに歩き続ける。
恐くて、悲しくて、隣に走っていく気力が起きなかった。
彼の気持ちを想像せずに、ジューンはついさっきまでご機嫌だった。今日のために、クリスマスプレゼントも用意した。朝起きて、鏡を見ながら髪をとかしているときも、うまく出会えるように時間を計算しているときも、泥の跳ねに注意しながら自転車を走らせているときも、ジューンは自分の計画が完璧だと思って、有頂天になっていた。
なのに……結局ダメなのか。
望みを抱くと、神さまの罰があたる。ずっと、そう思いながら生きてきた。
「待って! 嫌だ、行かないで! 行かないでください!」
どんどんと遠ざかる背中に向かって、ジューンは心の底から振り絞るように叫んだ。
エドマンドがびくりとして、周囲を見回した。彼はジューンが離れていることに、そこで初めて気がついたようだった。すぐに自転車を生垣に立てかけ、彼は戻って来た。
「ごめん、ごめん。考え事をしていて、つい速くなってしまったんだ。きみを置いて行こうとしたわけじゃないよ。さあ、一緒に」
エドマンドはジューンの横に並ぶと、左腕を差し出した。ジューンは前に回り込み、彼を見上げた。
「あ、あの、聞いてください! 会ったらすぐに言うつもりだったんです」
エドマンドの顔が、見る見るこわばった。
「ち、ちょっと待って、心の準備を……」
彼は自分の周りから空気がなくなったみたいな顔をして、喘ぐように深呼吸を数回行った。
「よ、よし。いいよ。どうぞ」
エドマンドは眼を見開き、完全に固まっていた。ジューンはその瞳をまっすぐに見上げた。
「わたしは……あ、あなたが好きです。あなたのことが大好きです。あなたと……ずっと、ずっと一緒にいたい。だから……、だ、だから……」
頭の中の、そこかしこから声がした。否定的な言葉が、次々と湧いてきた。
決して耳を貸さないのだと、決意して臨んだ再会だった。
まるでジューンの言葉が染み入るように、石になっていたエドマンドに生気が戻った。彼は顔中を緩ませて微笑んだ。
「ぼくもきみのことが好きだ。初めて会ったときからずっと好きで、大好きで、夜も眠れないくらい、きみに恋しているんだよ。ぼくと……結婚してくれるかい?」
「はい……!」
その時、ジューンは自分のしたことが信じられなかった。
ジューンは両手を伸ばし、エドマンドの首に飛びついた。すぐさま逞しい腕が背中に回り、強く抱きしめられた。暖かくて安心して、そのまま溶けてしまいそうだった。つま先が浮き、ジューンは抱き上げられ、何度も頬ずりをされた。
やがてエドマンドはジューンを下ろすと、乱れてしまったジューンの帽子を、形よく被り直させてくれた。これでよしと微笑み、彼はあらためて存在を確かめるように、ゆっくりとジューンを抱きしめた。そして、背中に回した手を腰へと滑り下ろし、ジューンをしっかりと腕の中に抱き寄せたまま、顔を覗き込んだ。
ジューンは戸惑い、はにかみながらも、彼の腕に手を添えて顔を見上げた。エドマンドは微笑み、少し紅潮して、とても幸せそうなのに、泣き出しそうでもあった。
しばらく見つめ合うと、不意に、エドマンドの瞳が真剣になった。彼は無言のままジューンを見つめ、その頬を優しく撫でた。ジューンが不思議に思っていると、彼は幾度も逡巡する表情を見せ、そしてついに、疲れ切ったようにこう言った。
「じゃあ、行こうか」
結んでいた紐が解けるように、二人の身体がゆっくりとほどけた。
「はい」
ジューンは天国のような時間が終わったことが悲しかったけれど、隣に彼がいるという幸せは続いた。エドマンドは再び自転車を押し、二人はネザーポート屋敷に向かって歩き始めた。
「屋敷に着いたら、これからのことを決めようか。……と言っても、ぼくは明日ロンドンに戻らなきゃならないけど……。次はいつ会えるだろう? 来月の長期休暇っていうのは、ずっと予定があるの?」
ジューンは夢見心地から現実に引き戻された。
「あの、その、実は謝らなければならないことが……。手紙で、長期休暇に予定があると言ったのは、間違い……というか、う、嘘なんです。本当にごめんなさい! それで、あの……もしよろしければ、ロンドンに遊びに行かせてもらっても大丈夫でしょうか……?」
おそるおそる見上げると、彼は笑っていた。
「もちろん! 嬉しいよ!」
「よかった……。本当にごめんなさい」
「でも、どうして嘘なんか……?」
尋ねられて、ジューンは心臓が止まりそうだった。手紙のことを蒸し返してしまったのだ。
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