第十七章 挑戦
クリスマス後の最初の休日、ジューンは冬枯れの田園風景を、自転車でひた走っていた。濃紺のハーフコートに、フェルトの帽子をかぶり、スエードの手袋をして寒さをしのいでいる。この手袋は、サー・ウォルターから使用人たちへの今年のクリスマスプレゼントだ。
エドマンドからの手紙には、「十時ぐらいに迎えに行くので待っていて」とあった。それを無視して、こちらから出掛けるのには訳がある。
毎朝、その時間帯、コッツワース屋敷の庭園を乗馬で散歩するのが、最近のウォルトの日課なのだ。
自転車のエドマンドと、騎馬のウォルトが庭園で偶然会ったとしても、別に何も起こらないと思う。何も起こらないと信じているはずなのに、ジューンは万が一の、最悪の事態を想像して眩暈を起こしてしまう。あらゆる妄想や、可能性の見積もりに疲れ果て、結局、絶対に二人が会わない方法を採ることにした。それに、コッツワース屋敷から離れてしまえば、アミーリアたちの好奇の目からも逃れることが出来るのである。
時間を逆算し、彼が出発するまでに着くよう、コッツワース屋敷を出た。使う道はいつも同じなので、行き違いにはならないはずである。ネザーポート屋敷の外周沿いの、石垣の道で待ち伏せするつもりだ。
ジューンの自転車は樫の老木が立つ四つ角を右へ曲がり、左右に牧草地が広がる田舎道を進んだ。生垣と枯れた並木に沿って前方へと視線を移すと、こちらへ向かって歩いてくる人影があった。ツイードのノーフォークジャケットにニッカボッカ、ハンチング帽をかぶったエドマンドである。
ジューンはすれ違う前に自転車を降りた。エドマンドが満面の笑顔で近づいてくる。髭面が、暖かそうに復活していた。
「やあ、ずいぶん早いね」
エドマンドはハンドルの中央に手をかけると、微笑みながらそう言った。
「ホワイトストンさまも。あなたが出発する前に着くつもりだったのですが……」
見上げた視界を、熱い息が白くなって昇っていった。彼はずっと微笑んでいる。心なし頬が痩せた気がするが、顔色は良いようだ。ジューンの方も、思い切り笑顔になっていた。身体中が熱くなって、暖房器具にでもなった気分だ。
「ここで会えて良かった。ぼくがいない間に、母が自転車を乗り回してパンクさせてしまってね。歩きだから早めに出たんだよ」
エドマンドはジューンが支えていた自転車を引き取った。
「そうだったのですね。行き違いにならなくて良かった」
ふと我に返るように、エドマンドの笑顔がやんだ。彼は思案顔になり、自転車の左側に回り込んでハンドルを持つと、ジューンを覗き込んでまた話し始めた。
「どうしようか。行きたいところはある? ジューンは午後から仕事だから、サウスブルックスまで遊びに行くのは時間が厳しいかな。ここからだとコッツワース屋敷よりうちの方が近いけど……もし良かったら、……うちに来る? 暖かい部屋でのんびりして、帰りは馬車で送ってあげられるし……、どうかな?」
彼は何かに焦るような、妙な早口で言った。
「よろしいのですか? では、お言葉に甘えて」
ジューンが微笑むと、エドマンドはそれをしげしげと見つめたのちに、一つ息をついた。
「よかった、また普通に会ってくれて。心配だったんだ」
「えっ、どうしてですか?」
ジューンは自分の中のやましさに気づかないふりをして尋ねた。
「最後の手紙がそっけなかったから。ロンドンに会いに来て欲しいと誘ったのに、あっさり断られるし、ついには『あなたはわたしのことが理解できていない!』……とか書いてあるし……。ぼくが手紙に泣き言を書いてしまったから、愛想を尽かされたかと……。そしたら今日は、きみの方からこっちへ来ていて……。それも何か意味があるのかと思って……」
エドマンドはゆっくりと自転車を押し、二人は並んで歩き始めた。
「あ……あの手紙、間に合ったのですね……」
後ろめたさと気まずさで、昂っていた心がしぼんだ。ジューンは取り繕おうと、こう答えた。
「最後の手紙は……、たぶん大急ぎで書いたので、変な風になってしまったのだと思います。あの……気にしないでください。愛想を尽かすとか、絶対にないですから」
「そう? ならいいのだけど……」
エドマンドはこちらを見て、一瞬口だけで微笑み、また前を向いた。
納得していない表情だ。
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