16-6
ウォルトは眉をひそめ、憤るような眼つきで耳を傾けていたが、ジューンが話し終えると、ゆっくりと首を横に振った。
「ジューン、おまえは、何も分かっていない」
ウォルトは呆れたというような苦笑いを浮かべた。ジューンはとたんに気恥ずかしくなり、慌てて言葉を継いだ。
「そ、そうですか? わたしったら、とんだ失礼を……。で、でも、とにかく、坊っちゃんはどうか安心してください。わたしはずっと、あなたのそばにいます。ただの忠実な、あなたの元ナニーとして、ブルームフィールド家のメイドとして。あなたが成人して、結婚して、いつの日かコッツワースの主となられるお姿を、ずっとこのお屋敷で見守らせていただきます」
ジューンは床にひざまずき、ウォルトと向き合った。
「……約束のことを言っているのだったら、そんな下らないことは、どうでもいい」
ウォルトは気まずそうに眼をそむけた。
「えっ?」
ジューンは耳を疑った。
「ぼくがコッツワースを継ぐところを、ジューンが見ようが見まいが、どっちだっていいと言ったんだ。忘れたのか? そもそもぼくのための約束じゃない。ジューンが死んでいない理由を、ぼくが作ってやったんじゃないか。おまえはずっと何か命じていないと、次の休みに戻った時には、この世からいなくなっているような気がした……。けれど、結婚するのなら、もう、そんなのはぼくの役目じゃない」
ジューンは驚いて言葉もなかった。ウォルトは頭を掻きながら、落ち着かなく遠くを見たり、ジューンを見たりしている。不機嫌そうに話すのは照れ隠しで、素直ではないけれど、まだ比較的素直なときの彼の姿だった。
「坊っちゃんは、わたしが結婚すると思いますか?」
半ば呆然としながら、ジューンは気がつけばそう口走っていた。
変な問いだ。言った途端に違和感が走る。本心を直視すれば許可を求めているくせに、エドマンドと結婚したがっていることを認められなくて、こんな言い方をしてしまう。まるで責任の押し付け。そして嘘つきもいいところだ。
「知らねえよ、おまえの好きにしろ!」
ウォルトは苛立たし気に言い放った。まるですべてを見透かすような言葉に、ジューンはうろたえた。
「ほんとうですか? ほんとうに好きにしていいのですか? それで坊っちゃんは、ほんとうに大丈夫なのですか? どうか遠慮せずにほんとうのことを言ってください!」
ジューンは四つん這いになりながらウォルトの顔を見上げた。ウォルトは座り込んだまま後ずさった。
「遠慮なんかするかっ! おまえに心配されなくても、ぼくは大丈夫だ。いったい何歳だと思ってるんだ? いつまでも子供じゃない」
ジューンは本心を見抜こうと、彼の瞳を見つめ続けた。ウォルトは鬱陶しそうに眼を逸らすと、ゆっくりと立ち上がった。
「ジューンは自分の心配だけしていればいいんだ。……嫌なことは、自分で嫌と言う! ……分かったか?」
ウォルトはすっかり落ち着きを取り戻したように見えた。
「は、はい」
ジューンも立ち上がった。
「おまえはもう出ていけ、さあ」
ウォルトは言うや否や、シーツを拾い上げ、手燭を取り上げてジューンに押し付けた。
「は、はい、では、失礼いたします」
ウォルトは扉を大きく開けて、早く出て行けと目配せした。ジューンは急いで真っ暗な廊下に出た。
部屋を出た後に、振り返った。ウォルトは扉をきちんと閉めていなかった。反射的に、ジューンは手燭を持ち換え、空いた右手でドアノブを掴んだ。
すぐに閉めることが出来なかった。
息が止まるような思いで、ジューンは静かに扉を押し、中を覗き見た。
ウォルトはソファーに座り、うなだれて、頭を抱えていた。
突然、ジューンの胸が破れたように痛んだ。音を立てぬよう扉をそのままにして離れ、屋根裏の寝室へ戻った。
ジューンは涙をこらえながら、ベッドに潜り込んだ。胸が痛くて、痛くて、潰れてしまいそうだった。ジューンは頭から毛布をかぶり、顔を枕に押し付けて、気づかれぬよう少しだけ声を上げて泣いた。
いつの間にか眠ったのだろう、気がつけば朝だった。
ジューンの真っ赤な眼を見て驚愕するアミーリアに説明するのは難しかった。遅くまで読書していたと、しどろもどろの嘘でやりすごして、使用人ホールへ降りた。今日はクリスマスなので通常とは違うスケジュールになっている。
ご家族の朝食のあとは、クリスマス恒例の催しがあった。毎年、音楽家や芸人を招いて小さなショーを開き、ご家族はもちろん、使用人も一緒に楽しむのだ。
会場となる応接間の家具は昨日のうちに配置換えが済んでいる。ピアノがある一角に演者のためのスペースを作り、取り巻くようにソファーと肘掛け椅子を配置し、背後の壁際に、使用人のための椅子をずらりと並べた。
ジューンはケイトの身支度をして会場に送りだしたのち、アミーリアが確保してくれていた使用人席に着いた。内輪の会なので入場の決まりは特にない。ソファーには着飾ったブルームフィールド夫人とケイトが腰かけ、ピアノの横ではサー・ウォルターが執事のメイフェザー氏と話をしていた。使用人もおおむね着席しつつある。
そこへ、ウォルトが入って来た。黒のフロックコートを着て、後ろに老従者のグリーン氏を従えている。前の入り口からだったので、一同が注目した。ブルームフィールド夫人が眼を丸くした。ケイトも驚きの表情だ。サー・ウォルターがあっと口を開けたのちに笑顔になり、息子に歩み寄った。彼は今年一番というほどの嬉しそうな様子で、ウォルトを肘掛椅子の方へと連れて行った。
「坊っちゃんはどういう心境の変化かしらね」
ジューンの隣で、アミーリアが囁いた。例年ウォルトは、なごやかに盛り上がる会とその後の家族団欒を嫌って、屋敷にいたとしても自室から降りてこない。それが今、多少顔を引きつらせながらも、サー・ウォルターと談笑している。見守るグリーン氏はずっと満面の笑顔だ。
開会が近づき、執事のメイフェザー氏が演者エリアに歩み出ると、サー・ウォルターは肘掛け椅子に腰を下ろした。ウォルトは着席する前に振り返り、使用人席を見回した。彼はジューンを探していた。そして、二人の眼が合った。
ウォルトはジューンに向かって、ゆっくりと頷いた。そして着席すると、メイフェザー氏が司会を始め、クリスマスの会がスタートした。
ジューンは斜め後ろから、メイフェザー氏のジョークに苦笑いしているウォルトを見つめた。
これは、『ぼくのことを心配するな』のメッセージ。それを伝えるために、この場に来てくれたのだ。
道化の恰好をした芸人が躍り出て、ボールのジャグリングを始めた。歓声が上がる中、ジューンは込み上げる涙をそっと指で拭った。
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